テラーノベル
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書類はもう無くなった。だけど、帰り支度もせずにじっとその横顔を見つめた。
「……また恋愛相談しても良いですか?」
「まぁ、構いませんよ」
「じゃあ、今度は騙されないです。きっと」
「穂波さんは」
カタン、一際大きな音が鳴ると、常葉くんの乗る椅子がくるりと向きを変えて正面を向いた。
前のめりになっていた姿勢を正し、その視線と交差する。
「出来のいいお姉さんと比較されて生きてきたから、自尊心無くしてるだけでしょ」
不意をつかれた言葉に、瞳が揺れた。
たった、あれだけしか話していないのに、この人は、どうしてこうも私を見透かすのだろう。
なにも言い返せずにじっと見つめていれば、ふいに彼の表情が緩むとその掌が私の頭に乗る。
「穂波さんだっていい所くらい、ありますよ」
「……そう、でしょうか」
「真面目で、礼儀正しいし、簡単に騙されるほど素直で」
常葉くんの手はポン、ポン、と心地よいリズムを鳴らすと私の頭を撫でる。
「自分を顧みずに他人を想える人ですよ」
殊更柔らかな声に、胸がきゅっと音を鳴らす。
あぁ、ずるいな。
そんな笑顔、なんで私に向けるのかな。
酷い人だなぁ。
こんな優しいことを言うのに、こっち見るな、とか言うんだもの。
撫でられるがまま身動ぎひとつせずにじっとしていると、小さなため息が漏れた。
「…私…結婚出来るのかなぁ……」
「張り切りすぎると詐欺に会いますよ」
「そういえば、前の彼氏も私名義で変なことしてたなぁ」
「ほんとに救えねぇ……」
「うぅ……次こそは、頑張ります……」
涙を飲んで決意すると、ふいに常葉くんの手が止まった。
違和感に見上げると、彼はデスクで肩肘をついてじぃっとこちらを見つめてる。
「穂波さんって、27歳でしたっけ」
「今年8です」
「焦る気持ちは分かんなくも無いけど、頑張りすぎなだけじゃないですか?」
「…………え?」
「職場で肩に力入れすぎてんだから、恋愛までそれ引っ張って拗らせてんでしょ。……取り敢えず、」
身体を持ち上げた常葉くんは、私の両頬をむにっと摘んだ。
些細な異変に、驚いて目を丸くした。
「力抜くとこから、始めたらどうですか?」
力を……。
心の中でオウム返しを唱え、先程抓られた頬を自分で軽く摘んでみる。
「今日の常葉くんは、甘い常葉くんですね」
「もう二度と慰めませんよ」
「それは、何卒!」
寧ろ毎日こっちがいい
でもそうしたら……多分、いや割と直ぐに常葉くんに本気で堕ちてしまう。
それは、ダメだ。阻止しなければ。
甘い中に、ピリッと辛いスパイスを効かせた常葉くんの性格。
頭を撫でてくれた時の温もりも
頬を抓られた少しの痛みも
いつの間にか、私の身体に馴染んでしまったように
それさえにも慣れてしまったらどうなるのだろう。
自分のことなのに、ちっとも分からない。
……分からない?本当に?
立ち上がった彼は気持ちの良さそうに背伸びをすると、腕時計を確認して「8時半か」とだけ言うと甘い目元は私を捕える。
「……取り敢えず、飲み行きます?」
その言葉に、私の疑問は全て消えるとぱっと明るさを取り戻した。
「行きたいです!のみほ」
「禁止」
「はいっ」
間髪入れずに返事をすると、簡単に帰り支度を済ませて先を歩く彼を追った。
「そう言えば、常葉くん」
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#ワンナイトラブ
その背中に声をぶつけると「何?」と気だるげに彼は応える。
「どうしてここまでしてくれるんですか?」
気になっていたことをぽつりと告げると、常葉くんはエレベーターのボタンを親指でカチリと押して、何食わぬ顔で教えてくれた。
「仕返しです」
低くて耳障りの良い声が聞かせたその答えは、やっぱり私の予想を大きく覆す。
すぐにその要因を駆け足で探し回るけれど頭の中には一向に見当たらないから、「仕返し?」と、首を傾げた。
「……俺が新卒の時、俺の事散々言われてたでしょ」
常葉くんは片鱗を聞かせてくれた。だけど、まさか本人の口からそれを聞くとは思ってもいなかったから、一瞬で冷や汗をかいた。
───……常葉くんは入社前から話題になっていた。
すごい新人が入社する。忖度が働いた、とか、どこかの偉い人の子どもだとか噂されて、誰も、彼の担当をしたがらなかった。
そんな時に白羽の矢が立ったのが私。断らないと決めつけられていたのだろう。
蓋を開けてみればこんな眉目秀麗な彼だったわけで、当時は女性社員からの目が痛かった。自分達が押し付けたくせに、こういう時にすぐ掌を返す彼女たちが小狡いなあって。
新卒の歓迎会も他の部署からやたらと社員が集まって、上目遣いで、ちやほやと彼の周りを陣取って騒ぐあの子達に微笑み返す常葉くんにも苛立ちを感じていた。
面と向かって言う勇気もなければ、本当は飲みたいお酒を我慢して、幹事に回って、自分を隠すしか脳の無い私はあの頃からちっとも成長していない。
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