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井戸の底には、水ではなく、横穴のトンネルが続いていた。
壁は土ではなかった。脈打つような黒い岩肌で覆われ、触れると生温かい。
まるで巨大な生物の食道の中を歩いているような感覚に、強烈な吐き気を催す。
松明(たいまつ)の炎が青白く燃え、一行の影を長く不気味に引き伸ばしていた。
「彰悟くん。……私、ちょっと怖い」
瑠璃羽が彰悟の学ランの裾を掴む。その手は小刻みに震えていた。
彰悟は彼女の手を、力強く握り返した。
「大丈夫だ。俺が側にいる。……何とかなるっしょ」
軽口を叩くが、その掌も汗ばんでいる。
彰悟自身も、恐怖で足が動かなくなりそうだった。
「な、何なのここは……悪夢(ナイトメア)だわ」
先を行くエリザが悲鳴を上げ、財前の背後に隠れる。
最後尾を歩く瑠璃羽もまた、足元の悪さと生理的な嫌悪感に、足がすくんで動けなくなっていた。
「……っ」
瑠璃羽がよろめき、壁に手をつこうとした、その時だ。
「触るな。……岩盤が突起している。危ない」
バシッ、と瑠璃羽の手が空中で掴まれた。
彰悟だ。彼は瑠璃羽の手首を掴むと、そのまま強引に自分の懐へと引き寄せた。
「きゃっ……」
瑠璃羽の体が彰悟の胸にぶつかる。近すぎる。
暗闇の中で、彼の心臓の音が聞こえそうな距離だ。
「さ、彰悟くん……?」
「離れるなよ。……みんなに置いていかれたら、俺たち二人でここを彷徨うことになる」
「う、うん……」
「お前が転んだら俺まで共倒れだ。……ほら」
彰悟はぶっきらぼうに言うと、掴んでいた瑠璃羽の手首から手のひらへと指を滑らせた。
そして、指を絡めるようにギュッと握り込んだ。恋人繋ぎだ。
「えっ……」
「この方が力が入りやすいだろ。……行くぞ」
彰悟は前を向いたまま歩き出す。
その耳が、松明の灯りを受けて微かに赤くなっているのを、瑠璃羽は見逃さなかった。
(……昔と、変わらない)
瑠璃羽は胸が高鳴るのを感じた。
子供の頃、いじめっ子から逃げる時も、こうして手を引いてくれた。
没落して、ひねくれて、道化を演じていても……いざという時、この手は私を一番に守ってくれる。
その様子を、前を行くエリザが振り返って目撃した。
「あらあら。……『空気』な貧乏人同士、随分と仲がよろしいこと」
エリザが冷やかすようにクスクスと笑う。
瑠璃羽は恥ずかしさで手を引っ込めようとしたが、彰悟は逆に力を込めて離さなかった。
「悪いね。幼馴染なもんで、はぐれないように必死なんだよ。……君らみたいなエリートと違って、余裕がないもんでね」
彰悟はヘラヘラと笑い飛ばしたが、その繋いだ手は、瑠璃羽を安心させるように優しく力強かった。
(……あったかい)
暗闇と恐怖の中で、彰悟の体温だけが、瑠璃羽にとっての唯一の光だった。
この温もりがなければ、瑠璃羽はこの異界の空気に飲まれて発狂していたかもしれない。
彰悟もまた、瑠璃羽の手を握ることで、震えを止めているのだと分かった。
二人は互いに支え合わなければ、立っていることすらできない。
この温もりが、間もなく訪れる閻魔との対面で、二人の運命を変える「嘘」の源泉になるとは、まだ誰も知らなかった。
「おい、出口はあるんだろうな!」
エリザと烏丸が叫ぶ。先頭を行く紫門が、足を止めた。
「もう少しだ。……ほら、見えてきたぞ」
トンネルの先に、眩い朱(あか)い光が見えた。
血のような、鮮烈な赤。
一行がトンネルを抜けた瞬間、視界が一気に開けた。
「…………!」
全員が息を呑み、言葉を失った。
そこは、地下とは思えない広大な空間だった。
天井はなく、どこまでも続く夜空には、見たこともない巨大な赤い月が浮かんでいる。
そして大地を埋め尽くすのは、見渡す限りの彼岸花(まんじゅしゃげ)。
血のような真紅の花が、風もないのにざわめき、妖艶に咲き乱れている。
むせ返るような花の香りが鼻腔を刺激する。
「きれい……」
瑠璃羽が、夢遊病のように呟いた。
恐怖を忘れるほどの、圧倒的な「死の美」がそこにあった。
エリザも扇子を取り落とし、呆然と立ち尽くす。
「嘘でしょう……? 美しい……」
それはこの世のものとは思えない、美しくも残酷な「死の世界」の絶景だった。
