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グラスから仄かな香りが漂ってきた。
ゆっくりとハーブ水を飲み干して、息をついた。
「……正直、今でも混乱しています」
「そうだろう」
「社交界に出ることのなかった私は、貴族の相関関係も書面上のことしか知りません。他のご令嬢より、噂にも疎いです」
「ああ、事情は分かっている」
「ですが、どのご令嬢よりも多くの本を読んでいると自負しております」
魔法が使えないからこそ、人より多くの知識を求めた。魔法に代わるものを探し、算術、歴史、薬学、経営学、数えきれない学術書も読み漁った。
お金を数えるのも、交渉の場で銭ゲバ商人に負けじと喋るのも、令嬢らしからぬ姿だろうけど、私にはその道しかなかった。
ヴィンセント様から視線を逸らし、グラスをぎゅっと握りしめ、地味なドレス姿をした私の姿を思い浮かべた。
社交界に立てるわけもない、地味な女。
こんな私が、真っ当な婚姻を結べるなんて思ってもいなかった。だから、ヴィンセント様との婚姻だけでも、青天の霹靂なのに──
「アーリック族のことも、多少は存じていました。しかし、魔女の話は全く知らず……さらに、その片方が私で、私の前はヴィンセント様の実母様だったなんて。言葉にするのは簡単ですが、まだ、信じられません」
「そうか」
「私に、大層な力はございません。幻惑の魔女を封じる力なんて……」
「私の母も、そうだった」
俯きかけた私に、ヴィンセント様はそっと語りかけた。
空になったグラスが取り上げられ、ナイトテーブルに戻される。
グラスで冷えた私の手を、ヴィンセント様の大きな手が包み込んだ。
「私の亡き母は、魔法が使えなかった」
「えっ!?」
ヴィンセント様のお母様も!?──思わず声を出しそうになった。グッとこらえたけど、驚きまで隠すことはできなかった。
鼓動が早くなり、手のひらにじわりと汗が滲む。
ヴィンセント様は嘘をつく人ではない。そもそも、こんな嘘や作り話をしてもなににもならないし、嘘ならクレア夫人を貶すことにすらなるだろう。
なにが目的なのかと考えてみても、まったく見当がつかない。
変わらず優しい表情で、ヴィンセント様は話を続けた。
「魔力はその体内にあった。だけど、どういうわけか、火を点すことすら出来なかったそうだ」
「……それは、お辛かったですね」
「いいや、そうでもない。魔法が使えなくても死ぬことはないと、両親──私の祖父母は笑い飛ばして、母を外に連れ出したそうだ。魔法に代わるものを学ばせようとしたのだろう」
その言葉に、幼い私の姿が重なった。
魔法がなくても、お姉様の力になりたい。セドリックのために家を守れる知識が欲しい。──私は必死だった。
「そうして、父と出会い、魔法のことを一から学んだそうだ。その時に、母上とも親しくなったと聞いている。むしろ、母上との交流が深くなったそうだ」
「……複雑なご関係ですよね」
「そうだな。私にも両親たちの関係性はよく分からない。だけど、亡き母のことを語る母上はとても幸せそうな顔をされるよ」
目を細めて笑うヴィンセント様に、私も頷いた。
亡きクレア様のことを話してくださっていたローゼマリア様の瞳には、憎しみや嫉妬のような感情は欠片もなかったもの。
「魔力がなくても、大切な人を助けたい。それが亡き母の口癖だった」
「大切な人を……」
「私を身籠ったのも、母上を助けたい一心だったそうだ。幼い頃から、耳にタコが出来るほど聞かされたよ」
「えっ!? あ、あの、そんなに幼いときから?」
まさかの話に驚き、声がひっくり返った。
少し目を見開いたヴィンセント様は、優しいお顔で頷いた。
「物心ついた頃から、包み隠さず話された。そうして、母は母上を『母として』敬うようにと常日頃いっていた。ローゼマリア様がいなければ、貴方は生まれなかった。私たちはローゼマリア様のお優しさに救われたのです、とね」
ヴィンセント様の二人のお母様は、なんてお優しいのだろうか。
複雑なご関係だというのに、お互いに思いやることで、ヴィンセント様をこんなにもお優しい方へと育てられたのだ。
私の頬を、熱い涙が伝い落ちた。
「魔力がなくても、お幸せだったのですね」
「それだけではない。母の内側にあった魔力は、ある時、突如として解放されたのだよ」
意外な告白に、私の涙は引っ込んだ。
魔力が、解放された?
言葉の意味が分からずに目を白黒させていると、ヴィンセント様は私の頬を濡らす涙に触れた。
「ヴェルヘルミーナ、心配することはない。その胸の奥に輝く魔力は確かにある。私には、はっきりと見える」
ヴィンセント様の言葉に、震えながら「見える?」と尋ねれば、琥珀色の美しい瞳が優しい輝きをたたえた。
温かい手が慈しむように髪を撫でる。
「ウーラのいっていた能力を持つ者とは、幻惑の魔女と覚醒の魔女だけの話ではない。世の中には、他にも能力を持った者たちがいる。私もその一人」
琥珀のような金色の瞳が部屋の明かりを受けてきらりと光った。
「……能力?」
「私は、魔力の色を見ることができる」
「魔力の、色……?」
「持っている魔力の本質によって、様々な色が見える。人だけではない、森の動物、植物、魔物、様々なものの中にある魔力の善し悪しが見える。それが私の能力だ」
大きな手のひらが、私の両頬を包み込んだ。
「ヴェルヘルミーナの魔力は、とても強い輝きを持った純白だ」
「私の、魔力……でも……」
魔法が使えないと出かかった言葉を飲み込んで、ヴィンセント様から視線を逸らした。
クレア様のように突如、私も魔法が使えるようになるのかしら。そんな奇跡が、起きるというの?
コメント
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第34話、読み終わりました。ヴィンセント様の亡き母も魔法が使えなかったという告白には驚きました。それでいて「魔力は確かにある」と言葉を重ね、さらに魔力の色が見える能力まで明かされる流れ、伏線の張り方がとても巧みですね。主人公がコンプレックスを抱えてきたからこそ、クレア様の生き方と重なって希望と不安が同時に押し寄せる心情描写がリアルで、胸に沁みました。