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「お二人とも、もし今⋯⋯
お一人なのでしたら
ここにずっと居ませんか?」
その言葉は、湯気の中に溶けるように静かで
けれど心の奥深くまで届く
真っ直ぐな響きを持っていた。
レーファとエルネストは
時也の言葉を聞いた瞬間
まるで
世界の言語を初めて耳にした子供のように
同時に彼を見つめた。
不思議そうに──
戸惑うように──
それでいて、どこか
心の奥が微かに震えるような目だった。
それは
〝生まれて初めて〟
何かを与えられた者の目だった。
レーファは、唇をわななかせながら
そっと視線を逸らした。
エルネストは、虫のように無表情のまま
しかしどこか真剣に
時也の顔を見つめ続けていた。
「ここでしたら
もし異能が制御できない時があったとしても
僕も、アリアさんも居ますし
頼れる仲間たちがいます」
言葉を重ねる時也の声音には
押し付けるような圧力は一切なかった。
ただ、まるで
春の桜がそっと枝を伸ばしてくるように──
〝いつでも掴んでいい〟と
手を差し伸べるその姿があった。
その優しさは、刃よりもスッと心を貫いた。
──ずっと、誰も居なかった。
気付かれぬように。
拒絶されぬように。
触れるものを腐らせぬように。
傷つけられる前に
見えない殻に閉じこもっていた。
でも──
ここには、傷つけられてもなお
誰かの傍にいようとする者が居た。
命を奪われてもなお、再び咲く者が居た。
レーファの肩が、ふるりと震えた。
そのまま、視線を膝の上に落とし
指を絡めながら、小さく呟く。
「⋯⋯わたしなんかが居ても⋯⋯いいの?」
それは
誰にも答えてもらえなかった問いだった。
存在を認められることのなかった少女の
かすかな祈り。
エルネストは彼女を見つめ
そして言葉を重ねることなく
時也に視線を向けた。
時也は、ふたりの問いを
迷いなく抱きしめるように、微笑む。
「もちろんです。
僕は、お二人に居てほしいと
思っています。
……ここは、あなた達の居場所になれると
本気で思っているんです」
そして、そっと手を差し出した。
レーファの肩に添えられていた手を
ほんの少し下へと動かし
その指先で
彼女の手を、やわらかく包み込む。
彼女は戸惑いながらも
ゆっくりとその手を握り返した。
冷え切った指先が、時也の体温を受け取り
じんわりと熱を帯びていく。
対するエルネストは
一歩だけ、時也に近づいた。
なにかに導かれるように、彼もまた
その掌に手を重ねた。
大人びた顔立ちの中に
子供のような戸惑いが残る青年と
過ちを繰り返しながら
赦されることを知らなかった少女が
今──
一つの掌の中で、つながった。
見つめていたアリアは
無言のまま、三人の姿を見つめていた。
瞳の奥には
決して消えることのない絶望の光と
それでも灯し続ける〝希望〟という名の火が
揺らめいていた。
ティアナは、窓辺で静かに尾を揺らしながら
まるで〝その時〟を見届ける聖獣のように
目を細めていた。
──そして
その空間に、桜の香りがふわりと立ち込める
それは
誰にも拒まれず、誰にも脅かされない
あたたかくて、静かな
命の居場所の匂いだった。
「レーファさんは、先程のお部屋を。
エルネストさんは
その隣のお部屋を使って頂こうかなと
思ってます。
家具など、最低限の用意はありますが
もし他に必要な場合は
遠慮なく仰ってくださいね?」
時也が、湯気の残る茶碗を下げながら
穏やかに声をかけた。
その語り口は、まるで家族の一員として
迎え入れる者のようで──
言葉に込められた温度が
ふたりの間に新たな空気を生み出していた。
しかし、返ってきたのは
少しだけ予想外の言葉だった。
「俺は⋯⋯さっきの庭が、いい」
エルネストがぽつりと呟く。
その蘇芳の瞳は
遠くの景色を思い出すように
ぼんやりと虚空を見つめていた。
「お庭⋯⋯ですか?」
思わず、問い返すように時也が首を傾げると
エルネストは静かに頷く。
「虫たちが⋯⋯
あんたの育てた植物の傍が、心地好いって」
その言葉には、嘘も飾りもなかった。
まるで
誰かに命令されたように語るのではなく──
ただ〝そう聞こえた〟から
そう話しただけだった。
時也は、数秒だけ思案し、そして微笑む。
「それは、光栄ですね。
ですが⋯⋯うーん⋯⋯あ!」
小さく指を鳴らし
何かを閃いたように笑みを浮かべた。
「では、少し小さくなるかもですが
小屋でも建てましょう。
それまでは
お部屋で我慢してもらえますか?」
その提案に、エルネストは少し考えたのち
無言で小さく頷いた。
それは不満を押し殺したものではなく
むしろ〝譲歩〟という感情を
学び始めた証のようだった。
だが──
次に吐かれた言葉は
胸を締め付けるようなものだった。
「別に⋯⋯小屋もいらない。
ずっと、外にいた」
その声には、悲しみも怒りもなかった。
ただ、それが〝当たり前〟であるように
淡々と語られた。
外気の冷たさ、雨の重み
虫たちが集う木の陰──
それが
彼にとっての〝居場所〟だったのだ。
時也の瞳が、ふっと曇る。
それは憐れみではない。
痛みを知る者だけが感じる
深い共鳴の色だった。
彼は椅子から立ち上がると
エルネストの前に膝をつき
下から見上げた。
その瞳は、何も隠さず
まっすぐに彼を映していた。
「それは、駄目ですよ」
その言葉には
優しさと、確固たる拒絶があった。
「貴方も、レーファさんも
もう家族なのですから。ね?」
一言、一言を、言い聞かせるように。
そして、祈るように。
その声は、やがて沈黙の中に
確かな形を持って響いた。
エルネストは目を見開いた。
〝家族〟という言葉が
自分に向けられたことなど
かつて一度でもあっただろうか。
虫たちは、必要な言葉しか使わない。
微細菌たちは
共に棲みつく場所しか求めない。
だが──
人が〝共に在ること〟を肯定するこの感情は
初めてだった。
それを感じてしまった瞬間
彼の唇が微かに震えた。
だが、何も言わないまま、ただ──
小さく、もう一度頷いた。
時也は立ち上がると
その頭にそっと手を添え、ゆっくり撫でる。
その隣では、レーファが静かに身を寄せ
どこか安堵したように
胸元の布をぎゅっと握っていた。
──夜が近付いていた。
だが
光は確かに彼らの中に、灯っていた。
それは小さな灯火。
けれど、風にも揺るがぬ
〝居場所〟の灯りだった。