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かける言葉ひとつ、動かす指先ひとつで他人の心を魅了することができる。それが自分にとって紛れもなく快感に値するものだと知ったのは、このいたいけな後輩に出会ってからだ。いまだ明るい夕暮れ、アパートの扉を開けるれおの首筋を眺めながら、奏斗はひそかに苦笑した。
うんざりする日差しの夏、ヴォルタが全員揃っての練習日。練習終わりそのまま仮眠室の布団に潜り込むつもりの奏斗を無理やり帰路につかせたのはれおだった。いわく「ちゃんと帰れ」。けれど奏斗は当のれおがこの夏は実家に帰ってないことを知っていたから、簡単に言えば苛立ったのだ。陽が落ちたところで衰えない暑さも、奏斗のわずかな苛立ちに拍車をかけた。
熱の冷めないアスファルトの上、奏斗を引きずるれおに「花火がしたい」とわがままを言ったのは、まさしく八つ当たり以外の何ものでもない。それでもれおは立ち止まり振り返って「は、」と眉を寄せた。
「……いまですか?」
「そう、今。せっかく僕を外に連れ出したからには付き合ってくれてもいいでしょ?」
「……そういうことは先に言っといてくださいよ。渡会……先輩は知らないけど、もっと早く言えば他二人の先輩達とも一緒にできたかもしれないじゃないっすか!」
「れおは僕とふたりじゃ不満? 」
「……。花火とか、」
ふたりで、やるもんでもないでしょ。
そう言ったれおがふいと前を向いてしまえば、奏斗は小さな笑いを噛み殺すしかない。――ああ、かわいいやつ。れおの反応にあっさり機嫌を直した奏斗は、足先からじわりと込み上げる甘い痺れをいなしながら、れおの一歩後ろを追った。
ーーー
ソファに身体を委ねて冷風を吐き出すクーラーの真下に陣取れば、わずかに熱を帯びた皮膚が急激に冷えていく。低いテーブルの上にはコンビニの大きなポリ袋、手持ち花火のセットが顔をのぞかせている。そのままぼんやりと涼を享受していたら、家の主がぺたぺたとフローリングに足音を響かせながら現れた。
「買ったはいいですけど、どうすんですかそれ。近所に公園はあるけど怒られても知りませんよ」
がしがしとタオルでくすんだ髪を拭きながら、呆れた視線を奏斗に寄越すれお。汗が気持ち悪いから流してくる、と浴室に消えた家主は、部屋着であろう大きなTシャツとハーフパンツをまとっている。
「公園がベストだねぇ、1回快適な屋内に入っちゃえばもう外に出る気が起きないわ、陽が落ちたとしてもちっとも涼しくならないし。」
「勝手に人んち上がり込んでよく言う……」
「え、僕は『花火がしたい』って言っただけだよ。ここまで連れてきたのはお前じゃん」
「……そ、れは!」
「あそうだ、ベランダでやろう」
「へ?」
「線香花火ならベランダでもできるっしょ。僕は花火さえできればそれでいいし、線香花火だけでもいいよ」
「……はぁ…」
そういうことは先に言ってくださいよどうするんですか残りの花火、とそう広くないワンルームに響くれおの咆哮をすっかり無視して、奏斗がふらりと立ち上がる。正面からまっすぐ微笑みかければ、れおが何も言えなくなることを奏斗はよく知っていた。
そもそも花火がしたい、だなんて口実でしかない。一度しかないこの夏の、限られたれおの時間を奪うための言い訳だ。たとえば「一緒にいて」だの、虫唾が走るきざな誘い文句を使えないのは、れおと奏斗の関係が少なくとも『恋人』ではないからだろう。
空調が効いているにも関わらず窓を開け放って、狭いベランダに並んで腰を下ろす。眼下に広がるのは何の変哲もない住宅街。時おり人が通るほかは、街灯が興味なさげに佇んでいるだけ。れおは放り出されたサンダルを足先で引き寄せて、そっと炭酸の空き缶を置いた。
「……あっつ、」
「夏だからね」
