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翌日、キッチンは朝の光で少し明るくなっていた。
涼ちゃんは目をキラキラさせて、「今日は絶対にデザートを成功させるんだ!」とやる気満々で立っていた。
若井は少し不安そうに入り口から顔を覗かせ、
「涼ちゃん、手伝うよ?一人じゃ心配なんだけど」と申し出た。
涼ちゃんは即座に首を振り、
「大丈夫!僕、一人で全部できるから!」と強気に返す。
しかし、最初の卵割りで早くも波乱の予感。
力が強すぎて、卵は手のひらから飛び出し、テーブルの上に大きな破片とともにべちゃっと落ちた。
「うわっ!見なかったことにして!」と涼ちゃんは慌てて手で隠した。
若井はため息をつきつつ、「手伝わせてくれよ、二人でやった方が絶対うまくいくって」と優しく促す。
涼ちゃんは少し考えてから、しぶしぶ「仕方ないなあ……」と若井を招き入れた。
二人で手を動かし始めると、若井は落ち着いた声でレシピの手順を読み上げ、
「次はバターを溶かすから、レンジの時間は短めにしよう」と的確な指示。
涼ちゃんは若干不満げに「僕がやるんじゃないの?」と言いながらも、若井の手際の良さに頼らざるを得なかった。
バターをレンジに入れて設定すると、時間が来る前に若井がレンジを止めて取り出した。
「ほら、これなら焦げない」
涼ちゃんは「なるほどね……」と感心した顔。
次に生クリームを泡立てる段階で、涼ちゃんがハンドミキサーを持つも、
勢い余ってクリームが飛び散り、二人とも顔や服にベタベタに。
「わっ!ちょっと、何これ!」と涼ちゃんが叫び、
若井は笑いながら、「楽しいじゃん、こういうのも」と言って顔を拭いた。
少し場が和んだところで、ケーキにクリームを塗る作業に移った。
今度は二人の息がぴったり合い、
涼ちゃんが「こうやって……」とクリームを伸ばし、若井が「うん、それでいい感じだ」とフォロー。
しかし最後の最後で、涼ちゃんが不意に手を滑らせ、クリームが床にドバーッ。
「うわあああ!」とまたもや大騒ぎ。
若井は苦笑しながら、「もう、どこまでやらかすんだよ」と頭をかく。
僕はその光景を見ながら思わず笑ってしまった。
「でも、二人で作るのっていいな」と呟いたら、
涼ちゃんはにこっと笑い、
「僕、やっぱり若井と一緒に作るのが楽しいんだな」
若井も照れ臭そうに笑い返した。
その日は失敗もあったけど、確かに楽しい時間だった。
だが…
ようやく火を止めて、静寂が訪れたキッチン。
でもその静寂の中に広がっていたのは、まるで戦争の跡のようなカオスだった。
壁には飛び散ったクリームが、まるで無数の白い星のように点在し、
床は油と粉と水でベタベタと滑りやすく、足元が覚束ない。
天井からはほのかに焦げ臭い匂いが漂い、窓の隅には黒いすすがこびりついている。
僕は思わず息を呑んだ。
「……こんなことになるなんて、誰が想像できただろう」
若井は、疲れた表情で椅子に腰掛け、ゆっくりと目を閉じて深いため息をついた。
「……これが、俺たちの“料理”の結果か」
でも、その声には呆れ以上の何かが混じっている気がした。
長い戦いのあとに訪れる静けさのような、少しの寂しさと、どこか優しさがあった。
一方で涼ちゃんは、まだ顔にクリームの跡が残りながらも、笑顔を崩さなかった。
「これが僕たちの共同作品だよ。すごく……“個性的”でしょ?」と胸を張る。
僕は苦笑いを浮かべながら、思わず言葉を返す。
「うん……確かに個性的すぎてキッチンが壊滅的だけどな」
若井は立ち上がり、雑巾を手に取りながらも、まだ声に力がない。
「これ、全部片付けるのかと思うと、正直気が重いな……」
でも、その言葉に涼ちゃんは明るく応えた。
「大丈夫!僕が頑張って片付けるから。次の料理はもっと上手くやるって誓うよ!」
僕はそんな彼の純粋さに胸が少し熱くなった。
散らかったキッチンの中で、三人の笑い声が、ゆっくりと戻ってくる。
この混沌とした大惨事の中にも、確かに僕らは何かを得ている。
不器用でも、失敗だらけでも、一緒にいることの温かさ。
この瞬間が、どんなに不完全で、どんなに醜くても、
僕は――少しだけ、生きていてよかったと思えた。