<瞳>
ウトウトしていたところに玄関から何か音がしたようで全身に緊張が走る。
ソファにおいてあるクッションをつかむとすぐに立ち上がれるように床に片膝たちで構えて待っていると凌太の姿が見えて一気に力が抜けた。
「瞳!大丈夫か?」
「大丈夫なわけないでしょ」
こらえていたものが解放され涙腺が決壊したかのように涙があふれてきた。
「怖い思いをさせてごめん」
怖かった
なんで私がって思った
だけど
凌太の腕の中は心地いい。
涙と共に鼻もズルズルになって見られないように手で押さえながらティッシュを探すと、ボックスを手渡された。大きめのボックスでやわらかいセレブなティッシュだ。
目元や鼻を拭くにはあたりが良くて摩擦も少なく拭き心地がいい。
怖かったし凌太が戻ってきてうれしかったけど、セレブなティッシュで一気に思考が斜めに行ってしまった。
「いいティッシュ使ってるのね」
凌太は一瞬ぽかんとした表情になってから笑い出した。
「すぐそこのコンビニで普通に売ってるよ」
「だって、ティッシュをコンビニで買わないもの」
「そうなんだ」
「ドラッグストアで5個セット300円くらいのやつ」
「今、思い出した」
「なに?」
「学生の頃、二人で買い物をしたこと」
あの頃は二人でドラックストアやスーパーに買い物に行った。
「でもこのティッシュは今はとてもいい仕事してるから」
「それならよかった」
目も腫れていると思うし、鼻も赤くなってるはず。だからそんなに見つめてほしくないけど、見つめていたい。
凌太の顔が近づいてきて唇が重なっていく。
重なる唇の間からお互いが深くつながっていく。
一度離れても角度を変えてもう一度、深く深く口づけながらソファに倒れこむと凌太の指が私の鎖骨をなぞっていく。凌太の唇が耳たぶから首筋に移動していくとシャツのボタンが外されていく。
凌太の背に腕をまわそうとした時、表情の無い松本ふみ子の顔がフラッシュしたとたん、凌太の胸を押しのけた。
「瞳?」
凌太は私を見下ろしながら胸を押している私の手に自分の手を重ねた。
「ごめん、疲れてるよね」
違う。
松本ふみ子が怖かった
それだけじゃない。
凌太は他にも一夜だけの女性を抱いていた。
正人と美優の顔が浮かんだ。
「違うの」
凌太は私を抱き起こすと、乱れた服を直して座り直した。
「シャワーを浴びてゆっくり眠るといいよ」
「違うの」
凌太はまっすぐに私の目を見て「聞くよ」と言った。
言っていいよね。
だって
だって私が怖いのは
「性病無い?」
「え?」凌太は何を言われたのかわからなかったのかもしれない。
「正人が不倫相手から性病をもらってたの。私は正人とレスだったからうつらなかったけど」
凌太は何も言わずにずっと聞いている。
「凌太は松本ふみ子とかほかにも色々と関係を持っている人がいるでしょ」
「瞳と再会してからは誰とも関係は持っていないけど、再会の前は確かにそのとおりだが、必ずゴムは使っていた。瞳は俺が嫌だということだろうか?」
最後の方は叱られてしゅんとした大型犬のようになっていた。
「嫌ではないけど・・・お互いいろいろあるし・・・ただ」
「検査すればいい?」
「うん」
凌太の表情がやわらかくなり「よかった、汚らわしくて嫌だって言われたら立ち直れなかったかも」と言って微笑む
「別に、潔癖症ってわけじゃないし、でもクラミジア恐怖症であるかも」
「仕事があるんだろ、もう休もう。この間買った部屋着もあるしシャワーを浴びたらベッドで寝てくれ。検査するまで手をださないから安心して寝てくれ」
熱めのシャワーを浴びて長かった一日を洗い流す。
Ryoが松本ふみ子とつながっていた。
だけど、裏切った?
