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107
赤桃 長め
月明かりが照らす夜、海岸に佇みながら海風にあてられた。
色の落ちたブリーチ毛が靡く姿が視界に映り、ただ虚しさを伴う意味のない行為に浸ったような醜態に呆れて、シワひとつ動かなかった。
あの日、この場所で、俺に想いを告げたお前を思い出しては虚無に浸る。
頬を紅潮させ、柄にもなく照れくさそうに、もどかしく唸ったあと、深呼吸をしてから男らしくストレートに想いを伝えてくれた。
ひとつひとつ、細かにフラッシュバックする記憶に微笑みつつ、深く目を閉じる。
その刹那、スマートフォンに着信があった。
主は堂々と綴られた“りうら”という名前で、罪悪感に苛まれながらもスマートフォンを投げ捨てた。
不規則に荒くなる呼吸が、己の意識を眩ませる。額に滲む脂汗が嫌に湿って、不快感と共に焦燥感を増していく。
「ッりうら、りうら息吐けよ」
「一緒に、俺に揃えて」
目の前に座り込み、俺の両肩を力強く掴む青い姿。視認できるものの受け答えは難しく、何度か首を縦に振った。
吸って、吐いて、と優しく投げかけてくるまろに揃えるように、必死に息を吐く。
“恋人の失踪”。
発覚してから、数時間が経過した。
半同棲中で、肌寒い深夜に帰宅したものの、愛の巣に恋人の姿は見えなくて、コンビニにでも行っているのかと電話をかけた、あの夜。
メンバーに所在を問うも不明で、何度かけてもでることはなくて、焦燥に狩られていたあの晩は、寝る間も惜しんで電話やメッセージを送り続けた。深夜3時頃になると、居てもたってもいられなくて、家を飛び出して走り回った。
もし、彼の身に何かがあったら。
もし、彼がどこかに迷い込んで、帰って来れなかったら。
もし、彼が身ぐるみ剥がされ想像を絶する思いをしていたら。
考えるだけで気が狂いそうで、こぼれ落ちるように「ないくん」と繰り返す。そんな俺を見て、周りも表情を曇らせながら警察と電話でアクションを取っていた。
「大丈夫だよ、大丈夫だから」
「……ごめん…」
優しく俺の背中を撫でるいむの手は微かに震えていて、改めて事の重大さを実感した。
心のどこかで、いつかフラッと帰ってくる。そう思っていた節があった。
彼だけがパタリと消えた失踪で、その跡はいつもと代わり映えのない風景だった。だからこそ錯覚していた。「もう心配させないでよ」なんて垂れるはずだと思っていた。
「りうら、落ち着けよ」
「これから朝イチで捜索願出しに行く。しんどけりゃ誰かと留守番しときゃええし、来れそうだったら着いてきてな」
「うん……わかった…」
まろに真剣な眼を向けられて、大きな罪悪感に見舞われた。
まろの、いや、メンバーの瞳の奥底は不安で満ち溢れていた。なのに、俺のことばかり心配してくれて、気を遣って、安心させようとしてくれる。
辛いのは俺だけじゃない。
恋仲であるから、みんな一段と俺を気にかけてくれてるんだ。
俺がもっと早く帰っていたら。 もっとないくんの話を聞いて異変を感じ取れていたら。
そのタラレバが叶えば、今頃みんなは笑顔でいられたのに。
「……ごめん…」
「謝らんで。りうちゃんは何も悪ないよ」
「そうだよ、もしないちゃんに何かあったなら、それは僕らの責任でもあるから」
俺を蝕む罪悪感すら拭って払うようなメンバーが、何よりも温かく、眩しく光って見えた。
『所属メンバーの活動休止について』
そういった名目で、ないこの無期限の活動休止を報告した。羅列された内容は、ただただ“体調不良”を述べたもの。
『ご確認ください。心配かけてごめんね』
そういった旨の引用リツイートを投稿すると、瞬く間に、把握した、心配するなという返信が来る。
そして本ツイートのリプライには、ないこのリスナーの悲痛な声が込められていた。
メンバーも引用リツイートをして、安心させるような、事を荒立てないように制する言葉を投げた。
その中でも、りうらは『ないくんは大丈夫です。心配かけてごめんなさい』という、“ないこの安否”について唯一触れたメンバーだった。
連絡も繋がらず、所在も不明で行方も眩ませた。捜索願は既に提出したし、予想が着く場所は概ね周った。
もう出来ることはなくて、ただないこの身の安全を願うことしか出来なかった。
そんな中でも、りうらの虚ろで時折曇る表情を見ることが、何よりも心苦しかった。
いちばん苦しいはずで、誰よりも罪悪感を背負っているはずなのに、無神経にも触れてはならないような話題に触れた。
「りうら」
「ないこ、なんか変なとこあったか」
「……わかんない」
