肩を揺すられ目を開けるとトニーが屈みこみ僕を見ていた。体が痛い、床で寝たのか。頭も痛い。トニーの手を借り起き上がる。酒は抜けたが二日酔いだ。ふらつきながら自室のソファへ辿り着く。
「二日酔いに聞く薬草ですよ」
差し出された器を一気に呷る。苦くて噎せる。なんてもの飲ませるんだ。トニーを睨んでも仕方がないが、睨み付ける。
「昨日のことはキャスリンには聞かないよ」
キャスリンが誰かと間違えて抱きついたとしても、何も言えないんだ。悩んでも仕方がない。僕には何もできないんだ。これからだろ。昨日は歩み寄れた。
「それがよろしいです」
トニーに頷き、朝食はいらないと告げる。さっきの薬草が気持ち悪い。
「トニー、キャスリンが庭を散歩するときは教えてくれ」
夕食だけではなく一緒に過ごしたい。キャスリンに僕といることが日常的に続くと知って欲しい。トニーは頷き、かしこまりましたと答えた。
遅く起きた朝にテラスで遅い朝食を食べている。今日はライアン様が往診へ来てくれる。まだ決めるのは早い。でも期待してしまう。小さく切り分けて食べやすくしてもらっても、なんだかお腹に入らない。夜会では気を張っていたから疲れてたのね、よく眠れた。ハンクが出ていったのも気がつかなかったほどに。
カイランが昨日のことを聞いてきたら嫌だわ。まだ言いたくない。彼は傷つきやすい、脆いわ。冷静にならなくては。心細くなり下腹を撫でる。部屋に戻りカイランに渡すハンカチの刺繍を刺す。ゾルダークの家紋は蔦が細かくて大変なのよね。集中しているとジュノが声をかけて、来客を教えてくれる。
「こんにちはキャスリン様、ご機嫌はいかがですか?」
ライアン様が私の自室に入ってくる。随分懐かしい感じがする。
「こんにちはライアン様。元気ですわ。お座りになって」
ソファへライアン様を促し、対面に座り紅茶を入れる。
「閣下に会いまして?」
ライアン様は頷き、ええと答える。
「相変わらず、お元気でしたよ。昨日の夜会はどうでしたか?僕は参加しなかったんですよ。王太子の婚約者お披露目だと人が沢山でしょう?」
「ええ、沢山いらしていたわ。辺境伯も揃いましたから。チェスター王国のマイラ様はとても背が高くて綺麗な方でしたわ。私より二つ下なんて思えないくらい大人びて見えました」
そういえばライアン様は見かけなかった、参加していなかったからなのね。ドウェイン様は警備だろうし。お父様とお母様にも会えなかったのにリリアン様はよく私を見つけたわね。夜会を思い出し笑みが零れる。
「閣下から聞きました。月の物が遅れていると、まだきていませんか?」
私は頷く。
「ゾルダークへ越してきても予定どおりにきていたのが、閣下と閨を共にして予定より十日近くきてませんね。手首をよろしいですか?どちらでも構いません」
左手を差し出すと手首を掴まれ手のひらを上にして、指で手首の端の方を強めに押さえる。
「息を吸って、吐いて。深呼吸してください。心を落ち着けて」
私は目を閉じ深呼吸をする。部屋には静寂が流れる。ライアン様は私の手を優しく下ろし膝へ戻す。
「今のは体を流れる血の力強さを診ていました。妊娠されると強くなるのですが確実ではありません。僕の見立てでは五日以内に月の物がこなければ、子が宿っていると判断します。血流は強く感じました。もし痛みや張り、鮮やかな出血があれば直ぐに早馬を寄越してください。ソーマさんへ言っていただければ飛んできます」
胸が張り裂けそうだわ。私は胸に手を当て落ち着かせる。下腹を撫で温める。
「ありがとうございます。本当に嬉しいです」
ここにいるかもしれない。後五日。涙が溢れそうよ。
「何もなければ五日後にまた来ます。強い日差しを長く浴びるのは避けてください。いつもの散歩は続けてくださって結構です。運動も必要ですからね。食事も無理はせずに」
私は頷いて答える。
「僕はこれから閣下に報告に行きますから、普段通りにお過ごしください」
ライアン様はそう言って退室していった。私はジュノに振り返り手を握る。
「嬉しいわ、ジュノ。ここに子がいるのよ」
ジュノの手を下腹にあてる。ジュノは微笑み、おめでとうございますと言ってくれる。まだ確実ではないけど、でもいるのよ。信じたい。ジュノはハンカチを私の頬にあてる。泣いていたようだ。
「大事にしませんと。ダントルにも伝えて、さらに気をつけてお嬢様をお守りしてもらいましょう」
私は頷きダントルを部屋に呼ぶ。
「ダントル、いるかもしれないわ。頼むわね」
