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【クリスマス企画!!】
ここで、藤澤の意識は現在へと戻ってきた。
カレンダーは再び十二月。施設の中は去年のあの日と同じように、楽しげなクリスマスソングと色鮮やかな飾り付けで溢れている。
藤澤はスタッフルームの椅子に深く腰掛け、重いため息をついた。去年よりは、元貴は少しずつではあるが、感情を表に出してくれるようになった。それでも、クリスマスという行事が彼にとって呪いであることを、藤澤は痛いほど知っている。
どうすれば、あの子に笑顔に出来るのか。
藤澤は窓の外、冬の低い太陽が作り出す長い影を見つめながら考えていた。
藤澤と同様、職員たちの顔には、一様に隠しきれない焦燥と苦悩が浮かんでいる。
「……やっぱり、サンタを呼ぶのは少し慎重になるべきですよね」
一人の女性スタッフが、去年元貴の背中を押してしまった後悔を滲ませながら、消え入りそうな声で切り出した。手元の資料には、行事予定の「クリスマス会」の文字が虚しく躍っている。
「でも、他の子たちはサンタを待ってる。元貴一人に合わせて全部中止にするのも…。かと言って、去年と同じことを繰り返すわけにはいかないしなぁ」
中堅の男性スタッフが、もどかしそうに頭を掻いた。
元貴が抱えているのは、単なるサンタへの恐怖ではなく、母親から植え付けられた深い自己否定だということ。それをたった一日のイベントで変えるのがどれほど困難か、経験豊富な職員たちにはよく分かっていた。
ついに、決戦の日とも言えるクリスマス当日の朝がやってきた。
冬の朝独特の冷たく澄んだ空気が漂う中、藤澤は子どもたちが眠る部屋のドアを静かに開けた。
「みんな、おはよう!朝だよ」
声をかけた瞬間、部屋の温度が数度上がったかと思うほどの熱狂が巻き起こった。
「今日はサンタさんが来る日だ!」
「プレゼント、なにかなぁー!」
子どもたちは飛び起きるなり大はしゃぎで、シーツの海を跳ね回っている。
そんなお祭り騒ぎの真っ只中で、やはり元貴だけは、別の時間軸にいるかのように静かだった。
騒ぐ輪に加わることもなく、ただ黙々と、手際よく着替えを進めている。パジャマを脱ぎ、綺麗に畳む。5歳児にしてはあまりに完璧すぎるその所作が、「いい子でいなければならない」という彼なりの強迫観念の表れに見えて、藤澤は胸が締め付けられた。
藤澤は隣で「靴下が履けない!」と騒ぐ他の子どもの世話をしながら、意識の半分以上を元貴に向けていた。俯いたまま、灰色のパーカーを被って、顔を出そうとしている。
今日、自分たちが用意した計画は、この子の凍りついた心を溶かすことができるんだろうか。
去年のような悲劇は、絶対に繰り返さない。スタッフ全員で練り上げた作戦を頭の中で反芻しながら、藤澤はあえていつも通りの、落ち着いたトーンで元貴に声をかけた。
「元貴、おはよう。自分でお着替え出来たの、偉いね」
元貴は一瞬だけ藤澤を見て、小さく頷いた。
ついに、サンタクロースが施設にやってくる時間が訪れた。
しかし、職員たちの計らいにより、今年はサンタを子どもたちの前にいきなり登場させることはしなかった。サンタ役の男には、あらかじめ別の個室で静かに待機してもらうよう手配したのだ。
「みんな、集まってー!」
ある職員の呼びかけに応じ、子どもたちが広いリビングに駆け込んでくる。中央に集まって座り、期待に目を輝かせる集団の中で、元貴だけはやはり輪の端の方を選んだ。膝を抱えて小さく丸まる体操座りの姿勢は、まるで自分を守るための殻のようだった。その表情は、これから起こるであろうサンタとの接触を恐れ、心底憂鬱そうに沈んでいる。
藤澤は少し離れた場所から、その横顔をじっと見つめていた。手のひらには、じっとりと汗が滲んでいる。どうか、あの子の心に届いてくれ。藤澤は心の中で、自分たちの立てた作戦の成功を強く祈った。
一人のスタッフが、藤澤と視線を合わせて微かに頷く。それを合図に、子どもたちの正面に立ち、明るい声で口を開いた。