「ずっと笑顔で、ずっと仕事してて…話しかけたらもっかい聞き直してくるくらい没頭してた」
「でもそんな……仕事なんて…今に越したことじゃないし」
「…そう」
一見無愛想に感じても、りうらの傷口に触れないよう最低限の言葉を返した。
今話を聞くのは酷であろうが、ないこの行方の手がかりを掴むには、りうらの証言がいちばん近しいと思った。
「いふくん」
「ん?」
深く入って来なかったほとけが、真剣な面持ちでこちらに向かって歩んでくる。
何かと思えば、驚くべき提案をしてきた。
「ないちゃんの家行こう」
「りうちゃん、半同棲中だったよね」
「いつもりうちゃんの家らしいけど、ないちゃん家の鍵持ってる?」
「…持ってる」
「まてまてまて、そんな警察がどうの前に家漁っていいもんなん」
2人の輪に割って入り、ほとけの提案を遮ろうとしたあにき。
それもそのはず、捜索願を出して本格的な捜査となる前に家を漁るなんてご法度だろう。いても立ってもいられない気持ちは十分にわかる。だから引き留める、なんて行動は、俺とあにきにとっては酷だった。
だから疑問を呈したように『NO』を出せればよかった。が、面倒事を好まないあのほとけが、真剣な眼で「そんなこと言ってる場合?」と切り返した。
「俺やってどうにかしてないこを探してえよ、でも、もし俺らが勝手に動いて証拠を撹乱したら?」
「俺はないこがすぐ保護される道を閉ざしたくはない」
「…ほとけ、今は待つしかない」
ほとけの肩に手を置いて宥めるようにすると、目尻に涙をためて俯いてしまう。
己の無力さも、不甲斐なさを、嫌というほど痛感してしまう。目の前にいるないこの恋人のメンタルケアもままならないし、メンバーである俺らの心も乱れるばかりだった。
「心配すんな。今からまた捜してくるから子供組はここで待っとけ」
だから彼らに掛けられる言葉は、“捜す”なんてちっぽけなものだけ。
安心したい、させてあげたい、その一心で、あにきと共に玄関へと向かった。
「…りうちゃん?何しとんの?」
後ろから引き留める初兎ちゃんの声が耳を包む。
玄関扉のドアノブに手をかけた俺を見て、驚いたように駆け寄ってきた。
「行かせんから!!今りうちゃんが外行くんはダメやから!!」
そう声を荒らげて羽交い締めにしようと試みてくる初兎ちゃん。その声を聞いて、どこからともなく足音を立てていむが駆けつけてきた。
「っ何してんの!? おかしくなっちゃったの!?」
初兎ちゃんに応戦するいむを尻目に、今の自分では想像できなかったほどの大声が溢れ出た。
「違う!!!」
「…ないくんの家行ってくる」
「だからダメやって言われたやん!!」
「そうだよ……今は待つしかないのっ…」
「……何のため?何のために待つの」
「事件性がなきゃ家宅捜索なんてされないのに、なんでとめんの」
「何言って…」
動揺して彼らの力が弱まった刹那、振りほどいてドアノブを握る手に力を込めた。
「…前、ないくんが言ってた」
「一緒にテレビ見てる時に言ってた」
「りうらに言ってくれたんだよ」
「りうらはないくんの言葉忘れないから」
「……でも…ッ」
「お願い、行かせて」
「ないくんに言った、何があっても隣にいるって」
「そしたらないくんも、ないくんも…」
「俺がいなくなっても捜し出してねって……ッ」
『ないくんはなんでりうらのこと好きになってくれたの?』
『はあ?中学生みたいなイチャイチャやめてくれますー?』
『なにそれ!!りうらはずっとないくんの隣にいるから聞いときたいでしょ?』
『まあ……何があっても居てくれるなら教えてやるよ』
『ほんと!?じゃあ教えて、何があっても隣にいるよ』
『わかったよ…』
『いやぁ、その…』
『俺の事、すっごい好きでいてくれたから……』
『可愛いっ、可愛いよないくん!!』
『すっごい好きだよ、何よりもずっとッ 』
『ふーん、じゃあ』
『俺がもしどっかにいなくなっても、捜し出してね』
『当たり前じゃん、一生隣にいるのに何を今更』
『でたよ自惚れ最年少』
『そんなこと言う!?!?』
あの日、高揚して抱きしめた温もりが冷めないままでいる。
温かくて、優しくて、体格なんて大差ないのに包容力があって…どんな時でも俺を安心させてくれるその手が好きだった。
大好き、ずっと大好き。
消えるなんて許さない。
りうらはないくんの隣で死にたい。
ずっとそばに置いててほしい。
「…止めても無理やり行くよ」
「……止めないよ」
酷く優しい声に驚いて、半開きのドアを背に振り返った。
驚くほど温かく微笑んで「僕も行くよ」といういむがいて、その横にはまだ葛藤した初兎ちゃんがいて。
「りうちゃんが一番辛いのはわかってる 」
