「未回答の部屋」
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※この話はnmmnです。界隈のマナーやルールに則った閲覧をお願いいたします。
※ありとあらゆるものを捏造しているのでヤバいと思ったら逃げてください。薄目で見ていただけると幸いです。
5:制限時間
冬の淡い残照があっという間に墨汁のような夜闇に飲まれていく。
天窓から見える狭い空を鳥が群れになって飛んでいく。もういくらもしないうちにあたりは足元も見えないくらい真っ暗になるのだろう。
らっだぁが帰ってこない。
いつも夕方には帰ってきてくれていた。遅くなるときは朝そう言ってくれた。
俺が朝に色々言って揉めたせいか?それとも何かあったのか?俺は所在なく持っていた本をテーブルに投げ出した。活字は一文字も頭に入ってこなかった。
不安だけが心を乱す。俺は自分を落ち着かせようと洗面所で顔を洗った。頬に落ちた緑色の髪をかき上げる。前髪だけは適当に切ってたけど、鏡に映る俺はあの頃に比べてだいぶ髪が伸びていた。
初めて会った日、あの日も本当にらっだぁが帰ってくるのかどうか不安で仕方なかったことを思い出した。今は絶対に帰ってきてくれるという確信がある。らっだぁは俺を置いていったりしない。
なのにドアは開かない。聞き慣れた足音も聞こえない。
「……何かあったのかな」
ソファーから立ち上がり、ちょっと行動して、部屋の中を歩き回ってはまた座る。そんなことを俺は何度も繰り返していた。
最初は広いと思ってたのに、買ってきてくれた本とお土産が所狭しと並んだ棚にホコリは一つもない。もう3回は掃除した。台所は2回、ベッドも2回。それでも時間の過ぎる速さは変わらなくて、俺は全く進まない時計を見てため息をついた。
天窓から見える空には欠けた月が浮かんでいる。あの日も月が出ていたな、と懐かしい風景を思い出して俺は気づいた。
あいつは森に住んでるくせに方向音痴らしい。帰るのが遅くなって夜になっちゃって、あの日みたいに道に迷って帰ってこれないんじゃないか?しかも外は多分まだ雪が積もってる。ついでにどうせ雪でコケて頭打って……。
いろんな予感が一つに繋がる。らっだぁが帰ってこないわけがない。何かあったんだ。
俺は首元のマフラーをきゅっと掴み、それから立ち上がった。視線の先には外につながるドアがある。
このドアはらっだぁが帰ってきてくれる幸せの入り口だった。でも今は俺を外界と切り離す冷たい壁のように思えた。
外に出たらダメだよ、というらっだぁとの最初の約束。それを俺はこれから破る。
「天窓しかないからな、明かり……見えないだろうし。ここ開けたら遠くからでも見える、よな?俺の声だって届くよな?」
自分に言い聞かせるように呟いた。外には出ない。ドアを開けて、大声で名前を呼ぶだけだ。そうすればらっだぁも気づくかもしれない。なんか言われたら外には出てないだろって言い張ろう。口論で負けてたまるか。
俺は呼吸を落ち着かせ、鍵に手を伸ばした。黒い錠前は指が張り付くほどに冷たかった。本当に張り付いてしまわないように、それを一気に回した。
かちゃん、という思ったより軽い音がして鍵は簡単に開いた。気づけばうるさいほどに心臓が鳴っていた。
錠前の下のドアノブに手をかける。これで本当にドアが開く。
あいつとの約束を一つ破る。
でも、それでも、一人で待つのが怖かった。
ドアノブを一気に回した。ドアは開かなかった。
「……なんで?!」
頭が真っ白になった。俺は夢中でドアノブを押したり引いたり、肩でドアに体当たりしたりもした。でも、分厚いドアはピクリとも動かなかった。まるで向こう側にコンクリートの板でも置かれているかのような、手応えがまったくない。
「なんでだよ……向こうからも鍵かかってんのか?」
呼吸は乱れたまま、なかなか整わない。いろんなことが起きすぎててめまいがしてきた。
どうして外から鍵がかかってるんだろう。あいつは俺を信用してなかったのか?出るわけなんてないのに。……でも実際こうして出ようとしたんだけど。
