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その一


笑理とのデートから一ヶ月が経ち、梢は笑理とプライベートでも仕事の打ち合わせでも顔を合わせており、充実した日々を過ごしていた。

まもなくして、『ひかり書房』の文芸部では、部長である高梨を筆頭に、梢をはじめとした文芸部所属の編集スタッフが集まり、今後の出版企画についての会議が開かれた。梢は笑理や久子の他に数名の作家を担当に抱え、同僚たちもそれは同じであった。新人作家発掘のために企画した公募では数多くの応募があり、最終審査に残った一人が『ひかり書房』からデビューをすることが決まったが、こちらは高梨が担当をすることに。

出版会議は、企画を検討するところでもあり、当然内容次第では著名な作家でも企画が通らないことがある。梢の担当する作家は笑理や久子を含め、企画がすぐ通ったので問題なかったが、内心久子の一件については、上手く口裏を合わせて企画を通してくれた高梨に、梢は深く感謝をしていた。


その日から、梢は連日残業が続いていた。作家の書いた原稿を読んでいる間は、作品の世界観に浸るため、時間を忘れて没頭することが梢にはよくあった。

「やっぱり、まだ残業してたのか」

現実世界に戻った梢がハッと頭を上げると、コンビニの袋を持った高梨が立っていた。

「あ、すいません。原稿読んでたら、時間忘れちゃって」

「無理するなよ。良いものを作るために残業する気持ちは分かるが、こういうのは変に根詰めたらかえって悪循環になるかな」

高梨は自分のデスクに戻る途中、袋からおにぎりと栄養ドリンクを取り出し、梢はそれを受け取った。

「ほら、エネルギー補給しろ」

「ありがとうございます」

「高梨部長も残業ですか?」

「出版会議も無事に終わっただろ。新人の子の編集をするだけなら良いんだけど、管理職って言うのは、他にもいろいろ雑務があってね」

苦笑しながら、高梨はPC眼鏡をつけて、パソコンを起動させる。

「そんなに遅くまで残業して大丈夫なんですか?」

「家で待ってる家族もいないからな。今の俺には、仕事が家族なんだよ。まあ、その仕事で家族を壊しちゃったけどさ」

「壊した……?」

梢は訝しそうに尋ねた。

「山辺君も、俺の過去の話知ってるだろ」

高梨が同僚や作家と浮名を流したという噂は、梢も耳にしたことがある。

「まあ、噂で聞いたことは……」

「噂じゃないさ、あながち間違ってないから」

パソコンで作業をしたまま呟く高梨を見て、梢は返す言葉が何も見つからなかった。



その二


新聞小説の連載が無事に終わり、梢から出版会議で企画が通ったことを聞かされた笑理は、早速新作小説の執筆を始めていった。

梢と交際をスタートさせてから、思えば初めて仕事を一緒にすることに気づいた笑理は、これまで以上に執筆に対しての集中力を高めていった。書斎兼作業部屋にあるデスクには、創作に関するメモやアイディアを殴り書きしたノートがあり、笑理はそれを見ながら作品を執筆している。

初稿を書き終えるまでの二ヶ月間、笑理は執筆に専念するために梢とのデートも行わない徹底ぶりだった。梢も考えを尊重してくれたことで、笑理は安心して執筆することができたが、初稿を書き終えた後も創作に対する時間を惜しまないほどである。

集中して聞こえなかったのか、ふとインターホンが何度も鳴っていることに気づいた笑理は、慌ててボタンを押した。

「笑理、いる?」

インターホン越しから聞こえたのは、梢の声だった。

「ごめん、今開けるね」

仕事終わりの梢は、コンビニスイーツを差し入れするために来てくれたのだ。

「初稿執筆、まずはお疲れ様でした」

「ありがとう。直しがあったら、いつでも連絡して」

「これから、じっくり読む。ようやく前の作家さんの修正が終わったから」

「同時進行で、何人もの作家さん抱えて大変だね」

「まあ、それが仕事だから」

苦笑して答える梢に対して、笑理は改まったように姿勢を直した。

「どうしたの、笑理?」

「あのさ、梢。今の作品が書き終わるまで、プライベートで会うのはやめない?」

考えた末での笑理の決断であり、梢に告げるのには随分と考えたものである。梢は優しく微笑んで、

「良いよ。笑理……いや、三田村理絵先生が良い作品を書くためだもんね。私もその間、編集者として装丁デザイナーさんや校閲部の人たちと協力して、三田村先生の新作を形にできるように頑張るから」

