コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
優しくも力強い女性の声がランプの明かりの灯る部屋で、虫の声と共に反響していた。
「遥か遠い昔、魔族のみが住まう国が有りました。
魔族の国はいつも通りに、穏やかな日々を過ごしていましたが、ある日突然、空から大きな乗り物が現れ、自分たちに似通った見た目の種族が乗り物の中から出てきました。
その種族は未知なる言語と技術を扱い、個体により扱う言語が違っていました。
ですがたまたまなのか、それとも神の悪戯か、一人だけ、一人だけが我々魔族にも通じる言葉を話す個体が居ました。
その個体は自らの種族を「人間」と呼びました。
…エミリー今日はここまでよ。早く寝なさい」
桃色の髪の少女〈エミリー〉は母であるリルマーシュに促され「はーい」と不服そうに頷いた。
その様子を見たリルマーシュは優しく笑いエミリーの頭を撫でながら言った。
「また明日、続きを話してあげるわ」
それを聞いたエミリーは両手を上げ「約束だよ!」と無邪気に喜び、布団を深く被った。
リルマーシュは「おやすみなさい」と一言声を掛け部屋を出て行った。
「…」
リルマーシュは何か悔しそうに歯を食いしばり小さく「あの時、私が足を…」と呟いた。
すると「どうかしたのか?」と声が聞こえ驚いて声の主に華麗な拳が音もなく腹部目掛け襲った。
「あっ…ごめんなさい!アススっ貴方だなんて分からず…」
リルマーシュの拳を受けたお腹を抑えながらアススは悶絶しながら「我が妻の拳なら大丈夫さ…ははは…」と笑った。
「…ところでリル、俺達があの時守りきれなかった王子様の手がかりが見つかったそうだ。」
アススの言葉にリルマーシュは妖しく笑みを浮かべた。
「そう。あの日の屈辱をあのゲス共に返してあげましょ」
リルマーシュらしからぬ表情と口調にアススは若干の恐怖を感じながらも「ああ」と頷いた。
ふと、リルマーシュは何か違和感を感じアススに質問を投げかけた。
「今日って虫が鳴いていたわよね?」
素朴な質問にアススは「さぁ?」と首を傾げた。
「さっきからずっと、風の音も、虫の声も何一つとして聞こえないのよ」
アススの持つランプの火が揺らぎ、燃えゆく音が廊下を包み込む。
異様な静けさにアススも頷いた。
廊下を照らす灯りも、怯えるように震え下の階層から衛兵の断末魔が響いた。
辺りの灯り達が「逃げろ」と叫ぶように燃え、火は力尽きた。
辺りは暗くなった。
辺りは静かになった。
だが、何かが歩み寄る気配だけは感じた。
その気配は足を鈍らせ、呼吸を乱し、瞳孔が定まらなくなるほど異様なナニカだった。
気配は音へ、音は赤子の泣き声に、赤子の泣き声は無邪気な笑い声に移ろい往く。
確実に異様なナニカは距離を縮め、廊下の角の先で止まった。
姿は見えないが、ナニカが居た。
「…誰だ…出て来い」
アススが腰の剣に手を掛けリルマーシュは魔法書を取り出し戦闘態勢を取った。
廊下の角からは瀕死の衛兵が現れ、二人を見つけると手を伸ばし助けを求めた。
リルマーシュが助けようと駆け出すも、一本の刃が衛兵の首を切り落とした。
「…」
衛兵を斬ったのは不気味なほど真っ黒なローブに口元が血で汚れた能面を付けた子供だった。
子供は衛兵の死体から剣を拾い上げアススへ斬りかかったが躱し容赦なく蹴り上げた。
「娘が寝ているんだ、騒ぎを起こさないで頂きたい。」
剣を抜きリルマーシュへ渡すとアススは籠手を着け構えた。
「気味の悪い気配なもんで警戒していたがど素人剣士か。名は?一応聞いておこうと思ってな」
「…あたし…は、屍。ただの死体だよ」
ピエロと名乗った子供の声は今にも消えそうなほどか細く、だが確か殺意の籠った声だった。
「仕事の…邪魔をするなら…死んで欲しい
だけど君達は…強い」
剣を逆手に持ち構えをとると瞬く間にエミリーの部屋の前に立ちリルマーシュが剣を振り上げるも扉を開け盾がわりに防いだ。
