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#ワンナイトラブ
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「いや、というか少し表情が気になって」
「何もないなら全然良いのですが……」
「何かあれば遠慮せず何でも言って下さいね」
あまり会話に絡まぬ私を気遣ってか
私の顔をまじまじと覗き込み
社長は優しく語りかけた
「おっ、昼休憩も終わりますね」
「それでは失礼します。お時間ありがとうございました」
そう言うと
社長はトレーを持ち
先に一人席を立った
「……何かやたら水川さん気に掛けてなかった?」
「ね、何か怪しいよね」
目立たぬよう
常に自分を押し殺し
部外者であろうとした
モブであり続けようとした
それが逆に社長の気を引いてしまったのかもしれない
それが逆に同僚たちの妬みに繋がってしまったかもしれない
そんな些細な一幕を気に病みつつ
治まらぬ鼓動の高鳴りを抑えつつ
遅れて私も席を立った
***
今日も夫の帰りは遅い
一人ベッドに横たわり
脳裏にこびり付いて離れない
昼間の一幕に思いを馳せる
(社長……思ったより気さくな人だったな……)
(あの端正なビジュアルと仕事中の雰囲気は素じゃないのかも)
(神崎さんが言うように私の事……気に掛けてた?)
思い出すと
胸の高鳴りが甦る
時計の針は23時
未だ夫は帰って来ない
秒針の音だけの静寂
内に向いた思考
停止した肉体
安らかな眠気と共に
次第に意識が遠のいていく——
……
「あぁ……またこの夢だ」
目を開けているのか
目を閉じているのか
それすらも分からぬ闇
まるで私の日常のようで
まるで私の心のような
一面の漆黒の闇
気のせいなんかじゃない
以前よりも確実に近づいている
耳元で聞こえる息遣い
灼熱の鼓動
体感する熱気と体温
そして
既嗅感のあるオスの匂い
これだ……
この匂いだ……
何だっけ?
怯える恐怖心と同時に
包み込まれるような
慣れ親しんだ安心感も覚える
この感じ……
何だっけ?
夢の中で巡らす記憶
答えの出ぬまま
記憶は堂々巡り
モヤモヤしたまま
次第に意識は遠のき
やがて無へと落ちてゆく——
***
会社が新体制になり
程なくして
新たな方針が掲げられた
圧倒的なスピード感
一分一秒を無駄にしない
真摯な新社長の賜物だろう
これにより
以前の延長線上にあった社内の空気が
目に見えて動き出す
——成果主義の導入
古の慣習
年功序列の延長線上にあった評価基準が
生み出す成果が評価される事になった
私のいる営業部も大きな煽りを受ける
成果の取り合い
成果の誇示
営業社員たちの空中戦が
私の頭上で飛び交う
複数の営業社員に対し
補佐を務めるのは私一人
営業補佐の私も多大な煽りを受けた
成果に直結しない雑務の増加
成果に直結する質の要求
成果に直結しない立場の私になだれ込む
量と質の要求
優先順位の要求
成果を求め
我先にと
多方面から駆り立てられる
威圧的に期日を急かす人
おだてて自分の依頼業務を優先させようとする人
お菓子で釣ろうとする人——
——データの一元管理
これまで個々人でバラバラに保管されてきた社内資料
IT部からの通達により
クラウドベースに一元管理する事を徹底される
メールで送り合うだけだった
シンプルな二者間の送受信
一見よりシンプルになるも
使い方がよくわからない
山積する覚える事
山積する業務
求められるより高い質
その只中でIT部に割かれる使い方説明の教習時間
変わらぬ空虚な日常
それが
平穏であったと羨む程の変化
急激な方針の変化につられ
急速に変化する社員のマインドセット
会社は変わった
変わってしまった
俯瞰して大枠で見れば
それは良い兆しなのかもしれない
でも
補佐の私にとっては
苦痛の増大でしかなかった
結局報われる人しか報われない
その人たちの間の競争
結局報われない人は報われない
私は新社長を恨んだ
私の空虚で無味無臭の日常を
非情で混沌とした戦場に変えられてしまった
最悪だった私の日常は
もっと最悪になってしまった
今まで出勤中に何をしてたっけ?
今まで帰宅中に何を考えてたっけ?
通勤中の思考すらままならない
自宅と会社を往復するだけの日常
しかし
新方針による変革はこれに留まらなかった——