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―――魔王城にて―――
魔王城にある最奥部の一つ。魔王の寝室に続く廊下を、色とりどりの布を体に巻き付けた派手な衣装の男、ユンクトゥティトゥスが歩いている。
現在の時刻は正午過ぎ、本来ならば彼が向かう先には誰もいない筈の場所である。しかし、彼はその誰もいない筈の場所、魔王の寝室に用がある。
部屋の前にたどり着いたユンクトゥティトゥスが、扉をノックする。
「陛下。失礼致します」
「………」
「失礼致します」
返事は無い。遠慮も何もなく、施錠されている筈の扉を意も介さず開き、部屋へと入る。
ベッドに目を向ければ、寝具が不自然に膨らみ、小刻みに震えている。
「おいたわしや……へいか…っ」
「…ねぇ、ユンクトゥティトゥス。労わってるセリフの筈なのに、何で小馬鹿にされてるように感じるのかしら?」
ユンクトゥティトゥスに労わりの言葉を掛けられ、ようやく魔王が返事をする。声色に少しの嘲笑を感じたのか、返事というよりも悪態に近い。
「それは勿論、陛下があれから3日も経つというのに、未だ生まれたてのディーアのごとく震えているからにございます」
「”あんなの”まともに受けたらこうもなるわよ!!ホントに死んだと思ったのよ!!?」
どうやら実際小馬鹿にされていたようだ。魔王領に多数生息する、鹿によく似た生き物に例えられるほど、彼にとって今の魔王の姿は滑稽だったのだろう。
怒気を露わにして魔王が掛け布団をはぐり、ベッドから姿を現す。
「陛下の一縷の望みが叶わなかった結果にございますね」
「もう、終わったわぁ…。お終いよぉ…。私達、この国ごと”アレ”に消されてしまうんだわ…」
絶望したように魔王が声を絞り出す。実際の所、魔王が絶望するのは無理のない話である。
―――プラウスタータ増幅陣―――
世界で唯一つ、魔王城にのみ存在する魔王国の最重要秘匿技術の一つであり、これの存在は魔王国民の中でも片手で数えるほどしか知る者はいない。
魔王城のとある一室。客間ほどの広さの部屋がすべて埋まってしまうほどの魔術陣が刻まれている。装置全体の大きさは驚くことに、魔王城の四分の一を占めるほどの超巨大装置である。
効果は単純。魔力量、魔力密度、魔力色数の増幅である。
魔術陣が刻まれた部屋の真下に込められた魔力の波長を、陣の使用者と同じ波長に変換し、術者に負担をかけることなく増幅させた魔力を使用可能にする装置だ。欠点は、陣の内部でしか使用ができない一点のみである。
魔王城にはごく少量ではあるが、魔王国中に存在する魔力を回収し、貯蔵する機構がある。そうして貯蔵されたあらゆる魔力を、全て一個人が一切の制限無く使用できる。それは、本来ならば生者が持つことができない筈の黒色の魔力さえもだ。
すなわち、この装置を利用すれば、前代未聞の魔力色数七色を持つ”深部”の存在を上回る八色の魔力を使用が出来るのだ。
魔王は、これまで貯蔵したほぼすべての魔力をこの装置に用いて、一つの”極大超魔術”を発動させた。
『隔てなく与えられる無慈悲なる凍死《ギィンディマーフリートゥス》』
一見すれば数日間振り続ける大雨にしか見えないが、雨雲、雨水すべてに均等に魔力が込められており、雨水に触れたあらゆる存在の温度を徐々に奪い続ける魔術だ。
最初の内はただの冷たい雨と感じるだろうが、一日浴び続ければ大抵のものは凍え始め、二日で運動機能の大半を奪われ、三日もすれば、雨水に触れたものを氷結させるほどにまでなる。
“楽園深部”全体を氷漬けにして封印する。
魔王にとって、正真正銘、一縷の望みを賭けた最終手段だったのだ。