「…あと…少し遅れれば逃げることすら出来ない致命傷…マリア ミーシュ王国の剣姫…覚えた。」
ピエロの剣が闇に紛れ見えなくなるとリルマーシュは扉を蹴り壊し木片を目隠し代わりに使いピエロの腹部に左手を当て魔法の詠唱を唱えた。
「炎魔法・攻撃術式「サラマンドラ」」
魔法書が開き周囲の魔力が掌へ集まり、ピエロの腹部に魔法陣が描かれ轟音と共に屋敷の外へ押し出された。
「…」
二人は煙の方を見つめ警戒をしていた。
「アスス…アイツが見えたらまず私が魔法で動きを止めるからその隙に気絶させて」
「分かった」
煙が晴れるとピエロは剣を地面に突き立てローブの中に隠していた刀を抜いた。
「…月が綺麗だね」
ピエロは左手首を切り、月を仰ぎ、能面に血を浴びせ面を外し乱雑に投げ捨てた。
血で濡れた顔はよく見えなかったが、とても美しく綺麗で、二人はその可憐な子供に見惚れてしまった。
そして美しい屍は、月光に刀身が照らされ華麗な舞を披露した。
刀の軌跡が三日月の様に残り、飛び散る血は星々の様に宙を踊り、リルマーシュとアススの二人を斬り裂いた。
「安心して…殺してない…から」
物陰から見ていたエミリーの方向を見てゆっくりと歩み寄り「殺しやしないよ」と囁くように言った。
「…結界魔法…娘の保護とあたしの確保
…あっ娘を逃がしてしまう」
エミリーは王城めがけ全力で走り助けを求めた。
ピエロは増える民間人と騎士の気配に焦りを覚え、このまま逃げるか仕事を優先するか迷っていると、騎士達が集まり始め策なしに結界を壊し捕まるか、エミリーを逃がし成果なしかの状況へ追い詰められた。
「…」
騎士達は完璧な陣形で逃げ道や死角が無く完璧にピエロを捕らえる準備は出来ていた。
「……能面、どこだっけ」
ピエロは地面に投げ捨てていた能面を拾い上げ、顔に押し当てた。
白い仮面の下から、かすかな吐息が漏れる。
「…厄介」
低く呟いたその声の直後、ピエロはためらいなく自分の腹部へ刀を突き立てた。
ぐしゃり、と鈍い音が鳴り、鮮血が刃を伝い滴り落ちる。
「……神座…」
刀を引き抜いた瞬間、噴き出した血が地面に叩きつけられ、そこから赤黒い紋様が広がっていく。
やがて血は奇妙な三日月を描き、石畳を這うようにして周囲を侵食し始めた。
「我が名を……残さんとする」
紅に染まる床は結界の光壁にまで触れ、まるで氷が熱に溶かされるように、透明な壁が軋み、崩れていく。
パリン、とガラスの割れる音。
結界が、音を立てて消えた。
「…追わねばッ!」
騎士達が状況を飲み込む間も無く、ピエロはエミリーに向かい一直線に走った。
「…チッ」
ピエロは明らかに焦っていた。
盾兵が剣士たちの前に立ちピエロの後方と前方の弓兵がピエロへ矢の雨を降らせた。
「権能、解放!」
無数の矢が飛び交い、降り注ぐなかピエロは走るのを止め刀を逆手に持ち地面に突き立て声を上げた。
「白影奏!」
真っ白な炎が円形に広がり矢を巻き上げピエロへ届く事はなかった。
「…精度が良い」
国民を脅かし騒ぎを大きくするか、騎士達を鏖殺するか迷った末にピエロは迷わずエミリーを追った。
だが行く手を遮るのは十数名の騎士。
盾が重なり合い、剣の光が壁のように連なっている。
「ここは通さん!」
号令と同時に、弓兵の矢が雨のように降り注いだ。
ピエロは刀を振るい、矢を斬り払いながら突撃する。
だが盾兵が二重三重に構え、鋼鉄の壁が動く。
横から飛び出した槍の一撃が頬をかすめ、血が飛び散った。
「……はは、やるじゃない」
能面の奥で笑い、血を指で舐める。
斬り込むが、今度は剣士三人の連携が刃を押し返した。
刀と剣がぶつかり合い、火花が散る。
体格で勝る騎士に押され、ピエロは一歩、二歩と後退させられた。
「囲め!」
叫びと同時に、剣と槍が四方から突き出される。
鋭い斬撃が頬を裂き、脇腹に痛みが走った。
