甲高くジリリリリッ!と鳴る金属音に、ビクッと体が跳ねる感覚で目を覚ます。
心臓に悪いとは思いつつも、これ以外の音ではどうも穏やかすぎてまた眠ってしまうので、俺は案外、この緊張感のある冷たい鐘の音色を気に入っている。
目覚まし時計は少し離れた場所に置かないと、自分の性格上また枕に突っ伏して寝てしまうこともわかっている。
僕は、けたたましい朝の知らせを止めるためにベッドから抜け出した。
シパシパと目を数回瞬かせながら、脱衣所へ向かう。
シャワーを浴びて、手早く身支度を整える。
バスタオルで髪の水分を極限まで拭いながら、クローゼットを開けた。
ハンガーに掛かっているスーツを取り出して、一度ベッドに広げる。
右手で掴んでいたタオルを首に掛けて、そのスラックスに足を通した。
まだ少し暑かったので、上は何も着ないまま、今度は歯を磨きに洗面台へ向かった。
うがいまで済ませてコップと歯ブラシをしまう。
そばに掛けてあるドライヤーで髪をわしゃわしゃと乾かして、軽くセットしていく。
額の真ん中で前髪を分けて、左右対象になるように緩く毛先を丸めて、後ろの髪は上半分だけ取って束ねた。
毛先も軽く跳ねさせて、キープオイルで束感を出しながら、形が一日中保たれるように固めて、ヘアセットは終わりにした。
シャワーのお湯で熱されていた体感温度が正常に戻ってきたところで、肌着とワイシャツを羽織る。
ネクタイとタイピンを収納から取り出して付けていく。
これで、宝物尽くしのスタイルが完成した。
ネクタイとピンは、阿部ちゃんからのお礼?としてもらったもの。
僕は何もしていないのに、「本当にありがとう」と言って阿部ちゃんはこれを贈ってくれた。
スーツは、岩本くん、佐久間くん、深澤お兄ちゃん、目黒くん、しょっぴーに就職のお祝いでもらったもの。
見るからに高そうなものなのに、なんでもない顔で贈ってくれたみんなが、とてもかっこよく見えた。いつか、僕も年下の子と関わるようになって、プレゼントを渡すようになった時、あんな風にかっこよく渡したいな、なんて思った。
もちろん、その時々の自分の身の丈に合った金額のものを選ぶようにはしたい。そこで無理したって仕方がないから。
やっと、自信を持ってこのスーツを着られるような気がしたから、今日はこれを選んだ。今までは、僕がこれを着るのはまだ早いんじゃないかって、そんな気がしていた。
仕事との向き合い方、自分の考え方、何もかもが学びに溢れていて、僕は今まで着いていくばかりだった。でも、少しずつ成長できていると実感するたび、お客様と接していくたびに、仕事も自分のことも、どんどん好きになっていった。
昨日まで、あの二人のためにってずっと考えながら準備を進めることができた今の僕を、僕は心から褒めてあげたいと思えた。
今なら、自分のことを頑張ったと、100%の自信を持って誇れるような気がした。
昨日、寝るまで見返していたお気に入りの手帳をカバンに入れて、僕は玄関のドアを開けた。
今日という日が、今日会う人全員にとって、幸せなものになりますようにと願いながら、歩みを進めた。
職場に着いて、まずはタイムカードを切る。
荷物を置いて、ジャケットを脱いで椅子に掛ける。
これから、最後の会場設営の作業がある。汚してしまいたくなかったし、身軽な状態で作業したくもあった。
パソコンを起動しながら、お花の納品を待つ。
今日の準備についての手順を頭で構築しながら手帳に書き記していると、事務所のインターフォンが鳴った。
従業員用出入り口の玄関へ訪れた人を出迎えにいくと、そこには大量の花を抱えた花屋さんが立っていた。
「おはようございます!今日はよろしくお願いいたします!」
そう挨拶をしながら、お辞儀をすると、花屋さんも「よろしくお願いします!」と言いながら、一緒に花を飾るのを手伝ってくれた。
