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#STARGLOW
Emma&Gene
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ちゃちゃ@あまそあ不足
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2杯目のコーヒーが、気づけばもうほとんど残っていなかった。
さっきより少しだけ冷めた液面。
マグの底に近づいた黒。
それを見ているふりをしながら、タイキはずっと自分の呼吸を整えていた。
整ってなんかいない。
むしろ、時間が経つほどだめだった。
手を繋いだこと。
離れたあと、足りないと思ってしまったこと。
トイレで一回逃げたのに、それでも帰らずに「もうちょい」と言ったこと。
全部、自分で選んでここまで来てる。
なのに今さら、何もなかったみたいな顔でこの夜を終わらせるなんて、もう無理だった。
タイキはマグをそっと置いた。
小さな音が、静かな部屋にやけに響く。
ルイが目を向ける。
その視線を感じながら、タイキはすぐには顔を上げられなかった。
でも、逃げなかった。
膝の上で手を握る。
少しだけ爪が食い込むくらい強く。
「……今日」
声がかすれる。
ルイは何も言わない。
ただ、続きを待っている。
タイキは喉を鳴らした。
視線はまだ下にある。
でももう、ごまかさなかった。
「その…手に触れたこと…」
その一言が落ちた瞬間、空気が変わる。
ルイの呼吸が、ほんの少しだけ止まったのが分かった。
タイキは顔を上げられないまま、でも言葉を止めなかった。
「手だけなのに」
「……それだけでめちゃくちゃ意識した」
言ってしまった途端、耳まで一気に熱くなる。
何言ってんだ、と自分で思う。
思うのに、今さら引っ込める方がもっと無理だった。
「こんなの予想してなかった」
「自分でもルイとどこまで進めるのかとか、正直整理ついてなくて…」
タイキは大きく息を吸って言葉を続けた。
「でも…嫌じゃなかったから」
最後はほとんどこぼれるみたいな声だった。
ルイが静かに息を吸う音がした。
タイキはようやく少しだけ顔を上げる。
真正面じゃない。
ルイの喉元あたりに視線を置くくらいが精一杯。
でも、逃げなかった。
そのまま、ルイの声が落ちてくる。
「……言ってくれて、ありがとう」
低くて、やさしい声だった。
そのひと言だけで、胸の奥がきゅっと鳴る。
ルイはすぐには続けなかった。
たぶん、言葉を選んでる。
それが分かるくらい静かな間があった。
「俺はタイキを急がせたくないし、
選択を間違えてほしくない」
その声に、タイキの指先がわずかに動く。
ルイは落ち着いていた。
でも、ただの落ち着きじゃない。
熱を抑えて、ちゃんと置いてくるような声だった。
「今日ここまで来たのも」
「手、繋いだのも」
「全部、俺が先に踏み出してる」
事実だけを並べるみたいに、淡々と。
でも、その一つ一つが重い。
タイキは息を詰めたまま聞いていた。
「だから」
その声が、少しだけやわらぐ。
「この先まで、俺がひとりで
引っ張るのは違うって思ってる」
一拍。
それからルイは、少しも濁さずに言った。
「欲しくないわけじゃない」
「触りたいし、抱きたい」
何気なく溢れたそのルイの言葉に
タイキの呼吸が、一瞬で止まった。
頭の中が真っ白になる。
いや、白いというより、一気にいろんなものが流れ込んできて処理できなくなる感じだった。
好きなんだもんな。
そりゃそうだよな。
手だけであんな顔してたし。
今までの全部見たら、そういう意味だって分かる。
分かるのに。
“抱きたい”
その言葉だけが、異様なくらい鮮明に残る。
ルイはまだ続けていた。
「でも」
「タイキがまだ整理ついてないのに」
「俺がそれを埋めにいったら」
少しだけ言葉を探す間。
「それは、奪うになる」
ルイはそこで、ほんの少し苦笑した。
「……俺、そこまで強くない」
「一度越えたら、止まれないの分かってるから」
その正直さが、逆に熱い。
綺麗に聞こえる言葉じゃない。
でも、嘘がひとつもない。
欲しいことも。
止まれなくなることも。
だからこそ触れないでいることも。
ルイはタイキを見たまま、静かに告白した。
タイキはもう、完全に固まっていた。
