シン一行が野盗たちの襲撃を受けていた
同時刻―――
離れた場所から現場を監視するような人影が
2つあった。
冬季はすでに終わり、春も過ぎようかという
この時期に、頭まですっぽりとフードを被った
それは、正体を明かせないやましさを物語る。
「……どうだ?」
「もう少し近付かねば様子はわからんが、
それは出来ん。
あちらには獣人族のゲルトがいる。
こちらが風下で無ければ、とうに見つかって
いるだろう」
彼らは野盗の標的を口にし、推移を見守る。
「まあ、どの道あの連中にたいした事は
出来んだろうが」
「しょせんは食い詰め者。
過度な期待はしていない。
我々の仕事は事件を起こすまでだ。
それ以降は上の連中の管轄よ」
襲撃の関与を認めつつも、淡々と作業のように
語り、そこには感情の揺れは見られない。
そしてそのまま微動だにせず、彼らはその場で
時間が過ぎるのを待った。
やがて15分ほど経過した頃、片方が口を開く。
「……遅いな。
全員やられたようだ。
一人くらい逃げ帰る判断は出来ないものか」
「それが見込めるようなら、我々が見張る
必要は無い。
とにかく任務は『何事も無く』終わった。
長居は無用―――」
その言葉を最後に、2つの人影は文字通り
消え去った。
「そっか。そりゃ災難だったな。
……野盗どもの方が」
白髪の混じったグレーの短髪をぽりぽりと
かきながら、ライオットさんが対峙する。
王都に到着すると、チエゴ国の3人とは
引き渡し手続きのため別れ―――
王都ギルドの本部長室で、私はメル、
アルテリーゼと一緒に『襲撃された』
時の事を報告していた。
「ミハエルさんの話では、麻痺魔法か誘眠魔法を
使われたとの事でしたが」
私の問いに、ライオットさんは首を左右に振り、
「それなんだが―――
お前らが捕まえてくれた連中の中に、
そんな魔法を使えるヤツはいなかった。
特殊系は本来、使えるだけでゴールドクラス
レベルだが、野盗どもは……
強さとしてはシルバークラスが2、3人、
あとは全部ブロンズクラスってところだ」
「ふーむ……」
そこは私も引っかかっていた。
わざわざこちらの動きを封じる、もしくは
弱らせる魔法を使ってきておきながら―――
野盗たちの言動は、動きを封じているにも
関わらず、生け捕りにするのか殺すのか、
意思の統一が無かったように思える。
私が思考をめぐらす中で、メルが隣りで
口を開き、
「そーなると、どこかから雇われたとか?」
「お、いいカンしてるね。
まだ取り調べ中だが、アイツら―――
金をもらって依頼されたらしい。
ただその依頼主もバカじゃないみたいで、
人伝に金を払ってやらせたようだ。
金を渡したヤツは顔を隠していて……
名前もわからんとさ」
「よくそんな怪しげな依頼を受ける気に
なれるのう」
アルテリーゼのため息交じりの言葉に、
本部長は頭をかきながら、
「まったくだ。
ま、金に釣られる連中なんてそんなモンよ」
余裕すら感じられるような軽口に、私は
改めて本部長に視線を向け、
「狙いというか―――
目星はついているんでしょうか」
「まあ、考えられる線としては―――
ドーン伯爵家は王族と侯爵家との結びつきが
強くなる。
それを快く思わない他の貴族様か……
または今回、チエゴ国との返還交渉が成立した
事で、それに不満を持つ勢力がいるとかじゃ
ねーか」
なるほど。貴族の権力争い―――
ドーン伯爵領からの護送で、何らかの不祥事が
起きれば、それは彼の責任になるわけだ。
また戦争の敵国同士、ウィンベル王国にも
チエゴ国にも……
今回の和解が面白くないと考える者はいるだろう。
どちらも疑おうと思えば疑える話だ。
「何にせよお疲れ様。
お前たちは依頼を無事達成した。
ここから先は国の治安機関に任せりゃいい。
……そういえばあのお子さん―――
ラッチはどうしたんだ?」
その質問にメルとアルテリーゼは苦笑し、
「受付で奪われました」
「それはもう―――
目にも止まらぬ速さでのう」
それを聞くと、ライオットさんは『あー』、
と一言うなるように発し、
「相変わらずの人気だな。
それはそうと、シン。
お前さんも下の厨房で人気者だぞ。
時間があるなら、また何か料理でも
教えてやってくれ」
本部長の申し出を快く承諾すると―――
私は妻2人と共に、下の階へと向かう事にした。
部屋に一人残ったライオット……
本名・ライオネルは視線を中空へと向け、
「貴族か、チエゴ国の企みならまだいいが……
まさか『旧帝国』が絡んでいる―――
って事はねえよなあ……」
大きなため息と同時に、独り言をつぶやいた。
「うわ、何ですかこりゃ」
厨房に案内された私が見たのは―――
山と積まれた大量の芋だった。
「ああ、すいません。
仕入れの担当者がちょっとやらかして
大量に購入してしまって……
邪魔だと思うけどカンベンしてください」
王都ギルドの料理人は申し訳なさそうに、
頭を下げてくる。
こういう事って異世界でもあるんだなあ。
「んー……
じゃあこれ、使ってもいいですかね?」
「はい??
