テラーノベル
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⚠️注意⚠️
・バッドエンド
・死ネタあり
・あっけなく終わります、彼らの恋みたいに。
星冴ゆる夜、その星々をかき消すほどに光る周りの蛍光灯たち。大勢の人々が歩く音。だが、その大群の中で、この看板に目を向ける者は一人もいない。看板の前に立ち、泣くこともせず、ただずっと無表情に看板を見つめる高身長の女──コトコを除いては。
お願い ◎目撃者を探しています
令和▇年1月27日21時10分ころ、この場所で自動車と歩行者のひき逃げが発生しました。この事件を目撃した方は──
薄汚れた看板には、ひき逃げ事件についての情報提供を求める文字がただ淡々と並べられている。こんな立て看板、この日本で探し回ったら何十個も何百個も見つかるだろう。いつものコトコなら、一読して通り過ぎていた。コトコがやるべき事の中で、それは優先順位が低いから。
けれど、この看板だけは、どうしても目が離せなかった。
──1月27日、21時10分
このひき逃げ事件の被害者が誰かは、コトコからすればいとも簡単に理解できるものであった。けれど、理解したくない。ただ、並べられている文字を見つめることしか出来ない。頭が理解を拒んでしまう。
“別にいいじゃないか、アイツいなくなった所で、自分に負傷は無い。”
そう、頭の中で呟く。
“私はこれを望んでいた。”
この世界で犯罪を犯していなくても、前の世界では人殺しをしていたのだから___自業自得だ。
これは、私の中で、1番うるさくて厄介な人間が、死ぬまでの1週間の話。
[1日目]
その夜、僕は逃げ込むようにしてバーのドアを押した。ドアは自分の心の疲れと比例しているかの如く重量があった。
終電前の新宿。ブラックな広告会社で擦り切れた神経を、安いウイスキーで誤魔化すのが、最近の習慣だった。
──僕の人生こんなはずじゃなかった
そう思ってしまったら、もう何も頑張れなくなる。と頭できちんと制御するにも関わらず、結局はマイナスな思考がぐるぐると回り続ける。
憧れの会社に入ってはや数ヶ月。もう既に僕の心は限界を迎えそうだった。
学生の頃から、この会社に入りたいという志を持って生きてきた。ここに入ったら、きっと凄くやりがいのある仕事ができるんだろうな。なんて夢見ながら過ごしてきたのだ。
確かにやりがいはあるし、仕事も楽しい。
けれど、残業して作り上げた案を、上司から「ああ、それ、こっちに変更。また作り直して。」と容易く言われたり、いつも早く帰る先輩から「忙しいんだよ〜! お前ならやってくれるだろ?」などと案件を押し付けられたり…現実はそう優しくなかった。
入社してからしばらくは終電に間に合うか毎日RTAしていたのだが、つい最近、クロスバイクを買った事により終電を気にせず残業ができるようになった。……終電に間に合うかというプレッシャーが消えたのは嬉しいが、残業自体に嬉しくは無い。
数週間前程に、何か残業疲れに癒せるものはないのか、と街を転々としていたところ、このバーに出会った。質素な雰囲気を纏いながら街中に佇む姿が、妙に惹かれたのだ。
ゆっくりとドアを閉じる。いつものお決まりの席に座る。バーテンダーへ注文を軽く済ませた後、疲れた体をカウンターの机へと投げ出す。あの資料どうしよう__ストレスを少しでも軽くしようと、スマホを開き癒し系の動画を流しみる。……特に心に響かない。はぁ、と大きくため息をつきながらぼんやりしていると、
「ねえ
隣、いい? 」
返事をするより早く、低くて冷たい声が落ちてきた。
見上げると、鋭い目をした女性が立っている。無駄のない服装で、背筋が異様に真っ直ぐだった。
「もちろん! どうぞどうぞ」
反射的に笑顔を作ると、彼女は僕を一瞥しただけでカウンターに座った。キラキラと光る店内のライトに照らされながら、簡単にバーテンダーに注文を済ませる。
「アイ・オープナー」
「じゃあ僕もそれで」
「見栄張らなくてもいいわよ」
「はってないよ! ……気になっただけだし」