二日目の昼までは順調だった。雨雲と自身の感覚をリンクさせ、”深部”全体を上空から把握すれば、”深部”の生物にも自身が発動させた魔術が正常に効果を発揮していると理解できた。
しかし、”深部”の端。崖のある場所から雨雲に向けて立ち上った、理解不能な凶悪な七色の光によって一瞬にして魔術そのものがかき消されてしまったのだ。
魔王が使用した魔術によって生み出された雨雲は、物理的な手段では排除できない。
衝撃波や風圧で吹き飛ばしたとしても、術者の魔力が続く限り、瞬く間に雨雲を再構築させてしまうのである。それが、魔術の構築式ごと、一瞬である。
魔術と自身の感覚をリンクさせていた魔王は、確かに感じ取った。
七色の光に込められた、明確な怒りの感情を。
魔王は恐怖した。国中からかき集めた八色の魔力すべてを用いた手段が通用しなかったことも。それによって”楽園深部”への攻撃と判断され、”アレ”に明確な怒りの感情を向けられたことも。そして、”アレ”に明確な意思があったことも。
もしも”楽園深部”に攻撃をしたのが自分だと”アレ”に知られた場合、”あの光”によって魔王国もろとも自分達を消されてしまうかもしれない。平然としていられるわけがなかったのだ。
ユンクトゥティトゥスには確かに魔王に対して労わる心がある。しかし、魔王には一国の主として、そろそろ現実を直視して今後を見据えてほしい。
そう思ったからこそ、あえて魔王に分かるように小馬鹿にしながら労りの言葉を掛けたのだ。ボケをすればいつも通りツッコミが返ってくると信じて。
「陛下、我らがこうして生存しているのであれば、まだ終わりではありません。一国の主であるならば、最後まで国を思い、諦めぬものです」
「………そうね。貴方の言う通りよ、ユン。今の私は魔王。なら、いつまでも情けない姿を晒し続けるわけにはいかないわね!」
「それでこそ陛下でございます!」
家臣に叱咤されたことで、彼女の魔王としての誇りと、一国の主としての責任が彼女の恐怖に打ち勝った。
恐怖で潰れてしまうようならば、最初から魔王の座など先代から引継ぎはしないのだ。
「それに陛下。まだ希望はあります」
「私にはある様には見えないんだけど?せめて私の命一つで何とか許してもらえないか考え中よ」
「陛下の一縷の望みは残念ながら潰えることと相成りましたが、私の一縷の望みはまだ潰えておりません」
手を尽くした結果相手を怒らせた以上、一国の長として、自分のしでかしたことへの責任を取る。それが今の魔王の心境であったのだが、ユンクトゥティトゥスが諦めるのはまだ早いと言う。彼の望みが絶たれていないからだ。
「ユンクトゥティトゥスの一縷の望みって……。っ!ちょっと!?」
「誠心誠意頭を下げて謝りましょう。仰っていたではありませんか。目の前で土下座でも裸踊りでもして見せると」
「いや、言ったけども……」
「よもや陛下。ご自分の発言の責任をはたさないので?」
確かに彼女は言った。”楽園深部”の魔力反応の持ち主が意思疎通可能であったのならば、土下座でも裸踊りでもご飯的な生贄にもなると。
実際、意思疎通可能かどうかはまだはっきりとは分からないが、怒りの意思を向けてきたということは、少なくとも意思自体はある筈なのだ。ユンクトゥティトゥスの一縷の望みとやらが、現実味を帯びてきたのである。
ユンクトゥティトゥスは、魔王が言葉を濁すことに対して煽り出す。彼女は魔王即位から今日まで、自身の発言に対して無責任な行為を取っていない。彼女は責任感の強い女性だった。
「…裸踊りも、やらなきゃ、駄目?」
「陛下。ご自分の発言にございます」
そんな彼女も、流石に裸を見知らぬ誰かに見せることは素直に実行できないのだろう。魔族の寿命で考えれば、彼女は未だ乙女である。
魔王は、自分の”楽園深部”への行為以上に自分の発言を後悔した。