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父さんへ。 昨日で、父さんと別れてから九年が経ったと知りました。
たくさん、兄弟ができたと聞きました。そちらの暮らしはどうですか?大人数で、一つ屋根の下で賑やかに暮らせていて。楽しいですか?……きっと楽しいに決まってますよね。父さんが寂しささえ感じていなければ嬉しいです、なんて思っていたけれど───寂しいわけがないよね。
父さんと暮らせている兄弟がうらやましいです。早く、父さんにも、兄弟たちにも会いたいなぁ……
父さんの顔は、正直言ってもう覚えていません。九年前に別れたっきりなんだから、当たり前なのかもしれないけど。去年、やっと十歳になったんだよ。でも、父さんが俺を抱いてここまで来てくれた、その時の温かさは、……ちゃんと、覚えてるから。
……父さん。父さんも、会ったことはないけど他の兄弟たちも、愛しています。父さんが俺に与えてくださった性を、無理やり変えないと生きづらいのは、どうか許してほしいけれど───俺、頑張って良い子でいるから。
だから、父さん。
どうか、早く迎えに来てください。
食事の時の彼の役割は、無論、料理自体を手伝うこともあったが、主には皿を並べることだった。人数分、食堂に置かれた大きなテーブルの上に、きっちりと白い皿を並べてゆくのだ。長方形で縦に長いテーブルの、短辺の部分には父親一人が座り、その他大勢いる子どもたちは長辺のところに向かい合うようにして座る。父親と、自分含めた子どもたち全員分の皿を余すことなく並べてゆくのが、彼の大事な役目だった。
「ありがとう。……今日の夕食はシチューだ。たくさん作ったからたんと食えよ」
父がそう言いながら、近くに立っていた彼の頭を撫でた。父はその足取りで大きな鍋を手に持つと、テーブルに沿うようにして歩きながら一枚一枚のお皿に鍋の中身を注いでいく。その様を近くで見ていた彼は頬を上気させた。皿には次々と、様々な具材がふんだんに使われた一見して「うまい」と分かるシチューが注がれていき、すぐになんとも良い香りが立ち上ったからだ。
「さぁ、食事の時間だ。弟たちを呼んできてくれないか、ロシア」
鍋を置いた父にそう声をかけられ、ロシア、と呼ばれた少年はこっくりと頷いた。彼はそのままキッチンを走り出ると、二階に向かって駆け上がった。階段を上がったすぐそこは、長い長い廊下だった。その廊下に、ドアがいくつも並んでいる。閉じているものもあれば、開いているものもあった。
「…………」
首をぐるりと巡らせてドアを一望すると、ロシアは廊下の始まりに立ったまま、一度深呼吸した。それから、大声で叫んだ。
「みんなぁああああああ!食事の時間だぞぉおおおおっ!」
叫んだ勢いのまま、ロシアは飛び出した。しまっているドアを片っ端から開けていく。開いたドアからは、「わあっ、びっくりした!」だの「すぐいく!」だの、「ノックしてよ!」とませた声だのが元気よく飛び出す。元から開いていたドアの部屋からは、すでに何人かが廊下に顔を出してきていた。
「みんなっ、ご飯できたよ!下に降りて食べよ!」
ロシアは廊下を一巡りすると、各自自室から出てきた子どもたちに向かってそう言った。子どもたちは皆、ロシアよりは小さかった。彼らは一斉にワッと湧いた。ロシアより先に飛び出して階段を駆け下りていく者、仲の良い兄弟とじゃれあいながら下りてゆく者、ロシアに抱っこをせがむ者、手を繋ぎたがる者、様々だった。それら全てに応えるロシアは、どこか、彼らより落ち着いた雰囲気を醸し出していた。何を隠そうこのロシアこそが大勢いる兄弟らの一番上の兄、長男だったのである。
「お兄ちゃん、今日の晩御飯なに?」「シチューだよ」「豚肉は?パンと一緒に食べるやつ!」「確か父さんが用意してくれてたはずだよ」「黒パンは?黒パンはある!?」「あるよ」「やったぁああ!」「モルダ、黒パン好きだもんね」「お兄ちゃん抱っこー」「はいはい」
わらわらと階段を降りていく兄弟らの最後尾に、アルメニアを抱き上げたロシアが続く。そのアルメニアとそう歳が変わらないアゼルバイジャンが「やーい甘えんぼ!」などと言いながら二人を抜かしていったものだから、言わずもがなアルメニアはロシアの腕の中で激昂した。