小言を言われ、ムッとした表情で彼女の方を見ると、彼女の特徴的な赤い横目とふと目が合い、頬が暑くなる。そんな僕を見て……彼女ははぁーっと呆れた顔で大きくため息をついてみせた。
「……変な人」
「えっ」
「初対面でその距離感。警戒心が無さすぎる」
きっぱりと言い切られて、僕は思わず苦笑した。
でも、なぜだろう。突き放されているのに、どうしても目が離せなかった。まるで、惹き付けられているように。
「あ、えと……僕、榧野ミコトって言います。広告会社勤め。君は? 」
まさか釘をさしたのにも関わらず、名乗られるとは思っていなかったのか、意外だったのか。彼女は驚いた表情を見せながらも、渋々と口を開いた。その目には呆れという感情も混ざりに混ざっていた。
「……コトコ。大学生」
「大学生なのっ!? え、どこ大!? 」
これでもかとぐいぐいをアタックし続ける僕に対して、彼女はゴミを見るかのような目で見てくる。哀れみの目とはこういう事。だけど僕は折れない。大学と会社で磨き上げた、人並み優れたコミュ力で彼女に話しかけ続けることにした。
「どこかは言わないわ。まぁ教えれるとしたら……法学部ってことぐらいかしら」
「法学部! すごいなあ。頭良さそう」
「褒めなくていい」
毅然とした態度でぴしゃりと切られる。でも、それきり席を立たなかった。
それだけで、胸の奥が少しだけ温かくなる。
こんなに、人と話して楽しい時間は久々だった。いつも飲み会で気を使ってばっかで、人と会話することなんて面倒なことだとすら感じていた。けれど、今は違う。
オレンジ色のライトに照らされる僕ら、ふたりきりのバーカウンターで、カクテルを少しづつ味わいながら会話する。彼女のことについて一つ一つ知ってゆく。
ものすごく楽しい。――胸が高なる。
「コトちゃん、……また明日も、来てくれる?」
「……気が向いたら」
僕の呼び方に顔を顰めた後、彼女は仕方なさそうに、
そう、この日が、すべての始まりだった。
[2日目]
「あ、コトちゃん」
「……昨日ぶりね」
翌日――少し飲みすぎたせいか、それとも昨日の浮かれている余韻がまだ残っているのか。少し重たい瞼を擦りながら、朝出勤した。それからはいつも通り、会社の仕事を進め、休憩時間には喫煙所に行き先輩達と世間話などの会話を交わす。午後も仕事に没頭し、今現在は1時過ぎ。そして先程退勤し、バーへ来たところだ。
いつもより明るく見える照明に目を細めながら、ドアを開ける。すると見覚えのある――忘れるはずの無い女性がカウンターにて座っている。
彼女の元へ駆け寄り、隣の席へと座る。バーテンダーへといつものカクテルを注文した。
「来たんだね」
正直驚いた。コトちゃんのようなさっぱりした性格の子は、ワンナイトで関係を断ち切る人が多いから、彼女もその類なんだろうと勝手に解釈していた。どうせ、この黒いドアを開けた先には、がらんと空いたカウンターと、見ず知らずの人間が沁み沁みと呑んでいる姿しか見られない。そんな風に、期待などしていなかった。だから、すごく、意外。
コトちゃんは僕の言葉に対して何も言い返さない。多少の気まずさを紛らわせるためにカクテルを口へと運ぶ。いつもなら味わって飲むところだが、今は味が感じ取れない。サイダーのピリピリとした感覚が舌や喉を刺激するが、本来、舌の味蕾によって感じる甘味や酸味、辛味はどこか頭の上の空へ行っているようだった。緊張のせいか、それとも別の要因か。横目に見る彼女は、スマホに目線を向け、ただ淡々と記事を読んでいる。
――▇月▇日、通り魔殺人事件
画面に大きく映し出されるモノクロの大きいテロップは、いかにも物騒な文字を並べていた。
「え゛、なんてもの見てるのさ」
うえっ、と嫌そうな反応を見せた僕とは反対に、彼女は記事を読むのに没頭している。悲しい内容だけれど……彼女には集中しすぎて、僕の声が届いていない。いきなりガラスで壁か敷かれたように、途端として僕の存在は彼女へ届かなくなる。ただ真っ直ぐな目で、コトちゃんは画面の先の事件についてじっと見つめていた。
そんな姿が、初めて絵本を読んだ妹のようで、邪魔することは出来なかった。出来るような、無情な男でも無かった。
……数分後。
