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晴れやかな気分であった。
エルメラの愛情のようなものが、微かながらも感じられた私は、なんだかとても明るい気持ちになっていた。
今思い返してみると、という話ではあるが、これまでの私は後ろ向きだったような気がする。
妹に対するコンプレックスとでもいうのだろうか。それが根底にあったためか、心から晴れやかとは言えなかったような気がする。
エルメラとの対話によって、私の中のコンプレックスのようなものはある程度解消された。そのきっかけを作ってくれたドルギア殿下には、感謝しなければならない。
「……それでも、結局こういった場所に足を運んでいるのよね」
そんな私は、今日も今日とて慈善活動に参加していた。
アーガント伯爵家の人間として、そういった活動に参加するのは、対外的なアピールになる。元々はエルメラの才能から逃げるためにやっていたことだが、今でもこれは必要なことだ。
それに気付いたのは、ここに来てからのことである。私は、そういった貴族としての合理的な事柄など考えずに、参加することを決めていたのだ。
「まあ、人のためになることをやっているのだから、細かいことなんてどうでもいいということかしら……」
「おや、イルティナ様ではありませんか」
「あ、グラットンさん。お久し振りですね。お元気でしたか?」
「ええ、元気ですよ。まあ、体のあちこちにガタは来ていますがね」
色々と考えていた私は、見知った顔に話しかけられた。
グラットンさんは杖をつきながら、ふらふらとした足取りでこちらに近づいて来る。
「治療はきちんと受けられているのですよね?」
「ええ、その辺はご心配なく。まあこうして、生きているだけでも儲けですよ。あの炭鉱の事故以来、そう思うようになりました」
「あの時は本当に……」
グラットンさんが炭鉱での事故の話をして、私は当時のことを思い出していた。
崩落の度合いからして、中にいる人が助かっている可能性はゼロに近い。そう言われた私は、彼の生存をほぼ諦めていた。
しかし奇跡的に、グラットンさんを含めた数名は助かっていた。炭鉱の中の僅かな隙間で何日間も耐え抜き、救助されたのである。
「イルティナ様には、本当に感謝しています。身寄りのない私なんかのために、わざわざ待っていてくれた」
「いえ、私はそれ程特別なことができた訳ではありません。ただそこにいたというだけで……」
「それが何よりも嬉しかったのです。お陰で今は、平和に暮らせていますから」
事故で足を怪我したグラットンさんだが、彼はそれから炭鉱で見つけていた土器を元手に、古物商としての道を進んだ。なんでもそういった知識は、あったそうなのだ。
今ではこうして、慈善活動に参加できる程に余裕がある。それはなんとも、喜ばしいことだ。
◇◇◇
「それでは、エルメラ嬢とは話し合えたのですか?」
「ええ、まあまあ、といった感じですが」
「最善とは言えませんか。それでも、良かったです」
今回の慈善活動にも、ドルギア殿下は訪れていた。
別にそれも、意図していた訳ではない。そういった場に訪れるのがドルギア殿下の仕事みたいな所もあるので、少し期待してはいたのだが。
何はともあれ、こうして彼と顔を合わせることができるのは嬉しいことだ。
「なんというか、エルメラも根底から変わったという訳ではないとわかりました。あの子にはあの子なりに悩みとかがあって、それで少し変わってしまったけれど、家族に対する愛情はあって……それがなんだか、嬉しかったんです」
「そうですか……」
私の言葉に、ドルギア殿下は嬉しそうに笑ってくれた。
それを見て、私はさらに笑ってしまう。なんというか、色々なことが幸せだ。
エルメラへのコンプレックスも解消されて、さらにはドルギア殿下と婚約できた。最近はいいこと尽くしだ。
「……すみません。少しよろしいですか?」
「え? 私、ですか?」
「ええ、あなたです」
幸せを感じている私は、急に話しかけられて少し驚いた。
声のした方向を向くと、一人の女性がいる。その女性のことは、知らない訳ではない。
「あなたは……バラート侯爵家のヘレーナ嬢、ですよね? 私に、何か用ですか?」
