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「あわわわっ!」
目の下をちょっとだけ染めた、橋本の口から告げられる自分のことについて、宮本は盛大に照れまくった。
落ち着きのなくなった様子の宮本を見るなり、橋本は頭を撫でていた手を使って、容赦なく宮本の右頬をぎゅっとつまむ。そこは江藤につままれた頬の反対側だったゆえに、宮本はその違いにすぐさま気がついた。強い力で捻りながらつままれているというのに、橋本に触れられた頬は痛みよりも、接触しているという事実が嬉しくて、微笑まずにはいられない。
「おまえ、ドMなのか? 嬉しそうな顔しやがって」
「らって、らい好きな陽しゃんにつねられてるかりゃ」
「好き好き言い過ぎだぞ。延々と聞かされる身にもなってみろ」
つねられていた指先の力が、ちょっとだけ緩む。照れながら上目遣いで宮本を見つめる、橋本の顔が可愛いなと思いながら、言葉を紡いだ。
「俺の気持ちが伝染すれば、陽さんがより早く好きになってくれる可能性があるかなぁと考えたんです」
「伝染って、何だか病気みたいだな」
途方もない話に呆れたのか、橋本は肩をすぼめて笑いだした。
「陽さん大好き病です。叩かれようがつねられようが、全部が嬉しくて堪らないんです」
「おいおい、それってかなり重症じゃないのか。俺はかかりたくない」
きっぱり言いきった橋本は、宮本をつねっていた手を退けて明後日を向く。見えない壁を作った橋本の雰囲気を肌で感じて、宮本は二の句が継げられない。妙な間がふたりを包み込んだ。
「……おまえのかかってるその病気が俺にうつったら、次の日に仕事があるのにもかかわらず、雅輝を朝まで抱きしめちまうことをするかもしれないぞ。それでいいのか?」
「へっ!?」
顔を背けて告げられたセリフだったが、宮本の耳にしっかりと聞こえた。
「否定しろよ。それでいいのか?」
いいのかと訊ねるタイミングで、橋本が宮本の顔を見つめた。どこか誘うような艶めいた眼差しが、射竦めるように自分を凝視するせいで、ずっきゅーんと宮本の心臓が跳ね上がる。
ばくばくと脈打つ鼓動が、新鮮な血液を全身に巡らせるからか、先ほど橋本が告げた『雅輝を朝まで抱きしめちまう』という言葉が、宮本の頭の中で、まざまざとイメージされてしまった。
どこかの一室で日の光を浴びながら、ベッドの中で互いに全裸で絡み合う姿が、いやらしい感じで浮かび上がる。宮本の頬にちゅっとキスを落とした橋本が、小さく笑いながら告げる。
『ハイヤーの仕事なんてずる休みして、雅輝とずっとこうしていたい』
『だっ駄目。そんなことされたら、俺の躰が持たないです、よ?』
『大丈夫だ、優しくしてやる』
『優しくなんて、そんなの嫌です……。陽さんの気持ちを、俺に見せてください』
『だったら覚悟しろ。イキすぎて死んだりするな』
『陽さんっ! お願い……』
映像化された橋本と、目の前にいる橋本の顔が重なった瞬間、宮本劇場の幕が終了した。
「どうする? 雅輝」
「あああ朝まで生討論するんじゃなくてっ、あのそのえっと陽さんとゴニョニョ……」
さきほどまでの妄想のせいで、宮本の頬はりんごのように真っ赤になっているだけじゃなく、全力疾走後のように息も荒くなっている状態になっていた。
あからさまな同乗者の変化に、橋本はきょとんとしながら口を開く。
「どうして、生討論なんて言葉が出てくるんだよ?」
「やっ、何か自然に出てきちゃいましたっ」
「さっきもそうだったけど、おまえってさ、俺がそれっぽい雰囲気を醸し出したら、変なことを言い出すよな」
「そうでしたっけ?」
「俺としては、話の主導権を握ろうと思っているのに、絶妙なタイミングで話の腰を折られるせいで、どうしていいかわからなくなっちまう」
切なげな橋本の声が車内に響いた。
「気がついたら、雅輝に主導権を奪われていて、さっきみたいに襲われたりしてるんだから。これってもしかして、おまえなりの作戦だったりするのか?」
「作戦なんてそんなの! 考えつきもしませんよ」
「そうか、天然なのか。それは厄介だな」
自分のペースを崩されて、困ったことを言葉にしているのに、どこか嬉しそうな表情を橋本はありありと浮かべる。その顔があまりに魅惑的に見えるせいで、宮本は頭を抱えたくなった。
(このタイミングでそういう顔をする、陽さんのほうが作戦でしょ。さっきから、心臓を撃ち抜かれっぱなしだよ。絶対に厄介だと思われる!)