そ、そりゃそうしてもらえると嬉しい
ですけど」
私はブロンズクラス数名に手伝ってもらえるよう、
手配してもらうと―――
『新作料理』に取り掛かった。
まずは芋をすりおろしてもらい……
それを布で包む。
次に水を張った鍋にそれを投入。
芋を包んだ布を振ったり揉んだりしてもらう事
10分ほど。
その水を放置して15分ほどすると―――
「何か、底に白いものが沈んでいますね」
料理人たちが興味深そうにのぞき込む。
そう、これはデンプン……
いわゆる片栗粉だ。
じゃがいもからデンプンを取り出すのは、
確か小学校の時に理科の授業でやった。
その記憶を探りつつ、作業を再現していく。
「この透明な水だけを捨ててください。
底の白いのは必要なので残して……
捨てたらもう1回水を入れてかき混ぜて、
また底に白いのが溜まるまで放置します」
とはいえ、一つの鍋で取り出せる片栗粉の量は
たかが知れている。
なので同時並行でいくつも作ってもらう。
「ええと、この後どうすれば?」
「乾くと粉状になりますから、待っている間に
芋をふかしておいてください」
「また芋を使うんですか!?
いえ、使ってもらう分にはありがたいの
ですが……」
そしてさらに待つ事20分ほど―――
ふかし終えた芋の皮を向いてマッシュポテト風に
してもらい……
そこに出来たばかりの片栗粉を投入する。
まだ水気は多少残っているが、かき混ぜて
熱を加えれば大丈夫だろう。
さらにハンバーグのように形を整え、今度は
両面を焼いてもらう。
「よし、これくらいでいいでしょう」
出来上がった物はまず―――
食堂で待っている、家族の元へと運ばれ、
「シンー! 出来たのー?」
「今回はまた時間が掛かったものよのう。
一体何じゃ?」
「ピュイピュイッ!」
そして料理を彼女たちの前に差し出すと、
まずのぞき込むように見つめ、
「?? 芋をハンバーグみたいに固めたの?」
「いや、シンの料理じゃぞ?
ただの芋料理ではなかろう?」
「ピュ~?」
初めての料理に戸惑っているのか、
なかなか手を出さないでいたが、
「塩かマヨネーズで食べてみて。
ちょっと驚くかも」
私の言葉に、彼らは視線を交わした後、
口の中にそれを運んだ。
「……ン? ンンン!?」
「柔らかい!? いや芋が柔らかいのは
知っておるが……伸びる!?」
「ピュ~!」
そう、これは―――
芋類と片栗粉を混ぜて作る、通称『芋モチ』だ。
芋さえ大量にあれば、比較的簡単に作れるので
この機会にとやってみる事にしたが、どうやら
成功のようだ。
「うおっ!? 何だこりゃ!?」
「こんなの初めて! オイシー♪」
周囲の評判も上々のようだが、そこで
大きな声で注意を促す。
「えーと、粘るのでノドに詰まらせないよう、
注意して食べてくださいー!
なるべく小さくしてから口に入れてー!」
方々へ呼びかけていると、妻2人が
質問してきた。
「でもさー、シン。
私たちの町にも芋っていっぱいあったよね?」
「そういえばそうじゃのう。
どうして今まで作らなかったのじゃ?
