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(何て真っ直ぐな方なんだろう……じゃなくて!)
百子はそう言って頭を下げる裕子に向かって小さく胸の辺りで両手を振り、彼女への評価を改めた。百子の中では当初は彼女は頑固で意固地な印象が強かったのだが、小娘相手に間違いを認めて先程までの刺々しい意見や態度をすぐさまに謝罪し、許しを乞えるのは誰にでもできることではないからだ。
「いえ、その、顔を上げて下さい。私は気にしておりませんから……」
「百子、ここは怒るところだぞ。百子は不当に母さんに蔑ろにされたんだからな。挨拶っていうある程度格式の求められる場所で時間を守らないとか、出迎えないなんてあったらいけないことだ。事前にこちらは時間も伝えてたし、合意した時間よりも早く行くことも無かったのに」
弱々しく首を振る百子に陽翔がぴしゃりと告げる。それでも百子は裕子に対して怒ることはできなかった。裕子の立場にたって考えてみると、婚約破棄された息子の次の相手は点数が辛くなって当たり前だからである。だから百子もある程度風当たりが強いのは覚悟していたのだ。それでも歓迎されてなかったのは悲しかったものの、思っていることをきっぱりと口にできる裕子が羨ましいとも思っていたし、そういう人物は好感が持てる。表面上はにこやかにしているが、影では悪口を言いまくる人種に辟易しているというのもあるだろうが。
「ううん……私は陽翔さんのお母様を怒れないわ。陽翔さんのお母様は、単に陽翔さんのことを愛していて、幸せになって欲しいから私のことを試したのかなって思ってる」
陽翔がちらりと裕子を見れば、彼女は左右に目を動かすのみだ。図星だと勘付いた陽翔はため息をついて口を開いたが、健二に遮られて口をとじる。
「裕子ちゃん、やっぱり百子さんにつれない態度を取ってたのか……何があったかは知らないけど、自分の事情で誰かを傷つけるのは感心しないな。今は反省してるみたいだから不問にするけど、分かりにくいツンデレは止めたほうがいいかもね。僕や陽翔相手ならともかく、何も知らない百子さんにはやるべきじゃなかった。百子さんは遠いところからわざわざ我が家に挨拶に来て下さったんだし。そして僕も挨拶の場に遅れて本当に申し訳無い。結果的に百子さんを軽んじてしまうことになったし……百子さん、今日は本当にごめんなさい」
(え、えっと……ど、どうしよう……)
陽翔の両親が代わる代わる謝罪するために、百子の狼狽はピークに達した。確かに非は陽翔の両親にあるのだが、ここまで丁寧な謝罪を受けるのは百子の身に余る気がする。こそばゆいような、全身がむずむずするような気持ちを味わっていた百子だったが、陽翔がテーブルの下から手を握ってきたので、それに励まされるように、しょんぼりとしている二人に向かって言葉を紡いだ。
「正直に申し上げます。私自身は遅刻されたことや出迎えが無かったことは気にしておりません。少しだけ寂しいとは思いましたが……」
「どこが気にしてませんだよ。思いっきり気にしてるじゃねえか。百子の場合は嫌われてるとかそんな不安もあっただろうが」
陽翔の呆れた声が図星を言い当てたために、百子は明後日の方角を見る。その様子が彼女の不貞腐れた心情を言葉よりも多く語っていた。
「百子さん、今ここで言うと言い訳になってしまいますが私も正直に言います。私は百子さんが嫌いな訳ではありません。最初からね」
百子は鳩が豆鉄砲を食ったようにぼんやりとしていたが、陽翔は声を荒らげた。その拍子に4人分のグラスの麦茶が揺らぎ、百子は陽翔がテーブルに手を勢いよくついて立ち上がったのだと遅まきながら理解する。
「母さん! 百子に失礼な態度を取った時点でそれは言い訳だろ! 何を今更……!」
彼の鋭い声で我に返った百子は、彼の袖を引っ張って激しく首を横に振った。
「陽翔さん、お願い。今は何も言わないで。私は陽翔のお母様とお話してるの」
陽翔は舌打ちをせんばかりに裕子を睨んでいたが、百子の言葉で無理矢理心を鎮める。諦めたように椅子に座り直した陽翔は、すぐさま百子にテーブルの下から手をぎゅっと握られ、そのまま手の甲を撫でられていた。
「あの、最初からとはいつからのことでしょうか?」
「百子さんをここで初めて見た時からです。私の活けた桔梗を熱心にご覧になってたでしょう? あんなに食い入るように私の作品を熱い目で見つめられたことなんて無かったもの。それに、貴女は礼儀正しくもあり、真っ直ぐですから。ちょっと無謀な所もありますが、それを含めて私は百子さんを好ましく思っています……それなのに意地悪をしてごめんなさい」
陽翔と健二は、今日何度剥いたか分からない目を裕子に向ける。裕子を良く知る二人には、まるでその告白が沖縄に雪でも降っているかのように感じられたからだ。裕子は人の好き嫌いが激しい方で、初対面の相手を気に入ることはまず無い。それなのに息子の嫁候補であり、さらに一度息子が婚約破棄した直後という、青天井で点の辛くなる立場にいる百子を気に入ったとなると、ひょっとしたら沖縄に雪が降るどころか、西から朝日が顔を出しそうな規模で驚くべきことなのかもしれない。
(うそ……私が桔梗をじっと見てたことがバレてるなんて……恥ずかしいわ……。お花を習ってたからどうしても目が行っただけなのに。凄く優雅で素敵だったのは本当だけど)
悲哀が濃くなったり、驚愕したり恥じ入ったりと忙しい百子を他所に、陽翔は大げさにため息をついて頭に手をやり、じろりと裕子を睨んだ。
「それでも百子を傷つけたのは事実だ。百子が許しても、俺は許す気は無い。今度百子をいじめでもしたら、俺は一生母さんを軽蔑してやる」
「……それについては返す言葉もないわね」
しゅんとして下を向く裕子を見て、百子は隣にいる陽翔をキッと睨んで小声でまくし立てる。
「ちょっと、何も言わないでって言ったでしょ。私はお母様とお話してるのに」
百子の言葉で陽翔の怒りが一瞬で霧散したのを見て、裕子は思わず唸った。打って変わってその双眸に柔らかな光を宿した裕子はやんわりと告げる。
「陽翔が百子さんを選んだのも、何だか分かる気がします……それに、陽翔を見ていたらどれだけ陽翔が百子さんを愛しているかも良く分かりました。私達親がでしゃばって邪魔する余地なんて、蟻が這い出る隙間もないくらいだわ」
裕子はここで一度言葉を切り、大きく息を吸い込んだ。
「陽翔、百子さん。二人で幸せになりなさい。それと、顔合わせの連絡を待ってるわ。楽しみにしてるわね」
短くそれだけ言った裕子を、健二はニコニコとしながら、百子は口元に両手を当てて少々涙ぐみながら、陽翔は椅子からずり落ちそうになりながら、それぞれが凝視しているのだった。