アンダルはどうしただろうか。リリアンにあんなにひどい言葉を言われてきっと傷ついてる。僕にはキャスリンがいてくれるが、あいつは一人だ。
キャスリンは馬車に乗り込んで少しすると眠ってしまった。メイドと座る位置を変え、今は僕の腕に頭を預け眠っている。長い時間立っていた。陛下と王太子とも踊ったんだ、緊張しただろうにリリアンに絡まれて、招待した陛下に苦情を伝えてもいいだろう。
ソーマとハロルドが残っていたから父上はまだ王宮にいるだろう。父上がキャスリンを気にかけるとは意外だった。誰にも興味のない父上がリリアンから遠ざけるためにわざわざ動くか?この耳飾りも髪飾りも父上が用意したんだ。ソーマの意見か?ソーマはキャスリンを気に入っている。陛下まで近づいてくる。気にくわない。
手を伸ばし赤い唇に触れると寝惚けているのか赤い舌で舐める。驚いて手を戻してしまった。胸が痛いほど高鳴る。馬車の中が明るくなくて助かった。僕の顔は赤いだろう。邸に帰り着いてもキャスリンは起きない。メイドが扉を開けてキャスリンの護衛騎士を呼び部屋へ連れていくよう話している。僕はそれを止め、馬車の扉を大きく開けキャスリンを抱いて降りる。トニーが出迎え、僕のマントを外す。メイドは何か言いたそうだが無視をする。ドレスを着込んでも、宝飾品を身に着けてもこんなに軽い。僕は小さな体を大切に運ぶ。キャスリンの自室に着きソファへ抱いたまま座り髪飾りを外していく。高価な品だからトニーが受け取り箱へ仕舞っていく。髪を纏めているピンも優しく抜いて机に置いていく。髪を指で梳かしているとキャスリンが薄く瞳を開ける。さすがに起こしてしまったか。キャスリンは僕に向かい微笑み首に腕を回し抱きついてきた。
「お嬢様!首飾りが…」
メイドの声でキャスリンが覚醒したようだ。僕から体を離し目を見開いている。空色の瞳が動き、どこにいるのか確認している。今の状態を理解したらしい。僕の膝から降りメイドに首飾りを外してもらっている。耳飾りも外しトニーに渡す。宝飾品を外し終わると僕に向き直り微笑む。
「ここまで運んでくれたの?ありがとう。重かったでしょう?今度は私の騎士に任せてね」
「重くなかったよ。今日の君は歩く財産だからね。大切に運ばないと」
僕は笑いながら話す。キャスリンも微笑んでいる。
「疲れたわ、湯に浸かりたいの。用意してあるかしら?」
それを聞いて僕は立ち上がり声をかける。
「僕も部屋へ戻るよ。ゆっくり休んで、お休み」
キャスリンは、お休みなさいと返し寝室へ向かって行った。僕も自室へ戻り衣装を脱いでいく。
あれはなんだ?寝惚けていたのは確かだろうが、誰かと間違えたのか?嬉しそうに微笑んで。僕と認識して抱きついたのか?そうじゃないなら、護衛騎士か?キャスリンと仲がいいなんて男ならあの騎士しかいないだろう!
「トニー!見たか!?」
トニーは黙っているが見ていただろう。なぜこんなに腹が立つ!キャスリンのことだ、平民の騎士と男女の仲にはならないだろうが…想い合っているのか?
「カイラン様、落ち着いてください」
トニーの言葉に頭が熱くなる。
「落ち着いてられるか!寝惚けて抱きついたんだぞ!」
「寝惚けてカイラン様に抱きついたのでは?」
だがキャスリンは閨を拒絶したんだ。僕を拒絶したんだ。
「カイラン様以外の方だと思い抱きついたのであればどうするのです?」
僕はトニーを睨む。どうすることもできない。僕には何もできない!
