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 アリーセ・エリザベスが真冬の吹雪のように突然やって来てから2週間近くが経過した週末、今夜は彼女がそもそもの目的である食事会があるために遅くなると朝食の支度をしながら告げると、ウーヴェが帰りはどうすると問いかける。

 久しぶりの食事会だが、今日は飲みたい気分ではない為に自分の車で店に向かうと笑顔で出来たてのスクランブルエッグを差し出され、夜の食事の時に酒を飲まないと言う考えがあまりない弟は些か理解出来ない顔で、それでも己を納得させて頷いた。

 そんな姉弟の横ではリオンが一心不乱としか言いようのない様子でゼンメルのサンドを頬張り、オニオンスープを啜っては苦手な野菜の盛り合わせを咀嚼し、本日一番のお気に入りだと言うようにスクランブルエッグを頬張っていた。

 「誰もあなたの分を取ったりしないから、落ち着いて食べなさい」

 そんなに慌てて食べて喉でも詰めれば大変だと、生来の世話好きを発揮しながらアリーセ・エリザベスがリオンに落ち着けと声を掛けると、いつもこんな感じだから大丈夫だとウーヴェが苦笑する。

 「・・・美味かったぁ!!」

 彼女が用意してくれたものを見事に平らげたリオンが満面の笑みでアリーセ・エリザベスを見つめ、ダンケと声を挙げる。

 「な、オーヴェ、このスクランブルエッグ、また食いてぇ!」

 「そんなに気に入ったのか?」

 「最高!!すげー美味いっ!こんな美味いの初めて食った」

 リオンの手放しの絶賛にアリーセ・エリザベスが本当に美味しかったのかと問いかけるが、心外だと言うようにリオンの青い目が大きくなる。

 「や、マジで美味いって。良いなぁ、アリーセのダンナさん、いつもこんな美味いスクランブルエッグ食ってるんだ・・・」

 羨ましいと涎を垂らしかねない勢いで言い放ったリオンの横、ウーヴェの顔が瞬時に険しいものになったかと思うと、眼鏡の下でターコイズを眇めてそれは悪かったなと呟く。

 「オーヴェ?」

 「あまり美味しくない朝食ばかりで悪かったな。だったらこれから朝はお気に入りのインビスで買えばどうだ?」

 「あー、まーたそんな可愛くない事を言う」

 食後のコーヒーに温めておいたミルクを注ぎながらリオンが嫉妬するなよーと歌うように告げると、氷の矢の様な視線が突き刺さる。

 「嫉妬など・・・」

 「してるじゃん?」

 アンペルマンのマグカップ片手にリオンが目を細めてさらりと言い放つが、心配しなくてもお前が作ってくれるメシはすべて美味いと白い髪にキスをする。

 「・・・フェル、私に嫉妬してどうするの」

 アリーセ・エリザベスが呆れたような顔でそれでも弟のためにコーヒーを差し出し、そうだそうだとアリーセ・エリザベスに同調するリオンをじろりと睨んだウーヴェだったが、確かに実の姉に嫉妬するなど見られたものではない事に気付き、こほんと咳払いをする。

