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部屋に入ると、私はベッドにダイブした。そのまま枕に顔を埋め、布団を頭から被り叫んだ。
「あ゛ーーーーっ!」
こうやって、込み上げる思いを飲み込むのは何度目だろう。
育児のイライラの度にやってきたけれど、今回のそれは今までで一番酷いかもしれない。
それから喉元を両手で包んで、必死に涙を止めた。こうすると、不思議と気持ちが落ち着くのだ。
花斗には、こんな情けない姿は見せたくない。
けれど、あふれ出してしまった想いをその場でのみ込めるほど、私は強くない。
花斗の前では強い〝ママ〟でいたいのに。
それからしばらくして、私は落ち着きを取り戻した。
花斗とお風呂に入り、寝かしつける。花斗は新しい飛行機のおもちゃを抱きしめたまま、幸せそうな寝顔を浮かべていた。
それを見ながら、その髪を優しく撫でる。
「ごめんね、花斗。こんなことで心の余裕がなくなるなんて。ダメだなぁ、私」
花斗は、すやすやと寝息を立てる。それを見ていると、自分の小ささにため息がこぼれた。
その時、部屋の扉が控えめにノックされる。私は立ち上がり、扉をそっと開けた。
「花斗、寝た?」
内緒話をするような声で、壱月が言う。
リビングの明かりに照らされた彼の顔は、暗がりの中でも困惑しているのがわかった。
私がこくんと頷くと、壱月は続けて言うう。
「ちょっと、いいか?」
壱月に連れられて、リビングのソファに座った。
大窓の向かいに置かれたソファと同じものだが、ここから見えるのは大きなスクリーンのテレビと、その両脇に置かれた観葉植物だけだ。
壱月は私に、缶ビールを差し出した。
「いる?」
「いい。ビール苦手」
「そうか」
壱月は差し出した手を引っ込めてキッチンへ。冷蔵庫にビールを戻すと、なにも持たずに戻ってきた。
「赤ワインは? シャンパンとか。あ、確か焼酎も……」
だが、私は首を横に振った。
「お酒、苦手なの」
「そうか、悪い」
壱月はそれだけ言って、私の隣に座る。五十センチほど、間を空けて。
それから、そっと口を開いた。
「……あのさ、」
壱月の方を向くと、彼はうなじに右手を置いていた。
「……ごめん」
「え?」
「さっき怒ってただろう。ちょっと、無神経だったなって」
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確かに、私のなかには怒りの感情が渦巻いていた。
でもそれは、壱月に対するものじゃない。自分自身の感情と、現実の差から逃げただけだ。
「壱月のせいじゃないよ」
「でも、結果的に――」
私は言いかけた壱月の言葉を遮った。
「じゃあ、もう花斗を取らないで」
思ったよりも冷たい声が出た。
怒りと悲しみの中にあったあの感情。それが渦巻いたのは、花斗が壱月に「パパがいい」と言ったから。
私はあのとき、悔しかったんだ。
そう思ったら、言葉が止まらなくなった。
「花斗を育てたのは私。いくら花斗が可愛いからって、甘やかさないでよ。私は今まで、花斗のために……」
ああ、ダメだ。こんなの、ただの嫉妬。
そう思うのに、花斗と刻んできた思い出が胸を駆け巡り、ポロポロと涙があふれた。
赤ん坊の頃は、なにをしても泣き止まなくて、一日中だっこしながらおろおろするしかできなかった。
一歳の頃は、せっかくつくった離乳食を、食べる前にぜんぶひっくり返された。
今だって、ヤダヤダ攻撃に骨を折り、寄り添わなきゃと自分のことを後回しにしてきた。
でも、誰もがそうやって身を粉にして子育てをしているのだと信じて、文句も言わずひとりで生きてきた。
仕事にも復帰して、精一杯生きてきた。
なのに、こんな甘い蜜たったひとつで、花斗を取られてしまった。
――悔しい。私だって、できればそうしたかった。
「ごめん、そんなつもりじゃなかった」
壱月は小さな声でそう言った。
わかっている。悪いのは、ちっぽけな母親としてのプライドが捨てられない私だ。
だから、優しい言葉をかけられれば、それだけ自分が惨めになる。
ああ、なにをしているのだろう。考えれば考えるほど、涙が止まらなくなった。
自分の余裕の無さが顕著になっていくようで、虚しい。
そんな私に、壱月は優しい声色で続けた。
「でも、愛音は、さ」
それで、私は余計に惨めな思いに取り憑かれる。
私は膝の上で、拳を握りしめた。
すると、それに壱月が触れる。
それで、私の拳はピクリ跳ねてしまい、壱月は手を跳ね上げた。彼の指先は、そのまま宙を漂う。
それでも、壱月は声色を変えずに続けた。
「母親である前に、ひとりの女なんだから。甘えろよ。うまくいかないときは、これからは一緒に背負うから」
その言葉に、ふと涙が止まった。
代わりに、頭の中でなにかがプチンと切れた。
「……はぁ?」
思わず、心の声がもれた。
――いったい、何様のつもり?
壱月は突然目の前に現れて、父親としての責務を〝あまやかし〟で果たそうとしてるだけだ。
そもそも、私がこんな想いをひとりで抱えた原因だって、壱月じゃないか。
「愛音……?」
優しい声色は心配するように、私の名を呼ぶ。けれど――。
「甘えろ、とか、なんなの?」
思わず、口から飛び出した。
本当は理性で制御できなきゃいけないそれを、私は止めることができなかった。
「一緒に背負うとか、意味わかんない。ただの家主と居候。それだけでしょ、私たち」
言いながら、その通りだと自分に言い聞かせた。
こんな男に期待するだけ無駄だと、心が警鐘を鳴らしたのだ。
なにをを言おうと、壱月は初恋を最低な初キスで終わらせた、ハジメテを奪って逃げた、〝最低の男〟だ。
そんな人に、花斗の父親なんて務まるもんですか!
怒りがあふれ、つい彼を睨みつけてしまう。
にもかかわらず、壱月は変わらず優しい声で続けた。
「ごめん、愛音。でも、俺はさ……」
その声が、耳元に近づく。
気がつくと、私はなぜか壱月の腕の中に閉じ込められていた。
コメント
1件
はぁ…もう、読んでて胸がぎゅーってなった😭💔 愛音の「花斗を取らないで」のとこ、めっちゃ刺さったよ…。ずっと一人で頑張ってきたのに、急に現れた壱月に花斗が懐いちゃって、悔しくて悲しくて…。でも最後に壱月が「一緒に背負う」って言ってくれたのはキュンときた!でも愛音の「はぁ?」で我に返った感じ、めっちゃわかる!!笑 続きが気になりすぎるよ〜😤🌸