ある程度読み終わったのか、ふとコトちゃんが顔を上げた。それにつられ僕もコトちゃんの見つめる先を見ようとしたが、見ることは出来なかった。
彼女はフェイントをかけるように一旦上を見た後、チラリと長い前髪の間から赤い目をこちらへ向ける。
「暇だから来たのよ」
「……。へー、大学生って暇な時間あるんだ」
先程の僕の発言に対して、彼女は自ら発言しようとしない。それを、なぜか率直に感じた。僕が聞かなきゃ彼女は答えない。そんな事を脳で理解しておきながら、出る言葉は他愛のない言葉であり、彼女の言葉に対しての率直な感想。
僕の返答を耳にした彼女は目を丸くする。それは、僕の答えに対する反応なのか。それとも僕がわざと先にこの話題を優先させたことへの反応なのか。分からない。分からないけど、とりあえずこの話題を終わらせないと、先程の話をぶり返すことはできない。
「大学生だからこそ暇なのよ」
「えっ、飲みに行ったりしないの!?」
「行かないわよ物騒だもの」
物騒。まぁ、言われてみれば物騒か。呑みに呑み潰れた男と女が集まる場所。その場のムードによる強制飲酒、タチの悪い男たちがサークルの女子を眠らせて強姦、金銭等のトラブル。傍から見れば滑稽な集団である。まぁ、そんな人から冷笑されるべく無駄な時間こそが、大学生のこれからに繋がるのだが。
それでも、コトちゃんが真面目に呼んでいるニュースも物騒な部類の中に入ると思いはする。口に出すと、きっと彼女は期限を損ねてしまうだろうから、言わないけれど。
「……なんでそんな事件のニュース見てるのさ」
「貴方に関係ある?」
たどたどしく説いてみるが、やはりバッサリと切り捨てられてしまう。違う、違うんだよ。確かに僕はなんの関係者でも無いし、コトちゃんと知り合ったばっかり。だけど、ほら、やっぱり気になるじゃん。女子大学生が、そんな重大事件のニュース真面目に読んでるとかあんま無いよ。
うーん、うーんと分かり易く悩んでいると、その様子を見た彼女がぽつりと「気になるの」と言った。
「気になる?」
「えぇ。この世の中には、裁かれるべき罪を犯してもなお逃げている人間がどれくらいいるのか、知りたい。」
……ここからの話は長くなるので略すと、コトちゃんは悪に対してものすごい嫌悪を抱いているらしい。そして、その悪を自分で打ち消したいという願望も持っている。その為に、今は自主休学してあれこれしている……らしい。
「いやいやいや、悪を消したいって、君ひとりの力じゃ無理でしょ」
そもそもコトちゃんは警察でもなんでもないんだから。あ、だけど法学部なのか。弁護士って事かな?
「……確かに。私の力じゃ限界がある。どれだけ世界を変えようと思っても、……私ひとりじゃどうにもならない。」
「コトちゃん……」
彼女は僕の言葉を聞いた後、少し黙り込んでしまった為、盛大に地雷を踏んだかと思ったが、そうでもなかった。逆に、彼女は盲目になること無くしっかりと、自分の能力を客観視出来ているようだった。
……コトちゃんの凄く悔しそうな顔に、胸が締め付けられる。多分……彼女のやろうとしていることは重大で、普通の人間がどれだけ頑張っても成し遂げる事は難しいのだろう。
「分かっている。けれど、その願いのために、少しでも犯罪者を減らすことは、損ではないと思うの」
減らす?……彼女との会話の中で多少引っかかる部分もあるが、まぁそれはスルーしておく。若干嫌な予想もできるが、コトちゃんは女性だし?そんな、ネットの迷惑系Y●uTuberみたいな、し、私刑なんて出来るわけないでしょ!と心の中で自分に言い聞かせる。
彼女も相当考え込んでいるのだろう。悪について語る彼女は画面に映し出される指名手配犯のことを、彼女の瞳は狼のように、真っ直ぐと射抜いていた。
「あら……ごめんなさいずっと私が話していたわね」
「いや全然! 気にしないで! コトちゃんについて前よりしっかり知れた気がするし! 」
逆にありがとうね! と彼女へ微笑むと、お礼の言うほどのことじゃないわよ、とだけ言う。んー、別に言わなくてもいいことだけど、言いたくなる事ってあるじゃん。それだよそれ、なんてヘラヘラと口から思ってることがポロポロと出てしまう。あ、これ僕、酔ってるな。
