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火曜日――
昨日無事に過ごせた安心感からか、今朝は肩の力が抜けている。
リラックスして、どこにでもいそうな高校生を演じよう。
うん。俺は高校生の頃から二十二歳まで一応プロの声優だったわけだし、演じるなんて楽勝楽勝。
「おはよ。なあ、それってアレか?」
「斉木君も知ってるの? 駅前のカフェの限定チョコだよ」
教室のドアの近くの席に女子三人が集まって、クマの形をしたカラフルなチョコの包みを開けている。
「話題になってるよな。すっげー混んでた?」
「うん。昨日放課後に一時間並んだよー。もしよかったら一個食べる?」
「いいのか?」
「うん。どーぞ」
お言葉に甘えてチョコを食べると、優しくて滑らかな味が口の中に広がった。
ふむ。さすが話題になるだけある。
これを紗世のインステグラムに載せて『並んで買っちゃった』とアップさせるといいかもしれない。
ファンの夢を壊すだろうが、紗世のインステグラムは俺が更新している。
紗世が自分の言葉で書きたいと希望したときも、投稿前に炎上しそうな表現がないか俺がチェックして、男ウケするように一部手直ししたりもしている。
「美味しい?」
「ああ。うん。美味しい。てか君、可愛いな」
「へ!? か、可愛い!?」
「そのアクセサリーどこで買ったんだ?」
髪についている蝶の飾りがついたアクセサリーを褒めた。こういうのを紗世につけさせるのもいいかもしれない。
「あ……アクセサリーのことね。びっくりした」
「可愛さがアクセサリーのおかげで引き立ってるっていうか」
「へ!?」
彼女は顔を真っ赤にして、取り囲む友達たちはポカンとしている。
「どうした? 変なこと言ったか?」
「そんな風に褒めてくる男子いないから」
そうか。男子高校生はまだ素直になれない年頃か。
仕事柄うちの芸能プロダクションに所属している女の子たちを褒めるのが日課になっていて、つい一般人の女の子にも言ってしまった。
普通の男子高校生を演じるには、もっと年相応に精神を退行させるべきか。
ていうか、仕事柄? あ、仕事のこと忘れてた!
「俺、総司でいる限り仕事できないじゃん!」
思わず机をバンと叩くと、女子たちがびくっとした。
「斉木君?」
「ああ、すまん。蚊が飛んでた気がして」
「冬が近いのに?」
「秋の蚊は厄介なんだぞ。人間を一番殺してる生物も蚊だし」
「てか、斉木君がうちらとこんなに話すなんて珍しいね。挨拶されたのも初めてだし」
「す、すまん」
「斉木君ってさ――」
女子たちが目配せをして、コクンと頷いた。
「何だよ?」
「髪切ってよく見えるようになったから思ったんだけど、綺麗な顔してるよね」
「『だけど死んでるんだぜ』って言葉が続く?」
「何それ?」
「う……ジェネレーションギャップか……おっさんならゲラゲラ笑ってくれるのに」
総司の母親は元アイドル声優だし、身だしなみをきちんとしていれば容姿を褒められても不思議ではないか。
「どうしてイメチェンしたの? 彼女でもできた?」
「そんなんじゃないけど」
「今の斉木君ならすぐ彼女できそう」
「マジか」
「うんうん。そうだ、今度皆で一緒に遊ぼうよ。甘いもの好きならカフェ巡りとか」
「じ、時間が合えば……」
しかし、女子高生たちの流行りをリアルで知れるいい機会かもしれない。
まあ元の身体に戻れなきゃどれだけ知っても仕事に活かせないのだが。
そんなこんなで今日も無事に終わりそうだ。
昨日絡んできた連中は総司の変化に戸惑っているのか今日は視界にすら入ってこないし、何と楽なのだろう。
放課後まで何もなく終わればいいと考えていた昼休み。手作り弁当の空箱を片付けていると、ポケットに入れていた総司のスマホが振動した。
LIMEだ。
通知画面には『斉木君、10分後に例の場所で』と表示されている。送り主は『はるはる』になっている。
「誰だ?」
このスマホのロックは指紋認証。総司の身体だから問題なく解除して開いてみたが、それ以上の情報はない。
LIMEの履歴の最初まで遡ってみても、さっぱりだ。
『例の場所ってどこ?』
仕方ないからそう送ると、すぐに返信が届いた。
『いつもと同じだよ』
『だからそのいつもがわからないんだけど』
『斉木君が決めた場所でしょ?』
『そうかもしれないけど、頼む。言語化してくれ』
首を傾げた犬と猫の上にハテナマークがあるスタンプが送られてきた。
これはどっちだ?
教えてくれるのか? くれないのか?