「お兄ちゃんおろして!おろして!アゼル待て!待てったら!」
「ちょ、待っ、アルメ待ったここで暴れんな!」
階段半ばでジタバタする兄と弟を尻目にキッチンに駆け込んだアゼルだった。しかし逃走劇もそう長くは続かず、中で待ち構えていた父にあえなく捕獲されてしまう。
「こらアゼル、キッチンの中では走らない」
大きな手に抱え上げられた彼は、脱力して父の顔を見つめた。
「とうさん下ろして……逃げないとアルメに殺される」
「はぁ?」
真顔でおかしなことを言う幼い息子を前に、彼は吹き出した。ロシアが暴れまくるアルメをどうにか抱えながらキッチンに入場してきたのを視界の端に捉えたからだ。
「アゼルっ!さっきのもう一回言ってみろ!こっち来い!今度こそこちょこちょの刑に処してやるんだから!」
「やだ!やだぁ‼︎ 」
下ろした途端にアゼルを抱えた父親の元に駆けてゆくアルメニアと、高いところから必死に下りまいと父の洋服をがっちり掴んで離れないアゼルバイジャンだった。そんな彼らを横目に、ロシアはキッチンを出て、連結した隣の部屋に入っていった。そこには、大きなベビーベッドが三つ、備え付けられていた。
しばらく部屋の入り口に立ってベッドを眺めていたロシアだったが、やがてさもおかしそうに微笑んだ。
「まーたお前たちは一つのベッドで寝てんのか……よく飽きないな。窮屈じゃないのか?」
優しい声音でそう話しかけたロシアは、並んだベッドの真ん中の一つに歩み寄った。覗き込んだそこには、あろうことか、一歳になるかならないかくらいの赤ん坊が三人、もみくちゃになりながら布団にくるまっている。
「……リトアニア、ラトビア……お前たちまたベッドの柵を越えたんだろう。危ないからよせって、あれほど……まあまだわかんないか」
ロシアは苦笑しつつゆっくりと手を差し伸べ、そのうちの一人を抱き上げた。
「……あぅ」
抱き上げられた彼女は兄の顔を見つめて小さく声を上げた。ロシアは笑いかけてやった。
「もうちょっと待っててな。そのうち父さんが、お前たちの分のご飯持ってきてくれるから」
言いながら腕の中の彼女の額に、頬擦りするように自分の頬を押し付ける。ロシアはしばらくそうしていたが、やがて安心したように目元を緩めた。
「……良かった。熱、下がったみたいだな。えらいぞ、エスティ」
兄に名を呼ばれた彼女は嬉しそうに笑った。ロシアは抱き上げていた彼女をベッドに下ろしてやると、小鳥のように身を寄せ合ってこちらを見上げる残りの二人にも笑いかけた。
「リトもラトももう少し待っててな、良い子だから」
二人の頭を交互に優しく撫でてやると、ロシアはもう一度笑いかけ、部屋を出ていった。キッチンに戻ると、すでにテーブルにはほとんどの兄弟らが腰を下ろしていた。
「父さん。エスティ、熱下がってたみたい。リトもラトも元気そうだったよ」
ロシアがキッチンの入り口でそう声を上げると、子供らのコップに飲み物を注いでやっていた父が顔をあげ、ロシアを見た。
「そうか、……よかった……ハァ……」
彼は安心したようにため息をつき、目元を覆うように額に手をやった。ロシアは父の目元にうっすらできたクマを見つめ、彼が数日間、夜通し三つ子の看病をしていたおかげで寝不足であることを思い出していた。
「ロシア、エストニアたちのところに行ってくれていたのか。ありがとうな」
父にそう言われ笑いかけられて、ロシアはブンブン首を横に振ると、自分の席まで駆け込んだ。椅子に座るなり父に笑顔を向ける。
「食べ終わったら食器洗ってあげるね!」
彼はにっこりと笑い、ロシアの頭に手を置いた。
彼らの父親が言わずもがな、世界を二つに両断する張本人、ソ連であったことは言うまでもない。
「皆、いるな……では、食べる前に祈りを捧げようか」
父・ソ連の静かな声がする。あんなにはしゃいでいた子供らは皆、席についたまま素直にうなだれた。ソ連の声が、滑るように、厳かに、子供らの間を縫って響く。
「主よ、……ここにいるもの全てに代わって、今日も食糧にありつけたこと、今日も家族皆で食卓を囲めること、その全ての奇跡に感謝いたします……」
父の、低く心地よい声が耳に滑り込んでくる。ロシアも下の兄弟も、静かにその祈りの声に聞き入っていた。