作り方が特殊とか?」
彼女たちの問いに私は向き直り、
「作るのは割と簡単なんだけど、大量に芋を
消費するんだよ、コレ。
子供たちの重要な主食のひとつだったし、
それに手をつける事は出来なくて」
「なるほどねー」
「では大量にあれば問題無いという事か?」
あー……
町に帰ったら大量に作るつもりだな。
でも農作物が偏るのは出来れば避けたい。
不作や病気にやられる事もあるし―――
と考えていると、
「また面白いもの作ったみたいだな」
「あ、本部長」
いつの間にかライオットさんがやってきて、
家族の席に加わった。
改めてみんなで乾杯をし、雑談に興じる。
「そういえば、これで依頼は終わりだが……
これからどうするんだ?
すぐに帰るのか?」
「多分マウンテン・ベアーの
オークションの件で―――
話があると思いますから。
それとドーン伯爵家やロック男爵家に、
一通り挨拶してから戻ろうかと」
今回、ドーン伯爵家の御用商人である
カーマンさんが先行して王都に来ており、
オークションの打ち合わせや取り分について
相談はあるだろう。
ロック男爵家は現在、娯楽商品の流通を王都で
してもらっているので……
素通りは礼儀を欠いてしまう。
それと、ドーン伯爵家は……
「アリス様がねー」
「せっかくラッチを連れて来たのに、
会わせずに帰ったら恨まれそうじゃ♪」
私の考えを代弁するように、妻2人が
答え―――
「……ピュ?」
母親の膝できょとんとする子供のドラゴンを
前に、みんなで笑い合った。
翌日―――
まずは王都ギルドで、カーマンさんと
交渉という名の丸投げを行った。
マウンテン・ベアーの移送護衛も依頼の中に
含まれていたので、その確認でギルド本部に
やって来た彼と、そのまま話し合いを行う
流れとなったのだが……
ドーン伯爵家・ロック男爵家にお土産として
持参するため作っていた、例の芋モチを彼にも
すすめたところ、大絶賛されて予想以上に
時間がかかってしまった。
次いで、ロック男爵家にも日頃の商売相手としての
お礼と労いのため、訪問したのだが、
「ふむ、面白い食感だな」
「……腹持ちが良さそうですね。
食べ応えもあって見た目でも食いでが
ありそうで……
串焼きのように、手に付かないようにすれば、
携帯食としても……
それに、中に具を混ぜればいろいろと……」
芋モチを食べてもらったところ―――
ロック男爵様(先代)の感想はシンプルだったが、
その執事であるフレッドさんは食レポのように
分析してくれた。
さらに私は彼らに、もし氷魔法を使える人が
いたら、また紹介して欲しいと要請。
冷凍や氷室、メープルシロップの生産と、
ファリスさんの仕事量が思ったより多く
なり過ぎて、このままではいずれ限界に
達すると見たからである。
そしてロック男爵家の後に―――
王都のドーン伯爵家を訪れたのだが……
「……シン殿?
もしや、あの『シン』殿か!?」
門番に話を通していたところ―――
駆け付けてきたのは、アリス様の兄であり
ドーン伯爵家の嫡男でもある、ギリアス様だった。
「いいところへ来てくれました!
どうか妹のアリスと話を……!」
「わ、わかりました!
わかりましたから引っ張らないで……!」
そのまま、妻2人と廊下を走るようにして
彼女の部屋へ案内されると、そこには部屋の
主である女性がいた。
しかし、どこか心ここにあらず、といった
感じで―――
「あの~……アリス様?」
「ホラ、ラッチじゃぞ?」
メルとアルテリーゼが近付き、ラッチを手渡す。
するとスイッチが入ったかのようにアリス様の
目が大きく見開き、
「ラッチ~!!」
彼女は顔を猫に擦り付けるように、
ラッチを抱いたまま頬ずりする。
「……ハッ!
あ、あれ?
ラッチちゃんがいるという事は……
シン殿!?
それに奥方殿と兄さままで……!?」
どうやら私たちが部屋に入ってきた事すら、
気付いてなかったらしい。
「やっと我に戻ったか。
申し訳ありません。
ここ数日、このような状態で……
どうか妹の相談に乗ってやって
くれませんか?
私からもお願いします」
前回会った時とは、態度が180度違う彼にも
驚くが―――
(■34話・はじめての だんたいしどう参照)
「そういえばニコル君は?
確か、貴族の養子になる話がいくつかあると
この前聞きましたが」
部屋の中に彼の姿が見えないのを確認し―――
その事についてたずねると、
「シン殿ぉ~!!