一瞬、ピエロの呼吸が乱れる。
しかし
「いいね……そうでなくちゃ、壊し甲斐がない」
腹部の傷口に自ら指を突っ込み、血を刀に塗りつける。
赤黒い光が刃に宿り、まるで月光を喰らったように輝いた。
「さぁ、踊ろう」
次の瞬間、刀が唸りをあげて弧を描いた。
盾ごと切り裂かれ、鉄が悲鳴を上げる。
騎士たちの剣技も、連携も、血を啜った狂気の一閃の前には崩れ去った。
「お前らのせいで……遅れた」
残った騎士を無造作に踏みつけ、呻き声をかき消すように首を跳ね飛ばす。
呼吸は荒く、確かに傷も負った。
だがその眼は、なおもエミリーの背中だけを追っていた。
「さて、任務を続けよう」
エミリーの目には薄気味悪く、まるで死人のような化け物では無く、死神そのものに見えた。
どんなに逃げようが自分の方だけを見つめる「死神」に生まれて初めての「死」を感じてしまった。
その時点でエミリーの足は竦み、走れなくなっていった。
「…そう怯えなくて結構。あたしは殺しに来たわけじゃないから」
ピエロは刀を鞘にしまい、エミリーに手を伸ばし手を掴んだ。
「離せ!」
エミリーが抵抗し暴れ、その声に反応した騎士達がゾロゾロと集まりピエロを包囲した。
「ゲホッ…めんどうだな」
ピエロの持つ刀の刀身がエミリーの首に当たり時間を稼いだが、騎士団の魔術師達も詠唱と魔力を練り互いにあと一歩の所で手が出せない状況。
「…」
「……」
両者の沈黙を最初に破ったのはピエロだった。
ピエロはエミリーを投げ飛ばし騎士達が陣形を乱し、その隙に騎士の盾を利用し高く飛び上がり刀を一人の騎士へ向けて投げた。
刀は騎士の胸を鎧ごと貫き弓兵がピエロを捉えた。
「放て!」
合図が響くと共に、騎士達は地面から生えてきた棘に心臓を貫かれ全滅していた。
「…隊長さん?地中の血槍から逃れるなんて初めてだ」
騎士の死体に突き刺さった刀を抜き流暢に話し始めた。
「…報告では薄気味悪く声が小さいと聞いたが、随分と流暢に話せるじゃねぇかよ。それなら薄気味悪さがなくてアイデンティティ無くなるんじゃねぇのか?」
隊長は剣を抜き構えた。
「あたしをなんだと思ってんの?当たり前でしょ」
ピエロの声は元気な少女そのもので、先程までの化け物が嘘のように隊長は思った。
「さぁ、そろそろ血も充分に啜ったし終わりにしようか」
刀の刀身を握り刃に血を塗り力強く、殺意のこもった声で唱えた。
「『啜れ』」
手のひらから血が溢れ、その血は刀を呑み込んだ。
血で覆われた刀は絶えず血を滴らせ地を紅く染める。
「終演の時間だよ」
ピエロは能面を外し、顔に塗られた血が刀に吸われ隊長はピエロの素顔を見た。
「…有り得ん…貴様…貴様はッ!」
隊長は言葉を言い終える前に全身が血の棘が襲い、一本だけが隊長の頬を掠った。
「…チッ回避不能な筈だろバケモンが」
隊長の剣がピエロの首を捉え、慌ててピエロは能面を再び着け地面に刀を突き刺した。
「死ね!シっ…ス……」
隊長の背後から棘が喉を突き破り、そのまま隊長は絶命した。
「…あたしが弱いのか、コイツらが強いのか」
夜風が吹き、血の匂いがエミリーの恐怖を煽った。
地に横たわる騎士たちの死体はすべて赤黒い液体に沈み、まるで巨大な水溜まりのように静まり返った戦場を覆う。
「…まぁ神ノ器は回収できた。良しとしようか」
その声は酷く穏やかで、ただの童話の続きを語るようであった。
だが足元の液体は蠢き、死体の血を吸い上げるように揺れている。
エミリーの足首に、それが触れた。
生暖かい感覚が瞬く間に膝まで這い上がり、抵抗する間もなく全身を絡め取っていく。
目に映る液体は血によく似ていたが、匂いも触感も血のソレとは違った。
「やめろ!気色悪い!」
叫びながら足掻くエミリーにピエロは言った。
「殺さんから安心しなさいな」
そう言い、ピエロの肉体は赤く染まり溶ける様に消えていき、エミリーもピエロ同様、溶けるように姿を消した。