「ごめんね……梢」

「気にしないで」

梢がそう言い、二人は袋から出したプリンを食べ始めた。

「美味しいね」

と、梢は微笑んで笑理を見たが、笑理には梢の顔の奥にある寂しさを感じ取っていた。


自身のマンションに帰宅した梢は、靴を脱ぐなり玄関で小さくしゃがみ込むと、めそめそと泣き始めた。笑理の気持ちは理解していたが、仕事でいくらでも顔を合わせられる笑理と、プライベートで会えないということがこんなにも寂しいものなのかと。

「笑理……」

梢はブレスレットを強く握りしめながら、脳裏に笑理のことを思っていた。



その三 


笑理と会う時は仕事モードになろうと言い聞かせた梢は、一晩ゆっくりと眠り、翌日には三田村理絵の編集担当者の顔になって仕事に臨んだ。笑理の執筆した新作は高校を舞台にした恋愛もので、梢はミーティングルームでノートパソコンを立ち上げると、イラストレーターやデザイナーをリモートで繋げて、装丁デザインについてのディスカッションを始めた。

「私にとって、三田村理絵先生と初めてご一緒する作品なので、皆さんのお力添えをお願いします」

仕事でありながらも、やはり心から愛している笑理に喜んでもらいたい一心で、梢は画面越しにイラストレーターとデザイナーに頭を下げた。

それから梢は、笑理の執筆した初稿をじっくりと読みながら、作品における矛盾点や、登場人物の一人称や二人称の呼び方の整合性などを確認した。

あくまで恋人の笑理ではなく、担当作家の三田村理絵として接することを決めた梢は、初稿の気になった点を赤ペンでチェックし、それをスキャンしたデータを笑理にメールで送った。同時に、DTB部のオペレーターのもとへ行き、体裁などの打ち合わせを行い、本を作るための工程を少しずつ踏んでいった。


一方、梢からの原稿チェックを確認した笑理は、梢の指摘した部分を含めた二稿の執筆を進めていた。本が完成するまでプライベートで会わないと自分で決めたものの、やはり内心、梢に寂しい思いをさせてしまっていることを笑理は痛感していた。

笑理のデスクには、初デートの際に自撮りをした梢とのツーショット写真が、写真立てに飾られている。原稿執筆の合間、梢のことを思う笑理は、写真立てを手にすると、そこに笑顔で映っている梢をじっと見つめていることも多々あった。

「ごめんね、梢……」

自分が原稿を書き終え、梢が無事に編集者として本を作り終えるまでの工程が終わったら、ちゃんと梢と向き合う時間を作ろうと、笑理は心に決めていた。


数週間が経ち、一足先に原稿を進めていた久子の新作小説のゲラが完成した。印刷会社から届いたゲラを見た梢は、完成を目前にしたことでひと段落。

「何とか、ここまでできたな」

高梨も同じように確認すると、胸をなでおろしていた。

「高梨部長のバックアップのおかげで、トラブルも特になく、無事にここまでできました」

「西園寺先生は執筆には手を抜かないから、作業がスムーズなんだよ。あれで性格が良けりゃなぁ」

しょっぱい顔で呟く高梨を、梢は苦笑して見ていた。



その四


大学在学中に応募した文学賞をきっかけに小説家デビューをした笑理は、文学賞の主催先でもあった『ひかり書房』の他にも、別の出版社とも契約を交わしており、まさに売れっ子作家の一人でもあった。

連載していた新聞小説が無事に最終回まで書き終えた後、別の出版社から発売する小説の執筆に追われながら、梢とのやり取りを何度も交わし、無事に最終稿を書き終えることができた。梢の意見には妥協がなく、改めて担当編集者になってくれて良かったと、笑理は心底思っていた。

また装丁デザインのデータも、つい先日梢からのメールで確認をしたが、これもなかなかのクオリティだった。水彩画タッチの校舎のイラストに、『忘れられない青春』と書かれたポップなロゴマークは、今回執筆した笑理の作品に見事にマッチしていたのだ。

