テラーノベル
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腕を引っ張られて歩く。半ば引きずられるようにしてきんときの車に乗り込んだ。
すっかり寝静まった街は街灯の柔らかい光のみが道を照らす。車内では特に会話はなく、エンジン音と小さめに流れる音楽だけがこだまする。しかし不思議と居心地の悪さは感じなかった。きんときが運転する隣で大人しく座っているのが至極当然であるかのような錯覚に陥るほど。
ありえないことを考えてしまうのは急な展開に動揺しているからなのだろう。スマイルはただ後ろへと流れ続ける風景を眺めた。
途中できんときはコンビニに車を停める。運転席を離れるきんときに目を向けると、耳元に口を近づけて「ローションとコンドーム。」とだけ告げてさっさと入っていってしまった。
カッと顔が熱くなるのを感じて手で頬を叩くと当たり前に痛い。あぁ、なんでこんなことに。
助手席で縮こまり今一度状況を整理しようと頭を働かせる。
どうやら、俺はきんときのことが好きで、きんときは俺のことが好きらしい。それはどうにか頭に染み込ませてなんとか理解した。
…きんときが、俺を抱く……?
続きのことばは頭では理解しているのに心が追いつかない。ずっと強制的に見させられていた夢が、現実として目の前に迫っている。その事実を認識してもイマイチ実感が湧いてこない。
スマイルがひとりでぐるぐると考えている間、車から降りてひとりで帰るという選択肢は何故か出てこなかった。
◾︎◾︎◾︎
方向からなんとなく分かってはいたが、向かった先はきんときの自宅だった。ここまでのこのこ着いてきたのだからもう逃げるつもりなどさらさらないというのにきんときは尚もスマイルの腕を掴んだまま歩く。
オートロックを解除してエントランスに入り、エレベーターへ乗り込んだ。
ご近所さんに変な噂をされないか心配だったが誰にも会わずに部屋に辿り着くことができて何故かスマイルの方が安堵していた。
きんときは至って落ち着いた動きで鍵穴を回して扉を開きスマイルを迎え入れる。くるりと振り返って扉と自分との間にスマイルを挟んでサムターンを回したきんときは、そのままスマイルをぎゅうっと抱き締めた。突然の行動に体が固まってしまう。温かな体温が心地よく抱き返そうとするも、背中に手を回そうにも腕ごと抱き締められているために微動だにできない。
どうしようかと戸惑っていると徐にきんときが体を離し、先程より優しい力で腕を引かれる。
向かった先は寝室だった。衣服が置かれて生活感のある部屋には爽やかな香りとどこか甘い香りが混ざりあってきんときの薫りを醸し出している。ネイビーの布団には少しだけ皺が寄っていて普段のきんときの跡が感じられた。
ここで毎日きんときが寝ている……そう思うと途端に肩が強ばる。
緊張、してんのか。
やけに冷静で冴えた頭が自分を客観的に捉える。心臓はずっと動悸していて呼吸は浅くなって、体だけが素直にスマイルの感情を伝えていた。
一瞥してきんときの表情を伺うと柔らかい笑みを浮かべていて、ドキリと心臓が跳ねる。それに目敏く気づいたきんときがスマイルの胸板をトンと軽く押すと、スマイルは素直にベッドに倒れ込んだ。きんときがスマイルを組み敷いたところでふと気づく。
「あ、まって、風呂……」
「んー?」
きんときはスマイルの話なんか聞かずにベッドのシーツに手首を縫いつける。目の前の男はひどく優しいのに有無を言わせない雰囲気を纏っていて困惑してしまう。
「ちょっ……ほ、ほんとに?ほんとに抱くなら、準備とか必要なんじゃ……」
スマイルは焦って考えていたことをそのまま口に出すと、きんときは少し考える素振りをして身を離した。
「……あ〜…たしかに、そうか。じゃあ先に風呂行ってきていいよ。俺その次入るね」
このまま襲われることはないという安心感にのろのろと体を起こしたところで、耳元に顔が近づいて囁かれた。
ひとりでできる?
言葉を聞くや否やベッドを飛び起きて寝室から離れる。あのままきんときと二人でいたら心臓が爆発するところだった。風呂がある方向にずかずかと歩くと顔がカッカと熱くなってくるのが分かる。
くそ、あいつばっか余裕があるみたいでムカつく、ムカつく。こちらはこんなに余裕を欠いているというのに。俺だけ緊張して馬鹿みたいだ。
自分ときんときに対する苛立ちを抱えたところでふと気づく。 男同士には準備が必要だということは俺を抱こうとする時点で分かっているはずなのにきんときは俺が言い出すまで気づいていないようだった。
そして何より、先程のきんときは至って落ち着いた動きではあったが指先が小さく震えていた。
いつもの発作でなければ、もしかして。
ふと見上げた先の洗面所の鏡に映る自分はどこか期待しているような甘い目元をしていて、こんなだらしない顔をきんときに見せていたのかと思うと寒気がする。きゅっと気を引き締めた。
服を全て脱ぎまとめてから浴室に入る。
……あの夢を見てから少し調べたのだ。男同士のやり方について。現実でどうこうなるとは全くもって考えていなかったが自分が知らない分野にただ単に興味が湧いてしまって。当時は何やってんだ俺、と我に返り自嘲してしまったが今更あの謎の行動に感謝することになるとは。
なんだか色々と難しいことが書いてある中に準備の話があったのを思い出しつつ進めていく。
洗浄はもちろんとして、解すのは…自分でやるのは怖いからやめておこう。なんかきんとき詳しそうな感じだったし。……いやなんで詳しいんだよ。
しかし他人に対する疑問をひとりで考えたところでわかるはずもない。今するべきことは、きんときに抱かれるための準備をすること。そう意志を固めればあとは実行に移すだけ。恐る恐る後ろに手を伸ばす。
初めての感覚に対する嫌悪感ととめどない冷や汗にもなんとか耐えに耐えたスマイルはぐったりと息を吐いた。
体を文字通り何から何まで洗ってから出ると、目立つところにおそらくきんときの私物であろうバスタオルと着替えが置いてあった。きんときの心遣いには感謝しつつも自分がもともと着ていたシャツに腕を通す。
流石に、勇気が出なかった。
濡れた髪をタオルで拭きながら寝室に戻るときんときはヘッドボードのライトのみを付けて爪にやすりをかけているところだった。薄明るい部屋のベッドの隣に腰掛けるとおかえり、とタオルごと髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜられる。
やめろ、お前と違ってくせっ毛だから変な癖がつく。
そんな照れ隠しの言葉は柔らかいきんときの笑みを前に外に出る気を失った。
「あれ、着替え用意しといたのに着なかったんだ?」
「んん、まぁ、うん……」
曖昧な返事で濁すときんときは「じゃあ俺行ってくるね」と入れ違いに出ていく。枕元には使われた形跡のある爪切りが置いてあった。そこで先程のきんときの行動の意味に気づく。
きんときは今から俺を抱こうとしている。今までのような夢ではなく、現実で。
少し先の未来がはっきりと見えても何故か逃げ出そうと言う気にはならなかった。
何故か、ではない。
きんときに触れられて嬉しいと感じるからだ。
それを望んでいるのは夢の中のスマイルだけではないと、やっとこの時になってスマイルははっきりと自覚した。
今頃になってじわじわ実感が湧いてきて、風呂場で冷えた体が火照ってくる。
この熱はひとりでは持て余してしまうだろう。しかし今すぐきんときとそういう雰囲気で相対するのも少し怖い。
相反する気持ちを抱えたスマイルは青い薫りを放つベッドの上でただひたすらにきんときを待った。
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