それから何度もドアを叩いたりしてみたけど結果は変わらなかった。勇気を出して約束を破ったのに結局ここで待つしかない。でもらっだぁは絶対に帰ってきてくれる。大丈夫だ、と胸の内で言い聞かせ、俺はまたソファーに座ろうとした。
「……え?」
遠くから足音が聞こえた。夜になり冷えて固くなった雪をざくざく踏む音。軽快に、小走りに近づいてくる。
「なんだよ、遅いぞ!?帰って来るの!」
花でも咲いたかのように心がぱっと明るくなった。なんならちょっと涙が出そうになった。
俺はドアの前に駆け戻り、開くのを待った。
でも足音はドアの前で止まったまま動かない。
「おい早く、何やってんだ?」
「……ぐちさん?ぐちさんなの?」
聞こえてきた声は俺の想像と全く違った。
何ヶ月ぶりに聞くんだろう。俺の仲間の一人で、戦友の……。
「たらこ!?」
「やっと見つけた……っ!!」
ドアの向こうから感極まった声が聞こえてきた。俺もとっさに何も言葉が出てこなかった。
再会を喜びたい気持ちと、俺がやってしまった罪の記憶。そのどちらもが俺の心をひどく刺す。
「もう、本当に探したんだからね!?ぐちさんが森に行ったってことはすぐわかったのに」
「な……、わかったのか!?」
「わかってたよ!!でもすごい強い迷いの結界があってさ、最近弱まったから入れて……やっと見つけた、マジ大変だった」
「結界?そんなもんあったか?」
「あったよ!大変だったんだから!こんなボロ小屋に捕まってると思わなかったわ」
「捕まっ……なに言ってんだ?」
さすがたらこ、俺のキャパを超える情報を容赦なく流し込んでくる。
森に行ったことがわかったのは、まぁそれくらいはできるだろう。たらこ筆頭にうちの諜報部は優秀だから。
迷いの結界ってなんだ?そのせいでらっだぁは道に迷ってたのか?じゃああいつ方向音痴じゃなかったのか、よかったな。
捕まってた、って、なんだ?
誰が、誰を?
「待てよたらこ、さっきからなに言ってんだよ」
「え、本当に自分の状況わかってないの?」
たらこの言ってることが本当に理解できない。俺が聞き返すと少しの間があってからたらこは静かに言った。
「あのね、よく聞いて。ぐちさんを捕まえてるのは鬼なの。人間じゃない」
「お、に?」
────理解できない。
「に、人間だぞ?!ちょっと……不死なだけで」
「不死?はぁ??しっかりしてよ、そんなやつ普通にいるわけないでしょ!?」
たらこに叱り飛ばされて、頭の髄に氷でも差し込まれた気分だった。
らっだぁの顔が脳裏をよぎった。いつもへらへらして、大人げなくて、意地悪で、鈍感で、優しくて、暖かくて、……ちょっと不死なだけで。あいつがそんな、
「街ごと人間を食い尽くす青鬼、忘れたの?ランクSSの討伐対象だよ!?」
「あ……!」
たらこの言葉で記憶が蘇った。この部屋で過ごすうちに遠い過去になってしまった、魔物ハンターであり国のリーダーとしての記憶が。
討伐方法が不明で、もはや災害級の存在だから事件が起きても災害として処理し、公には存在しないことになっているランクSSの怪異たち。その手配書はギルドでも上層部しか見ることができない。
そのうちの一人、いや一匹のことを思い出す。化け物たちを統べる百鬼夜行の王、人喰いの青鬼。現れると街一つが食われる、あらゆるダメージを無効化する、目撃者のほとんどが”捕食”されており正確な能力と容姿は不明……。
俺がいつか討伐したいと思っていた、人類の敵。
「な、んかの間違いじゃないか?あいつが?ヤバいとしてもただの雑魚だよ、そんな大層なのじゃ」
「わかるよ、そんなのと一緒にいたってわかったら怖いよね。別件でSSの目撃情報を洗い直してたらぐちさんを捕まえてるやつと、青鬼の特徴がどう見ても同じでさ。赤いマフラー、いつもつけてるでしょ?そいつ」
「…………」
「擬態してたんだよ、人間に」
俺は思わず首元のマフラーを握りしめた。あいつがこれをしてないのなんてほとんど見たことがない。きっととても大事なもので、片時も外さないんだろう。……それこそ”食事”のときだって。
でも多分たらこはなにか勘違いしていて、間違えてるんだ。そうに違いない。
だってそうじゃないと、俺は一体誰とずっと一緒にいたんだ?