ゲラを持った梢が笑理のマンションを訪れたのは、室内にいてもセミの鳴き声が響くのがよく伝わる八月の下旬のことだった。

「こちらがゲラになります。最終確認、よろしくお願いします」

梢から封筒を受け取った笑理は、クリップに留められた分厚い校正データを取り出して、読み始めた。

「いよいよ、完成も目前になってきたね」

「はい。私も一通り確認して、あとは三田村先生の最終チェックが済んだら、そのまま校閲部にも最終チェックをしてもらいます」

「今回は時間かかったなぁ。プロットが出版会議で通って、そこから初稿を書き上げてさ……約三ヶ月半か」

笑理は感慨深そうに、カレンダーを眺めた。三ヶ月半、それはつまり梢とプライベートで会わなかった時間でもある。

「本ができるのは、いつ頃になりそう?」

笑理が尋ねると、梢はなおも仕事モードの顔で、

「ISBNコードも書籍コードも取得しましたので、後は印刷会社に完全データを入稿して、諸々の手続きを終えれば完成するので、遅くとも九月中旬には完成するかと思います」

「完成が楽しみね。他の作家さんのほうはどう?」

「全て順調に進んでます。出版会議は月一であって、その都度同時進行でいろんなプロジェクトが動いていくので、分身が欲しいほどですけど」

苦笑して答える梢を見て、笑理は改まったように姿勢を直し、

「ありがとう。私たち作家は、編集者の人がいるから、自分の原稿を形にしてもらえるの。これから、私のために力を貸して」

「もちろんです」

いくつもの仕事を抱えながらも自分に対応してくれる梢に感謝をし、笑理は優しく頷いた。



その五


九月中旬、笑理の最新作『忘れられない青春』は全国の書店や通販サイトで流通することになった。また同じ日、久子の最新作も日の目を見ることになった。

書籍発売の日ではあったが、梢にとってはいつもと変わらない一日だった。担当している作家の原稿を読んだり、デザイナーと装丁デザインに関する打ち合わせをしたり、日々の業務に追われていた。

久しぶりに定時で仕事を終えた梢は、無事に自分の担当している作家の最新作が出版されたことに安堵したのか、自身のマンションに着くと、ドッと疲れが出たようでベッドにそのまま横になった。するとインターホンが鳴り、気だるそうに体を起こしてモニターを見た。

「笑理……」

画面に映った笑理の姿を見て、梢は慌ててドアを開けた。

「どうして……」

梢が尋ねたが、笑理は黙ったまま梢を強く抱きしめた。

「ごめんね。長いこと、寂しかったよね。梢のおかげで、無事に作品が世に出た。ありがとう」

こんなに密着できるのは約三ヶ月半ぶりで、梢の顔にも笑みが浮かんでいる。

「ずっとお預けになってたもんね。でも、もう我慢することないよ」

「とにかく上がって」

梢は笑理の手を取って、そのまま居間に案内した。


やがて、ベッドに座っていた梢は、背後の笑理からバックハグをされ、幸せなひと時を過ごしていた。

「やっとこうやってできる」

笑理からささやかれ、梢の腕には鳥肌が立っていた。

「そうだね」

「梢、頑張ったね。西園寺久子の作品も無事に完成させてさ。さすが『ひかり書房』の編集者」

「いろいろ大変だったけど、形にできて良かった」

笑理に頭を優しく撫でられた梢は、キスの流れだと思い瞼を閉じた。が、何も起きなかったので、もう一度目を開くと、じっとこちらを見つめる笑理の顔があった。

「もう……」

照れた梢の耳は、真っ赤になっていた。

「どうした?」

「今の流れ、キスだと思うじゃん。だから待ってたのに」

「ごめんごめん。三ヶ月半頑張った、ごほうびのキスあげるね」

「うん」

梢は嬉しそうに大きく頷くと、もう一度目を閉じた。そして同じように目を瞑った笑理からのキスを受け入れた。

笑理からブラウスのボタンを外されることに気が付いた梢は慌てて、

「待って。今日、下着地味なんだけど……」

「そんなの気にしない。どうせ最後は全部脱ぐんだから」

笑理を受け入れた梢は、そのまま服を脱がされた。やがて二人は、三ヶ月半ぶりに一夜を共にし、爽やかな朝を迎えたのであった。

私と先輩のキス日和

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