「わかってるけど、僕らだって今すぐにないちゃんと会いたい。今すぐにでも泣きたいけど…まだ取っておきたい」
「だから僕も連れてって」
こちらに歩み寄るいむの姿は、仰天するほどの哀愁を孕んでいた。
俺は自分ひとりのことで頭がいっぱいで、周りに配慮なんかできるほど器用じゃなかった。俺がないくんと付き合っているから、彼氏だから特別辛いという訳ではなく、メンバーも何より大切なリーダーが居なくなって悲しみに暮れて、誰より辛いはずなのに。
目先のことしか見えていない自分に失望した途端、視界の端にいた初兎ちゃんの影も動き出す。
「ぼ、僕も行くから」
「僕だって心配やし…もうみんなの悲しい顔は見たくない」
「でも、手がかりが必ずしも見つかる訳じゃないからな」
「…わかってる」
「開けるよ」
ひと呼吸おいて、ないくんの家の玄関扉の前に立つ。鍵を取り出して、その鍵穴に近づける。嫌な汗が止まらなくて、もし何も見つからなかったらと思うと心が苦しくなる。
そして何より、ないくんが失踪し、俺が走り回って捜していた中で、俺は一度ないくんの家まで来た。
もしかしたら帰っていただけかもしれない、そう思って勝手にお邪魔した。
でも、ないくんの姿はおろか、手がかりすらなかった。
パッと見ただけだけど、あの時、ないくんに繋がる何かは無かった。
ここでしかと何も無い手がかりと現実を目の当たりにしてしまえば、もうなにも希望はないかもしれない。
そう思うと、手が震えて上手く鍵穴に差し込めなかった。
「…りうちゃん」
そういったいむは、俺の手に己の手を被せてくる。そして震えを落ち着かせるように「大丈夫」と呟いてから、鍵穴に差し込んだ。
ガチャ、と音を立てて開かれる扉。
ドアノブに手をかけて、思い切って扉を開けた。
「心配しないで、大丈夫」
「もしかしたらないちゃん寝てるかもやし、な?」
落ち着かせてくれたふたりと共に、ないくんの家へと足を踏み入れた。
いつもと変わらない、何度もメンバーで集った家。
捜しまわっていたあの時と、何も変わらない家の中は、ただ虚しさだけを誘った。
「…りうちゃん、こっからだよ」
「マイナスにならずに探そう、ね?」
「うん…ありがと」
いむのひと押しを受けて、ひと足先にないくんの寝室へと向かった。
大きくて白くて、綺麗な部屋。
大きなキングサイズのベッドが存在感を放っていて、りうらがないくんにこのベッドを強請り続けていたのを覚えている。
そのベッドの端に腰掛けて、ひと呼吸おいた。
そして、ベッドにこれでもかと顔を埋めた。
ないくんの匂い。
まだ残ってる、ないくん家じゃない、ないくんの匂い。
お風呂上がりのないくんのあの匂いがして、更にまたほんのり香水が香る。
「……どこいんの…」
また会って、捜し出して、帰ってきたらこれでもかと抱きしめてあげたい。
心配したんだって、怖かったんだって言ってやりたい。
あのりうらが、ないくんが居なくなって怖かったんだって、驚かせてやりたい。
その思考が漂う刹那、ふと、ベッドの隣にある小さなタンスに目がいった。
小型のライトが乗せられ、絵に描いたような茶色の小さなもの。
何が入ってるんだろう。手がかりがあったりして。
そう思って、惹かれるがまま、何故かタンスの一番下の段に手を伸ばした。
「バカかお前ら!!なんでりうら外に出してんねん!!」
耳元にあてられた画面の先に向けて、物凄い剣幕のあにきから発せられる怒鳴り声が部屋を包む。
たった数分前、あにきと俺が帰宅しても人影ひとつなかった家。
りうらどころか、ほとけも初兎も捜しに家を出ていた。 ふたりには厳しく『りうらを外に出すな』と言い聞かせていたはずなのに、りうらに押し負かされたのかもぬけの殻ではないか。
りうらがないこを探したい気持ちは十分にわかる。なんで俺だけダメなんだと言いたくなるのもわかる。
ただ、もし、万が一ないこの命に関わることが起きていて、ないこが二度と帰ってこなければ。その際に起きるであろう、りうらが後をおってしまうこと。それが俺らが一番懸念していることだ。
「あにき、貸して」
そう言って差し出した手に置かれたスマートフォンを耳に当て、しかと伝えるべきであった懸念すべきことを述べる。
『いふくん……』
「…まず、安全を確保して対策すべきはりうらなんよ。もし、ないこの失踪に“ファン”が関係してたらって考えてみろ。りうらとないこが付き合ってんのなんてとっくにバレとるやろ。二次被害なんてあったもんじゃねえ」
反省しているのか、罪悪感に苛まれた声で弱々しく縮こまるほとけ。そんなほとけに追い討ちをかけるように吐き捨てた。
あくまで『りうらを出すな』と叱責するだけで、『りうらが後を追う可能性』は口にしなかった。
