ノエルの言葉に背中を押され、俺は意を決して部屋を出た。
キースと話すべきだ──俺自身の曖昧な気持ちに向き合うためにも。
「兄様……リアムです」
ドアをノックし、耳を澄ます。しかし返事はない。
扉を少しだけ開けて中を覗いてみるが、部屋には誰もいなかった。
代わりにきれいに整えられたベッドと、机の上に無造作に置かれた本が目に入る。
「……どこに行ったんだろう?」
書斎か庭か──そう思い、邸内を探して回るが、キースの姿は見つからなかった。
邸内でどこかで用事でもしているのか、それとも出かけているのか……。
そのとき、偶然廊下ですれ違ったアンが俺に声をかけてきた。
「リアム様?どうなさったのですか?」
「兄様を知らない?ちょっと用事があって」
「キース様ですか?キース様なら先ほど、お出かけになりましたよ」
出かけた?
「……どこに行ったか聞いてる?」
「いいえ、特には。ただ、急ぎの用事だとおっしゃっていました」
急ぎの用事……?珍しい、と思った。
過保護なキースは俺が出掛ける際には必ずどこに行くか聞いてくる。
それは逆でも同じで、自分が出掛ける時は俺に報告をしてくる。
今まではそれを、別にしなくてもいいのに、なんて思ってはいたが……。
そんな男が、今日に限って俺に何も言わず……?
ノエルが居たことを加味しても、誰かに言伝てしそうなものだ。
「リアム様?」
アンに呼ばれて我に返る。
「いや、うん。それならいいんだ、ありがとう」
そう言うとアンはにこりと笑って、廊下を進んでいった。
※
「あれ?お兄?早かったね?」
自室に戻ると、ソファでだらっとしたノエルが迎えてくれた。
ナイジェルは仕事に戻っているようで、部屋の中にはいなかった。
向かいのソファに腰掛ける。胸の中で不安がざわついていた。
「キースがいなかった」
俺が答えるとノエルは、へぇ、と声を漏らす。
「まあ、一人で出かけたいこともあるんじゃないの?」
「そう、だな……」
それはそうだ。キースだって何かしら用事はあるだろう。が……どうにも釈然としない。
もしや、俺のことが原因で何か問題が起きているのだろうか。誘拐事件のこと、レジナルドとの会話、そしてディマスのこと──すべてが頭の中で絡み合って、俺の考えをぐちゃぐちゃにしていく。
「あ、またお兄が考えモードに……」
すみませんね!変に考える方で!俺は心中で悪態をついた。
ノエルは出されたお菓子をどんどん消化していっていた。
暫くして、部屋をノックする音が響く。扉が開けられた向こうにはナイジェルが再び姿を現した。
「リアム様、失礼いたします」
「どうしたの?」
「実は……キース様が少し前、隣国のディマス殿下に会いに行かれたという情報を耳にしました」
「ディマスに……?」
その名前が出た瞬間、俺の中に冷たいものが走った。ディマスは俺を誘拐し、危害を加えようとした人物だ。キースがそんな相手に会いに行くなんて、嫌な予感しかしない。
ノエルも聞き耳を立てている。
「……何のために?」
「詳細は分かりませんが……最近、ディマス殿下が不穏な動きを見せていると界隈では噂になっておりまして。周辺諸国との密貿易に関与しているとの噂があります。それをキース様が吐く止められたという可能性も……」
ナイジェルはそこで言葉を濁した。
すごいな、ディマス。色々とやりすぎじゃないか……。俺はただの嫉妬狂人かと思っていたが、どうやらその顔だけじゃないらしい。いや、そうでもないか。
俺を誘拐したときのディマスを思い出す。冷酷な笑みをうかべ俺を見下していたあの目は間違いなく本物だろう。自分の目的のためならどんな手段も辞さない──尤も、密輸入に関してだけ言えばディマスの名前を語った側近の仕業、という線は否めない。
それにしてもそんな話であれば、キース単独ではなく父も動きそうだ。キース単体となると、やはり俺絡みかもしれない。
キースはいつも俺を守ろうとするからな。……まともではない相手だ。そんな相手に会うなんて……何か俺に隠しているのか?
俺はすぐに立ち上がる。
「ナイジェル、馬を準備して。僕も行く」
「しかし、リアム様!キース様の指示で、リアム様には安全な場所にいていただきたいと……」
そんな指示いつの間に出していたんだ、あの兄は……。
「そんなの関係ない。僕が原因で何かが起きているなら、僕が止めるしかないだろう!」
ナイジェルは戸惑いながらも、俺の決意を感じ取ったのか、静かに頷いた。
「私もついていくよ」
ノエルが身を乗り出したが、俺は首を振ってそれを制する。
「いや。お前はここにいてくれ。俺が3時間しても連絡しなかったら……レジナルドに伝えてほしい」
前世のように便利な持ち歩きの通信機器は存在しない世界だ。
しかし魔法で伝達をすることはできる。前世の観念で言えば、陰陽師が飛ばす式神のようなものだ。……それなりに魔力は使うが。しかし、幸いにも俺という存在は魔力を蓄える量が多い。
ノエルは少しもの言いたげではあったが、頷いた。
数十分後、俺は準備を整え、屋敷を出発した。
ナイジェルが馬を引いてくれ、俺は鞍に飛び乗る。キースを止めるためにも、ディマスとの接触を防ぐためにも、俺は彼の後を追わなければならない。
「キース……何を考えてるんだ?」
冷たい風が頬を切るように通り過ぎる。
鼓動の音が耳に響き、馬の蹄が地面を叩く音だけが静寂を破る。
その背中に揺られながら、俺は祈るような気持ちでその問いを繰り返していた。