時計はもうだいぶ遅い時間を指している。今帰らないとまともに寝れないかもしれない。いつもまともに寝てないけど、今日はそれ以上に。彼女と話し足りないし、名残惜しいものの、これ以上起きていたって明日の自分が後悔するだけなので帰ることを決意する。荷物を手に取り彼女へ別れを告げると、
「……また明日」
と小さく言ってくれた。
「あっ、うん、また明日ね!」
それがなんだか嬉しくて、つい大きな声で返事してしまった。あ、やっちゃった、と店内を見渡すが、運良くこの場には僕らとバーテンダーのみだったので、他の客の迷惑にはなっていない。良かった良かった。
[3日目]
「でさ〜!そのチーフがほんっとに理不尽なんだよー!」
「……まぁ、言っていることの筋は通っていないわね」
コトちゃんと出会って3日目。今日もバーに来てみれば、彼女はその席にいた。まるで僕を待ち構えていたように。昨日のようにまたスマホを弄り出すかななんて思ったけれど、そんなの杞憂だった。ため息多めにカウンター席に座ると、彼女は「どうかしたの?」と聞いてきた。
もちろん、最初は会社の事なんて気安く話しちゃダメだ!と留まったんだけど、結局押しに負けてしまった。いや、身長差的に上目遣いでこっちを見てくるコトちゃんが可愛すぎて断れなかった。こんなのムリムリ。
人間というものは簡単で、1回ぽつぽつ話し出してしまえば、もう止まらないったら止まらない。チーフや先輩の愚痴が口から出て収まらず、話が聞こえているであろうバーテンダーの顔も苦笑に満ちている。
それでもコトちゃんは僕の話を真剣に聞いてくれているようで、チーフの間違っているところは賛同して「それは良くないわ」と言ってくれるし、シンプルに僕のミスのところは「あら、貴方そんなことも出来たのね。出来たこと自体が素晴らしいわ」とブラックジョークで笑わせてくれる。
[4日目]
「今日は上司に、すみません、って言おうとして、ごめんなさい!って言っちゃった。……やばかったぁ……」
「それはアンタが100%悪いわ。」
「酷いー!1回の言い間違えで、だよ!?1回だけだよー???」
「1回でも、よ。」
「うわーん!!」
……今日は、仕事でミスした。それでも、コトちゃんは嘲笑しながら、聞いてくれた。
いやぁ、幸せすぎて、記憶ぶっ飛んだ。
……お酒はちょっと控え目にしないとね。反省。
[5日目]
「硬めのプリンとプリンって、違うんだよ!?」
「……硬さの違いでしょ」
「いーや、わかってない。分かってないねーコトちゃんは。硬さだけじゃない、風味やコク、舌触りや味わい深さも変わるんだよ!」
「……全部一緒でしょ。」
「どんだけ食べ物に興味ないの!?」
コトちゃんといると、あっという間に時間が過ぎていく。……ねぇ、もっと一緒にいたいな。ここのバーだけじゃなくて。もっと、一日中でも話していられる。まだ、離れたくないよ。
テーブルの上に置かれたコトちゃんの手を、包み込む。
「……。」
弾き返されるかと思ったが、意外にもその手が動くことはなかった。……沈黙。だが、空気が暑く重くなった。彼女の指を壊れ物を触るようになぞる。そして、指を絡め合わせた。体温が、お互いの神経を伝って伝わっていく。
「……コトちゃんの恋人の定義って、何?」
「……毎日会って、笑い合う。そして、想い合う。」
なにそれ。
「それってもう、僕らじゃん」
[6日目]
僕たちは同じバーにいるのが当たり前になっていた。
僕が仕事の愚痴をこぼせば、コトちゃんは冷静に論破する。それでも帰らず、最後まで話を聞いてくれる。
「……ねえ、コトちゃん」
「何」
「一緒に住まない?」
自分でも驚くほど、軽い調子だった。そうじゃないと、言えないから。
ただの提案。だけど、言葉には、最後の縋りが滲んでいた。僕にはもう、コトちゃんしかいないから。
コトちゃんはグラスを置き、少しだけ間を置く。考えた仕草をして、こちらを見た。……目が合った。恥ずかしい。
「……却下したいところだけど」
目線を逸らそうとしたが、コトちゃんの視線が、真っ直ぐ僕を射抜いた。釘付けにされる。心拍数が上がり、自分でもわかるぐらい、顔が赤くなってきていた。
「あなた、放っておくと危ない」
「……え?」