あいつはどんな気持ちで俺の魔物殺しの武勇伝を聞いてたんだ?
もし本当に”人喰いの青鬼”なら、なんで俺と暮らしてたんだ?
「でも、俺と一緒に、いた、から」
「そうなんだよ、最近大人しくて助かってたけど。まさかぐちさん捕まえてるなんて許せねぇわ」
「でも、らっ……あいつは俺が能力を制御できるようにってずっと付き合ってくれたんだぞ?そのおかげで俺は、」
「は?何いってんの?食うために生かしてたに決まってるじゃん!」
食うため、という言葉が俺の頭を殴りつけた。思わず口を手で押さえる。嗚咽のような呼吸を聞かれたくなかった。
この狭い部屋で、それでも俺に不自由ない暮らしをさせてくれたのは?俺がご飯食べるのをいつもニコニコしながら見てたのは?
記憶の中のらっだぁの優しい顔が黒く濁る。手配書で見た残忍な青鬼の情報が塗り潰してくる。
「だったら……すぐ食べたらいいだろ!!訓練なんてしなくたって」
「知らないよそんなの、人外の気まぐれなんて。食べるときに”小骨”があったら嫌とか、どうせそんなのでしょ」
たらこは吐き捨てるように言った。俺は呆然と自分の足元を見るしかなかった。
この狭い部屋で俺を生かしてくれるのはらっだぁだけだった。
文字通り、俺は生かされてたのか?いつか食うために?
「……みんな心配してた。ぐちさんのこと、わかってあげられなかった、支えられなかったって。みんな、ずっと心配して探してたんだよ」
悔しそうな声だった。逃げ続けた自分の罪を晒され、俺は消えてしまいたくなった。
「でも、俺はお前らを……」
「いいんだよ、誰も死んでない!怒ってることがあるとすれば誰にも一度も相談しなかったことだよ!バカ!!」
罵倒が胸にしみた。謝るべきは裏切ったことではなく、信じきれなかった俺の弱さの方だった。
過去のトラウマに浮かされても諦めずに手を伸ばしていれば。それができない弱さの結末がこれだった。
何も言えなくなった俺が黙っている間、たらこはドアを叩いたりしてなにか調べているようだった。
「今ほかのみんなが青鬼を足止めしてるからここまで来れたんだけど、無理だ、この結界強すぎる。俺の力じゃ開けられそうにないわ」
「足止め……?」
「あいつバカみたいに毎日同じ行動をしているから罠を仕掛けやすかったよ」
たらこの言葉で買い物袋を抱えて帰って来るらっだぁの顔が脳裏をよぎった。
いつも同じ店で買ってるんだろう。俺が渡したメモを片手に街に行って。
ついでに本屋とかにも寄って、面白いものを買ってきたりして。帰りに森で見つけた美味しいキノコや綺麗な花を採ってきて。
いつも同じ道を足早に帰ってくるんだろう。ここに、俺に会うために。
わからない。仲間たちの顔と、らっだぁの顔。そして青鬼による被害の報告書。それが交互に思い出される。
きっとみんな勘違いしてるんだ。いや、俺はずっと騙されてたんだ。疑念で心が裂けそうだ。
「ドアごとぶち破ればいけるか?場所が確定できただけマシか」
「なあ、俺は……」
「そろそろ行くわ。出来れば隙を見て自力で逃げて。そういうのぐちさん上手いでしょ?準備できたらみんなで助けに行くけど、……正直勝てるかわからん」
「待てよ、たらこ!?」
大声で叫んでドアを叩いたけど雪を踏む軽い足音はどんどん遠ざかってしまった。
俺だけが変わらずこの部屋に残された。
頭が痛い。吐きそうだ。俺を支えてくれていた過去と、守ってくれていた現在が殴り合いの喧嘩をしている。
振り返るとずいぶんと生活感の増えた室内が目に飛び込んできた。
最初は適当な本を買ってきてくれたけど、俺の好みを知ってからは図書館の1コーナーと言ってもいいくらい偏ったジャンルの本ばかり並んでいる。あの絶版の戦術書、結局難しすぎてまだ最後まで読めてない。
本の横には珍しい花の押し花とか松ぼっくりとか木の実がぎゅうぎゅうに置いてある。ボードゲームの類もずいぶん場所を取っている。