バランスや色合いなどのセンスは、お花屋さんの方がいい目を持っているし、いつも飾るところまで対応してくれるので、本当にありがたい。
しょっぴーのオーダー通り、チャペルも披露宴会場も、一面薔薇尽くしの空間が出来上がった。
チャペルのベンチの側面には、二人が歩いていくバージンロードに灯りを灯すように薔薇が付けられている。
披露宴会場の中には、二階へと続く大きな階段がある。
その手すりを覆うように、薔薇を隙間なく巻き付ければ、ここがどこかの王宮のようにも思えた。
オーナーには内緒な状態で、僕としょっぴー、そしてお花屋さんにも相談しながら、このレイアウトが完成した。
この建物の中は今、どこもかしこも、しょっぴーからのオーナーに向けた愛情で溢れていた。
言葉じゃなくて、形で示そうとするところが、不器用なしょっぴーらしいな、と僕は思った。
披露宴会場の階段に見惚れていると、耳に差していたイヤホンから、突然無線の声が流れ込んできた。
「村上さん、ちょっと調理場まで来られますか?」
その呼び出しにハッと我に返って、僕は手摺りに巻き付けらている薔薇を眺めるのを終わりにした。
「すみません、ちょっと外します。お二人の席の周りも薔薇だらけってご要望に変更はないのと、埋め尽くされていれば他にご希望は無いそうなので、お花屋さんのセンスにお任せしたいです…!」
お花屋さんにそう断りを入れてから、僕は調理場へ向かった。
「失礼しまーす!」
美味しそうなご飯の匂いが立ち込めて、ぐつぐつと湧き立つ鍋がそこかしこにある厨房に足を運ぶと、コック帽を被ったパティシエ部門の先輩が資料を片手に僕に話しかけてくれた。
「準備中の忙しい時にごめんね」
「いえ!全然です!」
「今日のケーキなんだけど、今こんな感じです。どこか直したいところとか付け足したいところとかありますか?」
パティシエさんが開けた大きな冷蔵庫の中には、とても綺麗なケーキが鎮座していた。
飴細工で出来た真っ赤な薔薇が、四角い一段のケーキの上に乗っていて、キラキラと光っている。ケーキの左端には、幾重にも薔薇の花が重なっていて、花束のようになっていた。隙間を埋めるように上面と側面に、花びらが一枚ずつ散りばめられていた。
ムラも禿げも、ヨレさえ何一つない綺麗な生クリームの上と、光に反射してツヤツヤと輝く薔薇の上には、金箔がかかっている。
白、赤、金色、それぞれの色が程よく自分たちの色を出し合って、絶妙なバランスを保っていた。
「新郎様のご要望に沿って、そのデザイン通りに作ってみましたが、村上さんとしてはどうですか?」
「僕もとっても素敵だと思います!すごい!こんなに綺麗に再現できるなんて…!」
「村上さんからいただいたレイアウトを初めて見た時は、ご希望通りのものをちゃんと仕上げられるかどうか不安でしたが、そう言っていただけてよかったです」
「あ、あはは…すみません……」
パティシエさんの言葉に、僕はただただ愛想笑いで会話を繋げるばかりだった。
しょっぴーが送ってきてくれた写真は、なぜか手書きのイラスト形式だった。
完全なオリジナルにしたかったのであろうことは痛いくらいに伝わってきたが、肝心のその絵が全く解読できなかった。
ぐにゃぐにゃで、どこから見た図なのか全く判別のつかない直方体の立体図に、赤い火の玉のような何かと、黄色い胡麻のような点がたくさん飛び散っていた。
それぞれのパーツを指しながら線が引かれていて、
「生クリームのケーキ、四角いやつ」
「薔薇の花、テカテカに光らせたい」
「金箔、いい感じに散ってたら嬉しい」
と書き込みがあって、そこでようやくしょっぴーの伝えたいことがわかった。