好きなんだもんな。
そりゃそうだよな。
でも。
でも――
頭の中で、変な方向にひとつだけ、急に輪郭を持ってしまう。
俺、抱かれる方なんだ……
そこに気づいた瞬間、思考が一気にぐるぐるし始める。
待って。
いや待って。
そういう意味で言ったんだよな。
たぶん。
いや、たぶんじゃない。
今の流れでその意味じゃなかったら逆におかしい。
じゃあ俺は。
俺って。
その。
タイキの耳がますます熱くなる。
さっきまでとは比べものにならないくらい顔が熱い。
ルイは途中で、その異変に気づいたらしかった。
「……タイキ?」
返事ができない。
「おい」
少しだけルイの声が近くなる。
「大丈夫?」
その“大丈夫?”でようやく、タイキの口が動いた。
「俺……」
声がひどく小さい。
「それ、抱きたいって……」
そこまで言って、また止まる。
言葉にした瞬間、余計に意味が具体的になってしまって、喉が詰まる。
ルイの目がわずかに見開かれるのが分かった。
タイキはもう視線をどこに置けばいいのか分からないまま、それでも最後だけ絞り出した。
「何すんの……」
最後は、消え入りそうなくらい小さかった。
ルイが完全に黙る。
さっきまで落ち着いていた空気が、一瞬で別の熱を持った。
タイキは自分で言ってしまったことの破壊力に今さら気づいて、膝の上の手をぎゅっと握りしめる。
死ぬ。
今のは無理だ。
聞かせるつもりじゃなかった。
というか、頭の中で混線したやつがそのまま口から落ちた。
「……っ、いや」
タイキは慌てて息を吸う。
「違くて、その」
「違くないけど違くて」
言ってることがめちゃくちゃだ。
自分でも分かる。
ルイはまだ少しだけ戸惑った顔をしていた。
珍しいくらい、本当に戸惑ってる。
それが逆に、タイキの心臓を余計に暴れさせる。
「タイキ」
ルイがようやく声を出す。
「ちょっと待って」
「……うん」
待つしかない。
というか今のタイキにはそれ以上動けない。
ルイはひとつ息を整える。
それから、いつもより少し慎重な声で言った。
「今の、“何すんの”って」
「確認だけど」
「……そういう意味で聞いてる?」
タイキは顔を上げられなかった。
でも、黙るのももう無理だった。
「……だって」
「お前が、“抱きたい”って言うから…」
最後の方はほとんど拗ねたみたいな声になる。
ルイの喉が、かすかに鳴った。
「あ、いや…それは、 そっちじゃなくて…」
小さく漏れる声。
その“そっち”で、タイキは一気に恥ずかしくなる。
「そっち以外あんのかよ……!」
思わず顔を上げて言い返した。
上げてしまってから、ルイと目が合う。
ルイは困っていた。
でも、照れてもいた。
その混ざり方が、すごく危ない。
「あるかないかで言ったら……」
ルイが言い淀む。
「いや、ないわけじゃない」
「っ……!」
「ちょっと待て」
今度はルイの方が早口になる。
「俺、変な意味で煽りたくて言ったわけじゃないから」
「煽られてるし」
「ごめん、それは今ちょっと分かった」
ルイが片手で額を押さえる。
その仕草が珍しくて、タイキは混乱しながらも少しだけ目を奪われる。
「俺の言い方が良くなかった」
「だし、タイキがまさかそこ聞いてくるとも予想してなかった」
ルイもたぶん、かなりきている。
俺が変なこと聞いたからだ。
掘り下げなきゃよかったと今になってタイキは後悔する。でももう遅い。
「抱きたい、は」
ルイが低く言う。
「その……俺の中では、ちゃんと触れたいの延長で言った。抱きしめたいな、とかそういうことで…」
「そもそも、タイキの気持ち無視してそういうことするつもりもないし」
ルイは立て直すように小さく咳払いをする。
「でも」
そこで一瞬止まる。
「タイキが今考えた意味も、間違ってはない」
タイキの思考が、また止まりかけた。
「……は?」
「いやだから」
ルイの耳が少し赤い。
「言わせんなよ……」
その顔でそんなことを言われたら、こっちはどうすればいい。
タイキは喉元まで熱くなりながら、でも視線を外せずにいた。
ルイは苦しそうに小さく息を吐く。
「俺だって、そこまで無自覚じゃない」
「好きな相手に“抱きたい”って言って」
「それがどこまで含んで聞こえるかくらい分かってる」
その正直さが、まただめだった。
タイキは指先をぎゅっと握る。
頭の中がぐるぐるしてる。
でも、嫌じゃない。
むしろ、熱の中心だけは妙にはっきりしてる。