「気持ちはわかる、けどリスクを考えろ」
『ごめん…でも…』
「でも?」
『……なんでもない』
歯切れの悪い返事で呟いたほとけの先で、りうらの張り上げた声が聞こえた。
それは何かを見つけたことを喜ぶように甲高い声で、先程の姿とは似ても似つかないものだった。
『__よ!!こっ___に!』
『りうちゃん何それ!?』
『貸__!!』
ごった返した画面の先の声が反響し、物凄い雑音が耳を包んだ刹那。りうらの声がダイレクトに伝う。
『まろ、見つけた』
『手がかりかもしれないっ』
「…手がかり?」
無意識にオウム返しをしてしまうも、反射的にあにきにも聞こえるようスピーカーボタンを押した。
『寝室に診断書があって』
『“耳硬化症”って』
「耳がだんだん聞こえなくなるって…」
だからないくんは消えたのか。そう問えば答えは不確かだ。
でも、確かに、ないくんに聞き返されることが多かった。一度や二度じゃなく、ほぼ毎日。
仕事で疲れているのだろう、忙しくて頭に入ってこないのだろう。そう割り切って、最近はメッセージアプリを使って必要な連絡事項を伝えることが多かった。
そんなりうらの雑な対応に嫌気がさしたのか。
そうであるのなら、抱きしめてごめんと謝り倒すのに。考えも行動も改めて、しつこく絡みに行くと言うのに。
「…まろ?」
少し考え込んでいるのか、まろからの返事がピタリと止んだ。
だから名前を呼んでみると、ハッとしたように「ごめん」と零すまろ。
「書類持って帰るから、後で見て」
『わかった。気をつけろよ』
その言葉を介して、通話の終了ボタンを押すと、プツ、と言って切れる音がスピーカー越しに響く。スマートフォンの持ち主であるいむに手渡すと、「ありがとう」と言ってしまいこんだ。
「てか、耳硬化症って耳が悪くなるってことでいいの?」
「なんか…後天的な難聴らしいで」
「…それよりさ」
ないくんの診断症状について教わる俺らの会話をぶった斬り、いむの強い語尾か伝う。
「いふくん、何か隠してるでしょ」
「…は?」
いむの予想外の言葉に唖然とし、初兎ちゃんと共に立ち尽くした。そのままいむの続きを待つと、ひと呼吸おいてから言葉を続ける。
「耳硬化症って言った時、いふくん明らかに黙ったよね。隠してるというか……」
「プライベートのないちゃんとの会話やらなんやらに、思い当たる節があるんじゃないかな」
少し、心に霧がかかった気がした。
確かに、まろとないくんはいつも通話で作業をしていたし、年齢も近しい、同じく社会人を経験した相方だ。だから可能性は十分にある。
でも、なら、なんでないくんはりうらに相談しなかったのか。
そう考えれば、まろのその線は限りなく薄いと思う。
…いや、そう思いたかった。
まろに言って、りうらに言わないわけがない。
そう、信じたいから。
相も変わらない面持ちで、ただずっと上の空でいる彼。据えられた青い瞳は一点を見つめていた。
「…いふくん」
そんな彼に、勢い余って声をかける。
「ん?どうした」
「なんか隠してるでしょ」
そう投げかけると、いふくんはとぼけ顔でこちらを見返す。そして何を言ってるんだと言わんばかりの面持ちで、少し笑いを零した。
「アホか」
いつもならそのまま交わされていた。が、逃がしてたまるかとそのまま食らいつく。
「あしらってるつもり?」
「……冗談も大概にな」
状況が状況だと言葉を添えるいふくん。傍から見れば僕が腑抜けたことを口にしているようだろうが、この疑問を確信づけるため、諦めずに続けた。
「耳硬化症って言った時、なんで黙ったの?」
「そりゃリアクションに困るやろ、ないこの病状に驚いてた。それだけ」
「いいや、なんか考え込んでたでしょ。りうちゃんが呼んだらハッとしてた」
「そんなん言い掛かりやろ」
「そんなわけッ」
「ほとけ、座れ」
その場に、あにきの低い声が響く。
エキサイトして、気付かぬうちに前傾姿勢になりつつ立ち上がってしまっていたらしい。
ただ問い詰めたいだけで、喧嘩になるのはまっぴらごめんなために言うことを聞いて座り込んだ。
「…いふくん、ほんとのこと言って」
「ないちゃんに配慮しなきゃダメなのもわかる、それはわかってる。でも今は違うでしょ」
あのときのいふくんの反応。あれは仲間である僕らだけが気がつく異変で、どこかに潜む何かを感じとった。
白と出るか、黒と出るか。
そう緊張で手が震えつつ、いふくんの返事を待つ。
初めてだった。
友達のためにここまで熱くなれるのは。
いつも一歩引いて、来る者拒まず去るもの追わずで、何事も穏便に済ませてきた。
なのに今はなんだろう。
メンバーとしての愛?