まるで、青天の霹靂。僕、そんなに危なくないのに。無害すぎて怖いとまで言われる性格なのに、と納得できずいると……コトちゃんは言葉を続けた。
「感情の扱い方が下手。追い詰められたら、取り返しのつかないことをするタイプ」
背筋が冷える。
でも、彼女の声は不思議と断定的だった。
「だから、監視する。付き合うのも、同居も、そのためだけ」
それは決して、僕と愛が共通しているからでは無い。それが、容易に感じ取れた。ただ一緒に暮らすだけで、僕の心の、一方通行。コトちゃんが振り向くことはない。
「……それでも、嬉しいな」
言葉の通り。それでもいい。ただ、愛を伝えさせて欲しい。朝起きて、コトちゃんの顔を見て、おはようと言いたい。仕事に行く時、行ってらっしゃい、と見送って欲しい。……それだけ。
「意味が分からない」
心底理解できない顔でこちらを凝視していた。まぁ、分からないよね。君には、好きな人、出来たことがないだろうから。
だから、教えてあげる。
「コトちゃんが僕のそばにいてくれるなら、それでいい」
これが、僕のすべて。
コトちゃんは眉一つ動かさなかった。
けれど、わずかに視線を逸らして、静かに言った。
「……勝手に好きにならないで」
「もう遅いよ」
手遅れ。コトちゃんと僕が出会った時点で、もうとっくに手遅れだったんだよ。
その後僕らは、明日から、住むことに決めた。別にいつからでもよかったが、彼女が「早めに行動する方がいい」と言ったので、明日になった。集合は、コトちゃん家の近くの、大きい公園。1本の木を囲うベンチで待ち合わせ。
彼女は僕を守るためだけに隣にいて、
僕は何も知らないまま、ただ彼女を愛していた。
それが、壊れるとも知らずに。
[7日目]
今日は、コトちゃんが家に来る日だ。ふわりと差し込んだ朝日が目に入り、飛び起きる。……時刻は6時30分。うん、時間に余裕がある。
そうと決まれば、模様替えに取り掛かろう。
まず、ソファとテレビ。どちらもいつも使わないが、余計なぐらいに大きかった。でも、これからはコトちゃんと映画を見たりしたいから、その分を先払いしていたと思えば悪くない。これはこのままで良さそうだ。
そして、ベッド。いつも散らかったまま出勤していたせいで、シワが着いてしまっている。まぁ、僕のだし、いいか。完全に無くす、とは出来ないが、とりあえずシワを目立たないようにベッドをセットした。
シングルベッドだから、コトちゃんが来てからこれから数日、僕はソファで寝ることになりそうだ。……もし、いいよって言われたら、……一緒に寝れるかも?
キッチンは調味料・調理器具を全て整理整頓し、きっちり並べた。彼女は、こういう所も見るだろうから、失望させないように。
御手洗、洗面所、お風呂は昨日の夜中うちにカビ▇ラーで洗浄しておいたため、ピッカピカ。水うろこすら無く、光が反射している。
最後のお楽しみ、冷蔵庫には、プロテインバーをこれでもかと言うほど入れておく。そして、タッパーに入ったササミも忘れずに。これなら、コトちゃんも文句は無いだろう。喜んでくれるといいな、と思わず頬笑みが浮かんだ。
……それにしても、来るんだな、この家に。
期待が胸いっぱいに広がり、浮き足立ちながら、綺麗になった部屋を駆け回った。
綺麗な空気のいい匂い。こんなに清々しく思えたのは、久しぶりだった。
夢中になって準備をしていれば、時刻は11時。予定の時間まで、あと1時間。……身支度をして、行こう。ドアはなんだかいつもより軽かった。青い空と明るい日差しが、僕を包む。マンションの廊下を歩けば、風邪が背中を押した。
僕の腕には、プレゼントと花束が抱えられている。まるで、今からプロポーズするみたいな準備。すれ違う人には度々、横目で見られたが、気にしない気にしない。
……東京の道路を歩き続ければ、遠目に待ち合わせの公園が見えてきた。ベンチには、コトちゃんが座っている。まだ、集合時間の5分前だと言うのに、来てくれていた。嬉しくて、つい、早歩きになる。
まだ彼女はこちらに気づいていないようで、スマホをいじっていた。それなのに背はまっすぐしてるって……流石だよなぁ。