どうかニコルを助けてください~!!」
ラッチを抱いたままアリス様は立ち上がり、
テーブルを挟んで身を乗り出さんばかりに
顔を近付けてきたところで、メルとアルテリーゼ、
妻2人によって受け止められ、
「落ち」
「着け」
と、イスに戻された。
「試練?」
改めてアリス様・ギリアス様に話を伺うと、
聞き慣れない単語が彼らの口から飛び出した。
「ニコルは、養子縁組を申し出てきた数ある
貴族の中で―――
グレイス伯爵家に迎え入れられる事に
なったのですが……
なぜか養子になるための条件が追加され、
試練を受ける事になったと」
アリス様の説明に、私と妻2人は首を傾げ、
「でも、ニコル君へは―――
『貴族が多数、養子縁組を申し出てきた』
のでは?」
「ウン。そー言ってたよね」
メルの後に、アリス様の兄が補足するように、
「男爵家・子爵家・伯爵家と―――
8家ほどがニコルを要望しましたが、
伯爵位はグレイス家だけでしたので、
力関係もあり、そこへ決まったのです」
「ずいぶんと人気だったんじゃのう」
アルテリーゼの感想の後、アリス様がふぅ、
と一息ついて、
「範囲索敵持ちは希少であり、さらに警護には
これ以上無いうってつけの魔法です。
治安上、何があっても欲しいという家は
多いでしょうね。
それとニコルは若いという事もあって―――」
「あー……
確かに美形さんだったしねー」
「つまりアレじゃ。
そやつらで争奪戦になったんじゃろ?
それがどうして条件追加になったんじゃ?
そんな事をしてもよいのか?」
妻2人の感想に対し、ギリアス様が眉間に
シワを寄せて、
「本来であれば許されません。
横紙破りもいいところ―――
残りの7家も内心は不満でいっぱいでしょう。
ですが、やはり相手が伯爵家だという事が
大きく―――
表立って反発出来ないのが現状です」
そういえば、王都に本拠地を置く貴族は
格が違う、という話を聞いた事がある。
となれば、同じ伯爵位であるドーン家も……
そのグレイス家とやらに強く出れないのだろう。
「その『試練』とは、一体どのような
ものなんですか?」
「そこまではわかりません。
ニコルはすでに専属奴隷から解放されて
平民になっておりますので―――
『元』主人である私の立場からは、微妙に
連絡を取り辛く……」
アリス様の答えには、ニコル君が奴隷身分で
無くなった事で―――
書類上は主従の関係は断たれている。
そんな複雑な事情が垣間見えた。
それも、今は『試練』というトラブルが
起きているとはいえ……
すでに他家に引き取られているのだ。
そこに『元』主人として口を出すのも
難しいのだろう。
「えーと……
そのグレイス伯爵家の場所って
わかりますか?
とにかく、事情を聞いてみない事には」
私のその言葉を待っていたと言わんばかりに、
兄妹は同時に立ち上がり、
「もし行ってくださるのであれば同行します。
すぐに馬車を用意させますので」
「ギリアス兄さま!
ここは私が―――」
すると兄は、妹の両肩をつかんでゆっくりと
座り直らせて、
「お前では感情的になる恐れがある。
ここは私とシン殿に任せて、屋敷で
待っていなさい」
こうして私は、ギリアス様の案内の下……
グレイス伯爵家に向かう事になった。
道中、馬車の中で―――
彼からグレイス伯爵家の情報を教えてもらう。
(ラッチはアリス様に預かってもらった)
何でも当初は『試練』の話など全くなく、
当主からして非常に乗り気であったという。
争奪戦が確定してから、なぜか養子縁組の
手続きが滞り―――
今回、貴族人伝《ひとづて》で『試練』の話を聞いた。
恐らくはグレイス伯爵家の一部に、平民であり
元奴隷のニコルが、家に加わる事を面白く思って
いない者がいるのでは……
との事だった。
「まったく。
そんな事なら、最初から反対していれば
いいのにねー」
「決まってから難癖付けて断ろうという
腹積もりかの。
そんな事をすれば信用とて落ちるだろうに。
それで―――だ。
ギリアス殿に聞きたい事があるのだが」
??