りうちゃんへの慈愛?
グループ崩壊の危機への懸念?
どれも違うといえば嘘になると思う。ただひとつ確かなのは、ないちゃんが無事でいてほしいという切実な願いだけ。
グループに疲れたなら、無理にとは言わない。ないちゃんは僕を引き留めてくれたけど、送り出すのも優しさだから。
耳硬化症が原因なら、いくらでも治療費なんて出す。何不自由ない暮らしでいてほしいから。
他に理由があるのなら、一緒に解決してあげたい。解決して、嫌なことからは逃げていいよって言いたいから。
そして何より、りうちゃんのいつもの笑顔が見たい。
今のりうちゃんは見てられない。今のりうちゃんを助けてあげられるのは1人だけなのに。
多くの思考が、不安が、焦燥が駆け巡る脳内。少しそこから意識を逸らした途端に、いふくんが重たい口を開いた。
「……耳が聞こえなくなるのは、知ってた」
「ごめん」
「……は?」
「じゃあなんで言ってくんなかったんだよ!!! 秘密にしていい話じゃないだろ!!」
「せめて!!せめてりうらには…ッ!!」
哀愁を孕む怒号を浴びせられて、面をあげることができなかった。
これは蔑まれても殴られても当然の行為で、誰にも言わずに口を噤んでいたことに、ひたすら「ごめん」と呟いた。
りうらを宥めるように背中を叩いて落ち着かせる初兎の横で、眉を下げて俯くほとけ。真実を知って、確信を得て俺に失望しているのだろう。罪悪感が込み上げて、「ごめんなさい」と零した、その刹那。
「…謝んなよ」
「まろはないこの秘密守ってたんやろ。ベラベラ喋るよりよっぽどええわ」
「……あにき…」
「説明はしろよ。当たり前やけど」
その言葉に深く頷いて、蚊の鳴くような声で語り始めた。
「1年前、ちょうどこの頃やったかな」
辺りは暗く、窓の外には他社のビルの光が見える。夜中の都心を作り上げるあの光。そしてその光のひとつには、俺とないこも含まれていた。
『そうだ、まろ』
『ん?』
『俺さぁ、耳悪くなったみたいで』
『耳ぃ?』
相も変わらずノートパソコンに釘付けのまま口にしているのかと思いきや、しかとノートパソコンを閉じて、こちらを見据えるないこがいた。その顔は笑っているのに、どことなく暗闇を孕んでいた。
『耳硬化症?ってやつみたいで』
『喉も悪いだろ、俺。そんで耳も悪けりゃとうとう歌い手なんて出来なくなるんだよね』
『…それほんま?』
『ガチガチ、診断書ある』
『ヤバいやん、手伝うことある?治療は?』
『そんな気にすんなって。治療はもう手遅れだってさ』
漂う哀愁とは裏腹に、ないこに浮かばれるのは笑顔と明るげな声だけ。驚きの事実に驚愕しながらも、ないこも己自身も乱す訳にはいかず、ポーカーフェイスを貫いてないこの言葉を聞いた。
『辞めないよ?活動は』
『……まぁでも』
『やめるなら、跡形もなく消えたいかな』
『急にパッと居なくなって、好きにしてさ』
『……』
『いやうそうそ笑 ごめん仕事戻ろ』
『…おう』
『なんかあったら言えよ』
『ありがと』
『……あ、あと』
『みんなには秘密にしといてくれる?』
『特にりうら』
『ええの?』
『いいよ、じゃあよろしく』
そう言って、淡々とノートパソコンを開いて作業に戻っていくないこ。
その姿が、その表情が、その口ぶりが脳裏にこびりついて離れなかった。
「なにそれ…りうらには秘密…?」