「……じゃあ」
タイキが小さく言う。
「やっぱ、そういうことも……考えてるんだ」
「考えてる」
ルイは間を置かずに答えた。
「正直言えば、めちゃくちゃ考えてる」
言い切られて、タイキの呼吸が止まる。
ルイはもう逃げなかった。
「でも、それを今ここで俺の都合で進めたくない」
「タイキがまだ追いついてない顔してるの分かるから」
「……追いついてない」
タイキは正直に呟く。
「うん」
ルイの声はやわらかい。
「分かってる」
沈黙が落ちる。
静かな部屋。
空になったマグ。
テーブルの上に残るコーヒーの匂い。
その全部の中で、お互いの呼吸だけがやけに近かった。
しばらくして、タイキがぽつりと言う。
「……でも」
「嫌じゃない」
ルイの目が、わずかに揺れた。
「嫌じゃないけど」
「頭が、追いついてない」
「急に、俺……そうなんだ、ってなって」
「なんか、変にぐるぐるしてる」
言葉を探しながら、タイキは少しずつ自分の中を口にしていく。
恥ずかしい。
でも、隠したままの方が今はきつい。
「好きなんだもんな、って思ったし」
「そりゃそうだよな、って思うし」
「お前がそういう意味で言ったのも分かるし」
「でも」
そこでまた小さく止まる。
「実際言われると、無理」
最後のひと言は、半分泣き言みたいだった。
ルイは少しだけ困った顔で笑った。
でもすぐに、その熱ごと受け止めるみたいな目になる。
「うん」
「それでいい」
「よくない……」
タイキは小さく眉を寄せる。
「俺ばっか変になってる」
「俺も変だよ」
ルイが静かに返す。
「めちゃくちゃ我慢してるって、さっき言っただろ」
「……それは聞いた」
「今もかなりきてる」
淡々とした声なのに、中身は全然淡々としてない。
「だから、これ以上はちゃんと止まるために喋ってる」
その言い方に、タイキの胸がまたきゅっと鳴る。
止まるために喋る。
その理性が、逆に熱い。
タイキは少しだけ息を吐いて、それからようやくルイを見る。
「……お前、ずるい」
「何が」
「ちゃんとそういうこと言うとこ」
「言わない方が、たぶん楽なのに」
ルイはほんの少しだけ目を細めた。
「楽な方選んだら」
「たぶんタイキのこと雑に扱うから」
その返事は、静かで重かった。
タイキは言葉を失う。
ルイは続ける。
「俺が欲しいのは、タイキが焦って流されることじゃない」
「ちゃんと分かって」
「ちゃんと自分で来ること」
その言葉が、深く落ちる。
今夜、自分から“場所、変える”と言ったこと。
“もうちょい”と言ったこと。
全部ちゃんと見てくれていたんだと分かる。
タイキはしばらく黙って、それから小さく聞いた。
「……じゃあ、今は…」
「今は、ここまでで良いってこと?」
ルイは一度だけ息を吐いて、頷いた。
「俺が決めるなら、ここまで」
「タイキの気持ちだって整理ついてないだろ」
「…今更なこともあるけど…」
「俺も気をつける…」
そのルイの言い方に、守られてるような、ほんと今更、じれったいような、変な熱が混ざる。
「……そう」
「不満?」
ルイが少しだけ口元をやわらげる。
タイキはすぐには答えられない。
不満。
たしかに少しはある。
足りないと思ってしまったのは本当だから。
でも同時に、ここで止まるルイだからこんなに好きなんだろうとも思う。
「……ちょっとだけ」
そう答えると、ルイが少しだけ照れたみたいに笑った。
「俺も」
その一言だけで、また胸が熱くなる。
言葉だけなのに。
さっきからずっと、それだけなのに。
熱が高すぎる。
タイキはソファの背にもたれて、天井を見た。
ぐるぐるしてる頭はまだ落ち着かない。
でも、ルイの言葉で少しずつ輪郭は見えてきていた。
もっと触れたいと思ってしまったこと。
でもそれ以上はまだ怖いこと。
その全部を、ルイはちゃんと分けて受け止めてくれている。
少ししてから、タイキが小さく言う。
「……今日、言ってよかった」
ルイがそっと目を向ける。
「うん」
「言わなかったら、たぶんずっと一人でぐるぐるしてた」
「これからも、ぐるぐるしたら言って」
ルイの声はやわらかい。
「俺もちゃんと言うから」
タイキはその言葉に、ようやく少しだけ笑った。
「……それは、たぶん困る」
「困る?」
「今日みたいに、急に“抱きたい”とか言われたら」
タイキは顔をしかめる。
「心臓がもたねぇ」