「皆さん、ついにクリスマスがやって来ました! 実は今日、サンタさんからみんなへお手紙を預かっています!」
「えーっ!?」
「サンタさんからお手紙!?」
子どもたちのボルテージが一気に跳ね上がる。興奮した声が響く中、スタッフは手にした封筒を恭しく掲げた。
「それでは読みます!『いい子のみんな!君たちのベッドにそれぞれ、一人ひとつ、パズルのピースを隠したぞ。全部見つけて、一つの絵を完成させたら、お菓子をあげよう』」
「パズル!?」
「探しに行こ!」
子どもたちが立ち上がらんばかりに、湧き立つ。しかし、そこでスタッフがさらに一際大きな声を出し、続きを読み上げた。
「『しかし! 他の子のベッドを勝手に触ってはいけません。自分の場所だけを探すこと。この約束を破ったら、お菓子はもらえません。みんなで力を合わせて集めよう』」
「えぇー!?」
「触っちゃダメなの?」
不満そうな、けれどどこかゲーム感覚の緊張感を含んだ声が上がる。自分のものだけを探し、全員分が揃わなければ完成しない。それは、一人一人が役割を全うすることを求める指令だった。
藤澤は、端っこで固まっている元貴を盗み見た。自分のベッドにだけ隠されたピース。他人の領域を侵してはいけないというルール。そのルールが、元貴に良い方向に響いてくれることを祈った。
「よーい、スタート!!」
その合図とともに、子どもたちは弾かれたように駆け出した。廊下には元気な足音が響き渡り、誰もが一番に自分のピースを見つけようと必死だ。藤澤は「慌てないでね」「行ってらっしゃーい」とにこやかに声をかけながら、子どもたちの背中を見送った。
けれど、藤澤の意識のすべては、広いリビングにポツンと座る小さな影に注がれていた。 楽しげな雰囲気に満ちた空気から取り残された彼は、手持ち無沙汰な様子で、両足の指先を擦り合わせていた。その仕草には、彼が抱える不安の強さがそのまま現れているようだった。
藤澤は、その痛々しい姿を直視するのが辛かった。
他の子たちにとっては楽しい宝探しでも、元貴にとっては「自分のベッドに、良い子であると証明するピースが本当にあるのか」を確認しに行くという、恐ろしい試験のようなものなのだ。もし、自分のベッドにだけピースがなかったら。もし、サンタが自分を「悪い子」だと判断して飛ばしていたら。
そんな残酷な想像が、小さなあの子の頭の中を支配しているのではないか。
藤澤は今すぐに駆け寄って、「大丈夫だよ、元貴の分もちゃんとあるから」と抱きしめてやりたかった。けれど、ここで大人が答えを教えてしまえば、サンタからの「正当な評価」を彼に届けることはできない。
藤澤は唇を噛み締めながら、ただ静かに元貴を見守った。
しかし、元貴はリビングの中央付近で膝を抱えて座り込んだまま、一向に動こうとしない。他の子どもたちが寝室の方で「あったー!」「どこだ!?」とはしゃぐ声が遠くに聞こえる中、彼はただ、自分の足元をじっと見つめていた。指で膝をギュッと引っ掻いたのが分かった。小さな肩が心細げに丸まっている。
藤澤は、その時その頑ななまでの静止の理由を察し、胸が張り裂けそうになった。元貴は迷っているのではない。「自分のベッドには最初から用意なんてされていない」と、残酷なまでに決め込んでいるのだ。
探しに行って何も見つからなかった時、自分がどれほど傷つくか、元貴は本能的に分かっていたのだろう。
期待して、裏切られるのが怖いのだ。
「……元貴」
藤澤は、喉まで出かかった言葉を一度飲み込んだ。無理やり連れていくのは簡単だが、それでは意味がない。藤澤が目を伏せたその時。
「あ!!元貴いた!!やっぱ元貴じゃん!!」
部屋の入り口から、弾けるような元気な声が響き渡った。先に寝室へ向かった子どもたちが、自分たちのピースを誇らしげに掲げながら、嵐のようにリビングへ戻ってきたのだ。
彼らにとって、このゲームは全員で一つの絵を完成させなければ、大好きなお菓子に辿り着けない共同任務だ。しかし、最後の1ピースが足りない。まだ見つけていないのは誰だ。あれ、元貴がいない。もしかしてまだ見つけてないのって元貴か!