きっと、そのメモが無ければ、どう再現したら良いかのイメージは何一つ湧かなかっただろう。
そのイラストを見せに行くと、パティシエさんは言葉通り大きく頭を抱えていた。
「おおおおおお……すごいな…なんとかやってみます」
かなり困っていただろうに、断らずにそう言って請け合ってくださったことに本当に感謝した。
ケーキの確認を終えたところで、僕はパティシエさんに何度もお礼を伝えて、また会場に戻った。
僕が厨房にいる間に、会場の設営はほとんど完了していた。
お花屋さんは、階段の手摺り、ゲスト様のテーブルの上、オーナーとしょっぴーが座るお席のテーブルとその周りと、全てにお花を飾ってくれていた。
配置も、バランスも完璧だった。
「餅は餅屋」とはまさにこのことである。
僕一人の力では、ここまでのことは決してできなかっただろう。
設置が終わると、お花屋さんは早々に「失礼します」と言って撤収の支度を始めたので、僕はまた何度もお礼を言った。
最後に、お花屋さんから今日のお式で使う花束を受け取ってから、僕は手帳に書いておいたチェックリストを確認した。
「ケーキのチェック、お花の設営、受け取り、完了っと…。」
言葉に出して確かめながら、三つの四角の中にレ点を入れていると、また無線から声が聞こえてきた。
「新郎新婦様、ご来館されました」
僕は「ありがとうございます」とマイクに向かって返事をした。
控え室に二人が到着した頃を見計らって、僕は二階へ上がった。
ドアをノックして中に入ると、緊張からか普段より少し硬い表情をしたオーナーとしょっぴーがソファーに座っていた。
「二人ともおはよー!今日はおめでとうございます!」
「ラウ!おはよう、ありがとう」
「ん、はよ。」
二人の前に座って、ここからの流れを二人に説明していると、ドアをノックする音が響いた。
オーナーが「はーい」と返事をすると、ゆっくりと扉が開いて向井さんがひょこっと顔を出した。
「だてー!しょっぴー!おはようさん!今日はほんまにおめでとう!」
「康二!ありがとう」
「はよ、まだ準備できてないぞ?」
「支度するとこから撮影始まるんやで」
「そうなんだ、よろしくね」
「おん、いないもんだと思って普通に過ごしててな」
これからの説明もひと段落ついたところで、美容師さんもお部屋に集合した。
「では、お支度始まりますので、終わられる頃にお迎えに上がります。一度失礼致します」
僕は二人と、康二くん、美容師さんにそう断って、部屋を出た。
⬜︎お二人の到着の確認。その後ご挨拶に伺う。
お部屋の前で立ち止まって、僕はまた手帳の中のチェックボックスにレ点をつけた。
「村上さん!ゲストの方皆様ご到着されました!」
「ありがとうございます!挙式開始まで、ラウンジの方でお待ち頂いていてください。今のところは通常通りの時刻に開式できそうです」
「村上さん、新郎新婦様の親御様のお支度完了いたしました」
「ありがとうございます!親御様方がお部屋に戻られる前に、お飲み物や軽食に不足が無いか、ご確認いただけたら嬉しいです。僕もこれから親御様へご挨拶に伺います!」
「村上さん、お料理は、通常通りの時間に出せるように調理初めて問題ないですか?」
「ありがとうございます!はい、現状予定時刻通りに進めていけそうなので、初めて頂いて大丈夫です」
無線でたくさんの声が飛び交う。
ほとんどが僕宛の確認事項で溢れていて、てんやわんやになりそうなところを、なんとか思考を落ち着かせながら、一つずつ丁寧に答えていくことを心がけた。
パティシエさんにも、お花屋さんにも、それぞれのお客様の対応をしてくださっている他のスタッフさんにも、ただただ感謝するばかりだった。
目の前のお客様を幸せにしたい、たくさんのおもてなしをしたい、その気持ちは僕だけが持っているわけじゃないと感じては、心強かった。