六角紫門が彼岸花の海を割って歩く。
「ここは『賽(さい)の河原』の特別区。閻魔王庁(えんまおうちょう)への正面玄関だ」
庭園の中央に、見上げるほど巨大な黒塗りの門がそびえ立っていた。
その威圧感だけで、押し潰されそうだ。
紫門が門に手を当てる。
「開けろ。客を連れてきた」
紫門の手から青白い「念」が放たれる。
ゴゴゴゴ……と地響きを立てて、巨大な門がひとりでに開いた。
中から、強烈な威圧感(プレッシャー)が暴風となって吹き出してくる。
「くっ……!」
彰悟は思わず腕で顔を覆った。
肌が粟立ち、本能が「入るな、死ぬぞ」と警鐘を鳴らしている。
門の奥は、朱塗りの柱が並ぶ広大な部屋だった。
その最奥。一段高い玉座に、一人の美青年が座っていた。
年の頃は20代後半。豪奢な狩衣(かりぎぬ)を纏い、長い黒髪を緩く束ねている。
その周囲には、うず高く積まれた巻物の山。
彼は一心不乱に筆を走らせていた。
「連れてきましたぜ、大王様」
紫門の声に、美青年――閻魔大王の手が止まる。
「…………」
衣擦れの音と共に彼がゆっくりと顔を上げる。
長い睫毛が持ち上がり、その瞳が露わになる。
血のように赤く、宝石のように硬質な瞳。
この世の者とは思えない、凍てつくような美貌。
閻魔の視線が、彰悟たち全員を舐めるように動く。
ただ見られただけで、心臓を鷲掴みにされたような圧迫感。空気が鉛のように重くなる。
瑠璃羽も、エリザも、白川も、思わず小さく悲鳴を上げて硬直した。
彰悟は蛇に睨まれた蛙のように動けない。
「ここまでくると……信じるも信じないもなくなったな」
「思ってたのと違う。……若くて美しい方ね」
彰悟とエリザが、乾いた唇で呟くのが精一杯だった。
閻魔が、薄い唇を開く。
「……遅い」
低く、よく通る声。
その一言が、絶対的な審判として響き渡る。
「報告が遅れるごとに、貴様の寿命を縮めるぞ、紫門」
冗談には聞こえないその言葉に、六人は息をするのも忘れて立ち尽くした。
閻魔庁の広間を支配していたのは、重力にも似た沈黙だった。
朱塗りの柱が林立し、その間をぬって、うず高く積まれた巻物の山が壁のようにそびえている。
そして一段高い玉座に座る、絶世の美青年。
その青年――閻魔大王が放つ冷気は、物理的に六人の肌を刺していた。
彼岸花の甘い香りとは裏腹に、そこには死を司る者特有の、絶対零度の威圧感があった。
伊集院エリザが、扇子で口元を隠しながら漏らす。
「なんて……『お美しい』殿方……」
恐怖よりも先に、美への感嘆が漏れるほど、その姿は浮世離れしていた。
閻魔は手元の筆を置き、ゆっくりと六人を見下ろした。
「貴様らを呼んだ理由はひとつ。……私の仕事を減らすためだ」
「仕事を……減らす?」
財前征一郎が、喉を詰まらせながら問い返す。
閻魔は、まるで物分かりの悪い子供に言い聞かせるように、不機嫌そうに語り始めた。
「人間どもが愚かなせいで、地獄は定員超過(オーバー)だ。特に明治になってからの死人の増え方は異常だ」
「そこで、貴様ら『冥界調律官』の出番だ」
聞き慣れない言葉に、白川紗代子が恐る恐る口を開く。
「ちょっと待ってください。そもそも……冥界調律官って何?もう少し説明を」
「そうです。前提条件が不明確です」
烏丸玄五郎も同調する。
閻魔は「やれやれ」と首を振り、あからさまに面倒そうな顔をした。
「歴史を知らぬというのは罪だな」
閻魔の紅い瞳が、遠い過去を懐かしむように細められる。
「始まりは約千年前――平安の世。初代冥界調律官・小野篁(おののたかむら)との契約だ」
「千年も前から……? あの迷信どおりね」
白川が息を呑む。
閻魔は笏(しゃく)を持ち直し、語気を強めた。
「いいか? 私は長い時を見てきた。……時の権力者だけに任せていても、世の中は決して良くならん」
財前の眉がピクリと動く。
「奴らは己の欲や体面のために争い、民を飢えさせ、私の仕事を増やすばかりだ。……今の明治政府とやらも同じだろう?」
「……確かに、貧富の差は拡大する一方です」
烏丸が苦渋の表情で認める。
閻魔は玉座から身を乗り出し、笏をビシッと生徒たちに向けた。
「だが、冥界の主である私が、ノコノコと現世(そっち)へ出向くわけにもいかん。そこで、小野篁が必要になったってわけだ」