水切りかごに置いてあるのはもともとあったやつと、足りなくて買ってもらった食器。あいつはここにあった味気ないマグカップを使ってて、俺はサボテン模様のマグカップ。トゲで悩んでるのに皮肉が過ぎると言ったら皮肉にできるくらい頑張れって笑ってた。
どれもが時間と思い出の結晶だった。
捕まっていた。鬼。人間じゃない。食べるため。
どうしてこんなことになったんだ。
考えても答えが出ない。
今までと変わらない日々があるはずだったのに。
俺はソファーで毛布にくるまった。
あいつが帰ってくるのを待つしかない。
聞かないと。すべてを。
*
浅い眠りを繰り返していた俺の耳に、聞き慣れた足音がかすかに聞こえてきた。
ゆっくりと、呑気な歩幅で雪を踏む足音。
ドアノブが回る。あれだけ開かなかったドアが簡単に開いた。
「ごめんねぇ遅くなって」
買い物袋を片手に、いつもみたいにらっだぁが帰ってきた。肩越しに見える外はわずかに明るくて、夜明けの淡い紫色が雪を染めている。俺は伸び上がって外を見てみた。他には誰もいなかった。その視界を遮るようにドアが閉じた。
「ほら、こういうことでしょ?雪だるまって」
らっだぁは買い物袋を床に置き、左手に持っていた雪だるまを俺に見せた。
「作らなきゃもうちょっと早く帰れたんだけど。でも、どうしても今、お前に見せたくて」
言葉が頭に入ってこない。ぼんやりしたままそれを見た。
今度はちゃんと2段の雪だるまだった。目の部分には大きな赤い木の実が2つ。頭に中途半端に何枚か刺さってる緑の葉っぱは何なんだろう。冬なのによくこんなきれいな緑色のがあったな。
いつもならすぐにらっだぁに聞いてる。今はその気力がなかった。
「どう?」
「あ……ああ、これだよ、雪だるまって」
「でしょー?簡単だったよ」
俺がおとなしいのを疑問にも思わず、らっだぁは昨日の皿を出してきて雪だるまをテーブルに乗せた。
何を話したらいいのかわからない。どこから切り出せばいいんだろう。
どうやっても何かが崩れてしまう。恐怖に怯える俺の目に、あるものが見えた。
らっだぁの頬に赤い飛沫が付いていた。
「らっだぁ、それ、その……」
何度となくトゲで突き刺してきたけどこいつの血を見たことがない。
じゃあその血痕はなんなんだ。
「ん?ああ……虫がいっぱいいたから、ちょっとね」
らっだぁは頬の汚れを指で拭い、軽薄に笑った。
背中を冷たいものが滑り落ちた。一瞬で頭に血が上り、目の前が真っ赤になる。
みんなで青鬼を足止めしてるとか言っていたけど、まさかあいつらを……?!
「逃がしちゃったけど。強かったなぁ、俺も年だわ〜」
らっだぁはへらへら笑っている。俺は叫びだしそうになった声を押さえ、誤魔化すように大きく息を吐いた。
「それよりご飯にしようよ。昨日の唐揚げ美味しかったよ、また作ってくれるんでしょ?」
俺が憔悴しているのに気づいていないのか、らっだぁはいつもみたいに笑っていた。
わからない、どうしたらいいかわからない。
多分あれは仲間の誰かの返り血で、あの情けない言葉を信じるなら殺してはいない。
でもこいつは人喰いの鬼、俺を飼っていた人外かもしれなくて。
だけど、こんなに長い間一緒にいても殺されなかった。
人狼ゲームだったら弱い弱い証言だ。すべての行動を見ていたわけじゃない。不在だった時間なんていくらでもある。俺はまだこいつのことを全然知らない。
それでも、……それでも、俺と一緒にいるときに、らっだぁは俺を殺さなかった。ずっと優しかった。腕の中にいるだけで全てから守られて、俺は幸せだった。
たったそれだけのことが、俺視点では圧倒的な白証明だった。
「お前、……鬼なのか?」
コメント
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うわぁぁぁ!!叫びながら読んでました。好きすぎて吐く。。このあとはどうなるんだろう、毎回予想できない進みでわくわくしてます!!