ルイはそこでとうとう小さく笑った。
でも笑い飛ばさない。
ちゃんと照れて、ちゃんと困ってる笑い方。
「ごめん」
「でも、嘘はつきたくなかった」
その正直さに、タイキはまた何も言えなくなる。
結局。
この夜をこんなに熱くしてるのは、触れてないからじゃない。
お互いに、隠しきれない本音を少しずつ渡してるからだ。
タイキは膝の上の手をほどいて、小さく息を吐いた。
「……ルイ」
「ん?」
「次、そういうこと言う時」
「うん」
「……ちょっと、段階踏め」
ルイが一瞬きょとんとして、それからふっと笑う。
「努力する」
「絶対しねぇだろ」
「いや、する」
ルイは目を細める。
「でも今の、それなりに前向きな苦情に聞こえる」
「……うるさい」
そう返したタイキの耳は、まだ赤かった。
でも今度はもう、さっきみたいな混乱だけじゃない。
ちゃんと受け取って、ちゃんと照れてる熱だった。
空になったマグの底を見ながら、ルイは静かに息を吐いた。
表面上は、静かだった。
声も落ち着いてる。
姿勢もいつも通り。
タイキの言葉を受け止めて、ちゃんと整理して返して、ここから先は進めないと決めた顔もしてる。
でも、内心は全然そんなことなかった。
うるさい。
めちゃくちゃうるさい。
帰したくない。
正直、全然帰したくない。
このままもう少し話していたいし、できるならソファでもっと近くに座りたいし、さっき途中で離した手をもう一回取りたい。
何なら、今タイキが少しでもこっちに傾いたら、たぶん本気で止まれる自信がなくなる。
でも、だからこそ帰すしかない。
今日ここまで来たのはタイキだ。
自分から「もうちょい」と言って、我慢してることまでちゃんと言葉にしてくれた。
その一歩を、ルイの欲で塗りつぶしたくなかった。
今夜を大事にしたいなら。
次につなげたいなら。
ここはちゃんと、帰す。
分かってる。
分かってるのに。
帰したくない。
さっきからその二つが、頭の中でずっとぶつかっている。
ルイは膝の上で手を組んだ。
落ち着いて見えるように。
少なくとも、タイキには落ち着いて見えていてほしい。
こっちは今、かなり危ない。
“抱きたい”まで言ったあとで、ちゃんと止まってる自分を少し褒めたいくらいには危ない。
しかもタイキは、あのあとも逃げなかった。
ぐるぐるして、真っ赤になって、それでもちゃんとここにいる。
そんなの、可愛すぎて無理だ。
いや、可愛いとか言ってる場合じゃない。
今それを口にしたら終わる。
たぶんタイキはまた顔を真っ赤にして、でも帰らずにいてくれそうな顔をする。
そうなったら、本当にだめだ。
だから、ここで線を引く。
優しさとか理性とか、そういうきれいな言葉にしようと思えばできる。
実際、それは本当でもある。
でも内心のもっと正直なところは、たぶんこうだった。
これ以上一緒にいたら、好きすぎて壊す。
ルイは小さく息を吐いて、ようやく口を開いた。
「……じゃあ」
タイキが顔を上げる。
その目がまだ少し熱を残していて、ルイの心臓がまた余計な音を立てた。
「下まで、送るよ」
できるだけ普通の声で言う。
それが精一杯だった。
タイキは少しだけ間を置いて、それから小さく頷いた。
「……ん」
その返事がやけに素直で、また胸の奥がうるさくなる。
ルイは立ち上がって、壁に掛けてあった上着を取った。
袖を通す。
鍵を手に取る。
それだけの動作を、なるべくゆっくりやる。
玄関までの数歩が、もう少しだけ一緒にいられる時間みたいで、情けないくらい大事だった。
タイキも立ち上がる。
その気配を背中で感じるだけで、ルイは何度も自分に言い聞かせる。
ここまで。
今日はここまで。
ちゃんと帰す。
ちゃんと、大事にする。
玄関の灯りはリビングより少し白くて、現実的だった。
それが逆に、今夜の終わりをはっきり見せてくる。
タイキが先に腰を落として靴を履き始める。
背中を向けたまま。
少しだけ前屈みになって、手元に意識を落として。
その背中が、やけに無防備だった。
何度も見たことのある姿勢なのに。
メンバーで来た時だって、こうして玄関で靴を履くタイキを見たことなんていくらでもあるのに。
今日だけは、全部違う。
ルイは一歩、近づいた。
タイキは気づいていない。
たぶん、まだ。
靴に足を入れて、かかとを直して、立ち上がろうと少し重心を前に移している。
その一瞬。
――今しかない。