そう考えた彼らは、元貴の姿を見つけるなり、駆け寄ってきたのだ。年上である小学生の男の子が、迷いのない足取りでこちらへ駆けてきた。
「元貴、まだピース見つけてねえよな、早く行こーぜ!あとお前のだけなんだよ」
こんなとこで何してんだ、とでも言いたげな少し不満そうな表情で、彼は元貴の細い手首をぐいと掴み、無理やり立ち上がらせた。
「ぁ、でも、…」
元貴は困惑したように目を泳がせ、救いを求めるような視線で藤澤を見た。自分のところには無いはずだ。そう言いたいのに、言葉は喉の奥に引っかかって出てこない。
けれど、そんな元貴の心の葛藤など、冒険心に燃える子どもたちには関係なかった。
「元貴のベッドある部屋ってどこだっけ!!」
「こっち!!」
「早く来いよー!!」
周りの子たちも次々と元貴を取り囲み、急かすように声を上げる。元貴は、自分が「悪い子」だから行きたくないのだと説明する暇さえ与えられず、小さな体ごと廊下の方へと押し流されていった。
「ほら、行こうぜ!」
リーダー格の男の子にぐいぐいと手を引かれ、元貴は何度か足を止めようと抵抗を見せながらも、逃れられない大きな流れに身を任せるしかなかった。
藤澤は、その背中をじっと見送った。一人の力ではどうしても動けなかった元貴の心を、無邪気な子どもたちの、当たり前の信頼が動かしていく。自分だけが特別に「悪い子」だなんて思わせない、子どもたちの等身大のパワー。
それこそが、職員全員が一番に期待していた展開だった。藤澤は胸の鼓動を抑えながら、元貴が自分自身のベッドで「自分をいい子と肯定してくれるもの」に出会う瞬間を待ち望み、彼らの後を追いかけ始めた。
「あった、元貴のベッド!!」
子どもたちが歓声を上げながら、元貴をその場所へと押し出した。真っ白なシーツが整えられた、元貴だけの小さな居場所。けれど今の彼にとって、そこは救いの場所ではなく、自分の「罪」が暴かれるのを待つ断頭台のような場所なのかもしれない。
「俺たち触れないからさ、早く!!」
「どこだ、どこだー!?」
サンタの言いつけを守り、誰も元貴のベッドには指一本触れようとしない。けれど、早くパズルを完成させたい一心の子どもたちが、元貴を取り囲んで一斉に急かし立てる。その期待に満ちた熱気が、皮肉にも元貴をさらに追い詰めていった。
元貴はとうとう、耐えきれなくなったように深く俯いてしまった。
手をぎゅっと握りしめ、まるで石像のように固まって動かない。その小さな背中は「見つからなかったらどうしよう」という恐怖で今にも折れてしまいそうだった。期待が大きければ大きいほど、それが空振りに終わった時の絶望を、5歳の彼は哀しくもよく分かっていた。
その様子を、藤澤は胸が締め付けられるような思いで見つめていた。
(ごめんな、元貴……怖がらせるつもりじゃないんだ。でも、これだけは自分の手で確かめてほしいんだよ)
藤澤は、あえて「大丈夫、あるよ」という直接的な答えは言わなかった。それではサンタからの言葉ではなく、大人の慰めになってしまうからだ。藤澤は溢れ出しそうな過保護な感情をぐっと抑え込み、努めて冷静な、けれど温かみのある声で子どもたちに助言した。
