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「ありがとうございました…」
着替えも終わり、滉斗は自分の部屋へと戻ろうとした。しかし、元貴はそんな滉斗の背中に、またしても悪戯っぽい声をかけた。
「一人で怖くない?平気?一緒に寝てあげようか?」
元貴は、ニヤニヤしながらそう言う。その言葉に、滉斗の顔は一気に赤くなった。ヤクザの若頭と、一晩を共にするなんて、想像しただけで心臓がバクバクする。恐怖もあるし、緊張で一睡もできないだろう。
「なっ…! 大丈夫、ですっ! 失礼します!」
滉斗は、そう叫ぶように言うと、一目散に元貴の部屋を飛び出し、自分に割り当てられた部屋へと駆け込んだ。
元貴は、一人になった部屋で、声を出して大爆笑した。
「ふっ、なにあれ…あーおもしろ…」
肩を震わせて笑い転げた後、元貴は笑い疲れたように、自分の布団を用意し始めた。夜が更け、静寂が屋敷を包み込む。
元貴が布団に入り、目を閉じようとした、その時だった。
ガラッ、と部屋の襖が勢いよく開く音がした。
「っ…!」
元貴が目を開けると、そこに立っていたのは、涙目で、なぜか自分の敷布団を抱えた滉斗だった。
「や、やっぱり…っ、怖い、っす…!」
潤んだ瞳で、震える声で滉斗がそう告げる。
元貴は、そのあまりにも予想外の展開に、一瞬の沈黙の後、再び大爆笑した。
「っ、はははっ……マジで?」
笑いすぎて涙目になりながら、元貴は布団から半身を起こした。滉斗は、恥ずかしさで顔を真っ赤にしながらも、必死に布団を抱きしめている。
「隣に、敷いていいですか…? 同じは、その…無理、なので…」
滉斗は、そう言いながら、元貴の布団のすぐ横を指差した。
元貴は、笑いをこらえきれないまま、にこやかに頷いた。
「いいよ、いいよ。……どうぞ」
こうして、ヤクザの若頭と組の屋敷で、布団を隣り合わせに敷いて眠りにつくことになった。
非日常で、何処か温かい夜が静かに更けていく。
翌朝、夜明け前のまだ仄暗い時間。
「若頭、お目覚めでしょうか?」
元貴の部屋の襖が、静かに開けられた。姿を現したのは、昨夜玄関に並んでいた組員の、中年の女性だった。
彼女は、元貴の身の回りの世話をする、いわゆる、”仕え”の一人だ。手には、真新しい浴衣が畳んで持たれている。
元貴は、スッと目を開けた。その視線は澄んでいて、昨夜までのけだるい雰囲気は微塵もない。普段から早起きなのか、全く眠たそうには見えない。
「ああ、おはよう」
元貴は、優しく微笑んで答えると、布団から身を起こした。女性は、恭しく頭を下げ、元貴の着替えを布団の横に置いた。
その物音で、隣に敷かれた布団の中で眠っていた滉斗も、もぞりと身動ぎした。ゆっくりと目を開け、視界に飛び込んできた着物姿の女性に、ハッと息を呑む。ここはヤクザの家なのだと、改めて実感させられる。
「…お、おはようございます…」
滉斗は、控えめに、しかし精一杯の礼儀を込めて挨拶した。女性は、滉斗の存在に一瞬だけ視線を向けたが、表情を変えることなく、元貴に深く頭を下げた。
「では、私はこれで。朝食の準備が整い次第、お声がけいたします」
女性は、そう言って静かに襖を閉め、部屋を後にした。
元貴は、静かになった部屋で、滉斗の方に振り返った。
「おはよう、よく眠れた?」
「は、はい…おかげさまで…」
滉斗は、まだ少し寝ぼけた頭で、昨夜の出来事を思い出していた。まさか、ヤクザの若頭の隣で寝るとは。
身支度を整え、元貴に促されるまま、共に部屋を出た。屋敷の奥へと続く廊下を進むにつれて、香ばしい出汁の匂いや、焼魚の匂いが漂ってくる。
そして、襖を開けた先に広がっていた光景に、滉斗は思わず息を呑んだ。
そこは、まるで高級料亭のような、広々とした居間だった。中央には、磨き上げられた木製の長い長い食卓が置かれ、その上には、信じられないほどの数の料理が所狭しと並べられている。
焼き魚、煮物、刺身、卵焼き、湯豆腐、漬物、新鮮な野菜の小鉢の数々…。彩り豊かで、どれも丁寧に作られていることが一目でわかる豪華さだ。
(…すっげぇ…!)