帰したくない。
でも帰す。
それでも、今日の最後に、もう少しだけ欲しい。
欲しい、じゃない。
もう、ほしいの域を越えていた。
今日ここまで来てくれたタイキに、自分の気持ちをちゃんと残したかった。
触れすぎずに。
でも、はっきりと。
ルイは静かに息を止めて、背中越しのその距離を埋めた。
近づく。
本当に少しだけ。
タイキの体温がわかるところまで。
そして――
後ろから、そっとキスを落とした。
髪に触れるぎりぎりのところ。
耳の後ろへつながる、柔らかいあたりに。
短く。
でも、ちゃんと伝わるように。
「……っ」
タイキの肩が大きく揺れる。
立ち上がりかけていた体が、そのままぴたりと止まった。
玄関の小さな灯りの下で、時間まで止まったみたいだった。
ルイはキスをしたあと、すぐには離れなかった。
くっつきすぎないまま、でも背中越しに熱だけ残る距離で、小さく息を吐く。
ようやく、だった。
今日ずっと我慢して。
ソファで手を繋いだだけで終わって。
それでも足りなくて。
でもちゃんと止まって。
その全部の先で、ようやくひとつ。
「……ル、イ…?」
タイキの声は、ひどく小さかった。
呼ばれただけなのに、その二文字で胸がきつくなる。
ルイは後ろに立ったまま、低く答える。
「うん」
それ以上、すぐには何も言えなかった。
タイキはまだ背中を向けたまま。
顔は見えない。
でも耳が赤くなっていくのが、横から少しだけ見えた。
可愛すぎる、と思ってしまって、ルイは小さく苦笑する。
だめだ。
こういうところだ。
帰したくなくなるのは。
でも、だからこそ今夜はここまでだ。
ルイは少しだけ距離を戻した。
本当に、ほんの少しだけ。
その動きでようやくタイキが振り向く。
振り向いた顔は、もう分かりやすいくらい真っ赤だった。
目も少しだけ見開いていて、息も浅い。
たぶん今、頭の中は全然まとまっていない。
それでも、逃げてはいない。
ルイはその顔を見て、胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
触れたくなる。
もっと。
今の顔を近くで見たいし、できるならこのままもう一回――
そこまで考えて、止める。
だからだめなんだ。
ルイは自分に言い聞かせるように、小さく笑った。
「……ごめん。ほんとに
ここまでにする」
静かな声。
タイキは何か言おうとして、でも言葉にならないみたいに唇を少し動かした。
その反応まで愛おしくて、ルイは少しだけ視線を落としてから、またタイキを見る。
「これ以上したら、たぶん帰せなくなる」
正直だった。
正直すぎるくらい。
タイキの喉が、目に見えて上下する。
「……っ」
それしか出ないタイキに、ルイは少しだけ目を細めた。
困らせたいわけじゃない。
でも、もう隠してばかりもいたくない。
「だから、下まで送る」
それはもう、“帰そうとしてる”というより、“必死で帰してる”に近かった。
タイキはしばらく動けないみたいだった。
玄関に片足だけきちんと靴を履いたまま、もう片方の足もとっくに整っているのに、立ち上がるタイミングを失っている。
ルイはその様子を見て、ほんの少しだけ口元をゆるめる。
「……立てる?」
タイキがようやく、少しだけ睨むみたいに顔を上げた。
「お前のせいだろ……」
掠れたその声が、妙に甘かった。
ルイは笑いそうになるのを堪えて、でも少しだけ照れたように返す。
「うん」
「ごめん」
たぶん、あんまり反省してる顔じゃない。
でも本当に、少しだけ幸せだった。
タイキは玄関の壁に指先をついて、小さく息を整えてから立ち上がる。
まだ耳が赤い。
ルイの方をまともに見れないくせに、完全にも逸らせない。
その感じがたまらなくて、ルイは鍵を握る手に少しだけ力を入れた。
下まで送る。
そこで、今日は終わり。
ちゃんと終わらせる。
次のために。
この先を大事にするために。
それでも、玄関のドアを開ける直前まで、ルイの内心はずっと騒がしかった。
帰したくない。
でも帰す。
好きだから、帰す。
なのに最後にキスまでしてる時点で、全然えらくない。
それでも。
振り返ったタイキが、まだ少し熱の残る顔でルイを見た時。
ルイは思った。
ようやく、ひとつだけ落とせた。
その事実だけで、今夜はたぶん十分だった。
エレベーターの中は、ほとんど無音だった。
