それなりに急なコーナーを、ダウンヒルという傾斜をうまく使って速度をあげたランエボが、四輪ドリフトを鮮やかに決めていく。
(俺たちに暴言を吐くだけの自信があったってことは、目の前の運転を見ればわかるけど、雅輝にしたら余計にフラストレーションが溜まるだろうな)
橋本の運転じゃ追いつけないと思える、ランエボを追いかける宮本も、同じようにドリフトをかましていたのだが――。
「おい、煽り運転になってるぞ! 気をつけろよ」
ランエボのテールにぶつかりそうな勢いで後追いする宮本に、橋本は慌てふためきながら怒鳴って注意した。
「邪魔……」
苦々しげに呟くなり、眉間に深い皺を寄せる。すごみが増した自分の顔に、橋本は思いっきりビビった。
宮本の顔で怒っても、橋本以上に目尻が垂れているので、怖さというものが皆無に近かった。でも今は自分の顔なので、何とも言えない恐怖が雰囲気と一緒に伝わってくる。
「マジで邪魔、ウザい。次のコーナーで抜く」
「駄目だ! 対向車が間違いなく来る、それこそ正面衝突するぞ」
橋本はランエボの存在を確認してから、対向車のチェックをこまめにおこなった。前の車につられてインプのスピードがいつもよりノっている以上、このタイミングで抜くのは、あきらかに自殺行為に近い。
「平気。うまくかわすから」
前の車を据わった目で見つめる宮本の態度に、橋本の神経がブチッと切れた。
「ふざけんなよ、このクソガキ! インプは誰の車か言ってみろ!!」
「よよよよ陽さんの車ですぅ……」
突然激昂した橋本の声に動揺しまくった宮本は、慌てて急ブレーキをかける。お蔭で車間距離が開き、瞬く間に目の前のランエボが遠のいた。
「インプだけじゃなく、俺の命だっておまえに預けてるんだ。その意味がわかるか?」
「うっ、はいぃ」
橋本の激怒で我に返ったのか、いつもの宮本に戻った感じがした。
「その先のコーナー、インベタグリップ」
「はいです……」
「次のコーナーでランエボを抜く。だけど追い越しした直後に、対向車が来るからな。気をつけろよ」
「わかりました」
言いながらさらにアクセルを踏み込み、スピードを上げた。
「俺の合図で追い越せ。対向車とすれ違うタイミングを計る」
適度な車間距離で追いつき、緩やかな上り坂を終えた瞬間に、コーナーを示す黄色い看板が橋本の目に留まる。
「今だ! インパクトブルーの派手なドリフトを、馬鹿野郎どもに見せつけてやれ!」
スムーズにハンドルを右に切って対向車線に出たインプは、ランエボに並走する形でドリフトをはじめた。
突如隣に並んだインプに驚いたのだろう。ランエボの運転席にいる男の顔が、ムンクの叫びに描かれた人物みたいな表情になる。助手席の男は怒った顔のまま、運転手に向かって何かを叫んでいるようだった。
そんな男たちに向かって、橋本は中指を立てたあと、嘲うようにニヤニヤした顔を見せつけた。だけどそんな顔も数秒後には宮本の運転で一気に追い越ししたため、見えなくなったと思われる。
「雅輝、対向車!」
「ばっちりなタイミングだね、陽さんっ!」
対向車に向かってアウトラインに膨らみかけた車体を立て直し、イン側に沿って魅せるようなドリフト走行する。後ろを振り返ると対向車の存在に慌てふためいたのか、ランエボがフルブレーキをかけて停まるところだった。
「このまま逃げ切るだろ?」
「もちろん!!」
「対向車なし、行け!」
喜びに満ち溢れた橋本の声に合わせて、宮本は満面の笑みを浮かべたままハンドルを切る。なだらかな左コーナーを高速走行したインプから、峠中に響き渡るようなスキール音が鳴った。
「今だから言いますけど、実は不安なことがあったんです」
「不安なこと?」
「だって今の躰は、陽さんじゃないですか。視力だけじゃなく、すべての感覚が違うんです。それこそアクセルの踏み込みの感覚も違っていたので、最初は戸惑いました」
「あ……確かにそうだな」
宮本に告げられてはじめて、そのことを思い知らされた。平然と助手席に乗っていた、無神経な自分が恥ずかしくなる。
それと同時にあらためて、宮本のドライビングテクニックのすごさがわかった。全然違和感を感じることなく、隣で乗ることができていた。
「感覚の誤差は、ここに来るまでに修正したんですけど、ランエボを追いかけるときの運転は、いつも以上に神経を使いました」
「俺が口煩く、アレコレ注文をつけたしな」
「陽さんの運転って同乗者だけじゃなく、車を労わる乗り方をするじゃないですか。ハンドルを握っていたら、なんとなくそれが伝わってきて、インプを大事にしなきゃって思わされて」
大事にしなきゃと言ってる傍から、ぐぐっと躰に重力のかかる運転をする。容赦ない宮本のドリフトに、橋本の口から思わずため息が漏れ出た。
「雅輝の運転には、さっきから驚かせられっぱなしだ」
「インプと陽さんを大事にするために、安全マージンのある繊細なライン取りと、ランエボに早く追くためのライン取りの両方を考えました。そしたらね、いつもより楽しく運転することができたんです」
コーナーの角度に合わせて、滑らかにハンドル操作をする手元から目が離せなかった。それは見惚れてしまうくらいに、鮮やかなハンドル捌きだった。
「俺に注意されるまではムスッとして、全然楽しそうじゃなかったくせにな」
「だって、インプを馬鹿にされたことを思い出したら、どうしても許せなかったんです。陽さんだって、腹が立ったでしょ?」
「ああいうことを言うヤツは、昔から結構いたし、俺としてはまたかという感じだったけどな。馬鹿には関わらない主義なんだ」
「陽さんは大人なんだな。俺はああいうのを見過ごせないタイプだから、つい熱くなっちゃう」
(峠のダウンヒルもあと少し――俺の躰で運転する宮本が見られるのも、あとちょっとなんだな……)
「雅輝、なにはともあれお疲れさん。よくやった!」
橋本は宮本の視界に入る位置に、拳を突きつけた。
「陽さんも隣でアシストしてくれて、ありがとうございます。お蔭でいい運転ができました!」
橋本が目の前に突きつけた拳に、宮本は左の拳をガツンと押し当てる。その瞬間に、フッと意識が飛んだ気がした。
「雅輝……」
「陽さん……」
それまで見えていた自分たちの顔が、そこにはなかった。驚いた顔の宮本が助手席に座っている現状に、握りしめているハンドル操作があやふやになる。
「どういうことだよ!? どうしてこのタイミングで入れ替わっちまったんだ! ダウンヒルの高速走行でのハンドルは、どこまで切ればいいんだよ? やべぇって!」
「落ち着いて、陽さん。とりあえずシフトチェンジで、ギアを落として――」
「無理無理! その前にガードレールに突っ込んじまう!!」
助手席から身を乗り出した宮本が、慌ててハンドルを手に取り操作したが、運転席側のボンネットにガードレールが接触した。
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