滉斗は、目を見開き、その光景に圧倒された。一般家庭ではありえない、まるで殿様のような食卓だ。
食卓の周りには、すでに数人の組員たちが座っていた。皆、朝からぴしっとしたスーツを着こなしている。
元貴と滉斗が部屋に入ると、彼らは一斉に元貴の方を向いた。そして、その強烈な視線は、隣に立つ滉斗へと集中する。
「っ…」
全身に突き刺さるような視線に、滉斗は思わず腰が抜けそうになった。胃がキリキリと痛み、昨夜の恐怖がフラッシュバックする。彼らにとって、自分は異物なのだ。
その時、元貴がふわりと滉斗の背中に手を添え、優しく言った。
「こら、みんな。そんなにジロジロ見ないの。意地悪はダメだよ」
元貴の声は、普段と変わらない穏やかさだったが、その言葉には逆らえない威厳が込められていた。組員たちは、ハッと我に返り、すぐに視線を下げた。彼らの表情には、どこか畏怖と、そして少しばかりの動揺が見て取れる。
元貴は、そんな組員たちの反応を気にする様子もなく、滉斗を促して席に着かせた。
全員が席に着くと、元貴が「いただきます」と静かに呟いた。その言葉を合図に、組員たちも一斉に「いただきます!」と、どこか軍隊のような規律正しい声で唱和し、食べ始めた。
朝食が始まってすぐ、組員の一人が元貴に話しかけた。昨日、玄関で滉斗の存在を尋ねた、眉間の皺が深い男だった。
「若頭。恐縮ですが、この方は一体…」
男が尋ねると、他の組員たちからも、堰を切ったように野次が飛んだ。
「そうだ若頭!」
「私たちにも教えてください!」
「一体どちら様でいらっしゃいますか」
ヤクザらしからぬ、どこか子供じみた好奇心と、情報への渇望が入り混じった声が響く。
滉斗は、皆の視線が自分に集中するのを感じ、胃が締め付けられる思いだった。
元貴は、そんな騒がしい状況を、どこか楽しそうに眺めていた。そして、湯呑みをゆっくりと持ち上げ、一口茶を啜ると、にこやかに微笑んだ。
「うん? ああ、…彼?」
元貴は、そう言ってちらりと滉斗の方を見た。滉斗はその視線に背筋を凍らせる。元貴は、少し間を置くと、ふっと隣に座る滉斗の方へと向き直った。
そして、組員たちの視線が全て自分たちに集中している中で、元貴はふわりと滉斗の頬に手を添えた。
その指先が、昨夜手当てした擦り傷のすぐ横を、そっと撫でる。
滉斗は、元貴の突然の行動に息を呑んだ。何が起こるのか分からず、ただ硬直する。
元貴はその潤んだ瞳を真っ直ぐに見つめると、音を立ててしまうのではないかと錯覚するほどゆっくり、
滉斗の頬に自分の唇を寄せた。
チュッ、とほんの僅かな、けれど明瞭な音が、静まり返った居間に響き渡った。
そして、元貴は唇を離すと、組員たちに向かってはっきりと告げた。
「…僕の、お気に入り」
その言葉が響いた瞬間、それまでざわついていた朝食の場は、一瞬にして静まり返った。
コメント
12件
あーもうやばい。 なぎささんの作品の中で一番かも……常に余裕そうな元さんと対称的にずっとオドオドしてる若さんが可愛くて仕方ない🤦♀️💘 キスしてるぅ……いちゃついてるぅ……
初コメ失礼します!!ヤクザ系地雷かと勝手に決めつけてたんですけどめちゃくちゃ最高です!!扉開いてくれてありがとうございます🙇♀️続き楽しみにしてます!!!
若頭……積極的ぃ☆ もう好きって言葉しか出てこない