上の階で落とされたキスの余韻が、まだそのまま二人の間に残っている。
タイキは正面の扉を見たまま、まともにルイの方を見られない。
見たらまた無理になる。
なのに、隣の気配ばかり意識してしまう。
ルイも無理に話しかけてこなかった。
それが逆に、今のタイキには助かる。
低く鳴る機械音。
降りていく感覚。
扉の鏡みたいな反射に、少し距離を空けて並ぶ二人の姿が映る。
さっきまでルイの家にいた。
同じソファに座って、コーヒーを飲んで、手を繋いで、言葉を交わして。
それだけなのに、もう何日分も心臓を使った気がする。
一階に着いて、扉が開く。
外の夜気は、少し冷たかった。
でも顔の熱は全然引かない。
エントランスを抜けて、建物の前まで出る。
タクシーを呼ぶほどでもない距離だとタイキが言ったから、ルイはそこまでで止まった。
「ここで大丈夫?」
ルイが静かに聞く。
「……うん」
タイキが頷く。
声は小さい。
でもさっきの玄関ほどは震えていない。
見上げると、ルイがちゃんと少し離れた位置で立っている。
送ると言った通り、ちゃんと下まで来て。
でも、これ以上欲しがりすぎない距離で止まっている。
その立ち方がまた、やさしい。
「着いたら連絡して」
ルイが言う。
「……わかった」
「あと」
ルイは少しだけ目をやわらげる。
「今日、来てくれてほんとに嬉しかった」
その一言で、また胸の奥がぎゅっと鳴る。
タイキは返事をしようとして、でも喉がうまく動かなかった。
代わりに、視線を少しだけ下げる。
靴先、アスファルト、街灯の影。
どうでもいいものを見て時間を稼ぐ。
このまま「じゃあ」で終わるのかと思った。
それでも、足が動かない。
なんでだろう、と一瞬だけ思って。
すぐに分かる。
帰りたくないわけじゃない。
でも、終わらせたくない。
今日をここで区切るのが、惜しい。
その感覚に、自分で小さく息を呑む。
ルイが「タイキ?」と呼ぶより先に、口が動いていた。
「……明日も」
ルイの目が、はっきり揺れる。
タイキは今さら言葉を飲み込みたくなった。
でももう遅い。
出してしまったなら、その先までちゃんと言わないと、自分がもっと苦しくなる。
「……来ていい?」
最後の方は、ほとんど消えそうなくらい小さかった。
夜の空気が、一瞬止まったみたいだった。
ルイは何も言わない。
いや、言えないんだと分かるくらい、一瞬だけ完全に固まった。
タイキは耳まで熱くなっていくのを感じた。
何言ってんだ、俺。
自分から家に行きたいって言って。
しかも明日もって。
そんなの、ほとんど。
「……っ、いや」
タイキが慌てて視線を逸らす。
「別に、無理ならいいし」
「その……」
言い訳みたいに言葉を足すほど、余計にひどい。
自分でも分かる。
でもルイは笑わなかった。
ただ、ゆっくり息を吸って、それから本当にやわらかく言った。
「来て」
その二文字だけで、タイキの呼吸が止まりかける。
ルイは少しだけ首を傾けて、今度ははっきり重ねた。
「明日も、来ていい」
「むしろ、来てほしい」
タイキはもう、まともに目を合わせられなかった。
嬉しい。
でも恥ずかしい。
その両方が一気に来る。
「……っ、じゃあ」
「うん」
「……行けたら、行く」
「それ、ほぼ来るやつ?」
「うるさい」
ルイが少しだけ笑う。
でもその笑いも、どこか信じられないものをもらったみたいな顔をしていた。
「待ってる」
低い声。
タイキは小さく頷いて、それからようやく一歩下がる。
今度こそ、本当に帰る。
でも背中を向ける直前、どうしてももう一度だけルイを見たくなって、視線を上げた。
ルイはまだそこにいた。
自分を見送るためだけに、ちゃんと立っている。
その顔があんまりにも穏やかで、やさしくて、タイキはまた胸の奥が熱くなる。
「……じゃあ、また明日」
その言葉が、自分の口から出た瞬間。
あ、もう明日も行くんだ、と自分で思った。
ルイの目が、静かにやわらぐ。
「うん」
「また明日」
⸻
ルイはタイキの背中が角を曲がって見えなくなるまで、その場を動けなかった。
見送ったあとで、すぐに追いかけたくなる衝動を抑えるのに少し時間がかかった。
明日も来ていい、ってなんだ。
あんな顔で。
あんな声で。
しかも最後、「また明日」なんて。
「……無理だろ、ほんとに」
誰もいないエントランスの外で、小さく呟く。
落ち着け、と自分に言い聞かせる。
今ここで顔がゆるんでるの、たぶんひどい。
