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躰に受ける胸苦しさや締めつけを感じて、眉根を寄せながら目を開けると、窓から日の光が入り込み、部屋の中は薄っすらと明るかった。
自身の躰の不調を起こす原因に手を伸ばして、優しく頭を撫でてやる。
「おはよう、敦士。怖い夢でも見たのか?」
「おはようございます。健吾さんこそ、怖い夢を見たんじゃないですか? うなされてましたよ」
「悪夢を無きものにする夢の番人だった俺が、悪夢にうなされていたとは。覚えていないところをみると、無事に対処されたみたいだな」
笑いながら大丈夫なことを伝えるために、頭を撫でていた手で、敦士の背中を撫で擦った。
「敦士がそうやって抱きついて、俺を心配してくれたお蔭で、悪夢がなくなったのかもしれない」
相変わらず躰に抱きついたままでいる敦士に笑ってみせたのに、さらに腕の力を入れて絞めつける。
「僕が浮気したら、健吾さんはどうしますか?」
「えっ?」
敦士の口から出るとは思えない言葉がいきなり飛び出したせいで、どうリアクションしていいかわからない。ただ、思い当たるフシと言えば――。
「おまえもしかして、女を抱きたくなったとか?」
男の俺に飽きて女を抱きたくなったから、浮気なんて言葉が出たことを、瞬間的に考えついた。
肌に触れている指先が引っ掻くようにして手放され、顔を見せないようにするためなのか、さっさと背中を向けられてしまった。引っ掻かれた痛みに顔を歪ませながら、無言を貫く背中を見やる。
「そんなことを言う健吾さんも、僕以外の人を抱きたくなったんじゃないですか?」
敦士が否定せずに、質問を切り返したことで、自分が告げた言葉が核心をついているのがわかってしまった。
「そんなわけないだろ。俺はおまえだけ――」
「健吾さんの心の中には、僕以外の人がいます」
ぴしゃりと言い放たれたセリフに、ひゅっと息を飲む。うなされるような悪夢を見たあとに、こうして指摘されたところを考慮した結果、2名の顔が頭に浮かんだ。
ひとりは自分を脅して、本社に引き抜いた牧野。決定的な恐喝の材料を握っていたため、彼が指示する汚れ仕事を苦労してやらねばならず、殺したいくらいに憎い相手だった。
支店に勤める社員に逆恨みされ、刃物によってめった刺しにされて、意識不明の重体で眠りについたことにより、牧野の呪縛から解放されたが、あのときの苦労を考えると、悪い意味で心に残っている。
残るもうひとりは――。
ぼんやりと考えている間に、仕事に行く支度を終えた敦士は、愛用しているカバンを手にして、高橋に頭を下げた。
「健吾さんごめんなさい。さっきの忘れてください」
「忘れろなんて、そんなの」
「僕は浮気なんてしません、貴方一筋ですので。それじゃあお先に」
「おい、まだ7時前なのに出るのか?」
慌てて布団を蹴散らして敦士の傍に駆け寄り、右手を伸ばしたら、ふいっと避けられてしまった。
「ひとりになって、頭を冷やしたいんです。放っておいてください」
空を掴んだ自分の手と、出て行く敦士の背中を黙ったまま見送る。静かに閉じられた扉はまるで、敦士の心を見えないように隠してしまうものになったのだった。