妻2人がグレイス家の理不尽な対応に
怒りの表情を見せるが、唐突な質問を
彼にした事に戸惑う。
「……何でしょうか?」
「今回こうして動いているのは、
アリス様とニコル君の仲を知っての事?」
思わずガクッと頭を下げる。
いきなり何を、と思ったが、問われた当人は
「…………」
沈黙で肯定するギリアス様の態度に、私は
メルとアルテリーゼの顔を交互に見回す。
「シンは相変わらずニブいなー」
「『お前では感情的になる恐れがある』と
彼女に言っておったではないか」
たったそれだけで見抜いたのか……
いや、そもそも元とはいえ奴隷のために、
こうまで積極的に動く事で気付くべき
だったのかも知れないが。
「それでは―――
アリス様とニコル君の仲を認める、と?」
「これまでアリスに対しては、無関心も
いいところでしたから。
今さら兄らしい事を何とかしてやりたいと
思うのは、ムシのいい話なんでしょうけど」
苦笑しながらも、妹思いの表情になる彼と共に、
馬車はグレイス家へと急いだ。
「! ギリアス・ドーン様―――
何用でございますか?」
門番たちに当然の質問を受ける。
彼は私たちに手を掲げて示し、
「彼らを案内して来た。
この者たちは、ニコルの知り合いで―――」
そこで私は、本来ドーン伯爵家に渡すはずだった
芋モチの包みを取り出し、
「奴隷解放と、貴族の一員になったと聞いて、
お祝いの品を持ってきました。
出来れば、彼に直接渡したいのですが」
彼らはしばらく待つようにと告げ―――
2、3分もすると戻ってきた。
「許可が出た。入られよ」
新たに出て来た案内人と思われる男を
先頭に、ギリアス様と私と妻2人は、
奥へと通された。
応接室らしき部屋へ通されると―――
そこには見知った顔がいた。
「え!? シン殿、ですか?」
年齢は小学校高学年か中学生になったくらいの、
短髪のシルバーヘアーの少年。
アリス様の専属奴隷だった、ニコル君だ。
その隣りで、30代くらいだろうか。
暗い紫のロングヘアーを整えた、やや痩せ過ぎとも
思える顔……
衣装はシンプルだが気品や佇まいから―――
身分の高さを伺わせる女性がいた。
「ギリアス殿もご一緒でしたか。
出迎えもせず申し訳ございません」
「突然の訪問にて、非礼を詫びるのは
こちらです。
……リーフ・グレイス伯爵当主様―――」
「―――!」
この女性が当主?
メルも驚きを隠せない表情で、こちらに
視線を送る。
「ほお。女当主とは珍しいのう」
「ああ、あのっ!
冒険者ギルド所属のシルバークラス、
シンと言いますっ!
彼女たちは同じ冒険者で、私の妻の―――」
身分を考慮しないアルテリーゼの言葉に、
私は慌てて誤魔化すように自己紹介をする。
「……シン殿とメル殿、アルテリーゼ殿ですか。
ニコルの知り合いと聞いておりましたが」
「は、はい。
奴隷解放と今回の件でお祝いの品を」
私と妻たちが芋モチを取り出そうとすると、
グレイス伯爵様は片手を振り、
「それは建て前でしょう。
此度の件はこちらに非があります。
家をまとめきれず、不埒者を出してしまい……
お詫びの言葉もありません」
……
どうやら、当主の考えではないという事か?
すると彼女の隣りで立っていたニコル君が
口を開く。
「今回、わたしの養子縁組の事で横やりが
入ったのは―――
当主様のお考えではありません。
わたしがグレイス伯爵家の養子と決まった
途端に、家人の中から異論が出たのです」
そこは馬車の中でギリアス様に聞いた話と
同じで、その再確認となった。
「多分、彼が跡取りとなるのを恐れたので
しょうが―――
それならば最初から養子に反対していれば
良かっただけの事。
グレイス家に入れるのは抵抗がある。
しかし範囲索敵持ちは確保しておきたいと
思っているのでしょう。
本当に愚かさには限界が無いものです」
ため息をつきながら、その紫の髪に手をやる。
「それで……
『試練』とはいったい何をするんでしょうか」
「それは―――
見て頂いた方が早いかと思います」
リーフ当主様は立ち上がり、私たちは彼女の
後へ付いていった。
「ここが?」
案内された先には、いかにもな石造りの構造の
遺跡みたいな建造物があった。
中を覗くと奥行があり―――
30メートルほどの長い空間が続く。
「元は当主継承の時に使われていたと記録に
ありますが……
儀式的・象徴的な意味合いが強く―――
先代の頃にはすでに使われなくなったと
聞いております。
ここにトラップの魔導具を設置し……
それらをかいくぐり、奥に置いてある物を
持ち帰れば―――
グレイス家の一員として認めると。
全く馬鹿げた話です」
「馬鹿げた、とは酷いですな叔母御。
このわたくしとて、グレイス家の事を
思ってこその提案でしたのに」
表情こそ変えないが、疲れた声で説明する
リーフ様に対し、否定する声が後ろから
聞こえた。
振り返ると、下腹の突き出た……
もといかっぷくの良い30代くらいと思われる
男性が―――
肉付きのよい頬を揺らしながらやってきた。
「ブラト……様」
ニコル君が彼の名前らしき単語を発すると、
「頭を下げろ、奴隷上がりごときが!!