でも無理だ。
嬉しすぎる。
さっきまで、今日をちゃんと終わらせられたことに少しだけ安堵していた。
ここまで。
今日はここまででいい。
そう思えていたはずだった。
なのに、最後にタイキが置いていったのは
明日も来ていい? だった。
帰したくないのを我慢して、ちゃんと帰したのに。
そのあとで“また明日”なんて言われたら、理性の使い方が分からなくなる。
ルイはゆっくり息を吐いて、ようやく踵を返した。
部屋へ戻る。
エレベーターに乗る。
一人になった途端、さっきまで抑えていた感情が一気に近くなる。
明日も来る。
タイキが自分から来たいって言った。
しかも一回だけじゃない。
今日の流れの先で、それを言った。
その事実だけで、胸の奥がずっと熱い。
部屋のドアを開けると、さっきまで二人でいた空気がそのまま残っていた。
静かなリビング。
少しだけ残るコーヒーの香り。
ソファの位置。
テーブルの上の跡。
タイキがいた場所が、まだ分かる。
ルイは上着を脱いで、マグカップを持ち上げた。
シンクへ運ぶ。
水を出して、スポンジに洗剤を含ませる。
白い泡がカップのふちをなぞるのを見ながら、今夜のことをひとつずつ思い返した。
最初に来た時の、玄関の落ち着かなさ。
料理している自分をやけに見ていたこと。
向かい合って座って、ちゃんと目を逸らさなかったこと。
片づけの時、触れそうになって逃げたこと。
“眠くないの?”で勝手に自滅してた顔。
手を繋いだ時の、声にならない反応。
“足りなくなった”って、勇気を出して言ってくれたこと。
それから――明日も来ていい、って。
カップの内側を洗いながら、ルイは小さく息を吐く。
「……どうすんだよ、明日」
嬉しい。
でも同時に、ちゃんと考えないといけないとも思う。
今日わかった。
タイキは自分から来る時は来る。
でも、その一歩はまだ小さい。
小さいからこそ、大事にしないといけない。
今日みたいに急に“抱きたい”まで言うのは、段階としてたぶんよくなかった。
いや、嘘はつきたくないから言ったこと自体は後悔していない。
でも、次はもう少し順番を考えた方がいい。
ルイは水を止めて、泡を流す。
どうアプローチするか。
もっと分かりやすく引っ張るんじゃない。
むしろ逆だ。
タイキが自分から近づける余白を残す。
逃げ道をちゃんと残して、それでも来た時はしっかり受け取る。
たとえば、明日は最初から“二人きりの夜”っぽくしすぎない方がいいかもしれない。
ご飯。
少し話して。
今日の続きみたいに、無理に近づかない。
でも、視線はちゃんと返す。
手を繋ぐのは――タイキの顔次第。
そこで思い出して、ルイは少しだけ笑った。
“手だけなのに足りなくなった”。
あんなことを真っ赤になりながら言うやつに、明日また同じことをしたら、たぶん本当にだめになる。
でも、だからといって何もしないのも違う。
欲しいのは、タイキが「また来たい」と思える夜を重ねることだ。
怖がらせないで。
でも確実に、前より近くしていく。
洗い終わったカップを拭きながら、ルイは静かに考える。
明日、迎えたらまず何て言う。
“来てくれて嬉しい”はたぶん言う。
でもそれだけじゃ重いか。
いや、タイキはたぶん重いくらいでちょうどいい時もある。
いや、それは自分の都合だ。
「……落ち着け」
小さく言って、カップを棚に戻す。
とりあえず決める。
明日は、今日より一段やさしく。
でも曖昧にはしない。
好きだって空気は消さない。
その上で、タイキが“来たい”って自分から言ったことを、ちゃんと大事に扱う。
一番だめなのは、嬉しくて欲張ることだ。
それだけは分かっている。
でも。
シンクの前で手を拭きながら、ルイはどうしても思ってしまう。
明日も来る。
タイキが。
自分から。
その事実だけで、今夜はたぶん眠れない。
「……ほんと、どうしよう」
困ったみたいに笑う。
でもその顔は、かなり幸せだった。
⸻
帰り道、タイキはずっと自分の足音と心臓の音を聞いていた。
夜道は静かで、空気は少し冷たい。
なのに顔の熱はまだ全然引かない。
歩きながら、何回も思い返してしまう。
ルイの家。
料理。
向かい合ったテーブル。
手を繋いだこと。
“足りなくなった”って、自分で言ったこと。
後ろから落とされたキス。
それから最後に、自分が口にした言葉。
明日も……来ていい?