「奴は、私の部下が現世で勝手に選んで、強引に連れてきた。……しかし、奴は承諾してくれた」
「奴は生きたままこの井戸を行き来し、私の『手足』となって現世の乱れを鎮めた。それが初代・冥界調律官だ」
「それ以来、私は有能な人間を選び、現世の掃除を『委託』してきた」
そこで、横に控えていた六角紫門が、一升瓶を傾けながら口を挟んだ。
「特に今の京都は酷い。……死人が増えるのも無理はねえよ」
「うむ。……明治維新とやらでこの国の形は変わった。だがその代償として……京の都は『死に体』となった」
閻魔がパチンと指を弾くと、虚空に巨大な京都の地図が幻影となって浮かび上がった。
美しい碁盤の目をした地図。 だが、それは所々がドス黒い瘴気(しょうき)に覆われ、腐り落ちていた。
「帝(みかど)が東京へ移り、この地は首都としての機能を失った。それだけではない。
帝を追って、公家や役人、御用商人までもがこぞって東京へ流出した」
「金持ちがいなくなれば、当然、そいつらを相手に商売してた連中も食いっぱぐれる。
職を求めて、多くの人間がこの街を捨てた。……武士たちもな。幕府がなくなって、故郷へ帰っちまったよ」
紫門の補足に続き、閻魔が冷徹な事実を突きつける。
「結果、どうなったか。わずか数年で、京の人口は約三分の一も減少した。三十四万いた人間が、今や二十三万だ」
「……!」
烏丸が絶句する。
「三分の一」
数字として突きつけられると、その減少幅は絶望的だ。
街の機能不全を意味する。
「人が減れば、街は荒れる。先の戦火や大火で焼けた野原も、そのまま放置されている。
さらに『廃仏毀釈』などという愚行で、歴史ある寺院まで破壊された」
閻魔の視線が、冷ややかな光を帯びて六人を見下ろした。
「今の京都は抜け殻だ。……誇りも金も人も失った廃墟だ。
このままでは、遠からずこの街は消滅するだろう。……物理的にな」
重苦しい沈黙が広間を包む。
彰悟は拳を強く握りしめた。爪が掌に食い込む。
「廃墟」その言葉が、没落した自分の家と重なる。
主を失い、雨漏りする屋根の下で震える自分たちの姿そのものだ。
「……だから、復興させろってことか」
彰悟が呻くように言った。閻魔が鷹揚に頷く。
「そうだ。私の代わりに現世を少しでも良くして、生きやすい世を作る。そうしてここへ来る『客(死者)』を減らす」
その時、隣にいた瑠璃羽がおずおずと手を挙げた。
「あの……質問です」
「なんだ」
「小野篁様は、普通の人間ですよね。そんな大きな事ができたのですか?」
閻魔は、真っ直ぐな瞳の少女を見て、少しだけ表情を緩めた。
「冥界全土を挙げて、冥界調律官が活躍できるよう支えてきたからな。世の中を良くして死者を減らす。……これが仕事だ」
「さあ、名誉に思え。貴様らは、その四十代目の候補者リストに載ったのだ」
エリザが扇子を閉じて尋ねる。
「その冥界調律官の仕事は、具体的に何をするのですか?」
「現世で人々の苦しみを取り除き、寿命を延ばし、正しい天寿を全うさせる。……それが貴様らの任務だ」
閻魔は立ち上がり、六人を見渡して声を張り上げた。
「率直に言う!生きやすい世をつくれ!」
あまりの直球に、一同は呆気に取られた。
「定義が広すぎます。あまりにも漠然としている」
財前が抗議する。
「そんなこと私たち学生にできるの?」
白川も不安げだ。紫門がニヤリと笑った。
「我々は、できそうな奴だけを、ここに連れてきている」
「その冥界調律官になるためには?」
彰悟が問うと、紫門が答えた。
「言っただろう。登用試験がある」
「課題を与える。――衰退した京都を復興させよ」
閻魔が宣言する。
「期間は一年。最も成果を上げた者一名だけを、次期、冥界調律官に任命する」
一年。たったそれだけで、死にかけた街を救えと言うのか。
無茶だ。だが、彰悟の喉はカラカラに乾き、心臓は早鐘を打っていた。
聞かなければならない。一番重要なことを。
「……報酬は」
彰悟の声が震えた。
閻魔が口元を歪め、ニヤリと笑う。
それは人の欲望を試す悪魔の笑みだった。
「……良い質問だ」
「冥界調律官に選ばれた一族には、私が『特別な加護』を与える。
それは金ではない。地位でもない。だが……正しく使えば未来永劫、その一族が滅びることはない」
「……!」
(永遠の繁栄……だと?)