「みんな。落ち着いて。自分のピースはベッドのどこにあったか教えてあげたら?」
その一言で、子どもたちの発言が 急かすことから協力へと変わった。
「俺のはね、枕の下だったよ!」
「ぼくは棚に隠してあった!」
「あたしはシーツの間!」
周りの子たちが、自分が見つけた時の喜びを分け与えるように、口々にヒントを投げかける。その無邪気な「あるのが当たり前」という空気感が、元貴を包む暗い影を少しずつ押し返していく。
「っ…あの、でも」
その時、元貴がついに顔を上げた。消え入りそうな声だった。深刻そうな様子の元貴の発言に、あれほど騒がしかった子どもたちが一瞬で静まり返り、元貴の一挙手一投足に視線を集中させた。
「なんだよ」
リーダー格の男の子が、純粋な疑問を込めて聞き返す。
「ごめん、あの、……ない、……かも」
元貴の瞳は再び泳ぎ、誰とも目を合わせられずに床を見つめる。
「え?」
「……ないとおもう、…ピース」
「え、は? 何言ってんの?」
普段あまり話したことのない年上の男の子からの、少し刺々しい響きを含んだ問い。元貴は目に見えて怯み、肩をすくませた。彼にとってそれは「やっぱりお前にはないんだ」という宣告の前触れに聞こえたのかもしれない。
「ご、ごめ、なさ……」
一気に視界が潤み、元貴の顔が今にも泣き出しそうなほどに歪む。藤澤は胸が締め付けられ、反射的に「みんな、もう少し優しくお話しようね」と仲裁に入ろうとした。
だが、藤澤が声を出すよりも一瞬早く、その男の子が遮るように言い放った。
「ないわけないじゃん」
その声は、驚くほどはっきりとしていて、微塵の疑いも持っていなかった。
藤澤は言葉を飲み込み、そのやり取りを凝視した。
周りの子どもたちも、当然のように頷いている。
「だって、みんなの分があるって手紙に書いてあっただろ?」
「元貴のだけないなんて、そんなの変だよ」
と、口々に当たり前の事実として語り始めた。
藤澤は、喉の奥が熱くなるのを感じた。
大人が何百回「いい子だよ」と慰めるよりも、同じ目線で生きる仲間たちの「ないわけがない」という無根拠で真っ直ぐな信頼の方が、どれほど元貴の心を強く揺さぶるだろうか。
元貴は、涙を溜めた瞳を大きく見開き、自分を囲む仲間たちの顔を呆然と見上げた。
その瞳には、すでに溜まりきった涙が今にも零れ落ちそうに膜を張っていた。視界が歪んでいるせいか、瞬きをするたびに睫毛が濡れ、頬が赤く上気していく。
そんな元貴の心中を知る由もないリーダー格の男の子は、
「早く探してみろよ!」
と、背中を押すように快活に笑った。
「…わかった…」
元貴は、死刑台へ向かうような足取りで自分のベッドへ一歩踏み出した。絶望を反芻し、表情はまた暗く沈み込んでいく。
「おれ枕の下にあった!」
横から飛んできたアドバイスに、元貴は縋るように、けれど震える指先で恐る恐る枕を持ち上げた。しかし、そこにパズルの欠片はなかった。
「ヒッ、っ……」
喉の奥から、短い悲鳴のような、怯えきった声が漏れた。
やっぱり。やっぱり、わるいこのところにはこないんだ。
そんな恐怖が彼を支配した瞬間、
「え!?なに、虫でもあった!?」
