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主人公殺し
第一話 英雄
魔王城の上空は、常に黒い雲が渦を巻いていた。雷鳴が走るたび、崩れかけた塔の影が歪み、戦場そのものが軋んでいるように見える。
これが最終決戦だと、誰もが理解していた。
中央では“勇者”が魔王と対峙している。王国が選び、民衆が祈り、物語そのものが押し上げた存在。その背中を守るように、幾重もの部隊が陣を敷いていた。
俺たちもその一角だ。
英雄直属ではない。側面から魔王軍を抑え、中央の戦いを成立させるための別働隊。
つまり、本命の舞台を支えるための駒。
「カイラ、右から来る!」
背中から飛んできたユノンの声に反応し、振り向きざま剣を振るう。魔族の刃とぶつかり、火花が散る。衝撃が腕を痺れさせ、足元の血溜まりが踏み込みを鈍らせた。
押されている。
中央の戦況が悪いのだろう。こちらへ流れてくる敵の数が、明らかに増えている。
「前出すぎ! 無茶しないで!」
振り返ると、ユノンが杖を掲げていた。淡い光が俺を包み、裂けた皮膚が閉じていく。肺に入る空気が軽くなり、鈍っていた視界が澄んだ。
「お前こそ下がれ。前線は危ない」
「ヒーラーがいなくなったらもっと危ないでしょ」
そう言って笑う。
震える手を隠すみたいに、明るく。
俺たちは中心じゃない。
この戦いの主役は、あくまで中央にいるあの男だ。
それでも、ここで崩れれば物語が傾く。
だから踏みとどまる。
それが、俺たちの役目だった。
そのとき、魔王軍の将がこちらへ視線を向けた。
黒い外套が、雷光の中で翻る。
背筋が冷えた。
「来るぞ――!」
言い終わる前に、闇が弾けた。
爆ぜる衝撃。視界が白く塗り潰され、耳鳴りが世界を奪う。仲間の悲鳴と金属音が混ざり合い、地面が崩れ落ちる感覚に足を取られた。
体勢を立て直そうとした、その瞬間。
「……っ」
背後で、肉を裂く音がした。
振り向く。
ユノンの体が、わずかに揺れていた。
黒刃が、背中から突き出ている。
時間が、止まった。
「……え?」
刃が引き抜かれ、血が舞う。
彼女の膝が崩れ落ちる。
俺は駆け寄り、抱きとめる。
軽い。
信じられないほど、軽い。
「おい……立てよ」
視界が揺れる。
傷口から溢れる赤が、指の隙間をすり抜けていく。
「ユノン、ふざけんな……」
呼吸が浅い。瞳の焦点が揺れている。
「カイ、ラ……わたしね、」
名前を呼ばれる。
それだけで、胸が裂けそうになる。
「嫌だ」
喉の奥から出たのは、情けない拒絶だった。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……!」
周囲で光が爆ぜる。
勇者が覚醒したのだろう。空を貫く光柱が立ち上り、魔族たちが悲鳴を上げる。戦場の空気が一変する。
歓声が上がる。
勝利の兆しに、人々が叫ぶ。
その一方で。
俺の腕の中で、ユノンの体温が静かに失われていく。
「目、閉じるな」
震える手で頬を叩く。
「まだ喋れるだろ? なあ?」
彼女は、弱く笑った。
あまりにも穏やかで、残酷な笑みだった。
英雄は、光の中で立っている。
世界の中心に。
俺の喉が裂ける。
「ユノン!!!」
ユノンの体温が腕の中で薄れていく。
遠くで歓声が上がる。
勇者が光を放ち、魔王を圧倒しているのだろう。歓声にかき消される、ただ一人の悲鳴。
――その光を見た瞬間、不意に思い出す。
決戦前夜のことだ。
焚き火の火が小さく爆ぜ、夜風がテントを揺らしていた。
皆が眠った後、俺とユノンだけが起きていた。
彼女は毛布にくるまりながら、中央陣営の方角を見つめていた。
「ねえねえ、カイラ」
「なんだよ」
「あの勇者さんってさ、物語の英雄みたいだよね」
唐突な言葉に、俺は肩をすくめる。
「実際そうだろ。辛くても何度でも立ち上がって、みんなのために戦う英雄だ」
「うん。でもさ」
ユノンは、少しだけ寂しそうに笑った。
「辛いことがあっても立ち上がって、力もあって、みんなに期待されて……なんか、ちゃんと主人公って感じ」
焚き火の光が、彼女の横顔を照らす。
「羨ましいなあ」
歓声が、耳を刺していた。
中央では勇者が魔王を貫き、空を裂くような光が立ち上っている。黒雲は吹き飛び、まるで世界が祝福しているかのように空が晴れていく。
兵たちが叫ぶ。
「勝ったぞ!」
「勇者様だ!」
「これで世界は救われる!」
その中心で、あの男が立っている。
血に塗れながらも、折れず、膝もつかず、光を纏って。
まるで最初から決まっていたみたいに。
俺は、地面に座り込んだまま、それを見ていた。
腕の中には、もう動かないユノン。
さっきまで温かかったはずの体が、信じられないくらい静かだ。
光の中心に立つ勇者を、まっすぐ見据える。
吐き気が止まらない。
それでも目を逸らさなかった。
なぜだ。
どうして、あいつだけが。
答えはまだない。
だがその瞬間、確かに芽生えた感情があった。
羨望ではない。
尊敬でもない。
――拒絶だ。
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