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無限に這い出てくるんじゃないか、と途中から錯覚していたゾンビの群れにも、ようやく終わりが見え始めてきた。
かれこれ一時間はぶっ通しで戦闘している。
前衛の私でさえ脚にじんわり重さを感じているぐらいだ。後ろで魔力を垂れ流し続けている三人に疲労が見え始めているのも当然だろう。
そのすぐ後ろで――一人だけ、欠伸をしながら寄ってきたゾンビを片手で屠っているカレンは、いつも通りマイペースだったけれど。
(とはいえ、私も【八剣】をずっと回しっぱなしだからなぁ……)
頭上や死角をケアさせながら戦っていたせいで、いつもより魔力の消耗が激しい。
この先、何が待っているか分からない以上、むやみに消耗戦はできない。
いつものように「倒したモンスターの魔石をその場でむしゃむしゃ食べて全回復」という雑な戦法が、ゾンビ相手だと通用しないのが地味に痛い。
「これでっ、最後!」
息を切らしながら、沙耶が【土槍】で最後の一体を地面ごと串刺しにした。
足元一面を埋め尽くすゾンビの死骸。
ずぶずぶと靴底が沈み込む、生ぬるくて嫌な踏み心地に思わず顔が引き攣る。
【八剣】を一度解除し、三人と同じ位置に戻ってから、肩で息をしている沙耶に声を掛けた。
「沙耶。炎系の魔法で全部燃やしちゃえ」
「了解! 汚物は消毒ってね! 【炎壁】!」
軽口と共に、沙耶が杖を前に突き出す。
空間に展開された魔法陣から、扇状の炎の壁がぼうっと立ち上がった。
【炎壁】は元々、防御系の技能だ。
高温の炎で迫りくる攻撃を焼き尽くして防ぐ。その気になれば、壁ごと前進させたり、形を変形させたりもできる――器用さが求められるタイプの魔法だ。
その炎の壁が、ふわりと三分割される。
それぞれが半月状に薄く横に引き延ばされ、焼け野原を掃くように前へ進んでいく。
焦げた肉の破片が、ぱちぱちと律動する音を立てて弾け、黒煙がもくもくと立ちのぼった。
(ちゃんとコントロールできてる。……心配しすぎだったかな)
しばらくして、ゾンビの死骸は炭のように黒く崩れ、空気を満たしていた腐敗臭はほとんど消えた。
代わりに鼻を突くのは、肉が焦げた臭いだけ。それでも充分キツいが、さっきまでに比べたら天国みたいなものだ。
「ありがとね、沙耶」
「へへへー……」
褒められて嬉しそうに頬を緩める沙耶の頭を軽く撫で、他の二人にも「お疲れ様」と声を掛けてから、辺りを見回す。
さっきまで無数の墓標とゾンビで視界が埋まっていた場所は、【炎壁】で地表が焼け落ち、ところどころ土がむき出しになった、禿げた草原のような状態になっていた。
墓標だったであろう木は黒焦げで、ところどころ炭の柱みたいに立ち尽くしている。
おびただしい数の墓標に、心の中だけでそっと手を合わせる。
そして、遠目に見えていた“あれ”へと視線を向け直した。
――教会。
古びた石造りの建物。さっきから嫌でも目に入っていた、場違いなほど静謐なそのシルエットは、どう考えてもボス部屋の予感しかしない。
距離を詰めるにつれ、教会の中から漂ってくる異質な魔力の気配が、肌に纏わりつくように濃くなっていく。
「皆はここで待機。十分経っても私が出てこなかったら、教会に向かって全力で攻撃して」
「ん。待ってる……気を付けてね、あーちゃん」
背中越しにカレンの声を聞き、軽く片手を振って応える。
剣を握り直し、私は一人、教会の中へ足を踏み入れた。
内部は、思ったよりも広かった。
現実の教会にまともに行ったことがないから、これが“正しい”のかどうかは分からない。
それでも、左右に規則正しく並べられた木の長椅子や、中央に敷かれた赤いカーペットを見れば、ここが礼拝や祈りを捧げる場所なのだろう、ということぐらいは察せられる。
一歩進む度に、古い木材がきしりと鳴き、天井を見上げれば、大きな穴がぽっかりと空いていた。
穴から差し込む淡い光が、月明かりに似た仄暗さで内部を照らしている。
カーペットの先――祭壇代わりの壁一面には、大きな絵画が描かれていた。
「真っ黒い物体と……人?」
「あぁ、えぇ。そうですとも、そうですとも。初めまして? お嬢さん」
出入口側、私が入ってきた方とは逆の椅子列から、男の声が響いた。
そちらを振り向くと、薄暗がりの中に、一人の男が座っていた。
肌は人間よりやや白く、整った顔立ち――だが、目は固く閉じられたまま。
ゆっくりと立ち上がると、まるで芝居がかった執事のように、腕を背中で組んだままこちらへ歩いてくる。
「こちらの絵画は、我らが主と下等生物《にんげん》が戦った時の一枚です。あぁ、私としたことが自己紹介がまだでしたね。不躾に話しかけて申し訳ございません」
恭しく頭を下げ、言葉を続ける。
