テラーノベル
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花斗には、パパがいない。だから今まで、「寂しくないよ」と言い聞かせてきた。
でもそれは、もしかしたら、私が自分に言い聞かせてたのかもしれない。
寂しかったのは、私自身だったんだ。
「じいじ、こわいからヤダ」
花斗はそう言ってジュースを飲み干すと、私の後ろに隠れて飛行機のおもちゃで静かに遊び始めた。
「お父さん、ごめん」
それで、父はまた黙ってしまった。困ったような、悲しいような、複雑な顔をして。
「あ、あの……」
再び沈黙に包まれたが、壱月が声を上げた。父も私も、母も、みんなが壱月を見る。
「愛音さんをひとりにしてしまったのは、私の責任です。花斗に父親がいないのも、そのせいで愛音さんに苦労をかけてしまったことも、すべて、私の責任です。ですから――」
「『責任をとる』とでも言うのか?」
厳しい口調で父に言葉を遮られ、壱月は口を噤んでしまう。悔しそうに、膝の上で両拳を握りしめていた。
すると、父はさらに低い声で静かに言う。
「言わないのか」
「いえ、責任をとります。愛音さんのためならなんでもする所存です」
慌てて口を開いたようだったが、壱月の口調ははっきりとしていて、彼の覚悟が伝わってくる。
すると父は机の上に、バンっと勢いよくなにかの書類を突き出した。
「これを書きなさい、今、ここで」
壱月がそれを見て、目を丸くする。
それは、婚姻届だった。証人の欄だけが、埋まっている。
「今、ここで、〝夫になる人〟の欄を埋めなさい」
父はそう言って、胸元から取り出したものを壱月に突きつける。それは、拳銃――ではなく、ボールペンだ。
「埋められないのは、迷いがあるからか?」
だが壱月はその声に首を横に振り、毅然と言った。
「いえ、ありません。書かせてください」
壱月はボールペンを受け取り、丁寧に婚姻届の左側の欄を埋めていく。やがて最後まで書ききると、ふう、と息を吐きだした。
「壱月、くん」
父の声に壱月は顔を上げた。
「愛音を、よろしく頼んだよ」
そう言う父の目尻は、優しく下げられている。隣の壱月を見上げると、その目は見開かれていた。
「それは、愛音が持っていなさい。いつでも提出してくれて構わない」
「お父さん……」
思わず声がもれた。父の顔が、思っていたよりもずっと、優しかったから。
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これは、事実上のショットガン・マリッジ。けれど、父の顔はほころんでいる。
「花斗くん」
父に名を呼ばれた花斗は、ぴくりと肩を揺らす。
「君も、君のお母さんと同じだよ。お父さんがいないと、君は生まれてこなかったんだから」
父は困ったように、でも優しい声色で、諭すように言葉を紡いだ。
「……パパ、いるの? ぼくにも……?」
私を見上げた花斗が、あまりにも嬉しそうな顔をしていたから。
「うん、いるよ。とっても優ししくて、花斗のことを大好きなパパが」
私は胸がいっぱいになりすぎて、そう答えるのが精一杯だった。
コメント
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うわあ、第62話、読み終わりました……。冒頭で「寂しいのは私自身だった」と気づく愛音さんの内面がまずぐっときましたね。で、そこから父の厳しさと優しさが同居した婚姻届の場面。ボールペンを突きつける演出、めちゃくちゃ緊張感あるのに、最後の「よろしく頼んだよ」で一気に温かくなる。花斗くんの「パパ、いるの?」には私も泣きそうになりました。家族の形が少しずつ変わっていく、この温かさ、本当に素敵です。