その言葉を聞いた瞬間、彰悟の脳裏に電流が走った。
没落した実家。借金取りに頭を下げる母。
そして日陰で生きるしかない瑠璃羽。
これがあれば全てが変わる。日下部家は復活し、借金は消え、瑠璃羽を一生守り抜くことができる。
財前もまた、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
閻魔は続ける。
「ここでは詳細は伏せる。だが絶対に損はさせん」
「衰退した京都を復興させよって、話が大きすぎて見えてきません」
烏丸が困惑して訴える。
「それぞれが何をするか?考えろ。そこも含めての登用試験だ」
紫門が手を叩いた。
「は~い!これで質問終わり。お利口な名門校の学生なんだ。てめえで考えろ」
閻魔が冷徹な瞳で締めくくる。
「私が求めているのは『変革』だ。これ以上、私の閻魔帳を『無駄死に』した愚か者の名前で汚させないプランを持ってこい」
「やるか、やらぬか。一週間以内に決めて、紫門に申し出ろ」
「早く決断して、早く始めたほうが有利だぞ~~~」
またまた紫門が補足する。
一瞬の静寂。
誰よりも早く、彰悟が一歩前に出た。
「……なるほど、面白いですね。要するに、破産寸前の『京都』という看板を、俺のハッタリで再生してみせろって商談てことですね?」
彰悟は震える膝を気力で抑え、ニヤリと笑った。
「大王様。あなたは最高に質の悪い投資家だが、俺は最高に腕のいい仕掛人です。
この死に体の街を、世界中が嫉妬する極上の都市に塗り替えてみせます。……一年後の報告を楽しみにしていてください」
「そんなわけで、俺が……俺たちがやります!」
「……俺……『たち』?」
財前が冷ややかに眉をひそめる。
彰悟は、隣にいる瑠璃羽の手を咄嗟に掴んだ。
華奢な指先が、冷たく震えている。
このままでは、彼女は「役立たず」として切り捨てられるかもしれない。
それだけは絶対に避けたかった。
日下部家と穂積家、どちらも再興させたい。
「俺は、こいつ……穂積瑠璃羽と二人で組んで、コンビで試験に挑みます!」
「えっ……!?」
驚く瑠璃羽。
しかし閻魔は冷ややかに首を横に振った。
「……却下だ」
「なっ……!?」
「冥界調律官登用試験は、あくまで『個人の資質』を問う試験だ。
徒党を組むことは認めん。一人で成果を出せぬ者に、冥界調律官の資格はない」
絶対的な拒絶。 財前が鼻で笑った。
「当然だ。……没落同士で傷の舐め合いなど、見苦しいにも程がある」
「そうね。一人じゃ何もできないと認めているようなものですわ」
エリザも扇子で口元を隠して嘲笑する。
彰悟は唇を噛み締めた。
ここで引いてはいけない。一人での参加となれば、何の力もない瑠璃羽は間違いなく脱落する。
穂積家も再興させるためには、何としても「二人でひとつ」であることを認めさせなければならない。
(……くそっ。こうなったら)
(ハッタリをかましてやる!)
彰悟は腹を括った。
震える膝に力を込め、瑠璃羽の手を痛いほど強く握りしめる。
だがその手が震えているのは、瑠璃羽だけではなかった。彰悟自身の手もまた、恐怖で微かに震えていた。
これを言ってしまえば、もう後戻りはできない。
十年続いた「幼馴染」という心地よい関係は、二度と戻らない。
もし失敗すれば、俺は瑠璃羽を一生縛り付ける鎖になる。 ――それでも。
「はん。分かってねえな、大王様も、お前らも」
「なんだと?」
「こいつはただの幼馴染じゃねえ。……俺の婚約者(フィアンセ)だ」
「えっ……!?」
瑠璃羽が目を見開き、顔を真っ赤にして彰悟を見る。
(彰悟くん、突然、何を言い出すの?)