色々と考えることがあるけど、仕事があるから今は頭の中を空っぽにして少しでも眠ろう。
リビングに戻ると凌太はソファに座ったまま眠っていた。
凌太も疲れたよね。
ベッドルームから掛け布団を持ってくると凌太に掛けてから自分も隣に座って目をつむった。
目覚まし代わりのスマホの音が遠くから聞こえる。
布団から手をだして探るがまったくヒットしない。
重い瞼を開けてようやく今の状況がわかった。
凌太が途中で運んでくれたのか、いつの間にかベッドに寝ていた。リビングへ行くと凌太はスウェットの下と上半身は裸のままでタオルを首に掛けた状態でコーヒーをドリップしている所だ。
「おはよう瞳、コーヒーは?」
「飲む」
そう伝えるとすぐに香りが立ち昇った。
昨日の容量オーバーな出来事に対して睡眠がたりないのかまだぼんやりとしていた頭が一口のコーヒーで霧が晴れていく。
凌太が出勤するときに車で会社まで送ってもらった。
前回買ってもらった服を凌太の部屋に置いてあったため、昨日とは違う服装で出勤できた。別に、私を気にする人はいないと思うけどなんとなく同じ服装だと言われるのが面倒だ。
昼にRyoからラインが送られてきた。
山茶花のつぼみがほころんできましたというメッセージと共にピンクに色づいた大きなつぼみの写真も添えられていた。
疑問はあるけど、助けてもらったという事実もあるから[昨日はありがとうございました]と返信すると
[警察に行くのであれば僕が証人になります]と返ってきた。
松本ふみ子の思い込みだったんだろうか?
でも、確かにRyoを見て驚いたように感じた。
信じていいのだろうか?
凌太との関係もあるし距離を置きたいという気持ちもあるし、かと言って何かあった場合の証人は必要だ。
[その時はお願いします]
[兄さんと知り合いだったんですね]
Ryoさんとの関係を知っている今となってはなんと返事をするのがいいのかわからない。
[わたしもびっくりしました]
[今度、うちに来ませんか?僕一人じゃないので安心ですよ]
凌太と私がつながっていることを知って、凌太がどうしてあの家を出たのかを知っているのに誘ってくる感覚に不快感が募る。
[そのうちに、凌太とともに伺おうかと思います]
OKという文字がついたウサギのスタンプが送られてきた。
昨日とは違って”普通な”一日が終わり帰宅する。
やっぱり家は落ち着く。
母さんは凌太のところに泊まってきたと確信を持っているっぽいが、父さんにはうまくごまかしておいてくれたようだった。
宇座のことも伝えていないのに松本ふみ子の件まで増えてしまった。
母さん特製しょうが焼きを食べているとテレビからキャスターの声が聞こえてきた。
宇座誠52歳無職が二十代女性への強制性交罪で逮捕起訴されました。余罪があるものとして・・・
慌てて画面を見ると見覚えのある人物がマスクをして下を向いたまま車の後部座席に座っている映像がながれていた。
「いい年して強制性交とか本当に嫌ね。しかも無職なんて」
あの日、解雇になったからともいえず、さらに私も被害にあったなんて絶対言えない、ただ何かしらの情報が出てアカギ食品の人間だと知られることがあるかもしれない、その時に私がスルーしたと思われたら絶対に私が何かを隠していることに気づかれてしまうかもしれない。
ここまでのことを一瞬にして考えると
「びっくりだわ」
ちょっと棒読みかも・・・
「どうしたの?」
「この人、私の上司でこの間急に退職というか解雇になったんだけど理由はわからなかったのよ!こんなことになってたんだ!」
やっぱり棒読みかも・・・どうか気が付かないで
「ええええ、瞳の上司だったの!気持ち悪いわね!瞳は大丈夫だった?」
「私は守備範囲外だったのかも」
そう言ってからこれおいしいね~と生姜焼きを元気に食べた。
お父さんが帰宅したのと入れ替わりで部屋に戻ると里子と凌太に宇座のニュースについてラインを送ったあとベッドに倒れこんだらすがすがしい朝の光の中で目が覚めた。
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