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うめぼっち

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臣桜
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#恋愛
水無月 京
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そんなある日、大豆生田さんが出社した。
スケジューリングの込み入った相談があったので、時間をもらって彼の個室に入らせてもらった。向かい合って、複数の案件の優先度やアクションを確認していく。また1週間は壮絶なパズルになることが確定して、私はそっと胸の中で合掌する。
「しかし、大豆生田さんっていう名前、長いですよね」
何気ない雑談のつもりだった。
彼はパソコンを動かす手を止めない。打鍵の音だけがBGMのように流れていて、何の言葉も返ってこない。でも、それは話を続けて良いという意味であることを私は知っている。
「忙しい時とか急に呼び止めたい時に、最後まで呼びきるのは結構難しいんです」
おおま、ぐらいで大豆生田さん視界から消えちゃうんですよね。
「俺そんな足早くないですけどね。弓家さんの呼び方が遅いんじゃないの」
「いや、大豆生田さんの歩く速度の速さは社内で結構有名ですよ」
「んー」
そうかね、と打鍵を止めた彼は、虚空を見つめながら顎をさする。
少しだけ伸びている無精髭は、彼がいつも以上に忙しいことの証左でもある。華美な装飾はしないけれど、髪も髭も肌もきちんと手入れが行き届いていることは、他の同年代の男性を見れば一目瞭然だ。
元来彼はとてもおしゃれな人で、故に、社内の女性からの人気度合いも高い。秘書の中でも彼のファンは結構いたから。
「あー思い出した。それ、確かに時々言われる気がしますね」
「ほらやっぱり」
「うん。スタッフにはさすがに言われないけど、時々パートナーとかシニマネとかに揶揄われるなぁ。あだ名つけられることもあるね」
「え、なんて呼ばれてるんですか!」
「えーっとね」
ちょっと待って、とパソコン画面にチラリと視線を走らせて、手早く何かを入力する彼の様子を見つめる。
決して堅い人ではないけれど、気安くあだ名で呼ばれている姿もあまり想像しづらくて。何て呼ばれているんだろうと期待して回答を待ち侘びていれば「そんな期待した顔しないでよ」と苦笑いされる。
「豆さん、豆ちゃん、桐人」
前触れもなくあっさりと寄越された回答は、私の平常心を最も容易く乱した。急激に上がった拍動が、耳元で激しく鳴り響いている気がする。
「え、ええ?」
「そんな驚くこと?」
「…だってキャラと全然違うから」
特に豆ちゃんって…豆柴以外のお名前で聞いたことないですね。
「俺に向かって豆柴と言ってくる人こそ見たことないけどね?」
「…それは言葉のあやです」
「なんだそれ」
取り乱して大失言をしてしまった、と背中を冷や汗が伝ったけれども、本人まるで気にせず「豆柴か」と笑っているので多分セーフだ。
こっそりと胸を撫で下ろし、誰がそんなあだ名で呼んでいるんだろう、と頭の中に色々なパートナーを並べて考え始めてみる。
「で?」
「で、とは」
およそ答えの出ない難問に取り組んでいれば、彼が私に何かの答えを促す。
「弓家さんは、どれにする?」
「…どれ、とは」
「俺の呼び名変えるんだろ」
ニヤリと笑う大豆生田さんに、うっと言葉が詰まる。そうだった。
聞いておいて申し訳ないけれど、秘書の分際ではどれも非常に呼びづらい名前で、困る。
「…その中なら豆さん、ですかね」
「別に選ばなくてもいいぜ。オリジナルも全然アリ」
「……私ひとさまのあだ名考えるの結構不得意なんで、ゆっくり考えます」
あだ名というか、担当パートナーのあだ名なんて。労力の割に報われない仕事をしたくないのが本音だ。
それすらも読み取ったのか、
「可愛く桐人、って呼んでくれてもいいんだけど」
なんて、くくくと笑って鬼のような提案をしてくる。いや、悪魔か。
「それセクハラ案件ですよ」
「やーだねぇ厳しいねぇウチの秘書様は」
彼氏でもないのに上司の名前を呼び捨てにできるわけがないでしょう!?
そんなの日本ぐらいじゃね。海外だと普通だよ、普通。
こう言う時だけグローバル感出してこないでください!!!
すっかり分が悪くなってしまって。うっすら頬のあたりが熱くもなって、もう彼の顔を見るのも嫌になる。
「弓家さんって意外とさ…」
縮こまる私を見て、豆さんがさらに追い打ちをかけようとしてくる。
これ以上揶揄うのは勘弁してほしい。退室するための言い訳を急いで脳内で検索し始めた刹那、無機質な電子音が鳴り響いた。
職業柄、ハッと背筋を伸ばして自分のスマホを見るも、どうやら私のものではなかったらしい。
じゃあ、と豆さんの方を見れば、彼がまさに自分のスマホを持ち上げて耳に当てるところだった。
「はい、大豆生田です」
先ほどまでの雑談とは打って変わって、瞳は鋭さと力強さを増し、声音も少し硬くなる。
元々そちらの姿だけを見知っていたはずなのに、気づけば”そうじゃない”場面を見る機会が増えて。そして、”そうじゃない”ほうが徐々に私の中でのスタンダードになりつつある。
その状況が良いのか悪いのか。
かつて他のパートナーを担当していた頃には気にも留めなかったことで、この状況の扱い方がわからなくていまだに若干戸惑っている。
まあその考察はいずれするとして。
とりあえず彼の電話の邪魔にならないように退室しようと立ち上がる。豆さんはすぐに私の意図に気付いたようで、手で「座って」というジェスチャーをする。
私に聞かれても問題のない会話ならいいけど、と大人しく再び椅子に座る。
「え、スタッフが飛んだ?」
初めこそ「おーどうなの」とか「今何してんの」とか、当たり障りなくプロジェクトの進捗を問うような会話をしていた。案外平和な会話なのかも、とスケジューラーを立ち上げた瞬間、不穏な言葉が聞こえてきて鳥肌が立つ。
今、確実に部屋の温度下がったよね?
思わず豆さんの方に視線が吸い寄せられてしまう。
「仕方ねーな。でもあれ、マネージャーいるだろ。え、インフル?」
あ。それを聞いてピンと来た。
このユニットのマネージャーが、季節外れのインフルエンザに罹ったというちょっぴり不幸なニュースが、先日開催されたユニット会議で発表されたばかりだ。健康管理云々という話に落ち着いたけど、季節外れの貰いものだしなかなか対応が難しいね、とみんなが首を捻っていた。
多分、季節外れのインフルエンザなんてそうそういないだろうから、多分豆さんが言うマネージャーは、彼のことだ。
「えー俺全然聞いてないけど」
嘘おっしゃい。
その会議に豆さんが出ていたのを、私はしっかり覚えている。
他人に興味が持てないという性格は、ユニットの全体会議でも遺憾無く発揮されているようで、おそらく全く聞いていなかったか聞いてもすぐに忘れたのだろう。
業務のことだとびっくりするぐらい細かいことや、はるか昔のことを記憶している癖に。
コメント
1件
桐人ちゃん呼び…! いやもうあのあだ名の流れ、最高でしたね。大豆生田さんってああいう緩い空気も作れる人なんだ、と驚きつつ、その後の電話での「プロフェッショナルスイッチ」の切り替わりがまたたまらない。弓家さんの「そうじゃない方がスタンダードになりつつある」って戸惑い、すごく共感します。この距離感、どう転んでいくんだろう。続きが気になります。