と、虫好きの子が無邪気に横から顔を覗かせてきた。元貴が動揺で顔をくしゃくしゃに歪ませていると、その子は拍子抜けしたように笑った。
「なーんだ、なんもないじゃん!」
その言葉は、元貴にとって「お前は選ばれなかった」という宣告に等しかった。
「…っ、ごめ、んなさ、ッ…」
元貴は再び俯き、今にもその場に崩れ落ちそうなほど肩を震わせた。謝る必要なんてないのに、彼は自分の存在そのものが、みんなの邪魔をしていると思い込んでいる。
けれど、子どもたちの辞書に「諦める」という文字はなかった。
「他は?あとどこ?」
「あとベッドの下とか?」
一つの場所が空振りだったくらいで、彼らの信頼は揺るがない。むしろゲームはこれからだとばかりに、次々と新しい候補を挙げ、元貴を囲んで盛り上がっている。
「もうないよ、」
元貴は半泣きになりながら、リーダー格の男の子の袖を必死に引っ張った。これ以上探して、絶望を確定させたくない。そんな必死の抵抗だった。
「だからないわけないって!探せばあるって!」
「ないよ、あるわけないもん」
溜まっていた涙が、ついに一筋頬を伝った。震える声には、隠しきれない悲鳴が混じっている。それでも、目の前の少年たちは笑い飛ばした。
「何言ってんだよ、まだ1つしか探してないじゃん」
「諦めるの早すぎ!笑」
藤澤は、その光景をただじっと見守っていた。元貴が必死に守ろうとしている「自分は悪い子だ」という殻を、子どもたちの屈託のない「あるのが当たり前」という論理が、少しずつ、けれど確実に削り取っていく。
元貴。みんな、君の分がそこにあるって信じて疑ってないんだよ。
藤澤は、自分の胸の鼓動が早まるのを感じながら、元貴が次の場所へ手を伸ばすその瞬間を、固唾を呑んで見つめていた。
「ほら、次は横にある棚の中見てみようぜ」
「あたしも棚にあった!」
代わる代わる投げかけられる提案と、自分を覗き込む何人もの真っ直ぐな瞳。普段、誰とも交わらず、透明人間のように一人で過ごしてきた元貴にとって、それは眩しすぎるほどに新鮮で、熱を帯びた光景だった。
「…たな、?」
元貴は、涙を溜めたまま下を向いて、呆然と繰り返した。各ベッドに1つずつある、小さな小物入れのような棚に目を向ける。
「おう、棚の引き出しは? まだ見てないよな」
「うん…わかった」
拒絶することもできず、吸い込まれるように元貴は手を伸ばした。
これが最後だ。ここになければ、本当に…。
そんな絶望的な覚悟を決め、震える指先で一番上の引き出しをゆっくりと引いた。
その瞬間だった。
「あったあああああ!!!!!」
横から身を乗り出して覗き込んでいた子が、鼓膜を震わせるような大声で叫んだ。
「あった!! これでラスト!」
「早く! 元貴早くパズルに!」
元貴の思考は真っ白に染まった。自分の引き出しの中に、鮮やかな色をした厚紙のピースが、確かに、当然のような顔をしてそこに収まっている。
「……え?」
元貴の口から、掠れた声が漏れた。視界が激しく歪み、大粒の涙がボロボロと引き出しの中にこぼれ落ちる。けれど、その涙の意味は、さっきまでとは全く違うものに変わっていた。
(あった…。なんで?わるいこの、もときのとこにも、なんでサンタさんきてくれたの…?)