ご親族様が開式まで過ごされる控え室へ足を運び、両家の親御様へご挨拶をした。
しょっぴーのご両親も、オーナーのお父さんとお母さんもとっても優しい人たちだった。
「ラウちゃん!この間はリハーサル付き合ってくれてありがとうね!」
「いえいえ!」
「僕も、乾杯の挨拶の文章添削してもらったんだよ、ありがとう」
「とんでもないです!お役に立てて良かったです!」
オーナーのお母さんとお父さんとは、少し前に挙式セレモニーの練習をした。
しょっぴーのお父さんからは、ある日突然職場から電話が掛かってきて、乾杯の挨拶の文章を考えたから、おかしいところがないかチェックしてほしいとご要望を頂いたのだ。
ここは、新郎新婦様とそのご家族様、そしてゲスト様、全ての人の想いが溢れる場所だから、僕は親御様の気持ちにも真っ直ぐ応えて差し上げたかった。
オーナーの実家に、実は内緒でお邪魔してリハーサルを何時間もしたことも、しょっぴーのお父さんと三十分くらいの長電話をしたことも、全部大切な準備だった。
そうして一緒に過ごした時間の分だけ、親御さんたちは僕を信頼してくださって仲良くなれた。それがとても嬉しかったし、僕にとっての大事な思い出になった。
あと少しで、挙式が始まる。
そこで突然ドキリとする無線が、耳に入り込んできた。
「村上さんっ!!チャペルに飾っていた薔薇の花が半分ほど散っていて、ダメになってしまってます!!」
嘘でしょ!?
と反応したい気持ちをぐっと堪えて、僕は「確認しに行きます!」と返した。
駆け足でチャペルに向かうと、床に薔薇の花びらがたくさん落ちていた。
原因を探っていって、一つの可能性に辿り着いた。
花が落ちている箇所には、日差しが差し込んでいた。
太陽の熱で、お花が温まってしまったのかもしれない。
この状態でお式は始められない。
どうしようかと頭をフル回転させる。
なにか良い方法はないか。
残された時間は少ない。
焦る心を鎮めながら、二分くらい熟考して思い付いた。
僕は、チャペルでそれぞれの準備を進めているスタッフさん全員に向けて、声を発した。
「まず、お式が始まるまで、カーテンを閉めておいてください。それから、空調は少し寒いくらいにして、お花が温まらないようにしたいです。」
周りにいた方々が僕の言葉に耳を傾けて、その通りに動いてくれる。
「今ベンチに付いている薔薇を三本ずつ抜いてください。今の状態で結構多めに巻き付けてあるので、ボリュームはそこまで変わらないです。それでも足りない分は、披露宴会場の分から捻出します!」
「「はいっ!」」
「それから、このあとすぐに、僕がカゴを五つ持ってきます。そこに落ちてしまった花びらを全て入れてください」
結婚式にはトラブルもつきものだ。
どんな状況でも、僕がしっかりしていないと。
康二くんが、僕にそう言ってくれたんだ。
絶対に大丈夫。必ず二人の特別な時間を作るんだ。
でも、どんな理由があるにせよ、しょっぴーが想いを持って用意してくれていたものが、傷ついてしまったことは、正直に報告するべきだ。
大至急でお花の設営をやり直してくださっているスタッフの方に、「このこと、新郎様へお伝えしてきますので、少し抜けます」と断って、僕はまた二階へ向かった。
ドアをノックして、返事を待ってから中に入った。
ちょうど、オーナーがカーテンを隔てた向こう側でお着替えをしているところだったようで、僕は先に支度が終わっていたしょっぴーにだけ、事の顛末を説明して、謝罪した。
「…っていう原因かなと思うんだけど、用意してたお花が半分くらいダメになっちゃったの…ごめんなさい……」
「ん、しょうがないよ。俺もライブ中にトラブることよくあるし、あんま気にすんな。でも、埋め尽くしはちょっと厳しくなった?」
