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空に溶ける

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空に溶ける

1 - 落ちる感覚

♥

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2025年08月02日

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「空に溶ける」

ー-Prologue(プロローグ)


風の音も、雲の匂いも、もう思い出せない。

私は今、空を落ちている。

白い雲が、冷たく背中をなぞり、青が、どこまでも広がっている。

それは海のようで、宇宙のようで、でも決して手が届かないものだった。

制服の裾が舞い上がり、私の身体は重力を忘れていた。

何かに掴まろうとしても、もう何もない。

でも、不思議と怖くはなかった。

「…..あのとき、あたしは、なにを願ったんだっけ?」

地上の記憶は、かすれている。

名前、顔、声、温もり。すべてが雲の彼方に置き去りになった。

けれどーーひとつだけ、覚えていることがある。

あの日、私は「空に溶けたい」と、強く願った。

その願いの代償が、これなのだとしたら。

それでも、後悔なんて一ーできないよ。


第1章 落ちる感覚

空を見上げたつもりだったのに、気づけば落ちていた。

そんなふうに感じたのは、今日が初めてだった。

校舎の屋上。フェンスの手前に立ち尽くしたまま、私は靴のつま先を少しだけ前に出した。

見下ろせば、運動場が小さく遠くに見える。部活の声も届かないほど、ここは静かだった。

風が吹いて、髪が舞う。

制服の袖口を、細く冷たい風が撫でていく。

「落ちるって、どんな感じなんだろうね」

誰に話しかけるわけでもなく、私はそうつぶやいた。

のだから。

返事はない。然だ。屋上には私しかいない

***

昨日、クラスメイトの**志乃(しの)**が突然いなくなった。

欠席でも転校でもない。教室の空気に、彼女だけがいなかった。

机はそのままだった。でも、椅子には誰も座らなかった。

担任は何も言わなかった。まるで最初からいなかったかのように、時間割が進んでいった。

誰も、騒がなかった。

志乃は、私にとって”唯一の味方”だった。

無理に笑わなくていい、無理に喋らなくてもいい、そんな存在。

だけど私は、最後にちゃんと何かを伝えたっけ。

「また明日」も言えなかった気がする。

「ばいばい」すら、ちゃんと交わせていない。

そんなことを思い出すたび、胸の奥がふわっと浮いて、そのままストンと沈んでいく。

まるで、心だけが先に落ちていってしまったみたいだった。

***

屋上の空は、やけに澄んでいた。

真っ白な雲が、ひとつ、ふたつ。

そのすき間に、深い青が広がっている。

私は空を見上げる。

手を伸ばせば、そこに届く気がした。

……でも届かない。

なにも掴めないまま、私の指先は宙を彷徨っていた。

「……志乃はさ」

私はぽつりと呟く。

言葉にしなければ、自分がここにいることすら忘れてしまいそうだった。

「本当に、どこかに行っちゃったの?」

風の音だけが返事をする。

私はその音にまぎれて、ほんの少しだけ涙をこぼした。

「……あぶな」

突然、背後から声がして、私は肩をびくっと

跳ねさせた。

振り返ると、そこにいたのはーークラスメイト

の**片瀬悠馬(かたせゆうま)**だった。

「なにしてんの、おまえ」

そう言いながら、彼はポケットに手を突っ込んだまま、私から少し離れた位置に立っていた。

その目は、驚きというより、呆れに近かった。

私は咄嗟に言葉が出なくて、唇を少し噛んだ。

さっきの自分の姿が、どう見えていたのか。そう考えただけで、急に足元が熱くなる。

「……なんでもない」

「なんでもないやつが屋上でフェンスにしがみ

ついて空見てる?」

「……うるさい」

自分でも驚くくらい小さな声だった。

それでも悠馬は、少しだけ眉を上げて、ため息をついた。

「別に怒ってるわけじゃないけどさ。…..ほら、もうチャイム鳴ったし。戻んなよ」

そう言って、彼は私に背を向けて階段へと向かう。

足音が遠ざかっていく中、私は少しだけ躊躇って、それでも結局あとを追いかけた。

階段の踊り場に差し込む光は、夏の終わりの匂いがして、少しだけ目が眩んだ。

***

教室に戻ったとき、席に座っていた誰もが、こちらを見ようとはしなかった。

担任の先生が「席に戻って」とだけ言い、何事もなかったかのように授業が始まる

私は、ただ自分の席に座った。

志乃の隣だった席。

今は空いたままのその机を、誰も気にしないふりをしていた。

私はノートを開く。

けれど、手は動かず、ただ一つの名前だけが脳裏をかすめ続けていた。

星野 志乃。

あの子は、いまどこにいるんだろう。

屋上から落ちていくような感覚の中で、私は、彼女の気配を探し続けていた。


六時間目のチャイムが鳴って、授業が終わった。

私はノートを開いたまま、筆を動かさずに座っていた。

黒板の文字は途中から読めなくなっていたし、先生の声も、遠くの方で水に沈んだように響いていた。

隣の席一一志乃の机は、今日一日中空っぽだった。

かった。

誰も何も言わなかった。先生さえ、触れな

教室って、こんなにも冷たかったっけ?