エリザと財前も、虚を突かれたような顔をした。
「没落した両家の再興を賭けて、夫婦(めおと)になる二人だ。一蓮托生、二人で一人なんだよ」
彰悟の声が、広間に朗々と響く。
それは自分自身さえも騙すための、必死の演技だ。
だがその言葉は、瑠璃羽の未来を人生を、日下部家に巻き込むという「罪」の告白でもあった。
「たとえ試験でも、夫婦を引き裂くなんて野暮な真似……地獄の王ともあろうお方が、なさるんですか?」
彰悟は閻魔を睨みつけた。 心臓が破裂しそうだ。
もし逆鱗に触れれば、この場で殺されるかもしれない。
隣の瑠璃羽の手が、汗ばんでいるのが分かる。
彼女もまた、この「嘘」の意味を瞬時に悟ったのだ。
瑠璃羽は否定しなかった。
ただ彰悟の手をギュッと握り返し、無言で彼に寄り添った。
その体温が「私は共犯者になる」と告げていた。
彼女もまた、この一瞬で「ただの幼馴染」であることを捨てたのだ。
閻魔はじっと、繋がれた二人の手を見下ろし……そして、興味深そうに口元を歪めた。
「……ほう。夫婦か」
その深紅の瞳が、一瞬、瑠璃羽を見て細められる。何か値踏みをするように。
あるいは、彼女の中に眠る「何か」に気づいたように。
「……よかろう。特例を認めてやる」
「!」
「愛だの恋だので、凡人がどこまで足掻けるか……興味がある。貴様のそのハッタリを信じたわけではないがな」
彰悟は膝から崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えた。
通った。 ハッタリが神(閻魔)に通じたのだ。
するとその空気を切り裂くように、財前が一歩前に出た。
「フン。……僕も参加する」
眼鏡の奥の瞳が、冷たく光っている。
「公爵家の責務(ノブレス・オブリージュ)としてな。この街を最も効率的に、最も合理的に再生させてみせよう」
「私もよ」
エリザも扇子をバチリと閉じた。
「こんな血筋だけの貧乏人(日下部)に京都を任せられないわ。
日本の泥臭さを一掃し、私の美意識でこの街を文明化してみせますわ」
「俺もだ! 古き良き京を取り戻す!」
「まだよくわかってないけど、私もやるわ!」
烏丸と白川も続いて声を上げた。
全員が参加を表明したのだ。賽は投げられた。
「ただし、日下部。……勘違いするなよ」
財前が、冷たい瞳で彰悟と瑠璃羽を見下ろす。
「君は僕と同じ土俵にすら立てていない。ただの『賑やかし』だ」
「そうね。せいぜい、私たちの引き立て役になりなさい」
エリザが嘲笑する。
「君らごときの没落士族に何ができる?」
「実質は四名だけの勝負ね」
エリートたちの容赦ない言葉。彼らの背後には、圧倒的な財力と権力がある。
彰悟は唇を噛み締め、何も言い返さない。
言い返せるだけの「武器」が、今の自分には何もないからだ。
あるのは、口から出まかせの「婚約」という設定だけ。
だがその時。
瑠璃羽の手が、彰悟の手をさらに強く握りしめた。
彰悟はハッとして隣を見る。
瑠璃羽は俯いていたが、その横顔には強い怒りと決意が滲んでいた。
(負けない。……絶対に、見返してやる)
(この人たちに、彰悟くんを馬鹿にしたままにさせておかない)
声には出さずとも、その思いは彰悟に痛いほど伝わってきた。
紫門がパンと手を叩いた。
「おー決まりだな。全員参加だぜ!」
紫門はニヤリと笑い、煙管を吹かした。紫煙が彼岸花の上を流れていく。
「とっとと始めようか!地獄への入学試験の開幕だ」
こうして、六人の若者たちによる、京都の命運を賭けた「復興合戦」が始まった。
そして同時に、彰悟と瑠璃羽の運命を縛る「嘘つき婚約」もまた、地獄の底で静かに幕を開けたのだった。
死臭漂う古都を染め上げるのは、絶望の泥か、あるいは狂おしいほどの桜か。
繋いだ手の体温だけが、二人の吐く「嘘」を、唯一無二の真実へと変えていく。