 「あ、そうだ。オーヴェ、今日俺、昼から休みだったんだ」

 「そうなのか?」

 「ほら、この間の事件あっただろ?あれの容疑者が無事に被疑者になったし、休み取っても良いってボスが言ってた」

 マグカップのコーヒー牛乳としか言いようのないカフェオレを飲みながら苦笑したリオンは、ホームに顔を出してちょっとリッシーの店に行って来るとウーヴェを見る。

 「リッシーの店?」

 「お前のリザードを買った店」

 「ああ・・・何か欲しい物でもあるのか?」

 「ちょっとな」

 リオンが奥歯に物が挟まった様な物言いをした為、どうしたと苦笑したウーヴェだったが、アリーセ・エリザベスの控え目な声に顔を向けて首を傾げる。

 「・・・この間も言っていたけど、フェルのリザードって何のこと?」

 この家の何処にもは虫類を飼っている気配は無いと苦笑する姉に、トゥリングだと告げた弟は、左足を抱えて靴下の上からリザードが定住地と決めた指を撫でる。

 「トゥリング?」

 「ああ・・・・・・リオンが選んでくれたんだ」

 靴下の上から撫でつつ目を細めたウーヴェにアリーセ・エリザベスが軽く驚いたように目を瞠るが、弟の幸せそうな横顔にどんな言葉も掛けられずに口を閉ざす。

 幼い頃にはいつも嬉しそうに笑っていた横顔が重なり、家族の関係を大きく変えてしまったあの事件さえ無ければと、この20年以上思い続けてきた言葉が脳裏を過ぎる。

 「・・・エリー?どうした?」

 姉の様子がおかしいことに気付いた弟が眉根を寄せると、ウーヴェの頭上からリオンが同じように覗き込んでくるが、まさか考えていることを顔に出すことも口に出すことも出来ず、己をも騙すように顔を上げる。

 「・・・何でもないわ」

 「そうか?」

 「ええ。・・・・・・早く食べてしまいなさい。遅刻するわよ」

 アリーセ・エリザベスが頭を一つ振った後、ウーヴェとリオンの尻を叩くように早くしなさいと手を叩き、慌てて二人がコーヒーを飲み終えて立ち上がる。

 「用事が終わったら電話するな、オーヴェ」

 「分かった」

 もう一度ウーヴェの髪に口を寄せた後、仕事に行くかーと伸びをし、キッチンを出て行ったリオンを見送った二人はどちらからともなく顔を見合わせて苦笑しあう。

 「あなたも遅れるわよ、フェリクス」

 「ああ」

 美味しい朝ご飯をありがとうとエリーの頬にキスをしたウーヴェは、リオンの後を追いかけるようにキッチンを出て行った為、そんな自分を見て姉が口元を押さえて微かに肩を震わせた姿を見ることは無いのだった。



リオンがその日の午後ホームで昼食を食べながら、今回の騒動についてゾフィーに報告をしたが、彼女は呆れたような何とも言えないような顔でリオンの報告を聞いていた。

 結局はリオンとウーヴェの早とちり-とは言い切れないが、調査という一言から早合点をした事で危うく大げんかに発展するところだったと苦笑するが、その結果が思いも掛けない言葉として返ってきたと告げ、ゾフィーが興味もなさそうな顔で何を言われたのと椅子を引く。

 「今はまだ無理だけど、いつか一緒に暮らそうって言われた」

 「・・・そう、なの・・・?」

 「ああ。帰ってこいって・・・帰る場所を作るって・・・約束をしてくれた」

 いつもと全く変わらない顔で煙草に火をつけて紫煙を吐くリオンだったが、その前ではゾフィーが顎の下で手を組んで僅かに目を伏せていた。

 「それは・・・良かったわね、リオン」

 「うん・・・・・・まだいつになるかは分かんねぇけど、な」

 ひょいと肩を竦めながらなるべく早くその夢が叶うと良いなぁと、疑うことを知らない顔で煙の行く先を目で追ったリオンは、己の言葉の連想と煙を見ていた為にゾフィーが思い詰めたような顔で口を開こうとしたことには気付かなかった。

 もしもこの時リオンが彼女の様子に気付いて思いを聞き出していれば、後に二人の周囲をも巻き込む悲劇を防ぐことが出来たかも知れなかったが、今の二人にそれが分かるはずもなく、またリオンに対して己が抱えている思いを告げるつもりが無い彼女が口を閉ざし、目の前の夢のような現実にだけ意識を向けていたリオンも当然ながらそんな予感なり予兆なりを感じ取ることは不可能だった。

 「で、今日はどうするの?」

 「ん?ああ、後でリッシーとベラの店に行って来る」

 「何か買うの?」

 ここの孤児院の出身ながらアクセサリー作りを幼い頃から学び、二人で独立した店を持ったのは数年前だったが、彼女たちの店で何かを買うのかとコーヒーを入れながら問いかけるゾフィーに今日はベラではなくリッシーに用事があると告げた途端、ゾフィーの眉がくっきりと皺を刻む。

 「あんた、今までタトゥーは入れてなかったのに、入れる気になったの?」

 「んー、まだわかんねぇ。入れても良いかなって思ってる」

 人に言えることや言えないことを散々やってきたリオンだが、両耳のピアス以外己の身体に傷をつけることはしてこなかった。

 だからタトゥースタジオのオーナーの顔も持つリッシーの元を訪れると言ったとき、ゾフィーが意外な顔をしたのだが、まだリオンが決心しかねている様子に胸の裡で安堵してしまう。