「それはできるだけしたくないから、こんなのどうかな?っていう提案があって…」
「おう」
僕は、オーナーには聞こえないように、しょっぴーに耳打ちをした。
当日まで、会場がどんなふうになっているのか、内緒にしたいんだそうだ。
僕は話し終わった後で、先ほど撮ってきた写真をしょっぴーに見せた。
しょっぴーは、驚いたように目を見開いて、「すげぇ!いいじゃん!てか半分くらいダメんなったとか全然わかんねぇ」と言ってくれた。
受け入れてくれてよかった。
がっかりさせてしまうんじゃないかって、解決策を伝えても認めてくれないかもしれないんじゃないかって、少し不安な気持ちもあったから。
「では、こちらで進めさせていただきます!」
僕は、心からの感謝の気持ちをしょっぴーに抱きながら、チャペルの最終チェックをするために、もう一度部屋を後にした。
急ピッチで進めていただいたチャペルの準備は、僕が戻った時には、もうほとんど終わっていた。
チャペルでのオペレーションを取り仕切ってくれている方から、僕が抜けた後のことについて報告をもらってから、僕は最終の完了を確認した。
「皆さん、急な変更だった中で、ここまで対応してくださってありがとうございました!」
元の作業に戻っていたスタッフの方々にお礼を伝えてから、僕はチャペルの扉を閉めて、「挙式準備完了しました。ゲスト様、新郎新婦様のご誘導をお願いします」と無線のマイクに向かって喋った。
僕とオーナーとしょっぴーとで、大きな扉が開くのを待つ。
カチコチに固まった二人の顔を、柔らかくしてあげたくて、僕は二人に話題を振った。
「ついに、始まるね。あと少しだよ!」
「やば…めっちゃ緊張するわ」
「そうだね、、こんなにドキドキするの久しぶり…」
「最後はいつだったの?」
「んー、翔太にファーストキス奪われた時かな」
「えー!なにそれ!少女漫画じゃん!」
「おまっ…!バラすなよ…俺的には結構後悔してたんだぞ…しかもそこからはほとんどしてねぇのかよ…」
「翔太といると、ドキドキするより安心するからね」
「そうかよ…っ…」
しょっぴーがプイッと顔をそっぽに向けたタイミングで、開式まで残り一分だと無線でアナウンスが入った。会話を締めるように、僕は二人にまた声を掛けた。
「相変わらず熟年夫婦だね。さて、お二人の緊張も解れたところで、まもなく扉が開きます。」
「ラウール?」
「ん?なぁに?」
「本当にありがとう」
「ありがとな」
二人からの言葉に、胸がいっぱいになっていく。
僕の心から溢れた返った気持ちが、上に上に込み上げてきて、喉元がじんわりと熱くなる。
僕は、自分の声がこもって鼻声になっているのを感じながらも、二人に伝えた。
「ずっとそばにいるよ。大丈夫、安心して楽しんできてね。」
「うん、頼もしいなぁ」
「生意気に一丁前になったな」
「えへへ、最後の最後まで幸せな時間を届けるって約束するよ。」
僕は、扉の手摺りを掴みながら、二人に誓った。
「5、4…」
と聞こえてくるアナウンスを頼りにタイミングを見計らって、「1、0」の合図で大きく扉を開け放ち、僕は心からの笑顔で二人を順番に見送った。
落ちてしまった薔薇の花びらは、フラワーシャワーに使った。
しょっぴーの想いを、一つも無駄にしたくなかったから。
「涼太に薔薇だらけの結婚式を贈りたい」と言ってくれたしょっぴーの願いも、「薔薇は、翔太との思い出の花だから」と懐かしむように細められたオーナーの瞳も、二人のその気持ちを、全部大切にしたかった。
二人のことを、誰よりもよく知っている僕ができることは、きっと一つだけ。
それは、しょっぴーとオーナーの想いを繋ぐこと、形にすること、叶えること。
任せてよ。
信じてて?