やがて、父の声は止んだ。祈りを捧げ終わったのだ。子供らは顔をあげ、父の顔を見た。ソ連はにっこりと笑った。
「さあ、みんな、食べようか」
途端に、ワッと食堂内が沸いた。みな、思い思いに手を伸ばし、食事を始める。ロシアも負けじと目の前のシチューにがっついた。まだまだ彼も、年齢にして十一歳ほどの育ち盛りの少年だった。空きっ腹に詰め込むように一心不乱にシチューやパンを詰め込んでいく。その手は皿の中が空になるまで止まることはないと思われたが、二、三口食べたところで彼はふと、その手を止めた。ぼんやりとしたロシアのその目は、彼の目の前、誰も座っていない空席に注がれている。
ロシアの隣では、すぐ下の妹であるベラルーシがパンを頬張っていた。そしてベラルーシの目の前にはさらに弟のカザフスタンが座り、夢中で肉にかぶりついている。それらがずらっと下座の方まで続いているわけだが、皆、自分の目の前に誰かしら他の兄弟が座っていた。しかし、ロシアの前だけ、空席だった。ぽっかりと空いたその空席は、どことなく、寂しさを漂わせていた。
「……父さん」
おもむろにロシアは、自分の隣、上座に座る父を呼んだ。ソ連はすぐに食事の手を止めてロシアを見た。
「……どうした?」
「……」
ソ連の呼びかけにはすぐに答えず、ロシアはしばらく父の顔を見つめていたが、やがて視線を前に戻しながら、静かな声で聞いた。
「……俺の前の子、いつ、来てくれるの」
「……」
ソ連は無言でロシアの前の空席に目を移した。それから、やがて、雪が降り積もるような静かな声で答えた。
「……来年、だ」
「来年?」
「そう、来年。今からちょうど一年後だ」
ロシアはソ連の顔を見た。彼は、穏やかな笑みを顔にたたえている。
「一年後、父さんが迎えに行く。絶対に、だ。多少寂しいかもしれないが……だから、それまでもう少し、待っていてくれないか」
ロシアはこっくりと頷いた。
「……確か、女の子だったよね」
「そうだ」
「俺の、………すぐ下の、妹」
「そうだ。……そして、ベラたちのお姉ちゃんになる」
「………………………、………名前は?」
「……ロシア。それは」
不意にロシアは微笑んで父を見た。それから首を横に振った。
「ううん、ごめん、父さん。父さんが名前を言えないのは分かってる」
「……ロシア」
「ごめんなさい。でも、やっぱりちょっと、気になっちゃって」
父は少しだけ顔を歪めた。どこか泣きそうな顔で、息子の名を呼んだ。ロシアが続ける。
「病気、なんだっけ。その子。名前を言うとその子のからだに障るから、だから、名前を聞いちゃいけないんだよね」
「ロシア……」
「大丈夫、分かってるよ」
にっこりと笑って見せる。ソ連の顔は、いまだに寂しそうなままだった。
「一年くらいすぐだもん。待てるよ、俺。お兄ちゃんだもん」
ソ連は手を伸ばして、さも愛おしそうにロシアの頭を撫でつけた。ウシャンカの下、ロシアは嬉しそうに目を細めた。
これが、彼らの日常の風景だった。ソ連は子らを平等に可愛がり、その長男・ロシアは一番上の兄として、弟たちの面倒を甲斐甲斐しく見ていたし、兄弟らもまた、時々喧嘩はすれど仲良く日々を過ごしていた。
しかし。
「……お兄ちゃん。私のお姉ちゃんはいつ来るの?」
ふとベラルーシが、ロシアの服の裾を引っ張りながらそう聞いたことがある。ロシアは戸惑った。ロシア自身にも、その答えはわからなかったから。だから、曖昧な答えしか言ってやれなかった。
「……いつか、きっといつか、会えるから」
ベラルーシはイヤイヤするように首を横に振った。
「……すぐがいい。ベラ、お姉ちゃんに、会ってみたい」
「ベラ……」
ロシアは自分とそう背丈の変わらない妹にかがみ込み、優しく抱きしめてやった。
「大丈夫。父さんは嘘をつかない。きっと、いつか、すぐに会えるよ」
「……本当?」
「うん。……きっと、来年中には」
「………」
ベラルーシは目に涙を溜めて頷いた。ロシアは微笑んで、妹の頭を撫でてやった。
兄弟仲は良い。でも一人、欠けている。
兄弟の中でも物心ついたばかりの何人かは、未だ会ったことのない彼女の存在に憧れ、時に寂しがり、時に思いを馳せていた。
ロシアもそのうちの一人だったことは、言うまでもない。