 「・・・あまり目立つところに入れない方が良いわよ」

 「ああ、分かってるって」

 自分が今どんな仕事をしているのかぐらい誰よりも把握していると苦笑したリオンは、もし入れるのだとしてもワンポイント程度だと笑い、そろそろ行くと立ち上がる。

 「あ、そうだ。余計な心配されると嫌だから、マザーには黙っててくれよ、ゾフィー」

 「分かってるわ。安心なさい」

 「ダンケ、ゾフィー」

 やれやれと溜息を吐く彼女の頬にキスをし、また来ると手を挙げて帰るリオンを見送ったゾフィーは、キッチンから自室へと戻ると力なくベッドに腰掛けるが、座っていることすら億劫なのか、そのまま壁に背中を預けてずるずると固いベッドに倒れ込む。

 叶わないと思っていた夢だが、永遠に叶うことがないと教えられたショックは予想外の大きさだったらしく、夢が破れた事への涙すら出ないで、代わりに出てきたものはと言えば自らを笑うものかどうかも分からない笑いだけだった。

 狭く小さなベッドの上で身を丸めて肩を揺らしていたゾフィーだったが、自然とその笑いが納まると同時にデスクから取り出した錠剤を無造作に掴んでフィルムを開けると、躊躇うことなくそれを飲み込み、再度ベッドに倒れ込むのだった。

 目を閉じた彼女の脳裏に浮かんでいるのは、幼い頃から見続けていた今も変わることのないリオンの笑顔だった。



 その日の午後遅く、お友達同士の食事会の為にゲートルートへ向かおうとしていたアリーセ・エリザベスだったが、店に行くには時間が早くて何処か適当な店で時間つぶしをした方が良いと気付き、真っ先に弟のクリニックに顔を出そうかとも思うが、まだ診察中だろうから遠慮しようと決め、ゲートルートからさほど遠くない通りに面した居心地の良さそうなカフェを発見し、店の前に運良く空いていたスペースに車を停めると、いつかとは違いしっかりとロックを掛けてハンドバッグを持って車から降り立つ。

 通りが見えるソファ席が空いているのを確認すると店員に笑顔で頷いて足を向け、オーダーを聞きに来た店員にカフェオレを注文すると雑誌を広げるが、その時、窓から入る日差しが陰ったことに気付いて顔を上げて瞬きをする。

 窓の向こうに同じように驚いた顔で此方を見つめるリオンがいたのだ。

 「ハロ、アリーセ」

 そんな声が窓ガラス越しに聞こえた気がし、苦笑しつつ此方に来いと手招きをすると、陰った日差しを補ってあまりある笑みを浮かべたリオンが大股にやってきて彼女の向かいの椅子を引いて笑みを浮かべる。

 「今日は午後からお休みと言っていたわね」

 「そう。リッシーの店での用事も終わったけど、オーヴェはまだ診察中だから時間つぶし」

 「あら、あなたでも気を遣ったりするの?」

 初めて顔を合わせた時には自分がいても関係なく診察室に飛び込んできた癖にと、意外さと意地悪さを込めてアリーセ・エリザベスがちらりと視線を向けると、何でもない事のように肩を竦めたリオンがビールと言い掛けて少し考え込んだ後、コーヒーをオーダーする。

 「そりゃあ、俺でも気を遣ったりするって」

 「そうかしら?そのようには見えなかったけど?」

 「ああ、あの時はクリニックから出てきた人を見たけど入る人は見なかったし、リアが患者の相手をしてなかったから短い時間なら大丈夫だって踏んでたんだけどな」

 事実、アリーセは患者ではなかったともう一度肩を竦めたリオンの言葉にアリーセ・エリザベスが言葉を失い、青に近い緑の目を驚愕に染める。

 リンゴのタルトの取り合いをした夜もそうだし今朝もそうだったが、リオンの言動は年齢から言えばふさわしくないほど子供っぽい事が多かった。

 子供のような性格と言えば聞こえは良いが、言葉を換えれば幼稚と言うことにもなる。

 だが、今目の前で長い足を多少行儀悪く組んで煙草を取り出そうとしているリオンの顔にはその子供っぽさの片鱗は一切無かった。

 ウーヴェの恋人という調査報告から知ったリオンの為人と、直接顔を合わせて言葉を交わして得たそれが脳裏を過ぎるが、報告書からもたらされたものはリオンの上辺を撫でただけのものだったと思い知らされる。