「おかしいでしょ…なんでっ」
「…わからん、ごめん」
りうらの顔を見ることすらままならなくて、ひたすら視線を逸らしたままでいた。
絶望と、失望と、悲しみに苛まれるりうらの姿は痛々しくてたまらなかった。
SOSを出してくれていたのに、助けられなかった。 言葉通りに忽然と姿を消して、ヒントにさえ気づけなかった。悔しくてたまらなくて、奥歯を噛み締めた。
恋人の失踪から、早くも4ヶ月が経過した。
手がかりなんて無くて、時間があれば街を彷徨い続けた。その度にメンバーもりうらを心配して疲弊していって、グループも低迷の一途を辿った。
今日も今日とて、カーテンで月明かりすら遮断して、ベッドの上に蹲っていた。
何をしても無力で、ただ絶望と虚無に苛まれた。
涙すら出てこない畜生ぶりに呆れつつ、もう寝てしまおうかとため息を着いた。
その刹那だった。
スマートフォンの着信音が鳴り響き、ブー、ブーと揺れる。横目でそちらを見ると、電話の相手は“大学病院”だった。
「…健診?」
定期健診なんて怠ったことがないし、なんらかの病気を患った覚えもない。
こんな時にウザったいと顔を顰めながら、スマートフォンを耳にあてる。
「もしもし?」
『夜分遅くに失礼いたします』
『内藤ないこ様の緊急連絡先でよろしかったでしょうか?』
全身に嫌な汗が伝う。寒気がして、背中が凍った。
ないくんの身に、なにか危険なことがあったのではないか。危篤状態で連絡が届いたのか。そう震えながら、「はい」とだけ答える。
『持病が悪化されまして、今晩から入院して様子を見るという形を取ります。なので近々内藤様のお荷物をお願いします』
『医師からの説明もございますので』
「…今日、今日行きます」
「今から行きます、全部もって」
『承知しました、お手数おかけします』
『では22時までにいらしてください』
「………はい…」
切断された通話の音が響く中で、ただ立ち尽くしていた。
ないくんに会える。
その喜びと衝撃が身を埋め尽くす。
そして同時に、“まだ”りうらを緊急連絡先に設定していたことに驚いた。
付き合い始めた頃、お互いを緊急連絡先に設定していた。交際当初のバカップルぶりは年月を経てもいじられるほどで、りうらに負けじとないくんもおバカになっていた。
そのままりうらを残していたのか。
ないくんのことだから、忙しくてそんなこと忘れてたのかもしれない。人一倍体が強いから病院なんて行かないし、りうらを設定したままだったことを気づきもしないと思う。
逆に、りうらは体調を崩しやすかったし体が強いとはいいがたかった。しかもないくんの失踪で人一倍病弱になってしまった。だからすぐ気づいて緊急連絡先を両親に変更した。
あの完璧超人のないくんが、唯一と言っていいほどのミスをしたことで、ないくんとりうらを繋ぐ糸は断ち切られなかった。
ないくんはりうらと会うことなんて望んでいない。だから跡形もなく失踪した。
でも、今はこのチャンスを掴んで離さない。縋らせてもらう。
メンバーに連絡する間もなく、頼まれた荷物すら手に持たずに走り出した。
401号室。
告げられた号室に向けて、止まらずに走り続けた。そんな中、疲弊して疲れきった足が悲鳴をあげている。
あと少し、あと少し。
この白い曲がり角を、左に曲がったその先。
(あった……!!)
