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アニスの遠回しな褒め言葉に、露骨に嫌な顔をしたアネモネだが、彼も同じく、単なるお世辞を口にしただけのようで、ふんっと鼻を鳴らすと目つきを険しいものに変えた。
「で、何だ?いきなり人の馬車に乗り込んでくるなんていい度胸だ。お望みなら、このまま自警団に引き渡してやるぞ?」
見知らぬ女には、キザな台詞を吐くことができても、いつぞやの<紡織師>とわかった途端に、この態度。相変わらずだ。
だが、この程度で怯むと思うなよ。
「どうぞ、ご勝手に」
これは、売り言葉に買い言葉ではない。
依頼品を届けたら、どうせこれまでの記憶は消えるのだ。自警団に連れていかれたとて、アニスはきっと説明などできやしない。
そのことを知っているのはアネモネだけだから、こちらの要求を呑んでさえもらえれば、万事解決だ。
「いい加減、お爺さんからの伝言、受け取って下さい。腐りますよ」
「断る。あと、腐るか馬鹿」
「受け取った後、要らないなら捨てていいですから。それと例え話にいちいち突っ込むのやめてください」
「なら、お前が捨てろ。おれは受け取らない」
「……ったく。子供みたいに意地を張るのは止めてください」
「な……っ!」
絶句したアニスに、アネモネは表情を変えず、言葉を続ける。
「あなたのお爺さん、病気って知っていますよね?」
「……」
「もう、長くはないですよ?」
「……」
「冬を超えることができるかどうか難しいって、お爺さん言ってました」
「……」
「あなたは知りたくはないんですか?知った後、捨てればいいだけの話ですよね?」
「……」
「意固地になって、大事なものを失ってもいいんですか?後で後悔したって、死人は蘇りませんよ」
「……」
不貞腐れた表情を浮かべてそっぽを向くアニスは、全身でほっといてくれと訴えている。
そのブスくれた態度が無性に不快で堪らなくなり、アネモネは声を荒げた。
「ねぇ、どうしても許してあげられないの!?ねぇ、どうして、たった一つの伝言すら聞いてあげないの!?黙ってないで、答えてよ!!」
それでも何も言ってくれないアニスに、アネモネはとうとう彼が客だというのも忘れて胸倉をつかんでしまった。
「……離せ、小娘」
「ねぇ、受け取ってあげてよ……お願い」
アニスはアネモネに胸倉をつかまれたまま、弱々しい声を上げる。
誰にも覚えてもらえないアネモネにとって、誰かが誰かを思う気持ちはとても清らかで尊いもの。
手に入れることができないからこそ、その美しさを知っている。
しかしその一方で、アニスが意固地になって受け取らない気持ちも、わかってしまう。
彼がこんな性根が腐った男になったのは、それなりの理由がある。
──今を去ること数十年前。
アニスの祖父チャービルは、この国の第四王女を妻に迎え、幸せな家庭を築くはずだった。
けれど、時期国王となるはずだった第一王子が突然死去し、状況が変わってしまった。
第一王子の死因は、表向きは病死ということになっているが、暗殺だったという噂は今でも消えていない。
そして第一王子の代わりに、今の国王となったのが第二王子で──彼の母親は、側室だった。
側室が本妻の子供を殺して、王座をもぎ取った噂を、チャービルは聞き流すことができなかった。
なにせ暗殺された第一王子と、妻の母親は同じ。直系の王族は、自分の妻だけになってしまったのだ。
アニスの祖父は妻の身の危険と、これから産まれて来る子供の未来を案じた。そしてこの夫婦は話し合った挙句、一計を案じることにした。
放蕩夫とアバズレ妻を演じて、生まれてくる子供が誰の子供かわからないようにしようと。
この型破な計画は、ずば抜けたエキセントリックさが甲を成し、生まれてきた子供── アニスの父親は、無事に成人することができた。
その後、アニスの父は成人した際に、先代<紡織師>の術を用いて、両親がずっと世間の目を欺くために演技をしていたのを知った。
こういうときに、直接心に届けることができる紡織師の術は、絶大な力を発揮する。
結果、良好とは言えなかった親子関係を修復することができ、アニスの父は理解ある妻を迎え、新たな家庭を築いた。
今尚、王族の間で実力主義派と、純血主義派が対立していることを知っているアニスの父は、チャービルと同じ道を歩むことにし、社交界で伝説の放蕩夫とアバズレ妻の再来など揶揄される演技を続けた。
幼いアニスにとったら、演技とはいえ不仲な両親を見るのは、さぞ辛いことだっただろう。
でも、そう遠くない未来、真実を伝えられる日が来る。アニスの両親はそう信じて疑わなかった。同じ屋敷に住まうチャービルも同じように思っていた。
けれど真実を伝えようと思っていた矢先、アニスの両親は死んでしまった。とても不自然な、事故で。
何も知らないアニスは、両親の葬儀の席で因果応報と暗く笑ったそうだ。
それからアニスは、家督を継ぐため忙しい日々を送り、領地と王都の行き来を繰り返し、数年が経過し、見事に性格が歪んでしまった。
もちろん祖父であるチャービルは、アニスの両親に代わり真実を伝えようとしたが、アニスはそれをずっとずっと拒み続け、あろうことか領地へと追放したのだ。
隠居と言う名の島流しを受けてしまい、困り果てたチャービルは<紡織師>の力を借りることにした。
『どうか死んでしまった両親と、拒まれ続けている自分の代わりに、アニスに真実を伝えてください』と。