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湊とは肝心な話が出来ないまま、毎日が過ぎていった。
私が詮索したり、湊にとって嫌なことを言わなければ穏やかでいられる。
でもそれは全て私の我慢から成り立っている関係だった。
「今日は直帰にしよう、なんか奢ってやるよ」
外回りの途中、藤原雪斗が突然言った。
「え……なんでですか?」
「異様に疲れてそうだし、ストレス溜まってそうだから。最近連れまわしたからな」
「……そんなことはないです」
と言うのは嘘だけど、ストレスの原因はプライベートの方だし、奢って貰う理由が無い。
だいたい、藤原雪斗と二人で食事なんて気が進まないから丁重にお断りした。
藤原雪斗には通じなかったけれど。
「ここならゆっくり出来るだろ?」
藤原雪斗は満足そうに言い、ビールのグラスを手に取った。
「……そうですね」
「うるさくて話も出来ないような所じゃ、余計疲れるからな」
「そうですね……」
個室で静かだし、リラックス出来るのは間違いない。
ただ藤原雪斗と二人っきりってところで、癒しの空間ではなくなってるんだけど。
そんな正直な気持ちは言えないので適当に誤魔化し、私もビールを飲んだ。
よく冷えていて美味しい。
もう秋だけど、日中はまだまだ暑かったから、身体に熱が溜まっていた。
つい、一気に飲み干してしまった。
藤原雪斗は苦笑いを浮かべながらも、おすすめだという料理をオーダーしてくれる。
オーダーが済むと手持ち無沙汰になり、沈黙が気になり始める。
とはいえ会話しようにも話題が思い浮かばない。
そんなとき藤原雪斗がサラッと言った。
「そう言えば彼氏は大丈夫なのか?」
「え?」
彼氏って……湊のことだよね?
どうして藤原雪斗が湊を知ってるの?
不審顔の私に藤原雪斗は直ぐに答えをくれた。
「宮本成美に聞いた。彼氏と同棲してるんだろ?」
成美に……そういうことか。
別に隠してないからいいけど、今はタイミングが悪すぎる。
つい顔に出そうになるのを耐えて、自然な態度で言った。
「大丈夫です」
連絡はしてないけど、湊は毎日遅いから私の帰り時間なんか気にしない。
でも、よく考えたら藤原雪斗の方がまずいんじゃ。
一応既婚者な訳だし。
「藤原さんこそいいんですか?」
「俺は自由だからな」
「……」
奥さんが可哀想過ぎる。
でも……湊も外ではそう言ってるのかもしれない。
湊も自由になりたいのかな?
それなのに私と別れないのはどうして?
「おい」
考え込んでしまったらしく、藤原雪斗が顔を覗き込んで来た。
思わずドキッとしてしまい、後退りしてしまう。
「……何だよ?」
「いえ、別に……」
生活態度は問題有っても、顔だけはいいから間近で見ると条件反射で、ドキリとする。
そんな事、本人には絶対に言わないけど。
「……やっぱり最近いっそう変だよな。営業部の仕事がそんなに嫌なのか?」
「え……そんなんじゃないですよ」
別に好きじゃないけど、もう異動しちゃったんだし割り切ってはいる。
「真壁にまた何か言われた?」
「いえ、言われてませんよ」
と言うより関わりが全く無い。
意図的に避けられてる気がするくらい。
「真壁さんとは大丈夫なんですか? この前結構キツい言い方だったから気になってたんです」
「ああ、あいつなら大丈夫だ。あの後も普通に話してるし」
じゃあ……私にだけ態度が変わったのかな?
それも少し怖い気がするんだけど。
それから少し仕事の話をしていると、料理が運ばれて来た。
色鮮やかに盛り付けられた料理は食欲をそそった。
空になったビールの代わりに、ワインを頼む。
最近は一人で寂しい夕食だったせいか、久しぶりに食事が楽しいと感じた。
鬱々とした気持ちも少し浮上する。
「藤原さんって意外に面倒見いいですよね」
「……そうか?」
藤原雪斗は怪訝な顔をする。
「異動したばかりだから私のこと気にかけてくれてるんですよね」
「ああ、それは……お前は特別。いつもは気にしたりしない、新入社員でも無いんだから異動くらい自分でなんとでもできるだろ?」
「そうですけど……」
でも、私は特別って?
意味深なその言葉に緊張を感じる。
藤原雪斗……何を考えてるの?