ペースダウンの後、その場で立ち止まり、ドアに向き直す。
緊張して躍動する心臓の音が無駄にソワソワさせてくる。
早く会いたい反面、会いたくない自分もいた。
今ここでドアを開けて、抱きしめて離さないでやりたい。なのに、ないくんに拒まれ泣かれたらどうしようという葛藤がある。
ないくんがりうらを嫌いだと言って泣いてしまったら、りうらはもうないくんの手を握れないかもしれない。
今のりうらに、そんなないくんを無理やり抱きしめられるほどの自信はない。
だって、ないくんはりうらに言ってくれなかった。恋人であるはずのりうらに。
どうしよう、でも、会いたい。
ひとつ深呼吸をして、スライド式のドアをひいた。
先には、窓から夜景を眺める落ちかけたピンク色の姿。
あちらを向いて、こちらを看護師か誰かと思っているような油断ぶりに、少しおかしくなってしまう。
そんな中、ひとつ声をあげた。
「ないくん」
絞り出されたりうらの声にハッとして、驚いたように振り返るその姿。
目を見開いて、口をぱくぱくさせて動揺するないくん。その目はいつものピンク色で、口には可愛い可愛い八重歯があって。その綺麗な顔も、髪も、何一つ変わってなかった。
ただひとつ違っていたのは、ないくんのピアスはなくて、代わりに器具が取り付けられていたことだろう。
「……んでっ」
「なんで……っ」
蚊の鳴くような声で言うないくんは、まるで何かに怯えているようだった。その矛先がりうらであるなら、大人しく身を引くべきなのか。
「……全部、聞いた」
「耳が聞こえなくなることも、入院も」
「さっき、ついさっき、病院から電話があった。“緊急連絡先”として」
そう言うと、ないくんは焦ってカバンを漁り出す。保険証やらスマホやらを確認しようとする手は覚束無くて、見ることすら諦めたように軽く投げ捨てた。そして、俯いたまま「ごめん」とこぼす。
「気にしてないよ、気にしてないからさ」
「ないくんに…触ってもいい……?」
こちらを向いて、静かに驚いた顔をしたないくんは、また俯いてしまった。でも、その重たい口を開いた。
「……うん」
ぶっきらぼうな返事を聞いて、ないくんのもとに歩み寄った。
一歩一歩を踏みしめるように、着実に。
「手、出して」
「……」
出された左手に、恐る恐る指を絡めた。
華奢で、綺麗で、でも関節が目立って色白ないつもの手。可愛くて愛おしくて堪らなくて、抱きしめたい気持ちを押さえ込んだ。
「もっと、触らせて」
「………いいよ」
りうらの右手を、ないくんの頬に滑らせる。頭を撫でたり、頬を撫でたり、その小さな顔に触れた。
触れてわかった。その頬は知らぬ間に痩せこけていて、指先ひとつで壊れてしまいそうで、ただ怖くて、緊張した。
こちらを向く訳でもなく、視線のやり場を無くして困っているないくんが愛おしかった。
「……ぎゅーってしていい?」
そう聞くと、ないくんはりうらから左手を離して、両手でりうらの体に手を伸ばした。
あぁ、いつものハグの仕方だ、って。
ないくんがりうらの脇の下から背中を抱きしめて、りうらのほうが小さいから好きなように抱きしめて。
今は少し高さが違うけど、同じものを感じさせるハグに高揚した。
すると、ないくんが口を開く。
「…なんで怒ってくんないの」
「怒ってよ、怒って……っ」
叱責されるのが当たり前の失踪だった。
その罪悪感をすこしでも拭いたいのだろう。りうらに見つかってしまったのなら尚更。
「りうらは気にしてない。言ったでしょ?」
「ないくんがいなくなって、大分おかしくなりそうだったけど、ないくんには怒ってない」
「あと…怒るのはりうらの役目じゃないし?」
なんて冗談を交えても、ないくんがりうらを抱きしめる力は強くなる一方だった。
著しく自己肯定感が低いないくんだから、しかもこんなにナーバスな今なら尚更だろう。
「…ちなみにね、まだメンバーには連絡してない」
「だから一緒に怒られよっか、ふたりで」
「……ありがとう…」
その言葉に、何だか涙が溢れてしまいそうだった。
「ないちゃん!!!」
「ないこ!!!」
轟音とともに開かれるドア。その先にいるのは、元メンバーたち。
転びそうになりながらも走ってくるみんなに、申し訳なさが込み上げる。
いむと初兎ちゃんに抱きしめられて、なんならふたりは俺のためなんかに泣いてくれていた。
「……ないこ」
「…まろ……」
申し訳なさそうな顔でこちらを向くまろの姿。再会を喜んでくれているのか否かは別として、まろにだけ明かしたあの“秘密”がバレてしまったことに罪悪感を覚えているようだった。
「…」
沈黙に包まれる室内。求められるのは己の謝罪の言葉であるはずなのに、言い表せない負の感情が渦巻いて、喉の奥で留まってしまう。
心配してくれていたことも、探してくれていたことも、再会を安堵してくれていることもわかる。十分わかってる。
ただ、その全ての権化となる“身勝手な失踪”という醜態のおかげで気が気じゃない。
