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——だからこそ。
誰も、言葉を選ばなかった。
選べなかった。
留三郎が、弦の背中に回していた腕に力を込める。
逃げられないほど、でも壊さないように。
小平太も、反対側から抱き寄せた。
勢いじゃない。
覚悟を込めた力だった。
弦の体が、びくりと震える。
「……っ」
声を出そうとして、失敗する。
そのまま、二人の胸に顔を埋めた。
伊作は一瞬だけ迷ってから、弦の頭に手を置いた。
撫でない。
落ち着かせるためでもない。
ただ、そこに手があることを伝えるために。
文次郎と仙蔵は背後から、
長次は弦の手を、
誰一人、言葉を挟まない。
強く、静かに、
逃げ道を塞ぐように。
——慰める資格はない。
——分かったふりも、できない。
弦の苦しみは、
誰かの言葉で軽くなるものじゃない。
だから、話さない。
「大丈夫」も、
「仕方なかった」も、
「お前は悪くない」も、
全部、言わない。
弦の嗚咽だけが、胸に直接伝わってくる。
肩が揺れる。
息が乱れる。
体温が、必死に縋ってくる。
「……英二郎……」
掠れた声が、また落ちる。
誰も、否定しない。
誰も、遮らない。
ただ、腕に力を込める。
——逃がさない。
“一人にはしない”
それだけを、体で示す。
弦は、声が出なくなるまで泣いた。
それでも、抱きしめる腕は緩まなかった。
慰められなくてもいい。
分かり合えなくてもいい。
今はただ、
ここにいることだけが、
自分たちにできる、唯一のことだった。
弦の嗚咽は、少しずつ小さくなっていった。
肩の揺れが、間延びする。
息が、途切れ途切れになる。
「……っ……」
最後に、かすれた音が喉から落ちて——
弦の体から、力が抜けた。
留三郎の腕の中で、重さが変わる。
「……寝たか」
誰に言うでもない、低い声。
伊作は、弦の顔をそっと覗き込んだ。
涙で濡れた睫毛が、そのまま伏せられている。
眉間には、まだ強く力が入ったまま。
深い眠りじゃない。
気を失うような、落ち方だった。
「……ここ何日も、寝てなかったんだ」
伊作の声が、わずかに震える。
英二郎がいなくなってから。
弦は、ほとんど眠っていなかった。
夜になっても横にならず、
朝になっても起きたまま。
食事も取らず、
水すら、意識しなければ口にしない。
心配していた。
探していた。
戻らないと分かっていても。
「……限界だったんだな」
文次郎が、低く言う。
仙蔵は、目を伏せたまま動かない。
——自分だったら。
そんな想像は、もう何度目か分からない。
それでも、胸の奥が締めつけられる。
小平太が、弦の背中を支え直す。
「……軽いな」
その一言に、全員が黙った。
長次は、弦の手をそっと離し、
布団を引き寄せる。
起こさないように。
揺らさないように。
弦は、何も知らずに眠っている。
泣き疲れて、
気力も体力も尽きて。
それでも、眉はまだ苦しそうに歪んでいた。
「……英二郎……」
眠りの中で、微かに名前が零れる。
誰も、応えない。
誰も、訂正しない。
ただ、その声が消えるまで、
弦を支えたまま、離れなかった。
その夜、六年生たちは誰一人、部屋を出なかった。
弦が、目を覚ますまで。
いや——
目を覚まさなくても。
そこに、い続けるために。弦の呼吸が、少しずつ整っていく。
浅く、苦しそうだった息が、
時間をかけて、ゆっくりと落ち着いていった。
留三郎は、腕の中の重みを確かめるように、
ほんのわずかに力を緩める。
伊作は弦の額に手を伸ばしかけて、途中で止めた。
触れたら、起こしてしまいそうだった。
——起こしたくなかった。
ここ何日も。
弦は、まともに眠っていない。
英二郎が戻らないと分かってからも、
戻るかもしれないと信じて、
ずっと起きていた。
食事を抜いていることにも、
眠っていないことにも、
誰よりも弦自身が気づいていたはずなのに。
それでも、やめられなかった。
「……探してたんだよな」
文次郎が、低く言う。
「戻る理由を」
仙蔵は黙ったまま、
弦のやせた肩に視線を落とす。
——もし、同室を失ったら。
そんな仮定は、
もう頭の中で何度も繰り返してしまっていた。
だからこそ分かる。
これは、気合や時間でどうにかなる疲れじゃない。
長次が、布団を静かに掛け直す。
弦の体は、布の中で小さく丸まった。
逃げるみたいな姿勢。
「……食ってないし、寝てない」
小平太が、ぽつりと呟く。
「それで、泣くのも我慢してた」
誰も反論しなかった。
伊作は、そっと腰を下ろす。
「……起きたら、また全部戻るかもしれない」
「それでも」
留三郎が、短く言う。
「今は、寝かせる」
それが、全員の一致した考えだった。
慰めない。
励まさない。
前を向かせない。
ただ、生きるために必要なことだけを守る。
弦の手が、眠りの中でわずかに動く。
何かを掴もうとするみたいに。
長次は、その手の近くに自分の袖を置いた。
握られても、いいように。
弦は、無意識に指を絡める。
「……英二郎……」
また、名前。
六年生たちは、
その声を止めようとしなかった。
夜は、まだ深い。
そして弦は、
久しぶりに、
何も考えずに眠っていた。