「とりあえずだ。雅輝、俺との約束を忘れるなよ」
「約束?」
「おいおい、もう忘れたのかよ。呆れた……」
大きなため息とともに告げられたセリフで、宮本の頭の中に閃光が走った。
「ああ、あれですよね。自分の身を守るって約束!」
「そう、それ。この車を降りてから、ぜひとも発動してくれよな」
橋本はぽんぽんと肩を叩いて、念を入れた。それに応戦しようと、宮本はわざとらしい上目遣いで見つめる。
「陽さんも話し合いには、十分に気をつけてくださいね。絶対ですよ」
「ああ、わかった。雅輝がきちんと約束を守れたなら、ご褒美をやるよ」
「ホントですか? 全力で頑張りますっ!」
「現金なヤツ。ちなみにご褒美は、俺からの告白だからな」
(それって、すごいご褒美じゃないか! これは何としてでも、キッチリ守らなければ!)
かくて目の前にぶら下げられた『橋本からの告白』を獲得すべく、宮本はインプを降りてから自身の警戒レベルを、嫌というほどに高めた。仕事中もデコトラのハンドルを握りしめながら、前後左右にいる車すべてに意識を向けて、何をされてもいいように、気合いを入れて運転した。
それなのに――。
「正直、普段と変わらない一日だった……」
橋本が住んでいるマンションの地下駐車場に、落胆した宮本の声が響き渡った。話し合いの現場に自分が来たら、叱られると承知していたが、いつもの日常を送ったことにより、橋本が危ないと判断できてしまった。
(というか友達になりたいだけの目的で、陽さんの住んでる場所まで把握しようと、夢中になって身辺調査したあのときの俺ってば、今回のストーカー野郎と変わらない。だけどそのころから、彼を意識していたんだな)
若干呆れながら、広々とした駐車場を見やる。宮本の目の前には、色とりどりの車がたくさん駐車されていた。時刻は午後10時48分。橋本が帰ってくるまでに、インプの傍で待っていようと目的の車を探す。
ロイヤルブルーのGC8型インプレッサWRX。通称『文太インプ』を見つけるべく、綺麗に整列されている無数の車の間を、必死に目を凝らしながら駐車場内を歩く。
先に現場へたどり着いて、どこかに隠れなきゃなぁと考えついたとき、引き寄せられるようにそれが目に留まった。ナンバープレートをしっかりと確認後、急いで駆け寄ってボンネットに触れる。
「昨日は嫌なことがあったよな。かわいそうに……」
地下駐車場の一番奥の角側に、インプがぽつんと停められていた。一番奥側とはいえ、出入口から見渡せば、目の届く距離に駐車している。
遠くに視線を飛ばして、よぉく見ればわかる位置――そんな場所にある車に目がけて、精液を飛ばせるなんて、ある意味露出狂と大差ないことに、宮本の背筋に悪寒が走った。
「はじめましてぇ、宮本さぁん!」
「ひいいっ!」
自分に向かって声をかけられた衝撃に、宮本は思いっきりビビッて、インプの車体に無我夢中でしがみついた。囁くように話しかけられたというのに、突然背後から話しかけられたのは、いろんな意味で心臓に悪かった。
インプにしがみつく両腕が、ふるふる震えてしまう。
「宮本さんってば、本当に車が好きなんだね。そんなふうに身を挺して、守ろうとするなんて」
さもおかしそうにお腹を抱えて笑う男は、宮本の知らない人物だった。背が低くて小柄な体形は、橋本が事前に教えてくれた男の特徴に合致する。
自分の失態が男にバレていないことに内心ホッとしつつ、何事もなかったように向かい合った。ぱっと見は人畜無害そうな男の様相と、一回り以上宮本よりも体つきが小さいことに、何かあっても対処できると判断する。
「どっどうして、俺の名前を知っているんですか?」
当たり障りのない質問を投げかけながら、頭の中では、今まで見てきたアニメに出てくる、バトルシーンを思い出した。それを真似すれば橋本が来る前に、もしかしたら何とかできるかもと、必死になって回想する。