元貴の表情は、驚愕と困惑、信じてはいけないと頭では思う気持ちとは裏腹に、心の底から溢れ出してきた激しい安堵が混ざり合い、ぐちゃぐちゃに歪んでいた。
見つけた、という事実は目の前にある。けれど、その感触が脳に届いた瞬間、元貴の心に浮かんだのは喜びではなく、もっと暗くて冷たい疑いだった。
「なんで、?」
「え?」
「なんで、もときのとこにもあるの?」
ママは、悪い子のところには来ないって言った。自分は悪い子だから、ここにピースがあるのは何かの間違いだ。サンタさんが間違えたのか、それとも、自分が誰かの分を奪ってしまったのか。
「なんで、もときのとこにもあるの、おかしいよ、」
元貴は溢れ出す涙を止められないまま、掠れた声で呟いた。その言葉を聞いた藤澤は、一瞬で血の気が引くのを感じた。ピースを見つければ、それが「自分はいい子だ」という証明になると思っていた。けれど、元貴の自己否定はそれほどまでに根深く、事実さえも歪めて受け取ってしまう。藤澤は、彼にかけられた呪いの深さを改めて痛感し、目の前が暗くなるような感覚に陥った。
しかし、その沈黙を破ったのは、同じ年のおちゃらけな男の子だった。
「えー!? そんなの、いい子にしてたからに決まってんじゃん!」
彼は、元貴の苦悩なんてどこ吹く風といった様子で、顔をクシャクシャにして破顔させた。
「だよなぁ!」
「…うん、元貴はいい子だよ。俺もいつも思ってたし」
周りの子たちも当然のように口を揃える。元貴の涙の理由を、子供ながらに察したのだろう。リーダー格の男の子が、それまでの荒っぽい口調とは打って変わった優しい目をして、元貴の震える頭を大きな手で不器用に撫でた。
(……えっ?)
頭に乗せられた手のひらが、びっくりするくらい温かかった。自分が悪い子だとか、そんなこと、この人たちは一ミリも疑ってない。
そう気づいた時、ママの言葉よりも、今、頭を撫でてくれているこの手の温かさの方が、ずっと本物みたいに思えた。
「……ぁ……」
元貴は、撫でられるがままに身を任せていた。涙で視界はぼやけていたけれど、自分を取り囲む仲間たちの笑顔だけは、光り輝いて見えた。
(いい子……もとき、いい子なのかな。みんながそう言うなら、そうなのかな……)
心の奥底で、何かが静かに弾けた。今まで自分を閉じ込めていた真っ暗な箱に、外から穴を開けて、光を流し込んでくれているみたいだった。
指先に触れる厚紙の感触が、これが夢ではないことを教えてくれる。元貴の胸の中では、これまで彼を縛り付けてきた「悪い子」という重い鎖が、音を立てて砕け散っていた。
元貴は、嗚咽を漏らしながらも、もうピースから手を離さなかった。それをぎゅっと握りしめると、さっきまで感じていた不安が、不思議なほど消えていった。
「う、うん……ありがとう……っ」
元貴は、自分を撫でてくれる手のひらに、自分から頭を少しだけ擦り付けた。それは、彼がそれまでの5年間の人生で初めて、他人の優しさを「自分に相応しいもの」として受け入れた瞬間だった。藤澤は、その光景を滲む視界で見守りながら、子どもたちが起こした本当の奇跡に、ただ震えるほど感動していた。
「元貴、早く! 行こうぜ!」
リーダーの男の子に背中を叩かれ、元貴はハッと顔を上げた。いつもなら縮こまってしまうような強い衝撃も、今は自分を外の世界へと連れ出してくれる合図のように感じられた。
「…ん、うん!」
元貴は、袖で乱暴に涙を拭った。まだ頬は濡れているし、鼻声だったけれど、その瞳にはこれまでにない光が宿っていた。
リビングに戻ると、床にはパズルの台紙が広げられていた。子どもたちが次々と自分のピースをはめていく。最後の一箇所、ぽっかりと空いたその隙間を、全員の視線が、そして藤澤の温かい眼差しが待っていた。
元貴は膝をつき、震える手で最後の一片をその場所に置いた。
パチッ、と小さな音がして、パズルが完成する。描かれていたのは、大きな袋を背負って笑うサンタクロースと、その周りで踊る動物たちの絵だった。