 「・・・あ、煙草、止めた方が良いか?」

 「ええ、この後皆で集まるのよ。煙草の臭いが染みつくのは遠慮したいわ」

 「そっか、ごめん」

 アリーセ・エリザベスがじっと見つめていた理由が煙草についてだと思ったのか、リオンが小首を傾げて問いかけて我慢できるのならば我慢してくれと告げられ、あっさりと煙草をポケットに戻したリオンは、俺の顔に何かついているかと苦笑する。

 「あなた・・・あの子の前でも煙草を吸うの?」

 「んー・・・その質問に答える前にさ、オーヴェの事をガキ扱いするのは止めて欲しいな、オネエサン」

 「!!」

 「だってさ、オーヴェは俺より4つも年上だぜ?」

 そのオーヴェがあの子扱いされるのならば俺などどうなると肩を竦め、運ばれてきたコーヒーを一口飲んで慌ててカップを下ろす。

 「あちっ!!」

 「慌てずにゆっくり飲みなさい」

 リオンの慌てる様に呆れた吐息を零すアリーセ・エリザベスだったが、つい先程告げられた言葉が意外な重さをともなって心の中に落ちたことに自身でも驚きを隠せなかった。

 そして、リオンが最後に呼びかけたオネエサンという、人を食ったような一言が引っかかりを覚えると言うかあの日のやり取りを思い起こさせて不愉快になってしまう。

 「そのオネエサンという言い方、馬鹿にされているようで不愉快だわ」

 「そっか?」

 「ええ」

 「ま、不愉快っていえばそうだよなぁ」

 だって不愉快になっても仕方がない事をあんたが先に言っているんだと、コーヒーに息を吹きかけながら呟くリオンにアリーセ・エリザベスが目を瞠って言葉を無くす。

 「いくら姉弟でもオーヴェの事をそんな風に言われると俺も不愉快だし」

 己が不愉快に感じたことをその相手がまるで鏡に向けて言い放ったように跳ね返しただけだと苦笑したリオンは、沈黙する彼女を上目遣いで見つめた後目を細める。

 「そういえば・・・ああ、うん、そうだった」

 「何がそうなの?」

 その後不意に何かを思い出したのか、リオンが目を瞠ったかと思うと、一人だけが理解出来る事で笑みを浮かべた為にアリーセ・エリザベスが逆に目を細めると、意味ありげに見つめられる。

 「オーヴェと初めてあった時もさ、うん、こんな感じだった」

 「え?」

 「最近は見習いの刑事まで駆り出されるのかーってすっげ冷たい顔で笑われたんだ」

 あの時はなんだこの医者としか思わなかったが、もしかするとそんな風に人と距離を取る事で自分の身を守ってきたのかも知れないと、初めて出逢ってからウーヴェの事を少しずつ知ったリオンの呟きにアリーセ・エリザベスが目を伏せて確かにそうだと呟けば、やっぱりと溜息混じりに返される。

 それが弟が長い時間を掛けて得た処世術だと知っている姉は良いとも悪いとも言えず、ただ思いを誤魔化すようにカフェオレに口をつける。

 「初対面は最悪だったんだけど、次にあったときに・・・オーヴェ、あの時は悪かったって謝ってくれて笑ってくれたんだよ」

 それを見た時、一瞬息が出来なくなり、それからの日々でウーヴェの顔がちらつかない日はなかったと告白されて顔を上げたアリーセ・エリザベスは、今朝から騒ぎを繰り広げた青年と同じ人間とは思えない真摯な表情で彼女をじっと見つめるリオンに気付き、その強い視線から逃れるように顔を背けてしまう。