「……別に謝罪はいらんよ。俺らにはな」
後方で腕を組んでこちらを見ているあにきの目は伏せられて、途端にため息を着く。
「まあ、その、なんや」
「帰ってきてくれてありがとな」
その温かな面持ちに、驚愕した。
怒られると思っていた。それはもうこっぴどく。なのに、俺を怒ってくれるわけでもなく、「ありがとう」なんて言葉を浴びせてくれるなんて。
「でも、思ってること全部聞かせろよ」
この優しくてたまらないメンバーを切り離したのは、紛れもない自分自身だった。
「……知ってると思うけど、もう時期、耳が聞こえなくなる」
少し緊張が和らいだのか、先程に比べて喉からスルスルと言葉が出てくるようになった。
もう観念して話そう、全部。
そう心に決めて、思いの丈すらも綴った。
「喉も、耳もダメで」
「こんなんじゃこの仕事できないし、現にもう小さい音はほとんど聞こえない」
声帯結節に加え、新たな耳への障害。
喉も弱けりゃ耳も聞こえなくなるなら、もうこの仕事はできない。なら、裏方に回って社長としての業務を遂行することもできた。でも、それは彼らとの大きな線引きになり、心が持たなかったと思う。
この曖昧な気持ちとは裏腹に、無慈悲に進行し続ける病状は冷酷なものだった。
「手術は…?手術はだめなの…?」
「……完治は厳しいって」
医者から告げられた『完治は厳しい』、『この病気と向き合っていくしかない』という言葉。今の耳の聞こえじゃ、イヤモニの音もファンの声も聞こえない。
「裏方に回ろうって思ってた」
「思ってたけど、寂しくて」
「思ってたけど、寂しくて」
その言葉が痛かった。
哀愁に塗れたガラスの破片が胸に突き刺さるようで、心が苦しかった。
恋人のあんな弱々しい姿を見たのは初めてだった。
抱きしめるだけじゃ足りない、拭えない不安に呑まれるないくんを見ていられなかった。
活動者と経営者の壁は大きい。
壁というより、大きな崖の対岸にいるような、そういった類のもの。
元活動者で、元仲間で、本来居れた場所に混ざれない虚無感は計り知れないだろう。
そう決心しようとしたないくんの強さと己の弱さを痛感してしまう。
そんな苦渋の決断を下していたないくんに寄り添えなかったりうらは、何よりも大罪人だと思う。
気づけなかった、知ろうとしなかったりうらに、その痛みを分けて欲しい。
「ないくんが1人になるなら、りうらもそっち行く」
「…バカ言うなよ」
「ふざけてなんかないよ」
「ずっと隣にいるって言ったじゃん、2人ぼっちなんて上等だよ」
そう言うと、ないくんはハッとしたようにこちらを見た。また何か言い返そうと口を開いたけど、諦めたのか言葉は何も出てこなかった。
そんなないくんに、逃がすまいと追い討ちをかけるように口を開いた。そして、ベッドの上に腰を下ろす。
「ほら、もう離れらんない」
「いつものイヤイヤはダメだから」
目を見開いたないくんの手に、りうらの手を重ねてほほ笑みかける。
すると、あのないくんが目尻に雫を溜めた。
「……ありがとう…」
ないくんとの再開から、半年余りが経った。
リスナーさんにはしっかりと病気を打ち明け、まずは治療に専念する旨をしかと伝えた。当たり前に不安だという声や心配をしてくれる声、たくさんの温かい言葉に反し外野のガヤが行き交った。
でも、ないくんは全ての言葉を受け止めて、病状の悪化のないままでいられている。相変わらず小さな音や遠くからの呼び掛けは聞こえないけど、周りが配慮すればどうってことないし、メンバーも社員さんも配慮への少しの徒労なんてへでもなかった。
「なーいくん」
「ん、なに?」
ソファーに腰掛けるないくんの横に座って、ないくんの肩に寄りかかった。
体温を感じて、声を聞いて、名前を呼んでくれることが愛すべき日常に戻っていた。
「どう?調子は」
「んーとね、まだやっぱ聞こえづらいかな」
「そっかぁ」
あの日、ないくんと再び会えていなかったら。
そう考えると身震いをしてしまう。回復せずに、二度とないくんと話せていなかったかもしれない。
そういって、たまにセンチメンタルになってしまう事がある。だけど、ないくんとふたりでいられる幸せの方が遥かに大きかったから、そんなのへでもなかった。
「なんか最近ベタベタだね」
「死ぬまでこれかもね」
「なんそれ笑」
この先いつまでも、変わらない幸せを交わせますように。
そう願いを込めて、ないくんに強く抱きついた。
コメント
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りうらの「隣にいる」って言葉がずっと心に残りました。ないくんの病気を隠していたまろの苦しさも、知らされなかったりうらの悲しみも、どちらもリアルで胸が痛かったです。最後のベッドでの再会シーン、ふたりで「一緒に怒られよっか」って言える関係性にじんわり来ました。見つけられてよかったね、心からそう思います🌷