落ち着かない気持ちになった私に、藤原雪斗は驚くことを言った。
「秋野が異動になったの俺のせいでも有るから」
「どういう意味ですか?」
「江頭さんから総務から営業に異動させるとしたら誰が適任だと思う? って聞かれたから、何となく言っちゃったんだよ」
「……何を?」
「だったら秋野美月がいいって」
「な、何で!」
「いや、本当に何となく。と言うか他に思いつかなかった」
「……何で私は思いついたんですか?」
「いつも不機嫌そうで感じ悪いと思ってたからな」
「……」
そんな理由で。
しかもさり気なく悪口まで言われてる。
「まあ江頭さんも俺の意見だけで決めた訳じゃないだろうけどな」
そんなこと有る訳がない。
藤原雪斗の意見なら重要視されるはず。
「最低……」
ボソッと呟くと、藤原雪斗は眉をひそめた。
「そんなに営業部は嫌か?」
「……総務の仕事が合っていたんで。営業部はルールが曖昧だから正直私には向いていません」
もう仕方ないけど、できれば異動したくなかった。
「ふーん、でも営業部の仕事は秋野の為にもなるかもな」
「どうしてですか?」
「頭が固いのが直るかもしれないだろ?」
「私、そんなに頭固く有りませんけど」
「固いだろ? こう有るべきって思い込んでるし。既婚者が妻以外の女と仲良くするのは許せないとか……この前言ってただろ?」
「言いましたけど、それは当然でしょ? モラルの問題です」
「ふーん、けど人それぞれ事情も有るんだから自分の価値観が全てってのは違うだろ?」
「……」
「彼氏に対してもそんな態度? だとしたら息が詰まるんじゃないか?」
心臓がズキンと痛んだ。
息が詰まる……湊もそんな風に思っていた?
だから気持ちが離れた?
それよりどうして藤原雪斗にこんな事言われないといけないんだろう。
もうこんな話題は終わりにしたい。
「……仕事とプライベートは別ですから」
素っ気なく言って、一気にワインを飲み干した。
でも藤原雪斗はしつこかった。
「へえ、プライベートは違うって気になるな」
話し方も砕けて来てるし。
「会社では真面目で常識人って顔してるけど、私生活は自由だとか?」
そう言えば……この人以前も私に、欲求不満?とか聞いて来たんだった。
あの時もお酒の席だった。
完璧って言われる藤原雪斗は実はお酒に弱かったり……。
「何でもルール通りが好きかと思ってたけど、意外な一面が有るとか?」
どっちでもいいけど、私に絡むのは止めて欲しい。
こうなったら話題を変えるしかない。
藤原雪斗のテンションを下げる様な、嫌な話題に。
「私の話はいいですよ。それより藤原さんは何で結婚してること秘密にしてるんですか?」
予想通り、酔っ払い男は素に戻ったような白けた顔をした。
「別に秘密になんてしてない」
「してるでしょ? だって指輪もしてないし、みんな知らないみたいだし」
「会社でプライベートな話はしないからな」
私には遠慮なくデリケートな話を聞いて来るくせに。
「とにかく、あまり適当なことはしない方がいいですよ。奥さんが可哀想だし、何も知らないで藤原さんに寄って来てる子達も……」
「俺は結婚してるから親しく話しかけるなって言えってことか?」
「そんな極端な話じゃないけど、もっと自然な感じで……」
「面倒なことはしたくないんだよ、どっちにしろ社内の女と付き合う気は無いから問題ないだろ?」
社外だろうが問題は有りだと思うけど。
私がしつこく言うのもおかしいから黙っておくけど、やっぱり奥さんが可哀想。
藤原雪斗の奥さんってどんな人なんだろう。
端から見ると大切にされている様には見えないけど幸せなのかな。
それとも辛いけど別れられなくて悩んでるのかな……私みたいに。
「なんかまた暗くなったな?」
「いえ……」
あらゆることを湊に結び付けて、落ち込むのは止めたい。
我ながら後ろ向きだし、自分自身が嫌になる。
昔は浮気されたら迷わず別れるって思ってたのに。
今の私は自分でも嫌になる位、情けない女になっている。
仕事はうまくいかない。
長い付き合いの恋人とは、一年以上のセックスレス。
しかも浮気されてる可能性は限りなく高くて……少しずつ失われていく湊との絆。
そんな現状に不満を持ちながら、動けない自分。
ああ、もう嫌になる。
悲しい気持ち、悔しい気持ち、他自分でもよく分からない衝動。
それらが一気に込み上げて来る。
藤原雪斗の前だというのに、泣きそうになる。
そんなこと、絶対にいや!
今は考えちゃダメだ。
私は無心になって、新しいグラスに注がれたワインを一気に飲み干した。