二人の想いは、僕が受け取って、余すことなく伝えていくからね。
だから今は、安心して、
「行ってらっしゃい!!」
休館日は出勤している人がそもそも少ないが、今日のご結婚式のために出てきてくれている人もいる。朝の事務所にはシンと静まり返った空気が漂う。
呟くように「おはようございまーす」と挨拶をして、タイムカードを切った。
鍵のかかる倉庫で保管しているカメラとレンズたちが入ったカバンを取り出して、ファスナーを開けた。
カメラがちゃんと動いているかを確かめながら、真っ白な壁に向かって一枚写真を撮る。
写したものを、じっと目を凝らして確認する。
レンズに埃がついていないかを確かめるための、大切な仕事初めの確認作業である。
最後の一押しで、ポンプでレンズに空気を吹き付けて、見えない塵も飛ばしていった。
商売道具の準備が整ったら、そこにSDカードを差し込んできちんときちんとデータが残るようにもしていく。
作業しながら垂れ流していた無線から、「新郎新婦様、ご来館されました」と声が聞こえてきたのを合図に、俺はカメラにレンズを取り付けて、その他撮影に必要な道具を全部大きなカバンに詰めてから肩に掛けた。
「おっしゃぁ、いくで」
気合いを入れるように、そうひとりでに掛け声を上げて、俺は従業員用通路から、二階へと続く階段を二段飛ばしで駆け上がった。
二人が案内されている部屋の前に立って、ドアをノックした。
中から舘が朗らかに返事をする声が聞こえてきたのを確かめてから、ノブを掴んだ。
「だてー!しょっぴー!おはようさん!今日はほんまにおめでとう!」
「康二!ありがとう」
「はよ、まだ準備できてないぞ?」
部屋の中には、ラウールと少し緊張した面持ちの舘としょっぴーがいた。
挨拶をして、ここからの撮影の流れを軽く説明した。
お支度をバッチリ整えてから始まる芸能界の撮影とは少し趣が違っているだろうから、しょっぴーはこのタイミングで俺が入ってきたことに少し驚いていた。
俺の次に美容師さんが入ってきたところで、ラウールが席を外した。
ずっと耳にはめ込んでいる俺のイヤホンからは、絶えずラウールを呼ぶスタッフの声がしていた。
昨日までにどれだけ準備を重ねていても、当日は当日でやることばかりなのだ。
結婚式の全て、お二人の全てを把握しているのはプランナーさんである。
この一つ一つのお式に対して、責任を持っていくのもプランナーさんなのである。
最後の仕上げをしに、ラウールが奔走していることが、無線越しに伝わってきた。
頑張れ、頑張れ、と心の中で唱えながら、俺は二人の姿を撮っていった。
メイク中のしょっぴーを鏡越しに撮っていったり、ヘアセットをしながらうとうとと眠そうにしている舘をフレームの中に収めていった。
お着替えも、メイクも、ヘアセットも終わった頃、チャペルの準備が間も無く整うという知らせが無線に入った。
先程聞こえてきたトラブルは解決したのだろうか、という不安を抱えながら移動の準備を進めていると、またラウールが部屋に入ってきた。
ラウールはしょっぴーに耳打ちをながら、携帯の画面を見せていた。
しょっぴーは驚いたように目を見開いて「すげぇ!いいじゃん!てか半分くらいダメんなったとか全然わかんねぇ」と興奮していた。
どうやら、先程のトラブルはうまく対処できたようだ。
俺も一安心できたところで、ラウールはまた部屋を出ていった。
二人を先導する役割を持ったスタッフの後をついて行きながら、チャペルの扉の前に到着した。
先に待っていたラウールが、二人の緊張をほぐすように話し掛けている。
俺は、その瞬間瞬間全てを、撮り逃すことのないように、一秒ごとに何度もシャッターを切った。
誓いの場で交わされる一つ一つのセレモニーに、自分の目から温かいものが込み上げてくる感覚をどうにかやり込めながら、お二人の涙、ゲストの笑顔、親御様の少し寂しそうな眼差しを撮って、挙式も披露宴も、あっという間に無事に終わった。
