テラーノベル
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しかし、そのあたたかくやわらかい雰囲気もそこまでだった。
リビングに入った私たちを待ち構えていたのは、座卓の奥、窓の前にどしりと構えてあぐらをかき、険しい顔をした父だ。
眼鏡の奥で、その瞳は怒りに燃えているように感じる。
先に入った花斗もその雰囲気に怯んだのか、私の足元にペタリとくっついて後ろに隠れてしまった。
「どうぞ、座って」
母はそう言って座布団を勧めてくれたけれど、私たちはそこから動けない。
ちらりと壱月を見上げると、背を丸くしながらも意を決したような顔をしていた。
そして、次の瞬間。
壱月は座卓の横、フローリングの床にぺたりと土下座をした。
「愛音さんに命を宿し、そのまま逃げてしまいました。けれど、愛音さんを想う気持ちはあの頃から変わりません。私は愛音さんを愛しています。だから、どうか愛音さんとの交際を認めていただけないでしょうか」
壱月が、早口でそう言う。
私はそこに立ちすくんだまま、動けなくなってしまった。
壱月の覚悟を目の当たりにして、胸の奥から熱いものが込み上げる。
どのくらい沈黙が続いただろう。
壱月はずっと頭を下げたまま、父はずっと腕を組んだまま。花斗も、私の足元にくっついたままだ。
「壱月くん、もういいのよ。ほら、頭を上げて」
場の空気を変えたのは、お茶を運んできた母だった。恐る恐る顔を上げた壱月は、おもむろに体を起こす。
「こっちに座って。床の上じゃ、足が痛くなっちゃうわ。ほら、愛音と花斗くんも座りなさい」
促され、私は花斗を抱き上げゆっくりと座卓の前に座った。
だが壱月は、相変わらずその場から動かない。
「花斗くんには、りんごジュースどうぞ。ほら、お菓子もあるわよ!」
お歳暮でもらったのか高級そうなクッキーの包み紙が、私の前――もとい、花斗の前に置かれた。
「ママ、たべていい?」
花斗は私の膝の上で、泣きそうな小さな声で聞いてくる。
「ちゃんと『ありがとう』って言えたらね」
「……ばあば、ありがと」
「はい、どういたしまして」
花斗が包みを開いた。カサカサという音が、やたらと部屋内に大きく響く。
「チョコクッキー!」
突然の大きな声に、全員が花斗のほうを振り向く。それで、花斗は泣きそうな顔になる。
「……うう、ふえ」
それでも花斗は下唇をぐっと噛み締め、涙をこらえていた。
「花斗くん、遠慮することないわ。食べていいんだからね」
母の言葉にこくんと頷いた花斗は、そのままクッキーを頬張る。今度はそのバリバリという音が、部屋内に響いた。
それで花斗はこらえきれなくなったのか、忙いで口にクッキーを放り込むと、私の胸に顔を埋めてしまった。
「お父さん、子どもを怖がらせちゃだめじゃない」
「俺は悪くない」
父がむすっと言う。
「どう考えてもあなたのせいでしょ。大体、いつまで意地張ってるの? 愛音が帰ってくるの、楽しみにしてたでしょう? 孫に会えるの、楽しみにしてたでしょう?」
その言葉に、父の頬がほんのり朱く染まる。
「お父さん」
私がポツリとこぼすと、父は大きなため息をもらした。
「まあ、君。とりあえずそっちに座りなさい」
父に言われ、壱月は「はい」と私の隣に座り直す。それはきれいな正座だが、少しだけ肩がつり上がっていた。
「愛音の父だ」
静かな声で、父が言う。すると、慌てて壱月が口を開いた。
「申し遅れました。私、愛音さんとお付き合いさせていただいております、海野壱月と申します」
壱月はまた父に頭を下げた。
その時、花斗が少しだけ顔を上げる。それから手元にりんごジュースのコップを引き入れ、ストローに口をつけた。
「お父さん、息子の花斗」
私が言うと、花斗は恐る恐るというように父を見た。
「花斗、あのね……」
「じいじだ」
私の声に続けられた父の声は、抑揚がない。けれど、父は自分でそう言った。
「……じいじ?」
「そうだよ、花斗。ママの、お父さん」
私が言うと、花斗ははっと私を見上げる。
「ママ……おんなじじゃ、なかったね」
「え?」
「……ママには、パパがいたんだ」
花斗はそう言って、不思議そうな顔をする。そんな花斗の顔に、今度は私がはっとさせられた。
コメント
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うわあ、これはもう……胸がぎゅっとなりました。 壱月さんの土下座、すごい覚悟だなって震えました。あの早口に彼の必死さが全部詰まってた。 でも何より花斗くんの「ママには、パパがいたんだ」が刺さりました。小さな子どもなりに、自分の知らない「ママの世界」があるって気づいた瞬間ですよね……じいじの登場も相まって、家族って積み重ねなんだなとじんわりしました。続きが気になります!