「護衛騎士か?そんな様子はあったか?」
トニーは首を横に振り答える。キャスリンの部屋で何かしてても僕にはわからない。わざわざディーターから呼んでまでゾルダークへ連れてきたんだ。何かあるんだろう。
「カイラン様、今のお気持ちは?」
「それがなんだ!」
「腹を立てているように見えます。キャスリン様は何年耐えたでしょうね」
僕はソファに座りこむ。僕はリリアンに抱きついてなどない。だが、ふざけて抱きつかれたことはあった。あんな微笑みで見つめたことはないとは言えない。自分ではわからない。ディーゼルか?テレンス?あそこの兄妹仲はいい。こんなのをキャスリンが耐えた。カイランは頭を抱え動かなくなる。トニーは黙して主の答えを待つ。
「自分を情けないと思っていたが、最低な婚約者だったんだな」
「過去の話です。耐えてください。耐えなければキャスリン様は許してくれませんよ」
これを三年耐えろだって?あの護衛騎士と庭を共に歩いている間、耐え続けるのか。トニーに強い酒を頼んで一気に呷る。
頭を撫でる大きな手に目を開けたらハンクがいたものだからつい抱きついてしまった。ジュノに感謝だわ。もう少し遅かったら名前を呼んでいたかもしれない。
「ジュノ、ありがとう。私が寝てしまったからよね。カイランもダントルに渡してくれたらよかったのに」
ジュノは頭を下げ謝罪する。
「私がどこかで起こしていれば」
私は首を横に振りジュノの手を握る。
「無理よ。不自然なことをメイドが言ったらそれも疑問を持たれるもの」
カイランが連れていくと言えば逆らえる者が今この邸にはいない。カイランは怪しんでいるかもしれない。寝惚けて抱きつくなんて。普通は疑うわ。いつかは知られてしまうけど今はまだよ。でも聞かれたら誤魔化せるかしら。
「湯に浸かりたいの。閣下に待ってろと言われたから遅くても来るかもしれないわ」
ジュノは頷き、アンナリアを呼びに行った。私はため息をつく。似ているとはいえ間違えるなんて、まだまだね。
まだ貴族達が酒を飲み歓談し、楽団の奏でる曲で踊っている音が遠くから耳に届く。テラスであれを奴に預けてからドイルに捕まり、今は王宮の内部にある国王の執務室で酒を飲んでいる。ドイルと俺だけしかいない。
「あの子は美しかったな。どれだけ貢いだんだよ。ブラックダイヤなんてジュリアンでさえあんなに持ってないぞ。腰に触ったけど細かったな。羨ましい」
こいつはあれと踊った。手の甲にも触れた。
「睨むなよ!国王だよ?踊るくらいいいだろ。お前…知ってたのか?マルタンとディーターの婚約」
それは気にくわないだろうな。王太子の婚約で王家が盛り上がったのに、二つの公爵家にディーターの血が入れば結束が強まる。王太子が国王になってからゾルダーク・マルタン・ディーターの結束はもっと強まりその後も血の繋がりで固められる。王家から見れば嫌な構図だな。俺は黙り答えない。知っていて止めなかった。王家が強くなるのは後を考えると必要ないことだ。アンダルの背後にチェスターの王家が蠢いていたか。夜会への招待は慰めか、感謝か。
「お前の子、生まれたら王太子の子と婚約させようよ。そうしてくれたら特別な精力剤渡すよ?朝まで止まらないやつ」
「いらん。必要ない」
「お前、その年でそんなに元気なの?やっぱり媚薬盛られてるんだろ」
お前には効かないか…と呟いている。
「しかしお前も完璧ではなかったんだな。踊れないなんてな」
酒の入った器を握り締めドイルを睨む。
「ふん怖くないよ。踊れず突っ立ってるお前を思い出せば可愛く見える」
酔っているな。強くないくせに飲まされたか。ドイルは机に突っ伏して動かなくなる。
「お前のことを温かいってあの子が言ってたよ。信じてないけど。はは、骨抜けないってさ。そんな太い骨俺だって抜けないよ、羨ましい」
骨?何を言ってる。久しぶりにこんなドイルを見るな。何かあったか。
「ジェイドがさ婚約渋ってたのはさ、亡くなった令嬢が理由ではないんだよ…ミカエラ」
無理だろうな。アンダルと婚約を解消した時点で打診すれば足元を見られ、女の方も何を言われるか予想がつく。まだ婚約早々に動きだしてアンダルを他所へやっていれば可能性はあったが。
「あいつ拗らせちゃって、マルタンに密偵入れててさ、ディーターとの婚約知ったら暴れてて、俺にだけミカエラのこと話したんだよ。もっと早く言えよって言いたかったけどさ、隣国との婚約は必ずするから遅いんだけど。子が三年できなきゃ側妃とれるけど、その時はミカエラも若くない。想い合ってるなら待てるかもしれないけど、ミカエラは知らないんだよ。あいつも情けないな、アンダルくらいの行動してたら隣国との婚約はなかった。もどかしいんだろ」
抑え込んだ感情が今になって噴き出したか。遅すぎるな。だがジェイドならば外には出さんだろう。
「ディーターの次男が婚姻するまで時がある。見張れよ」
ドイルは突っ伏したまま頷いている。
「ハンクは今幸せか?満足か?」
そんなことを知ってどうする。酔いが回りすぎだな。
「ああ」
羨ましいと呟いている。俺にもくれと小声で言っているのが聞こえる。
「うまくいかないな。アンダルも幸せそうには見えない。俺も無垢な若い子に慰めて欲しいよ」
泣いているのか?肩が震えている。
「吐いちゃう…」
ドイルはそのまま床に中身を吐き出している。俺は執務室を出て従者を呼び、中の状態を伝えてそのままゾルダークの馬車留まりまで歩く。馬車の中にはすでにソーマとハロルドが侍っていた。
「カイラン様とキャスリン様は先に帰られました。馬車を待つ間にスノー夫人に絡まれましたがカイラン様は毅然と拒絶し別れております」
やはり絡んだか。ドイルめ、消しておけばいいものを。
「キャスリン様はお疲れの様子で立っているのもつらそうでした。その後は無事に馬車に乗り込みました」
「いつ戻った?」
「半時前にはここを発ってます」
邸には奴のみか…よくないな。
「ハロルド。お前も共に帰るべきだった」
俺はハロルドを睨みつける。今さら遅い、何もなければいいが。ハロルドは頭を下げ謝罪している。
「急がせろ。ライアンを呼べ」
ソーマは御者に急げと命じた。
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