最後に集合写真を撮りたい、と舘が言ってくれたのをきっかけに、その場にいた全員がメイン席の周りに集まった。
お着物を着た女性が俺の横を通り過ぎようとしたところで、不意に立ち止まって、俺いに声を掛けてくれた。
「あら、康二くんじゃない!」
「おばさん!ご無沙汰してますー!」
舘のお母さんだ。
学生時代に、何度か舘の家に遊びにいった俺のことを覚えていてくれたようだった。
久しぶりの再会に嬉しくなるが、時間も迫っている。
おばさんと話したいことはたくさんあったが、俺は泣く泣く先を促した。
「おばさん、後でゆっくり話そや!写真撮るから、舘のそば行ったって!」
「なに言ってんの、康二くんも入んなさいよ。ラウちゃんも!」
「え!俺も!?入ってええの!?」
「えっ!僕もいいんですか!?」
「そうよ、康二くんもあの子の大切なお友達だし、ラウちゃんだってここまでたくさんこの子たちのために頑張ってくれたんだから、ね?」
おばさんのご好意に驚いていた俺とラウールを、すでに写真を撮るのを今か今かと待っていたみんなが見ていた。
「早く来いよ」としょっぴーがぶっきらぼうに声を上げる。
「康二ー、ラウールくーん!おいでー!」と、阿部ちゃんが手招きしてくれる。
「最後の一枚は康二とラウも一緒に、がいいな」舘がふわっと笑う。
「もー、みんな俺らのこと大好きやんか…っ」
おどけていないと泣いてしまいそうで、俺は必死に言葉を紡いだ。
大きな三脚をセットして、その上にカメラを取り付けた。
10秒間のタイマーをセットして、俺は「10、9、8…」と大きく声に出しながら、俺はみんなが待っていてくれるその中へ入っていった。
「7!」
おばさん、よかったな。おばさんにとっても幸せな日を、俺も一緒に過ごさせてもらえて幸せやったよ。
「6!」
照兄もふっかさんもさっくんも、楽しそうに過ごしてくれてて安心した。
「5!」
めめ、阿部ちゃん、不思議な繋がりやったけど、君らに会えてほんまによかった。
「4!」
しょっぴー、ほんまにおめでとう。しょっぴーの夢が全部叶ったこと、俺も自分のことぐらい嬉しいわ。
「3!」
舘、舘に出会えたことが、俺の人生の宝物やで。いつまでも幸せにな。
「2!」
ラウ、ここまでよお頑張ったな。ほんまおおきに。みんなラウのおかげで幸せそうやで?
「1!!」
あぁ…今日は幸せな日やなぁ。
小さくシャッターが切られる音が聞こえてきて、最後の一枚が思い出に変わった。
自然と周りには拍手が湧き起こった。
司会の方のアナウンスで舘としょっぴーが退場して、披露宴は結んだ。
二人の親御様たちは、出口に向かっていくめめと阿部ちゃんをエントランスで見送っていた。
ゲストの方全員の退館を確認したあとで片付けが始まるので、俺もその場で待機していると、照兄に声を掛けられた。
そっと耳打ちするように受けた頼まれ事に、俺の胸は密かに高鳴った。
幸せは、人から人を伝って、また別の誰かに微笑むのだ。
幸せは伝播して、その人が感じたものが、また別の場所で花を咲かせていく。
この繰り返しの中に、俺たちの仕事は存在していると、俺は思う。
チャペルの外で、照兄とふっかさんが出てくるのを待つ。
でも、待っているだけではそわそわしてしまって、俺はいても立ってもいられなかった。なにをしているのか、すごく気になってしまっている。
ダメだとはわかっていても、止められそうになかった。
気づかれないように中の様子をそーっと伺うと、恥ずかしそうに左手で顔を隠すふっかさんがいた。
照兄は流れるようにその手を取った。
もしかして…。
長年この仕事をしてきた俺の勘が、この先の展開を素早く察知した。
俺は考える隙もなくカメラを構えて、向かい合って立つ二人の姿をこっそりカメラの中に焼き付けた。