 「色んな人に認めて欲しいって思ってたのはガキの頃だけだったけど・・・オーヴェに認められたって分かった時は何故かすげー嬉しかったな」

 「そう・・・なの」

 「そう。あの時からオーヴェが好きで仕方がない」

 日頃の言動からは似つかわしくない、ひっそりとした告白をした後、リオンが雰囲気を変えるように笑みを浮かべる。

 「で、さっきの質問だけど、オーヴェの前ではあまり煙草は吸わないなぁ」

 煙草を吸いたいとは思わないと告げ、これで良いかと首を傾げたリオンに彼女が頷くが、先程感じた衝撃が消え去っていなかったのか、思いも掛けない言葉が口をつく。

 「私・・・やっぱりあの子を・・・フェルを子供扱いしている・・・わね」

 「・・・・・・事情は分からなくもないけどな」

 何しろ10歳の頃に誘拐事件に巻き込まれ、命は助かったものの心が壊れた状態から今の彼に戻ることは並大抵の努力では出来ない事だろう。

 その一端どころか大半を担ってきたアリーセならば仕方がない事かもしれないが、それでもやはりいい年をした弟を子供扱いするのは見ていて楽しいものじゃないと肩を竦めたリオンにアリーセ・エリザベスが口元を覆って顔を背ける。

 「あなた・・・あの・・・フェルから事件のことを聞いたの・・・?」

 暫くの間沈黙が流れたが、彼女が何かを吹っ切ったように顔を上げて問いかけると、リオンが嬉しそうに目を細めて小さく頷く。

 「話してくれるって約束して、でもいつまでも話してくれなくて、俺が焦れて。仕事でちょうどあの村辺りに行く事があったから、俺の上司が無理矢理連れて行ってくれた」

 そしてあの教会で一人肩を震わせて蹲っていたウーヴェを見つけたと告げれば、彼女の口から震える吐息がこぼれ落ちる。

 「俺が聞いたのは、10歳の時に事件に巻き込まれてハシムという名前の少年が殺された事、犯人も被害者もすべて死んだ事、後遺症で髪が真っ白になった事、あと・・・仲が良かった家族にその事件を契機に溝が出来た事だな」

 「・・・・・・そう」

 「その時に写真も見せて貰った」

 「そうだったの・・・」

 コーヒーを飲み干し、上半身を振り返らせて水を注文すると、足を組み替えて肘をつく。

 「事件の後はもう・・・思い出したくない程辛かったわ」

 「・・・・・・そうだろうな」

 仕事柄犯罪被害者の後の暮らしを知る機会などがあるが、民間や公的な機関から紹介されたボランティア団体などで日常生活に戻る為の訓練を受ける人々がいる事を知っているリオンは、その言葉に込められた思いを僅かばかりも酌み取って目を伏せる。

 「フェルが笑ってくれた時は・・・本当に嬉しかった」

 アリーセ・エリザベスの口から流れ出す言葉に耳を傾けているリオンだが、まさか彼女がこんなにも短時間で自らに対しての蟠りを解きほぐすだけではなく、心を許したように過去を教えてくれるなど思いもよらない驚愕に慌てふためきそうになっていた。

 だがそれを表に出すことを必死に堪え、何気ない顔で店員が持ってきた水を受け取って口をつければ、リオンの前でアリーセ・エリザベスが自嘲気味に顔を歪め、自分の願いはただ一つ、フェリクスの幸せだと呟いて前髪を掻き上げる。

 「ああ、それは分かる」

 「今までは異性と付き合うことが幸せだと思っていた。だからあなたの事を調べたけれど・・・」

 あなたがあの子を幸せにしてくれると言うのならば、私はあなた達を応援すると告げるアリーセ・エリザベスだったが、リオンが頬杖をついてふいと視線を逸らした後、そっと彼女へと向き直るが、驚くほど澄んだ蒼い瞳には嘲りに近い感情が浮かんでいた事に本日何度目かの驚愕を覚えてしまう。

 「リオン?」

 「んー。そんな事を言われたらさ、俺、絶対オーヴェと別れなきゃならねぇって」

 「どういうことかしら?」

 弟を幸せに出来ないのかと冷たい声音と視線でリオンを見つめた彼女は、それがガキ扱いなんだと言い放たれて絶句してしまう。

 「自分で自分のケツも拭けないガキじゃないんだぜ、オーヴェは」

 「・・・っ」

 「それに、俺は幸せになるのなら二人でなりたいって思ってる」

 俺だけが思い感じる幸せを押しつけたり与えたりするのはごめんだと肩を竦めたリオンにアリーセ・エリザベスの顔色がみるみる変わっていくが、何を言おうとしているのかを察すると同時に今度は怒りから驚愕へと表情を変える。