ダントルは直立し口角を上げて、任せろと言う。
ライアンはハンクの執務室のソファに座り、診察結果を報告する。
「五日以内に月の物がこなければ懐妊ですよ。おめでとうございます。頑張りましたね。若くないのに、こんなに早く孕ませるなんて、何年もできない夫婦もいるんですよ?秘訣を聞かれますよ。閣下の子種は強いんだな。若い頃に励んでいれば今頃、子沢山閣下だったのに」
ソーマが入れた紅茶を飲みながら話し、菓子も摘む。
「マルタンとディーターが婚約って話が早いですよね。どうしても昨日に間に合わせたかったんだなぁ。まだ許してないぞという意志をマルタンから感じますよ。キャスリン様の子の代はどうなってるんだろうなぁ。閣下が気にされていると思うんで忠告しますね。今は子が流れやすい時期ですから、挿入は控えてください。指も駄目ですよ。一月経ったら激しくなければ挿入もされてください。激しくというのはキャスリン様が痛がったり無理な体勢ですよ。胸にも変化があります。大きくなったり敏感になったり。キャスリン様はご自身で母乳を?知らない?胸に?触れてもいいですよ。問題ないです。貴族の女性は乳母に任せてしまいますが、はじめの頃はあげた方がいいですからね。優しく揉んであげてください。出が良くなる。下腹が張ったり痛がる時は即中止。妊娠初期に長い間馬車に乗るのは控えてくださいね。安定期?少しお腹が膨らんだかな?が安定期です。ゾルダーク領へ行くのは勧めないなぁ、かなり速度を落として馬車を揺らさないよう走らせないとならないですよ?」
ライアンは紅茶を飲みほし、おかわりをお願いする。
「精神的に強い衝撃もよくない。カイラン様に話すならば一月は待って、キャスリン様の様子を見ながらが一番いいです。不安にさせないよう心がけてくださいね」
菓子を摘み口に放り込む。
「あぁそうだ。閣下は勤勉ですね。鬱血痕、綺麗についてましたよ」
後ろを振り向きソーマへ、見ました?と指を首に当てている。ソーマは頷いている。
「終わったか?」
「五日後にまた来ます。そこで確定ですね。キャスリン様は喜んでましたけど万が一がありますから。大切にしてあげてくださいね。何かあれば早馬を出してくださいね」
ああ、とハンクは答え会話を終える。ライアンが退室した執務室でソーマはハンクへ尋ねる。
「トニーには知らせますか?」
ハンクは黙考する。一月は隠し通せか。あれはそんなに柔ではないだろうが、子を宿した今はわからん。守る者が多い方がいいだろうな。
伝えろ、とソーマに命じる。今の奴が懐妊を知れば騒ぐだろう。あの女に操を捧げていればいいものを。
「ソーマ、あれはもう手放せんぞ。ハロルドに俺よりあれを優先しろと伝えろ」
ソーマは頷き退室する。
頭を優しく撫でる大きな手を感じる。額に唇があたる感触に目を開ける。眉間にしわを寄せた顔が近くにある。私は微笑み名前を呼ぶと、いつもの険しい顔が優しくなり、指先が頬を撫でる。蝋燭の灯りはないから起こすつもりはなかったのね。月明かりだけの部屋で寝台の脇に屈み私を見つめている。
「起こしたな」
すまん、と謝るから、いいえと答える。来てくれて嬉しい。
「奴に話すか?」
今のカイランに話して冷静でいてくれるだろうか。無理だと思うけど、話すのなら側にいて欲しい。
「側にいてくれますか?」
ああ、と答えてくれる。それなら心強い。カイランが悔やみ私を求めてきても、どうすることもできない。ハンクの子が宿ってる。五日経ち、懐妊と言われたら話すわ。
「五日後にライアン様の診察で確信をいただいたら話します。閣下の予定に合わせます」
「ライアンは精神的に強い衝撃が子によくないと。一月は待てと言っていた」
衝撃?驚いたり悲しかったり?カイランに話して私が精神的に動揺すると思われてる?カイランにはひどい言葉を吐かれるかもしれないけど覚悟の上よ。
私は微笑みながら話す。
「喜びの衝撃も駄目?カイランに何を言われても衝撃は起こりませんわ。閣下が側にいてくれるのでしょう?」
ハンクは頷き、私と額を合わせて答える。
「お前から離れない」
私はハンクの髪に触れ指を通す。硬くて癖のある濃い紺色。ハンクが側にいてくれるなら怖いことなんてないわ。
「それなら安心です」
口を開け求めると舌を入れてくれ唾液を送られる。こうしていると満たされる。私は今、とても満たされてる。
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