テラーノベル
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(しかし、どうしましょうか⋯⋯
このお二人の異能の特性上
接客は厳しいでしょうし⋯⋯
アビゲイルさんに
家の中の事はお願いしてある。
かといって、お部屋に閉じ篭りっぱなしでは
気も滅入るもの)
湯気が落ち着いた茶碗を重ねながら
時也はふたりの姿を交互に見つめていた。
ひとりは微細菌。
ひとりは虫。
人が忌避する存在を内に宿し
孤独を生きてきたふたり。
だが今、こうして自らの隣に並んで座り
まるで猫のように身を寄せて
食事をしている彼らに
〝普通の仕事〟を求めるのは酷というものだ
(けれど、閉じ込めてしまえば
また過去の檻に戻ってしまうでしょうね)
その思考の中で、ふと──
時也の脳裏を想像として過ぎったのは
彼ら庭に居る情景だった。
虫たちが舞い、土に微生物が生きる。
根が張り、命が芽吹く場所。
虫と微細菌。
それは──植物にとっての〝共生〟そのもの
「共生──それです!」
思わず口にした言葉に
ふたりが同時に肩を跳ねさせた。
レーファは驚いたように目を見開き
エルネストは僅かに警戒するように
時也の手元を見つめていた。
だが、時也はそのまま優しく微笑むと
両手を膝に置き、ゆっくりと口を開いた。
「お二人に
お庭の管理をお願いしても良いでしょうか?
お二人の異能があれば、僕の庭の花たちは
さらに美しく咲き誇れると思うんです」
その提案に──
最初に反応したのは、レーファだった。
「お花⋯⋯わ、わたしも⋯⋯すき!
やる、やりたい!」
声は上擦り、勢いもありすぎて
自分でも驚いたのか手を口に当てていた。
だがその目は
まるで光を取り戻した
子供のように輝いていた。
エルネストはしばし無言だったが
やがて口を開いた。
「⋯⋯やる。
花を食わせないように、言う」
それが──
彼なりの〝やる気〟の表明だった。
時也は微笑を深めると、そっと立ち上がり
ふたりの前で頭を下げた。
「ふふ。
では、喫茶桜の庭師として
よろしくお願いいたしますね。
レーファさん、エルネストさん」
レーファは、手をぎゅっと握って
胸元に寄せながら
緊張と興奮の入り混じった声で叫んだ。
「は、はい!」
その横で、エルネストも一度だけ頷いた。
「⋯⋯わかった」
窓の外。
夕日が差し込む庭では
桜の葉が風に揺れていた。
葉の間を舞う小さな羽虫たちが
どこか浮き立つように空を描いている。
部屋の隅
寝台に凭れながらそれを見ていたアリアは
目を伏せた。
──懐かしい、景色だった。
腐敗の魔女も、虫の魔女も
かつては植物の一族として庇護を受けていた
その力は破壊ではなく、再生を司る。
命が終わる場所に、新たな命を芽吹かせる
自然の営みそのものだった。
あの時代、彼女たちは──彼らは──
豊かな土壌に立ち、笑っていた。
すべての魔女たちの未来のため
そして、世界を浄化するために
力を振るっていた。
その姿を思い出すたび、胸に疼くのは
喪失と誇りがない交ぜになった痛みだった。
(⋯⋯そうだ。
お前たちは、生命を枯らす力ではない。
土を、豊かにする者)
アリアの唇が、ほんの僅かに動いた。
誰にも気付かれぬほど、わずかな微笑。
──そしてまた
あの庭に、新たな命が根を張ろうとしている
二つの孤独が、今度こそ誰にも奪われぬ
〝居場所〟を手にするために。
「では、明日改めて
他の皆さんにお二人を紹介いたしましょう。
今日はどうか、それぞれお部屋で
ゆっくり休んでいてください」
そう優しく微笑んだ時也に
二人は一度だけ小さく頷いた──かに見えた。
だが、次の瞬間──
「お前は⋯⋯この家の、何処にいる?」
低く、迷いの混じった声と共に
エルネストが時也の袖口をそっと摘んだ。
その指は、細く硬く、けれど必死だった。
時也が驚いたように目を向けると
反対側でも同じように──
レーファが
小さな手で時也の袂を握っていた。
言葉はなかった。
だがその手から伝わるものは
あまりに率直で、あまりに幼かった。
(⋯⋯一緒にまだ居たい
という意味ですかね?)
時也は胸の奥に
じんわりと広がる温かさを感じながら
そっと苦笑した。
「僕は、アリアさんと
もう一人の方の看病がありまして⋯⋯」
少し寂しげに
ふたりの手を包み込むように撫でながら
それでも、きっぱりと優しく伝える。
「大丈夫ですよ。
何か伝えたいことがあれば
窓際に居る烏に話し掛けてください」
「⋯⋯からす?」
エルネストが訝しげに問い返す。
「えぇ。
異能ではありませんが⋯⋯
その烏は
僕の目であり、耳でもある存在です。
また後日、それについても説明いたします」
静かな夜の光が、窓硝子に反射する。
その先にある木の枝には
黒羽を静かに休めた一羽の烏が
まるで見守るように居た。
それを横目に見ながら
時也は盆を手に取り、すっと立ち上がる。
「では、お部屋にご案内いたします。
こちらへ──」
最後にアリアへ視線を送り
微笑で会釈を交わすと
時也はふたりを連れて
ゆっくりと部屋を後にした。
廊下の柔らかな照明のもと
レーファは数歩ごとに
何度も後ろを振り返った。
エルネストは無言のままだったが
歩幅が少しだけ時也に寄っていた。
それぞれの部屋に、優しく扉を開けて導く。
レーファにはティアナが一緒についていき
布団の上にくるまる姿を見守った。
エルネストは、観葉植物の傍に座ると
しばらくじっと黙っていたが
やがてベッドへと横たわった。
時也はふたりの姿を見届けると
盆を抱えて静かに階下へと降りていった。
キッチンに戻ると、彼は静かに蛇口を捻り
使った食器をひとつひとつ丁寧に洗っていく
その所作は
まるで何かを清める儀式のように
静かで穏やかだった。
その時だった──
コツ、コツ──⋯
キッチンの窓が
外から小さく叩かれる音がした。
ふと振り向けば、黒羽の烏がそこに居た。
濡れたような瞳が
じっと時也を見つめている。
「⋯⋯レーファさんですね?」
時也がその目を見つめ返した瞬間
まるで感覚がつながるように──
彼の脳裏に、訴えかける心の声が届いた。
静かな願い。
細い声。
そして──
忘れていた視点からの〝解答〟
「──なるほど、その方法がありましたか!」
思わず声を上げる時也に
背後から苛立った声が飛ぶ。
「なんだよ、急に声上げやがって」
ソーレンがソファーに凭れたまま
眉を顰める。
だが、時也はその声に気を払う暇もなく
すぐに盆を布巾で拭い
手早く片づけを終えると
素早く襷を解いて袖を整えた。
「ソーレンさん、すみません。
ですが、レイチェルさんを早く治す方法が
見つかりました!
行ってきますね!」
「は?おい!教えてけよ──
って、行っちまった」
時也の背中は
まるで何かに突き動かされるように
夜の家の中を軽やかに駆けていく。
彼の心には、もう迷いはなかった。
背後で
呆れたように腕を組むソーレンの隣で
アビゲイルがぽつりと呟く。
「でも、あんなにお急ぎになるって事は
確実な案なのでしょうね」
カップの中で揺れる
ティースプーンが微かに音を立てる。
その音はまるで
誰かの希望の足音のように聞こえた。
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