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ヒューグからの申し出を受け、ラーガとの融合魔術が執り行われることになった。儀式はベルニージュによる主宰だ。
現在のヒューグを構成しているのは石像、ラーガの男性性、元々青銅像に宿っていたという亡霊、そしてベルニージュのラーガに関する記憶だ。魂と記憶、そして肉体である石像だけならば魔女シーベラから母の記憶を解放した時と変わらないが、今回はラーガの男性性という要素がある。念には念を入れて準備を進めた。元護女たちと使い魔たち、フシュネアルテ率いる屍使いたちの協力を得て、魔術儀式を港に構築し、建てる者と築く者にこの魔術専用の祭壇を設計させた。他には何にも使えない、実質使い捨ての建築物を建てることに二人の使い魔は難色を示したが抵抗はしなかった。
その精緻で躍動的な構造物を、ただの人間が作ろうと思うと何年もの月日を要するだろう。神聖な趣もあれば、邪な雰囲気もある。用の美を感じさせながらも、無駄の多い豪奢な建築にも見えた。見た目は巨大な脚のない杯だ。白い石灰岩で出来ており、舞台となる杯の底を囲む壁は業火のように曲線を描いている。
当日は多くの参加者ならぬ、野次馬に囲まれた。実際の魔術儀式の参加者は被術者のラーガとヒューグ、加術者のベルニージュと建てる者、グリュエーとフシュネアルテだが、隠せるものではないので衆人環視の中、執り行われることになったのだ。ユカリだけは未だに人前に出てくるのを避けていた。
魔術祭壇の真ん中で二つの円陣のそれぞれにラーガとヒューグは向かい合わせになって座っている。どちらも特に緊張は感じていないようで、むしろヒューグの視線の先のアギノアが身を乗り出さんばかりに強い想いを抱えているようだった。
「そういえば」とおもむろにラーガが言った。「お前の気持ちを聞いていなかったな」
その言葉がベルニージュに向けられていることに本人は暫く気づかなかった。
「気持ち、ですか?」とベルニージュは問い返す。
『お前に、ベルニージュに、俺のことを思い出して欲しいからだ』という言葉を聞いた時、ベルニージュはしっかりとその意味を理解していたが、覚書には残していなかった。故に特殊な記憶喪失者ベルニージュはすっかり忘れているのだった。
「まあ、いい。融合後、改めて、はっきりと伝えよう。儀式後、もはや俺を忘れることは叶わんのだからな」
「アギノア」とヒューグがまるでラーガに対抗するように大きな声で祭壇の外に呼びかけた。「今度こそ真に自由な旅に出よう」
「はい! 必ず!」アギノアの声もまた掠れんばかりに振り絞られていた。
「二人とも、儀式が終わるまで指定の円陣内から動かないように」とベルニージュは念を押す。
多くの検証を重ねたが、当然全体の実証は本番で行われることになる。些細な失敗も許されない。
グリュエーと目配せし、儀式を開始する。まずはベルニージュによって記憶を奪う魔術が実行される。既に慣れたもので、幾分かの改良も施された魔術は円滑に行われ、石像から飛び出した蝶が無数に舞い飛ぶ。しかし祭壇に施された魔術によって蝶が逃げ出せず、石の杯の中に留まった。続いてグリュエーによる救済機構式の昇天の儀式が執行される。その時、石像が立ち上がり、敵意を露わにした咆哮を放つ。しかしこれは想定内だ。長らく特殊な状況に置かれた青銅像の亡霊が摩耗し、狂気に陥っている可能性があった。その対策として屍使いの魔術を応用し、石の肉体を戒めることにしておいたのだ。祭壇の細やかな装飾の各所から赤黒い血が滲み出て、石像に染み込んでいく。詳しいところはベルニージュには教えられなかったが、内部から束縛する魔術だということは魔法使いならば誰でも分かる。しかし、亡霊の行動は想定内でも、その膂力は想定外だった。石像は血の束縛によって罅を入れながらもラーガの方へと足を踏み出す。未だ円陣内ではあるが、そこを出れば何が起こるか分からない。
ベルニージュは一か八か儀式を早める。略すことは出来ないが、急ぐことは出来る。失敗の許されない儀式ですべきことではないが、何もしなければどちらにしても失敗だ。
グリュエーの昇天の儀式と並行して、ベルニージュはラーガの男性性を剥離し始めた。男性性とはおそらく魂の一部なのだろうと解釈している。グリュエーの妖術は魂を分ける際に自ら小さな器を用意しているようなものだが、ラーガの方は器自体が欠けて零れてしまったのだ、という仮説だ。
かつては青銅像の、今は石像の亡霊がさらに一歩を踏み出す。そして拳を振り上げる。しかしその拳が振り下ろされることはなかった。円陣を飛び出し、一足で近づいたラーガが真下から打ち上げた拳によって石像は粉砕された。
祭壇に現れたその男をベルニージュは記憶していた。遥か昔に、そして、およそ一年前から何度か目にしていた。それはレモニカが何度か変身していた男の姿だ。
外見には手弱女だった姿が失われ、誇らしげな益荒男が現れる。くすんだ金髪は雑然と伸び、口を覆う髭は荒れ地の如しだ。英雄然とした鋼の肉体は濃い影を落とすほどに隆々であり、粗にして野な風貌ながら稀代の俳優にも劣らない顔立ちには高貴な眼差しと微笑みがあった。
心臓を穿たれたような衝撃がベルニージュを貫く。世を薔薇色に彩る好意と世を焼き尽くす敵意が同時に現れた。
元々惚れていた。頼まれれば力を分け与えるのも、そのために記憶を失うのもやぶさかではないほどに愛していた。そして自分をそれほどに変えてしまった男が憎くて仕方がなかった。
儀式は完遂した。戦士たちが雄叫びをあげていた。ベルニージュは背を向けて逃げ出した。