それとも、もう貴族気取りか!?」
「……お前が余計な事をしなければ、
ニコルはとっくに貴族です。
そう言うのであれば、お前も少しは
貴族らしい事をしてみなさい。
貴族並みなのは借金額だけの分際で……!」
レースのかかった帽子の奥から、鋭い眼光を
ブラトとやらに飛ばし―――
その威圧が彼を身じろぎさせる。
そして視線を逸らした彼と目が合い、
私は頭を下げた。
「あぁん? 何だ貴様らは?」
「お初にお目にかかります。
冒険者ギルド所属、シルバークラス……
シンと申します」
「同じく、メルです。
あ、シンの妻です」
「同じくアルテリーゼじゃ」
私には目もくれず、ブラトは妻2人を
舐めるようにジロジロと見る。
それを見とがめたようにギリアス様が、
彼女たちと彼の間に立ち、
「彼らはドーン伯爵家の客人にして、
ニコルの知り合いでもあります」
『だから無礼な真似は止めろ』と無言の圧を
彼にかけ―――
ブラトはチッ、と舌打ちして返す。
「それで、ニコルとここへ現れたという事は……
『試練』を受ける気になった―――
という事ですかな?」
私は、その『試練』をする建物を見ながら、
「あの、聞けばいろいろなトラップの魔導具が
仕掛けられているという事ですが―――
危険は無いのでしょうか?」
私の質問に、彼はフン、と鼻を鳴らすと、
「あくまでも非致死性のトラップだ。
そこまでの危険は無い。
だが、この程度の事を乗り越えられず、
手こずったり、ましてや怖気づいてしまう者は、
グレイス家の一員にふさわしくない。
何、範囲索敵持ちなら―――
平民のままでもグレイス家の役に立つだろう」
要はこの『試練』―――
拒否すればそれで、成功したとしてもケガや
時間が掛かっただの、何らかの理由を付けて
養子を阻止するつもりなのだろう。
その上で平民のままで彼を確保したい……
というのが本音か。
私はギリアス様に小声で話しかけ、
「(正直なところ、範囲索敵でトラップって
抜けられるものなんでしょうか?)」
「(感知は出来るでしょうが、対応出来るか
どうかはまた別ですからね……
ましてや限られた空間内では)」
改めて無茶な条件を出してきたんだな、
と実感する。
ん? でも魔導具のトラップ?
そういえば王家の宝物殿も確か魔導具で
厳重にロックされていたけど……
私が過去の記憶から情報を引っ張り出そうと
していると、
「それで奴隷上がり、どうするんだ?
『試練』―――
受けるのか、受けないのか?」
「ですから、ボクは受けると……!」
ブラトの言葉に、ニコル君は拳を握りしめて
答えるが、
「挑発に乗るのは止めなさい、ニコル!」
と、リーフ様も彼を止めるが、場がヒートアップ
しているのは否めず―――
思わずそこへ割って入る。
「えーとですね。
先ほど、トラップはそこまでの危険は無い、
と仰いましたけど……
テストはしたんですか?
本番で動かなかったり、暴走したりしたら
それこそ問題ですよ?」
彼はその質問にフフン、と鼻で笑い、
「平民ごときが心配する事を、このわたくしが
気付かないと思うのか?