「ええ、少し二人きりでお話したいことがありまして」
「わかりました。えっと……」
「僕は席を外しますよ。イルティナ嬢、それではまた後で」
「え、ええ……」
ヘレーナ嬢の言葉を受けて、ドルギア殿下は私の肩に一度手を置いてから、その場から去って行った。
しかし、バラート侯爵家の令嬢が私に何の用なのだろうか。それがよくわからない。
その不安から、私はドルギア殿下の背中を見つめていた。だから気づかなかった。ヘレーナ嬢が動いたことに。
「……え?」
「大きな声は出さないで頂戴。その方があなたの身のためよ?」
「なっ……」
ヘレーナ嬢は、私を壁際まで追いつめてきた。
彼女は壁に手をついており、私が逃げられないようにしている。それらの行動から、明らかな敵意が伝わってきた。
しかし、彼女に恨まれる理由は思いつかない。そもそも、そこまで関わり合ったことがないので、この状況が理解できない。
「これは忠告よ? あなたなんかが、ドルギア殿下と婚約するなんて、私は認めない」
「それは……」
「今の内に、辞退しなさい。ドルギア殿下と婚約破棄するのよ?そうでなければ、ひどいことになるわ」
ヘレーナ嬢の言葉に、私は事態の理由を理解した。
要するに彼女は、ドルギア殿下を狙っていたのだろう。それが貴族としてか、恋慕としてかはわからないが、どちらにしても私を疎んでいることは確かだ。
しかしそれにしたって、彼女の行動は短絡的過ぎる。実力行使に出ようなんて、そう考えられることではない。つまりヘレーナ嬢は、危険な人物ということだ。
「……返答がないわね。もしかして、この私に逆らえると思っているの?」
私が色々な感情から声が出せないでいると、ヘレーナ嬢が不機嫌そうに口を開いた。
彼女の目は、座っている。脅しで言葉を発している訳ではなさそうだ。やると決めたら、ヘレーナ嬢は躊躇わないだろう。
とにかく私は、落ち着かなければならない。まずは対話に応じなければ、このままヘレーナ嬢に傷つけられかねない。
「ヘレーナ嬢、私は……」
「あなたに認められているのは、ドルギア殿下との婚約を破棄するということだけよ? そうしなければ、私はどこまでもあなたを追い詰める」
「それは……」
「ドルギア殿下はね、あなたみたいな矮小な存在には相応しくないの。彼の私のものよ」
ヘレーナ嬢は、私の言葉をほとんど聞いてはいなかった。
対話なども意味はないのかもしれない。今の彼女は、興奮している。私への憎しみが、溢れ出してきている。
そう思った瞬間、私の目の前で光が瞬いた。それが魔法の煌めきであることは、私でも理解できた。
「見るも絶えない姿にしてあげるわ」
「きゃあ――え?」
ヘレーナ嬢の手から魔法が放たれて、私はひどいことになる。そう思った瞬間、口からは悲鳴が溢れ出そうとしていた。
しかし私は、それを途中で中断することになった。なぜならその魔法を放とうとしていたヘレーナ嬢が、宙に浮いていたからだ。
「な、何をっ……あがっ!」
私の方に恨めしそうに視線を向けたヘレーナ嬢は、急に浮力を失い、地面に叩きつけられた。
鈍い音が辺りに響く。直後に聞こえてきたのは、ヘレーナ嬢の苦しむ声だ。
「こ、これは一体……」
「うぐぅ……どうして、私の方がっ!」
ヘレーナ嬢はもちろん、私もこの状況には混乱していた。
私は特に何かした訳ではない。魔法の心得は多少あるが、少なくとも今は何の魔法も使っていない。指一本すら、動かしていないくらいだ。
「何かありましたか? これは……」
「ドルギア殿下……」
「イルティナ嬢、無事ですか? ヘレーナ嬢は、一体何を」
騒ぎを聞きつけたのか、ドルギア殿下がやって来た。
彼はヘレーナ嬢のことを一瞥した後、私の方に駆け寄ってきてくれた。どうやら、彼女が私に何かしようとしてこうなったことは、理解してくれているらしい。
「ドルギア殿下、私は大丈夫です。とりあえず人を呼んでください。ヘレーナ嬢は、怪我をしているかもしれませんから」
「わ、わかりました」
とりあえず私は、人を呼んでもらうことにした。
ひどいことはされそうになったが、それでもヘレーナ嬢のことが心配だ。まずは彼女の安全を確保しなければならないだろう。