「私、リンド・フェン・アラミスリド。ザレンツァ大魔帝国と対を成すアラミスリド大魔王国の第二王子であり、偉大なる我が主の僕でございます」
発音そのものは丁寧なのに、ねっとりと耳にまとわりつくような話し方。
長々とした肩書きを、これでもかと言わんばかりに並べ立てたが、正直名前ぐらいしか頭には入ってこなかった。
(……家名、ザレンツァ? カレンと同じだよね、多分)
カレンの家名と同じ単語が混じっていた気がする。
一応、あとで本人に確認しておこう。今は目の前の魔族に集中だ。
剣を構え、いつ飛びかかってきても対応できるよう、リンドの一挙手一投足から視線を外さずにいると、彼はわずかに鼻を鳴らし、また口を開いた。
「おや、おやおやおや。この匂い……何たる僥倖。愚弟がお世話になりましたね? つまり、つまりつまり……これは私はお嬢さんを攻撃する理由になってしまいました」
「愚弟……? その気色悪い話し方……ジルドの兄?」
「気持ち悪いとは心外ですねぇ。これほどまでに、丁寧に、丁重に、優しく理解を促すように接しているというのに!!!!!」
最後の一言だけ、急に声量が跳ね上がった。
ねっとりとした口調から一転、金切り声のような怒鳴り声が教会の内部に反響して、耳がキーンと痛む。
(……あぁ、兄弟してロクな奴じゃないや)
内心でため息をつく。
どこか空気の通じない会話のリズムも、妙に“歪んでいる”感じも、ジルドとは違う意味で面倒くさいタイプだ。
私が斬りかかるタイミングを探っていると、リンドは懐から小さな瓶を取り出し、頬擦りをするように撫でた。
中には何かが入っている。人形……? いや、それにしては妙に生々しい。
「やはり、亡骸は良い……。煩わしい鼓動も脈動も……生者特有の鼻に付く臭いもない。素晴らしいとは思いませんか!?」
振り向いたその顔は、心底愉悦に染まっていた。
瓶の中身が、はっきり見える位置まで来た瞬間――私は思わず息を飲んだ。
そこに入っていたのは、人形なんかじゃなかった。
小さな体に、薄く透き通った羽。
――妖精《フェアリー》。それも、絶叫したまま凍りついたような、苦痛に歪んだ表情のまま。
「おや、こちらがお気に召しましたか? コレは私が直接ザレンツァに入って捕まえた妖精の亡骸です。見てください、大変だったのですよ? 好奇心旺盛で恐怖を知らない妖精の表情を恐怖に染めて――殺したんです。達する気分でしたよ、本当に」
にたり、と口角を吊り上げながら続ける声を聞きながら、私は瓶の中の妖精から漂う僅かな魔力に意識を向ける。
(……助けて、か)
かろうじて残っていた思念が、かすかに訴えていた。
どうかコイツを殺してくれ、どうか私をこの瓶から出してくれ――そんな切実な叫びが、細い糸のようにこちらへ届く。
胸の奥がかっと熱くなるのを自覚した瞬間。
「この私の話を聞いて心拍が早くなりましたね? あぁ、貴女の苦痛に歪んだ顔を感じたい……。外からも香ってくるんです、生者の香りが。私の嫌いな生者の香りがッッッ!!!!」
リンドの身体から、巨大な魔力が一気に噴き出した。
同時に――教会全体が、いやダンジョンそのものが、ゆっくりと震え始める。
地面の奥底から、何か巨大なものが迫り上がってくるような、低い振動。
「いいでしょう、いいでしょう。愚弟への餞《はなむけ》として貴女方を私のコレクションとして、亡骸にして永遠に魂を閉じ込めましょう。この妖精のようにっ!!」
リンドが狂気を孕んだ笑みを浮かべて叫んだ瞬間、教会の床が爆ぜるように割れた。
黒い穴の中から突き出してきたのは――巨大な骨。
一本、また一本と、床板をぶち破って出現していくそれは、明らかに“何か”の一部だ。
天井が崩れ始めたので、私は即座に踵を返し、剣で壁を切り裂いて外へ飛び出した。
「まずは皆と合流!」
【神速】を発動し、教会の正面へ一直線に駆ける。
外に出ると、四人とも既に空を見上げていた。
顔を上げてその視線を追うと――私も思わず息を呑む。
空に、いた。
骨がむき出しになり、ところどころに腐った肉片が張り付いたままの竜。
翼の皮膜はほとんど朽ちているのに、あり得ない力で空中に留まり、赤く光る眼窩をこちらへ向けている。
生き物とも死体ともつかないその姿は、本来なら畏怖の対象である“竜”を、あまりにも無惨な姿へと堕としていた。
「アラミスリド、偉大なる七竜すらも穢すか……」
隣で、カレンが低く呟いた。
その言葉は、竜――いや、骸骨竜の咆哮に掻き消される。
空気そのものを震わせる、耳を劈く咆哮。
乾いた骨同士が軋み合う不快な音を伴って、奴はゆっくりとこちらへ向き直った。
――本当に、魔族絡みはろくなことにならない。
喉の奥まで上がりかけた毒づきを飲み込み、私は剣を握り直した。