並んで腰かければ自然と肩が触れる。洗いざらしの髪から漂うシャンプーの匂いがあまりにも清潔で、奏斗はわずかに瞼を伏せた。
「こんなとこで線香花火やって楽しいんですか、窮屈だし…その…」
「んふ、それはどうだろ。れお次第じゃない?」
どうゆうこと、と小さく口ごもるれおからか細い線香花火を受け取って、代わりに安いライターを渡す。じゅっとライターの石を回す小さな音。真剣な面持ちで花火に火を点けるれおの仕草はやけに幼く、奏斗の視線を釘づけにするには十分だった。やがてぱちぱちとささやかな爆発音を立てながら、線香花火が役目を遂げる。奏斗はわざとれおに身体を寄せて、れおの揺らす花火の先端から燃える炎を貰い受けた。
三本まとめて華やかに散るれおの線香花火と、たった一本で儚げに揺れる奏斗の線香花火。剥き出しの腕にまとわりつく真夏の気配。じっと手もとを見据えるれおの瞳に、ささやかな火花が散った。金色のとろける光彩に広がる、鮮やかなオレンジの火花。それはきれいに磨かれ、額縁に入れられた芸術品とは違う。たとえば祭りの屋台、小さなプールに浮かぶビー玉のような。幼い子どもが「どうしてもあれが欲しい」と手を伸ばさずにはいられない、鮮やかな誘惑のきらめきがそこにはあった。
美しい、と表現するには不適当だ、と奏斗は思う。ガラスケースの中に飾られた宝石の輝きとは種類が違う。れおの息吹を、体温を、感情をすべて閉じ込めた金色の光彩を、美しいなどという他人行儀な言葉で表現できるものか。いくら眺めていても満足できず、れおの瞳が輝きを増せば増すほど焦げつく想いが奏斗を苛んだ。
きらきら瞬くおもちゃ、欲しくて欲しくて仕方がない。駄々をこねる子どものように、奏斗はすぐ隣のれおの肩に手を伸ばした。後ろからぎゅうと抱き込んで、無理やり身体を寄せる。その拍子にれおの線香花火の火種がぽとりと落ちて、れおが息を呑むのを他人ごとみたいに眺めていた。
「あ、!」
何か言いたげな視線が刺さり、さっきまで火花を映していた水色に、今は奏斗だけが映る。奏斗は曖昧に微笑んだまま、ふ、と顔を寄せた。咄嗟にれおが瞼を閉じる。――ああ、期待をされてる。思わず笑い出したい衝動を抑え、奏斗はれおのきつく閉じられた瞼に浅く口付けた。そうして少しだけ顔を離して、睫毛が触れる距離で開く瞼を見届けるのだ。
「……せ、んぱ、」
「キスされると思った?」
残念でした、と言葉にはしなかったけれど、きっと笑いを含んだ声で気づかれている。肩に回した腕を腰まで下ろせば、無防備な部屋着をまとった身体がわずかに強張った。視線は外さない。すっかり逃げ場を失ったれおは、一瞬眉を寄せ、奏斗の視線から逃れるように顔を伏せた。
線香花火の火種はとっくに落ちている。伏せた瞼から覗く水色がわずかに濁っているのを見て、奏斗は歓喜せずにはいられなかった。――傷つけた。完璧な輝きを濁らせた。それが嬉しくて叫び出しそうだった。他のどんな表情よりも、その翳った顔に欲情する、だなんてどうしようもない。
れおが『そういう』意味で自分を好いているらしい、と気づくのにそう時間はかからなかった。熱っぽい視線。あからさまな態度。れおが憧れだと思っている想いの裏には、れおすら気づいていない感情が確かにある。その正体をれおの目前に突きつけたのは、他でもない奏斗自身だ。不純物のない『憧れ』など信じられないし、信じているれおに苛立った。だから戯れに腕を引いて、素肌に触れて、れお自身に宿る熱を自覚させた。迸るれおの想いに、応えるつもりもないくせに。
一度のつもりが二度三度、とっくに火遊びの域を越えている。けれど奏斗はれおに手を伸ばすことをやめなかった。身体を重ねることで、れおの心はまだ自分にあると確かめずにはいられない。その衝動の根幹に何があるのか、薄々気づいても見えない振りをしていたかった。
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