「……何言ってんだ、俺……」
小さく呟いて、思わず片手で顔を覆う。
いや、本当に何言ってるんだろう。
自分でルイの家に来たいって言って。
しかも明日も、って。
今日だけで十分いっぱいいっぱいだったはずなのに。
でも、言った瞬間に後悔したかと言われたら、たぶん違う。
恥ずかしかった。
めちゃくちゃ。
もう帰ってから布団の中で思い出して暴れたくなるくらいには恥ずかしい。
でも、後悔ではなかった。
むしろ、口にしてしまった時の方がすっとした。
ああ、また行きたいんだなって。
自分でも分かってしまった感じ。
「……大丈夫なのか、俺」
誰に聞かせるでもなく呟く。
大丈夫じゃない気がする。
今日だけでもだいぶ危なかった。
手を繋いだだけでだめ。
キスひとつでだめ。
“抱きたい”って言われただけで頭が真っ白。
そのくせ、足りないとか思ってる。
そんなやつが、明日もまた行って大丈夫なわけあるのか。
答えは、たぶん普通に考えたら「ない」だった。
なのに足は軽い。
心臓はうるさいのに、気持ちだけは不思議と沈んでいない。
むしろ、少し浮いている。
それが一番まずい。
タイキはポケットの中で手を握る。
さっきまでルイに繋がれていた方の手。
癖みたいにまた握ってしまって、すぐに「やば」と思う。
でもやめられない。
あの時の感触を思い出して、また胸の奥が熱くなる。
「……好きなんだろうな、これ……」
声に出してみて、自分で静かに固まる。
完全に言い切るには、まだ少し怖い。
でも、ここまで来て違うとはもう言えない。
好きだから、また行きたい。
好きだから、足りなくなる。
好きだから、明日も来ていいなんて聞いてしまう。
街灯の下を通りながら、タイキは小さく息を吐いた。
ルイは優しかった。
ちゃんと止まってくれた。
ちゃんと帰してくれた。
それなのに最後、背中にキスなんて落とすから悪い。
思い出した瞬間、また耳が熱くなる。
「あれは、ほんとにずるい……」
しかも、そのあと普通に下まで送るとか。
あんなことされたら、余計に終われなくなるに決まってる。
歩きながら、タイキはふと足を止めた。
さっきルイに「また明日」って言った。
あれはもう約束みたいなものだ。
明日も行く。
たぶん行く。
ほぼ確実に行く。
その事実が改めて現実味を持って、胸がどきっと鳴る。
「……俺、ほんとに行くのか」
行く。
行くんだろうな、と思う。
だってもう、会いたい。
会って、また話したい。
できるなら、今日の続きを少しだけやりたい。
手を繋ぐとか。
視線が合うとか。
そんな小さいことの続きを。
そこまで考えて、タイキはまた耳まで赤くなった。
だめだ。
こんなの、自分でも甘すぎて無理だ。
でも、たぶんルイに会ったらまた全部崩れる。
今日だってそうだった。
明日も、たぶんそうなる。
「……大丈夫じゃねぇな、俺」
今度は少しだけ笑って言う。
ほんとに大丈夫じゃない。
でも、その“だめさ”が嫌じゃなかった。
むしろ、少しだけうれしい自分がいる。
こんなふうに誰かのことを考えて、帰り道ずっと顔が熱いなんて。
そんなの、どう見ても普通じゃない。
普通じゃないのに。
変に幸せだ。
タイキは小さく空を見上げた。
夜は深いのに、気持ちはまだ全然終わっていない。
明日も行く。
そう思っただけで、また心臓が大きく鳴った。
「……ほんと、やばい」
でもその声は、どこか嬉しそうだった。
コメント
2件
連日の更新で心臓が持ちません(笑)読みながら、声上げてスマホ投げました😂ありがとうございます🩷
こんにちは、寺島あおいです🌷 第5話「本音」、じっくり読ませていただきました。 このエピソード、本当に胸がきゅっとなりました……。お互いに隠しきれない本音を少しずつ預け合う、その距離感の描き方が繊細で。特にルイが“抱きたい”と言った後の、タイキの「何すんの……」みたいなところから「俺、抱かれる方なんだ……」って気づく流れ、すごくリアルで好きです。真っ赤になりながらも逃げないタイキと、ちゃんと止まろうとするルイの対比がたまらなかった。 最後の「明日も来ていい?」からのコンビニ前の会話、そしてルイ視点での「帰したくない」と「でも帰す」の葛藤──どちらにも感情移入してしまいました。背中に落とすキス、ずるいけど素敵ですね……。 次が待ち遠しいです。素敵な時間をありがとうございました✨