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「おかーたん?」
目をこすりながら、圭太が起きてきた。
「起きちゃった?ごめんね、大きな声を出して」
慌てて涙を拭いて、圭太を抱きしめる。
_____この子がいれば、あとは何もいらない
何をしても、圭太との生活は守るとあらためて覚悟を決める。
「どしたの?おかーたん、おなかいたいいたいなの?」
私の顔を見上げた圭太が、私が泣いていることに気づいてしまったようだ。
私は言葉が出ない。
「おとーたん?」
雅史も何も答えないようだ。
「おとーたんがおかーたん、いたいいたいしたの?いいこいいこ、いたくないよ」
小さな手で私の頭を撫でてくれる。
「いや、圭太、違うから!お母さんは勝手に泣いてるだけだよ」
ヘラヘラとどうでもいい言い訳をしている雅史。
「おかーたん、ぼくがわるいやつをやっつけるね」
そう言うより早く、圭太は雅史に向かってあのおもちゃの剣を向けた。
「おいおい、圭太、お父さんは悪人じゃないぞ」
「ええーんってないてるこには、よしよししないといけないんだよ、やさしくしないといけないんだよ。おとーたん、してない、えいっ!」
圭太は、おもちゃの剣で雅史の頭をポカンと叩いた。
「いたっ、なにするんだよ」
「圭太ちゃんお父さんにそんなことしちゃダメでしょ?謝りなさい」
義母が口を出す。
「おかーたんにいいこいいこして。そしたらごめんなさいする」
「は?もういいよ、めんどくせーな。話もわからないんだから、あっちいってろ」
圭太のおもちゃを雅史が乱暴に取り上げて、放り投げた。
「ちょっ、圭太に八つ当たりしないで。圭太は私のことを心配してくれてるだけなのに。あなたと違って優しい子なんだよ」
「はぁ?親にあんなことさせるなよ、この先が思いやられるわ」
俺は圭太の父親だというくせに、圭太の気持ちもわかろうとせず呆れたように首を振る。
「雅史、謝るべきなのはお前だと、圭太だってわかってるんだぞ。もういい、杏奈さん、圭太を連れて帰りなさい。今後のことは近いうちに具体的に話そう」
まだまだ言いたいことはあったけれど、今は話し合いができる心情ではないと思った。
「失礼します」
荷物を持ち、圭太を抱っこすると足早に義実家を後にした。
「おかーたん?」
義実家から戻り、ぼんやりしていたら圭太がその小さな手を重ねてきた。
「ん?なぁに?」
「もういたいいたい、ない?」
「うん、もう大丈夫。ごめんね、心配させちゃったね」
「しんぱい?」
「いいこいいこしてくれて、ありがとう」
「うん」
マシュマロにカットされた圭太の栗色の髪を撫でた。
私の髪は黒くてかためだから、これは雅史に似ているところだ。
_____まぎれもなく、あの人の子どもなのに
父親というものは、お腹をいためて命懸けで出産するということを経験しないから、父親としての自覚がないのだろうかと考えていた。
よその家庭はどうなんだろ?訊いてみたくなって成美にLINEしてみる。
〈成美、久しぶり。ね、時間ある時でいいから、ランチしない?話したいことがあるんだけど〉
《やっほー、いいよ。時間は私が決めてもいい?》
〈もちろん、圭太も連れて行くけど〉
《じゃ、あのカラオケで集合だね》
◇◇◇◇◇
数日後。
「そっか、離婚することになったんだ……」
雅史の浮気のことや、義実家でのやりとりを成美に説明した。
「でもさ、意外な人が味方になってくれたんだね、よかったじゃん?」
「うん、まさかお義父さんがわかってくれるとは思ってなかった。実の父親だと反対の立場だから話せないし。だからうれしかったよ」
母との離婚原因は、父の浮気……母に言わせれば浮気よりも酷い仕打ちだと言っていたっけ。
「で、これからどうするの?」
「仕事もなんとか決まりそうだし、あとは引越しなんだけど、なかなかいいとこがなくて」
「私にできることがあれば、遠慮なく言ってよね」
「うん、ありがとう。あ、それよりも訊きたいことがあったんだ。ね、成美んちって、旦那さんはちゃんとお父さんしてる?」
「うち?あー、多分、よその家族よりも仲良しだと思うよ。うまくいってる」
成美は早々に卒婚すると宣言していた。
家族ではあるけど、男女としては見れないからと。
お互い外で異性と会っても、関知しないと言っていた。
「役目っていってしまうとよくないかもしれないけれど、父親母親としてはとても努力してるよお互いに」
「ぎこちなかったりしないの?その、外で別な人としてきた後とかさ」
「特にないかな?私はあれ以来誰ともそんなことしてないけどね。今は子育てと仕事が楽しくて、男どころじゃないし。夫はどうなんだろ?何かのサークルに入ったとか言ってたっけ。そこで何かあるかもしれないけど、楽しそうにしてるからそれはそれでいいしね」
「あの彼以外、会ってないの?」
意外だった。
夫公認ならたくさん会えるのに、なんて思ってたのに。
「なんていうかさ、秘密のドキドキがなくなってしまったからかな。あの背徳感がよかったのかもしれない。わがままだよね、私」
「よくわからないけど……そんなものなのかもしれないな。雅史もきっと、家でなりふり構わない私より、違う女で背徳感をスパイスにして楽しんでいたのかも。だからと言って、あんなふうにあからさまに私にわかるようにするっていうのは許せないけど」
成美は、氷が溶けたオレンジジュースをこくこくと飲み干した。
「ぷはーっ!うまっ。ということはさ、杏奈と離れたらまた杏奈が魅力的に見えたりするかもよ。それに他人のものはよく見えるって言うし。あのバイト先の人とはどうなったの?何かあった?」
「なんにもない。いい人だなって思うだけ。これも浮気になるのかな?」
「そんなこと言ってたら、推しがいる人はみんな浮気になっちゃうよ?推しグッズ買うためにお金を注ぎ込んだりしたら、それも浮気でアウトになったりして」
ケラケラと笑う。
「で?慰謝料とか財産分与とか、これから?」
「うん、でも、預貯金は私が管理してるからか、払ってもらえるお金ってそんなにないのがわかるんだよね。それでこれから先どうなるか考えたら不安でしかない」
「でも、離婚したいんでしょ?」
「うん、だって一度も謝ってくれなかったから、だから、もう無理」
正直なことを言うと経済的に安定していたらさっさと離婚してしまいたい。
頼れる実家もない今では、軽はずみな行動が圭太も巻き込むと思うと、決めたはずの離婚にも尻込みしそうになる。
_____ダメだ、しっかりしないと
思わずパンパンと両頬を叩いた。
「え、なに、まるで力士だよそれじゃ」
「あは、気合い入れないとなぁと考えてたらついね」
また進展具合を報告すると約束して、その場は別れた。
私はその足で市役所に行き、離婚届を受け取ってきた。
先に記入して準備をしておけば、気弱にならないだろうと考えたから。
雅史から“まさかの提案”があったのは、その数日後だった。