「完成だー!!」
部屋中に爆発的な歓声が上がる。元貴はその中心で、周りの子たちと肩が触れ合う距離に座っていた。いつもなら避けてしまうその近さが、今は誇らしくて、温かくて、たまらない。
その時、奥の部屋の扉がゆっくりと開いた。
「メリークリスマス! みんな、よく約束を守ってパズルを完成させたな!」
鈴の音と共に現れたサンタクロースの姿に、子どもたちは再び狂喜乱舞する。元貴は一瞬、肩を強張らせて身構えた。けれど、隣に座る男の子が「すげえ、本物だ!」と叫びながら自分の顔を覗き込んで笑ってくれたことで、恐怖はすぐに消え去った。
サンタは、一人一人の顔をゆっくりと見渡し、最後に元貴の正面で足を止めた。
「元貴。よく頑張ったな。お前は、とってもいい子だ」
サンタの太い声が、元貴の全身を包み込む。 その言葉は、母親の言葉よりも、もっと深く、元貴の魂の奥底に届いた。
「…っ、ぁ……ありがと、ございます…」
元貴は深く、深く頭を下げた。溢れ出した涙が床のパズルを濡らす。けれど、その涙はもう自分を責めるためのものではなかった。
藤澤は、遠くからその光景を見つめ、静かに鼻をすすった。元貴はもう、暗い予備室で一人震えていたあの子じゃない。仲間と共に奇跡を探し当て、自分の価値を自分の手で掴み取った一人の少年だった。
「よかったね、元貴」
藤澤は心の中でそう呟き、最高のクリスマスプレゼントを受け取った少年の、世界で一番綺麗な泣き笑いの顔を、その目に焼き付けていた。
……………………………
エピローグ
サンタさんの大きな手が、目の前に差し出された。
そこには、さっきみんなで完成させたパズルの絵がプリントされた、小さな箱があった。中には色とりどりのお菓子が詰まっていて、振るとカラカラと幸せそうな音がする。
「元貴、これはお前の分だ。よく頑張ったな」
サンタさんの声が頭の上から降ってくる。去年は、この声が怖くてたまらなかった。地獄の底から自分を裁きに来た裁判官の声みたいに聞こえて、耳を塞いで逃げ出したかった。でも、今は違う。
(……もらって、いいんだ)
おずおずと両手を差し出した。指先が震えて、サンタさんの手袋に少しだけ触れた。ゴワゴワして、でもすごく温かい。
「……ありがとう、ございます」
自分の声が、自分でも驚くほどはっきりと出た。受け取った箱は、思っていたよりもずっと重かった。この重さは、「悪い子」じゃないっていう証拠の重さのように感じた。
胸の奥が、熱いお風呂に入った時みたいにジーンとする。前までは、プレゼントをもらうことが怖くて、悪いことをしているみたいで苦しかった。でも今は、この箱を抱きしめていると、なんだか自分がすごく大切なものになったみたいな気がする。
ふと顔を上げると、少し離れたところで涼先生がこっちを見ていた。先生の目は少し赤くて、でも、世界中の誰よりも優しく笑っていた。少し恥ずかしくて、目線を逸らしかけたけど、箱をぎゅっと抱きしめたまま、もう一度目を合わせて、先生に向かって小さく笑って頷いた。
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読んでくださりありがとうございます!!
クリスマス企画、これにて完結です!
なんとか日付変わるまでに書き終えられて良かった…笑
なかなかの長文でしたが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました!
コメント
11件
わ〜!コメント遅くなってしまいました🙇♀️ 5歳児の❤️さん絶対可愛いだろうな…という話はさておき、お友達がいい子ばかりで良かった😭😭わるいこ、なんて言われてたかもしれないけど、ほんっっとうにいい子!これからは💛ちゃんとお友達と幸せに暮らしてていってほしいですね…🥹
元貴くんに大切なお友達がいて良かったぁ…!!!すっごく感動しました!
みんなで根拠強く探す姿を見て泣けてきた😭