 「与えなきゃならない程オーヴェはガキでもねぇし、弱くもない」

 自らの幸せは自らの手で掴む男だと陽気な声で呟いたリオンは、窓の外へと視線を向けて眼を細め、そんなウーヴェだからこそ惚れたし、今も一緒にいるとぽつりと本音を零す。

 「あいつが強い人間だって・・・一番よく知ってるのはあんた達だろ、アリーセ」

 後遺症に苦しみながらも医師と家族の手助けで社会で独り立ち出来るまで回復した強い人間だろうと、視線を戻しながら囁いたリオンにアリーセ・エリザベスが小さく頷いてしまう。

 「そう・・・かも知れないわね」

 「絶対に幸せにするなんて言えねぇけど、二人で幸せになる為ならどんな努力もする」

 それだけは約束すると、気負うでもない穏やかさすら滲む声で告げられてアリーセ・エリザベスが無意識に安堵の溜息を零したのを見計らい、リオンが腕を突き上げて伸びをする。

 「────そろそろオーヴェの診察終わりそうだな」

 「・・・あら、もうそんな時間?」

 リオンの言葉に彼女が腕時計を見つめて苦笑し、この後どうするのと問いかけるよりも先に、さも当たり前のようにオーヴェの所に行くかと朗らかに宣言されてしまって苦笑を深めた彼女は、行くのなら送っていってあげるわよとキーをちらつかせる。

 「マジで!?いやっほぅ!あの車に一度乗ってみたかったんだ!」

 きらきらと顔を輝かせて喜ぶリオンに呆気にとられたアリーセ・エリザベスだったが、今まで見てきた顔の中でどの顔が本当のリオンなのかとつい疑問を抱いてしまいそうになるのを何とか忘れ去り、きっとこんな所も弟が惹かれる所なのだろうと、いつしか良き理解者になってしまった己がおかしくてつい小さく吹き出してしまう。

 「ん?おかしな事を言ったか?」

 「おかしな事ではなくて、あなたのその顔がおかしいのよ、リオン」

 「んなー!」

 やっぱり姉弟だ、言うことまでそっくりだと目をつり上げるリオンにクスクスと堪えきれない笑いを届けたアリーセ・エリザベスは、早く行きましょうと膨れっ面のリオンの頭を一つ撫でて店員に合図を送って支払いを済ませると、それでも大人しくついてくるリオンに内心苦笑する。

 「すげー、乗り心地良いっ」

 助手席におそるおそる乗り込んだリオンに苦笑したアリーセ・エリザベスは、慣れた手付きで車内用のサンダルに履き替えてパンプスをリオンに預けてベルトを締める。

 「高かったんじゃねぇの、これ?」

 「決して安くは無いわね。でも、ミカが今シーズンは本当に調子が良かったって買ってくれたのよ」

 せっかく買ってくれた高価な車を要らないとは言えずに乗っているが、こぢんまりとした車の方が小回りが利いて便利と肩を竦めてアクセルを踏む。

 「・・・愛されてるんだな、アリーセ」

 「そうね・・・本当に優しいしいい人だわ。二週間も放っておいても文句の一つも言わない人なんだから」

 車は市街に向かう車列に滑り込んで順調に走り始め、あっという間にウーヴェのクリニックが入居するアパートが見えてくる。

 「アリーセ」

 「何かしら?」

 「今は幸せだろ?」

 リオンのその短い問いかけに一も二もなく幸せよと返した時、俺もオーヴェがそんな風に言ってくれるのを願っていると告げられて驚愕に目を瞠ってしまうが、言ってもらえるように努力するから見守って欲しいとも言われて唇を綺麗な形に変化させる。

 その横顔を見たリオンは言葉では何も言われないが、己の思いをしっかりと受け止めてくれた事を知り、アパートの手前で止まってくれたアリーセ・エリザベスの頬にキスをして彼女の目を最大限に見開かせてしまう。

 「ダンケ、アリーセ。今日の食事会楽しんで来てくれよな」

 「え、ええ、そうするわ」

 チャオ、と片手を挙げてアパートに浮かれた足取りで向かうリオンを見送った彼女は、頬に残されたキスが幼い頃のウーヴェが良くしていたキスを思い起こさせた事に気付き、そっと指先で頬を撫でて苦笑した後、まだ少しだけ時間が早いが店に向かっても良いだろうと肩を竦めて愛車を走らせるのだった。



Über das glückliche Leben.

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