そんなことを思いながら、私は、机の上に頬を乗せた。

***

「なあ」

そのとき、不意に声をかけられて、顔を上げる。

さっき屋上に来た、片瀬悠馬が立っていた。

「……なに?」

「志乃のこと、好きだったんだなって顔してた」

…….うるさい」

「やっぱりな」

悠馬は、勝手に椅子を引いて志乃の隣の席に腰を下ろした。

その仕草が、あまりにも自然で、何も知らないみたいで、少しだけ腹が立った。

「ねえ、知ってた?」

私の声が、思ったより大きく出た。

「志乃ってね、いつも同じ要を見てたの。屋上で。夏の雲はすぐ形が変わるのに、あの子はずっと同じ場所に目を向けてた。意味わかんないって、最初は思ってたけど……」

声が震えた。

胸の奥で、なにかが軋んだ。

「ーーあの子、誰にも言わなかったけど、たぶん、どこかに行くつもりだったんだよ。最初から。もう、ここにいないって、決めてたんだと思う」

悠馬は何も言わなかった。

ただ、私の言葉を途中で遮らずに、聞いていた。

静かな教室。誰もいない放課後。

私たちの声だけが、やけに響いた。

「でもさ、そんなのズルいよね」

私は、机の上にぽつりと涙を落とした。

「私、あの子の隣にずっといたのに、最後の一言すら、ちゃんと伝えられなかった」ありがとうも、バイバイも。

会えてよかったも、また明日も。

どれひとつ、ちゃんと届いてなかった。

***

「….志乃、ノート残してたよ」

悠馬が、かばんの中から取り出した。

一冊の、よれたキャンパスノート。裏表紙に、小さく名前が書いてあった。

「先生の机の上に置いてあった。誰も気づいてなかったっぽいけど。……中身、見てない」

私は、手が震えるのを感じながら、そのノートを受け取った。

重かった。まるで、本当に志乃の気配が詰まっているようで。

ページを開く。静かに、そっと。

その最初のページに、たった一行だけ、こう書かれていた。


>空を知ってるあなたに、手紙を書いています。

放課後の教室には、もう誰の声もしなかった。

カーテンの隙間から差し込む夕陽が、床を斜めに照らしている。

その光が、志乃の席の上を静かに横切っていた。

「誰かがいなくなるって、こんなにも静かなことなんだね」

自分の声が、こんなに細く聞こえるのは初めてだった。

志乃と最初に話したのは、去年の秋だった。

隣の席になった日、私は教科書を忘れて、焦っていた。

そのとき、何も言わずに半分、机の上に開いてくれた子ーーそれが、志乃だった。

「別にしゃべらなくてもいいんだよ」

あの子は、私にそう言った。

「ただ、隣に誰かいるって思えるだけで、ちょっと楽になることもあるから」

私はその言葉に救われた。

でも、その大事さに気づいたのは、ずっと後になってからだった。

***

「星野ってさ、ずっと前から変だったよな」

誰かの声が、廊下から聞こえた。

「屋上で空ばっか見てたし。てか、勝手にいなくなるとかさ、意味わかんねぇし」

私はその瞬間、立ち上がっていた。

机が揺れて、ペンが床に落ちた。

心臓の音が、すごくうるさかった。

ドアを開けて、声の主を睨んだ。

「あの子は、変なんかじゃない」

そう言った自分の声が震えていたのは、怒りじゃなくて、悔しさだった。

「ちゃんと、優しい子だったよ。……知らないくせに」

廊下の向こうで笑い声が小さく消えた。

私は教室に戻って、机の上に突っ伏した。

涙はもう出なかった。

けれど、胸の奥が焼けるように痛かった。

志乃はもういない。

でも、たしかにここにいた。

私はそれだけを、どうしても誰かに伝えたかった。

伝えられなかった言葉は、いつだって、いちばん重い。

***

その夜、家に帰って、部屋のドアを閉めた瞬間、私は机の引き出しを開けた。

一枚の紙が折りたたまれて入っていた。

差出人の名前はなかった。けれど、私は一目でわかった。

一一志乃の字だった。

便箋の中央に、小さな文字でこう書かれていた。


>ねえ、「さよなら」って、誰のために言う言葉だと思う?

志乃の字で書かれた、たったそれだけの言葉。

だけど私は、それを読んだ瞬間、喉の奥がきゅっと詰まったような気がした。

頭じゃなくて、胸の中心に、何かが落ちた。

重たく、やわらかく、静かに。

私は便箋を両手で持ったまま、ベッドに倒れこんだ。

蛍光灯の光がまぶしかった。

目を閉じると、今日の教室の匂いや、志乃の机の横顔が、ひとつひとつ浮かんできた。

まぶたのが熱かった。

私は、彼女に「さよなら」を言われなかった。

でも、だからこそ、あの問いが刺さった。

>「誰のために」一ーか。

誰のためだったんだろう。

私のため?志乃自身のため?

それとも、言えなかった私が、今も言おうとしてる?

布団の中で、私は志乃の声を探すように、何度もその便箋の文字をなぞった。

紙の上には何の続きもなかったけれど、でもその「問い」が、今も生きているように感じた。

それはまるで、志乃が今もどこかで、私にだけ残してくれた呼吸のようで。

***

夜が更けても、眠れなかった。

窓の外の空は、うすく滲んだ墨のように広がっていて、星はひとつも見えなかった。

私は枕元のノートを開いた。

ページの隅に、ふと、自分でも知らないうちに書いていた言葉があった。

>ー一落ちるって、たぶん、誰かを忘れられないってこと。

音もなく、自分の中にしずかに降ってくる感情。

明日もあの席は空のままなんだ、と思ったら、心がふわっと浮き、またすとんと沈んでいった。

それでも私は、少しずつ、自分の足で立ちたいと思っていた。


志乃が、残してくれた”問い”に、答えを見つけるために。


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