動作確認は何度もしたわい!」
「それじゃ、一度だけ……
私がこの『試練』、挑戦してみても?」
「おう、好きなだけやるがいい」
私がニコル君とグレイス家当主様の方を向くと、
不安そうな顔をしていたが、
「これでもシルバークラスなので、
ケガはしませんよ」
「まー、シンに任せておけばいいから」
「そうそう。
我が夫に限って、万が一の危険も無いわ」
妻2人の声援を受けて―――
私は『試練』の建物の入り口へ足を進めた。
魔導具、それは―――
ウィンベル宝物殿の魔法封印の扉や、
外灯で知っているが……
(■32話・はじめての あんろっく参照)
共通するのは、どれも動力が魔力、という事だ。
地球での電力=魔力と考えればいい。
つまり魔力・魔法が作動しなければ、それは
ただの箱や動かないからくりに成り下がる。
「魔力や魔法で動く仕掛けなど、
・・・・・
あり得ない」
私は小声でささやくように話すと―――
奥へ奥へと一直線の道を進んで行く。
当然、何事も起こらず―――
後ろから私を見守る彼らはというと……
「……ブラト。仕掛けはどうしたのです?」
「い、いや……!
こ、こんな馬鹿な……!?」
私にしてみれば、ただ何も無い石畳の上を
歩いているだけだ。
その『異常事態』に、約1名が戸惑っている
ようだが……
「そ、そうだ!
ヤツはきっと『抵抗魔法』の使い手……!
だから魔導具が作動しないのです!!」
「見苦しいぞ、ブラト殿。
魔導具の作動後に効果を軽減するなら
わかるが―――
魔導具そのものを無効化するなど、
『抵抗魔法』では不可能だ。
何より、シン殿は一切の魔法・魔力を
使用していないように見えるが?」
追い打ちのように語るギリアス様に、彼は
反論出来ず―――そのまま沈黙した。
「一応、奥まで行って戻ってきましたけど、
何もありませんでしたよ?」
『試練』の建物の入り口まで戻ってきて
私が報告すると―――
明らかに怒りの色のオーラをまとう
グレイス家当主と……
顔を真っ青にしたブラト様がいた。
「……ブラト。
貴方は、グレイス家当主をからかうために、
このような『試練』を用意したのですか?」
「こここ、これは何かの間違いです!!
中にはいくつもの仕掛けが……!!」
「それが一つとして作動しなかったわけだが?
こんな事があり得るのか?」
ギリアス様がブラト様の反論を即座に打ち消す。
彼はその球体のような体全身に、汗をびっしょりと
流し―――
「おま、お待ちください!
すぐ確認してまいります!!」
と、彼がお腹を揺らしながら『試練』の建物へと
駆けていく。
同時に私は小声で、
「魔力や魔法で動く仕掛けは―――
この世界では
・・・・・
当たり前だ」
とつぶやいた。
そして彼が建物に足を踏み入れた途端……
バタン! と入り口の石の扉が閉まり―――
「ぬあっ!? あああっ!?
な、何で今頃!?
リ、リーフ様! お助けください!!
このままでは他の仕掛けも……!!」
懇願するブラト様の声に、彼女はふぅ、と
ため息をつきながら、
「……我がグレイス家に、自らが用意した
トラップに引っかかる愚か者などおりません。
行きましょう、我が息子―――ニコル」
「は、はいっ」
ニコル君が彼女に寄り添うと、リーフ様は
こちらへ振り返り、
「ニコルのお客様にもご迷惑をおかけしました。
改めて、戻ってお茶でも飲みましょう」
すると妻2人が、あっ、という顔をして、
「そーだ!
ニコル君へのお土産、持ってきたんだった!」
「わたしに、ですか?
一体どのような……」
「シンの新作料理じゃ!」
そこにギリアス様も加わり、
「シン殿の新作料理ですか。
それは楽しみです」
「そういえば、ドーン伯爵家ではお出しする
タイミングがありませんでしたね。
後でまた、王都ギルドで作ってから
持っていきます」
と、和やかに会話している背後で―――
『出してくれー!!』
『頼む、誰かー!!』
と叫び声が聞こえてくるが……
「気にする必要はありません。
死ぬ危険は無いでしょうし―――
何より本人が言っていたでしょう。
『この程度の事を乗り越えられず、
手こずったり、ましてや怖気づいてしまう者は、
グレイス家の一員にふさわしくない』
とね……」
バッサリと切り捨てるリーフ様に対し、
誰も答えるまでもないとばかりに沈黙し……
少し気の毒とは思いながらも、私たちは
グレイス家当主の後に付いていった。
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