プレゼントの中身は新作のリップ。瞳と同じ赤色を見た時、ビビッときたんだよね。……喜んでくれるといいな。ふふっ。
どんどん近づいて……公園に繋がる交差点の前々くれば、スマホに目を向けていた彼女もこちらに気が付いた。ベンチから腰を上げ、こちらに来る。……コトちゃんから僕の方に近づくって、あんまりないことだから、気が浮いて、調子に乗ってしまった。交差点越しに手を振り会う。今から会うって言うのに。僕が目立つのもお構い無しに腕をぶんぶん振り続ければ、コトちゃんは呆れたような顔をして、でも笑って、反対車線信号機をちょいちょい、と指さす。黄色になっていた。もうすぐで、こっちが青信号になる。
明るい音と共に、青ランプに切り替わった。僕らはほぼ同時に足を踏み出した。が、歩幅の大きく最前列にいたコトちゃんの方が早かった。
それが、いけなかった。
「コトちゃんっ!!!」
コトちゃんの横から、大きいトラックが突っ込んできた。彼女の半身が痛いほどの光で照らされる。
思わず、反射的に足が動いていた。脳が判断するよりも先に、精髄が彼女を救いに行け、と僕の体に命令を下した。
思いっきり、突き飛ばす。持っていた花束が落ちるとか、プレゼントが道路に叩きつけられたとか、どうでもよかった。ただ、一生懸命に、力を込めて、彼女の胴体を歩行通路の方に飛ばした。
_クラクションの音が周りの空気を弾け飛ばすように鳴り響く。目の前には、光、光、光。
トラックの運転手と目が合った。相手は、目を見開きこちらを見ていた。責任を僕に塗り替えるような目で。なんで、そんな顔しなくたっていいじゃないか。だって、コトちゃんに突っ込んできたのはそっちじゃないか。こんなのやるせない。
ドン、と周りをいっそう地獄に突き落とす鈍い音が鳴る。目に雫が出来る前に、体は宙を舞っていく。痛みを感じる暇も無い。あ、あどれ…なんだっけ?のせいだっけ。そうじゃないっけ?
尻もちを着いたコトちゃんは、目を見開いてこちらを見ていた。よかった、コトちゃんは無事だ。
サラリーマンは飛び散る液体から逃れるように背け、親子は目を塞ぐ。他人は僕を助けようとはしない。ただ見てはいけないものを目に入れたようにするだけ。周りは烏合の衆と化している。
「ミコトっ!!!」
コトちゃんが、赤く染っていく視界に、映りこんだ。僕の体を見て、揺さぶってる。
嫌だよ、だって僕、君と、したいこと、何もできてない。それに、まだ君に伝えられてない。
ねぇ、コトちゃん、僕、君のことが――
……片手に持っている花を添え、また歩き出す。交差点の電柱にひっそりと置かれたアイレンは、皮肉にも鮮やかな色彩を反射させながら輝いている。風邪はそよそよと吹き、真っ直ぐ伸びた彼女の背中を押していく。
ふと開いたスマホのデータには、あったはずの彼の連絡先が、跡形もなく消えていた。もう忘れて、と言っているようだった。
私が“2度目”の人生を捧げた相手は、私を庇って死んでいった。……今度は二度と、貴方が人を殺さないようにと思って、やり直したのに。最期は結局、貴方は自分を殺した。3度目があったら__次は、貴方は誰も殺さずに、生きてくれる?そう聞きたい相手は、もうどこにもいない。また、“次”を願う他ない。
せめて、あと1日でも生きてくれれば良かったのに。ふたりで部屋で過ごして、貴方が幸せを掴んだ時、前世の罪の重さに気が付き、罪を償う形で死ねばよかったのに。なのに、この世界では、ただの善良な人間、として死んでしまった。
「恋人の、定義って何?」
毎日顔を合わせて、笑い合う。そして、想い合う。
「それってもう、僕らじゃん」
そう、そうなの。あと1日でも長く、…7日間は恋人でいさせてくれたら、私はあなたを弔わずに生きていけたのに。
これが、私の中で、1番うるさくて厄介な人間が、死ぬまでの1週間の話。
人生で一番どうでもよくて、忘れることの出来ない、くだらなく無意味な1週間。
最後に!!余談ですが、このコトちゃんは、この後、父の紹介で別の人とお見合いし、結婚して、子供を産み、一般的に裕福な家族を築き生涯を全うします。幸せになってね。
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