陽の光が乱反射した純白の世界の中で、目を閉じながらふっかさんの左手に口付ける照兄と、幸せそうな顔で笑うふっかさんとが、ただただ静かに二人だけでこれからを誓い合っていた。
急いで事務所に戻って、光の速さでその写真の編集と印刷をして、帰り支度を進めていた照兄に額縁をはめた状態で渡した。
照兄は、その見た目からは想像できないほどに可愛らしい笑顔でにんまり笑うと、「ありがとう、ずっと大切にする」と言ってくれた。
自分の手で、誰かの幸せのお手伝いが、ほんの少しでもできたことが嬉しかった。
今日のご結婚式に来てくださったお客様全員をお見送りしてから、会場の後片付けを素早く終わらせて、俺とラウールは二次会会場へと急いだ。
少し前に舘からもらった招待状に書いてある住所は、もう一度確認するまでもない。
お馴染みの場所、大好きな場所まで、ラウールと手を繋ぎながら歩いていく。
オレンジ色に染まった道すがら、俺の心は上を向いていた。
先程まで目の当たりにしていた感動的な瞬間の全てが、体中に染み渡っている。そして、俺の隣には大切な恋人がいる。二つの幸せが、いつまでも冷めずに俺の気持ちを温め続けていた。
並んで歩くこの時間が心地良い。
もうすぐで到着するだろうか、という頃になって、不意にラウールは俺に問い掛けた。
「ねぇ康二くん、運命って信じる?」
「なんや急に」
「気になったの。康二くんの考え方、知りたい」
「んー、そないな出来事あんま起きひんから分からんけど、そういうんがあったら、そらときめくやろな」
「そっか。ときめくかー。」
「なんなん、気になるやんか。なんでそんなこと聞くん?」
「康二くんは、僕の運命の人なのかもって言ったら、笑っちゃう?」
なんだか懐かしい気持ちになった。
少し前に、こんな夢を見たことがあるような気がした。
あれは、そう。
まだこの子の気持ちを真っ直ぐ受け止められなかった頃のこと。
そんな時もあったな。
触れてもないのに怖くて。
深く接してもないのに逃げてばっかりやった。
弱虫だったな、ごめんな。
でも、そんな俺をずっと待っててくれて、ありがとう。
この広い世界の中で、俺と出会ってくれてありがとう。
待たせてごめんな。俺に会いに来てくれてありがとう。
思えば、最初から偶然的な出会いだった。
この子と初めて会った時も、再会した時も、いつだって、この子との邂逅は突然で、唐突で、思いがけないことばかりだった。
これが偶然やないんやったら、そうやね。
それはきっと、ラウールのおかげなんかもしれんな。
一本の糸を手繰って、俺のところまで真っ直ぐ走ってきてくれたんやから。
「俺がやのうて、ラウが運命の糸、切らずにいてくれたからやって俺は思うで?」
俺が返した言葉に、ラウールはきょとんと目を丸くした後、ふわっと優しく笑ってくれていた。
また巡り逢いたいと願い続けていてくれた君がいて、臆病で前を向けない曖昧だらけの俺がいた。
この出会いは偶然なのか、 必然だったのか。
でも本当のところは、運命だろうとなかろうと、なんだっていいんだ。
時を超えて、今を重ねて、この先を歩いていく。
その隣にずっと、君がいてくれたら、それ以外はもうなにも要らないから。
過去に泣いて、今を笑って、未来を願おう。
ラウールと歩いていくこれからを想いながら、俺は繋いだ手の温度を何度も自分の手のひらで確かめ続けた。
ラウールは、三歩歩くごとに、俺を見つめて微笑んでくれる。
その愛おしそうに細められる目と、甘い視線が少し照れ臭くて、俺は揶揄うようにラウールに伝えた。
「前見んとぶつかんで?俺の運命の天使さん?」
あいたい・あいまい・まい…えんじぇぅ!?
(逢いたい・曖昧・My Angel)
END
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