しばし画面を見下ろしていると、『第3校舎にある資料室の中。誰にも見られないようにね』と送られてきた。
よくわからないまま指示通りにして少し待っていると、送り主が現れた。
「お前は!?」
「そんなにのけぞってどうしたの?」
俺は彼女をジロジロ眺めた。まさか、そんな。
「カナン……?」
銀髪ギャルのカナンが向かいに立ち、『会うのは当然でしょ』と言わんばかりの態度を取っている。
「LIMEしたでしょ」
「はるはるって、カナン!?」
「今更?」
「名前のどこにも『はる』がないじゃん!?」
「春野カナンだから」
「あ、そうなの?」
カナンの苗字は今初めて知った。
「てかさ、総司……じゃない、俺が、お前と、いつも会ってるって本当か?」
「そうだけど、どうして突然そんなこと言い出すの?」
「いや、だってお前俺の挨拶無視したじゃん。嫌いなのかと思って」
「だって斉木君がそうしてって頼んだから」
「そうなの?」
「リア充ギャルのカナンと友達だってバレたら、不釣り合いとか陰キャのくせにっていじめられるかもしれないから隠してって」
「そうだったのか……」
俺はその場にあぐらをかいて座った。
「で、今日は何の用なんだ?」
まさか、実は付き合っているとかいうオチか!?
ラブコメアニメでありそうだな。
いやでも朝も女子たちに綺麗な顔していると言われたし、案外そういうこともあるかもしれないな。
「借りてた漫画を返そうと思って」
「……それだけ?」
「いつものことだよね?」
「そうなのか?」
「漫画を返してあげるのに、どうしてがっかりしてるの?」
そりゃあがっかりするだろ。
しかし総司は本当に引っ込み思案で目立つのが嫌みたいだな。
「どうして俺と漫画の貸し借りを始めたんだ?」
「何その変な質問」
「実はさ、俺先週の土曜日に事故に遭って」
「え!? 大丈夫!?」
「うん。ほぼ無傷でピンピンしてるんだけど」
魂は身体の外に飛び出てしまったが。
「そのときのショックで一部記憶が抜け落ちたらしくて」
「そうなの……?」
「おいおいそんな顔すんな。マジで心配いらないから。一部記憶は抜けたけど脳は異常ないし」
「う、うん。そういう事情があったから変な質問をしてきたんだね」
「そうそう。でさ、どうして俺たちは漫画の貸し借りを始めたんだっけ?」
「それは……」
カナンが気まずそうに俯いた。
たかが漫画の貸し借りでそんな重い空気を醸し出す必要性がどこにある?
「カナン、漫画大好きなのに、家が貧乏でお小遣いがないから」
「びん……ぼう?」
俺はジロジロと遠慮なくカナンを観察した。
根本まできちんと染まっている銀髪は一切傷んでいないから、トリートメントに金を掛けているだろう。
おそらくまつげエクステをしている目元に、カラコン。おまけにネイルまでして、ブランドのネックレスだ。
これのどこに『家が貧乏』要素があるというのか。
「斉木君はすっごくオタクで有名だから、漫画貸して欲しいって頼んだの。覚えて……ない?」
「ああ」
「資料室に隠れて漫画を読んでいた斉木君にカナンが迫ったら、カツアゲだと勘違いして泣きながら土下座したよね」
何という情けなさか。
「覚えてない」
「今年の四月から始まったんだよ」
「そうか」
隠れた交友関係は結構しっかり続いているらしい。
「事故で色々忘れちゃったみたいだけど、これからも漫画貸してくれる?」
「ああ。別にいいぞ。でも次からはコソコソ呼び出すんじゃなくて普通に声を掛けてくれ」
「いいの?」
「別にいいだろ。友達なんだろ?」
「友達……?」
「違うのか?」
「友達……なのかも……?」
「友達なら教室で話したって変じゃないだろ」
「斉木君、別人みたい」
俺は今、父親として一つの計画が浮かんでいた。
クラスメイトたちと良好な関係を築いておけば、俺の身体が目覚めて元に戻れた後で総司が平和な高校生活を送りやすくなる。
子供のために環境を整えてやろうなんて甘いだろうか。
でもこれくらいしないと、総司は他人の輪に入れない気がするし。
◆◆◆
今の総司君は喋ると別人みたいだし、隣の席から横顔を見ても雰囲気が違っていて変な感じだが、事故に遭ったせいだと思うと安易に指摘できない。
総司君のことも気になるが、それよりも今気にすべきは彼の父親のことだ。
放課後、日直の用事を終えた頃には陽が落ち始めていた。
秋は早く暗くなるから困る。
最終下校時間になる前に確認したいから、急いで資料室に行った。
資料室は十畳くらいの部屋に天井近くまである本棚が羅列されていて圧迫感があるし、壁には何十年も前の日焼けした集合写真が飾られていて独特の湿っぽさがある。
暗くなるとお化けが出そうな妙な雰囲気だから、長居はしたくない。
「えーっと、お母さんの代の卒業アルバムっと……」
すぐに見つかった。真ん中の段だから取り出しやすくて助かる。
私は床に腰を下ろし、パラパラめくった。
「どこだろう」
昨日総司君が言ったジンクス。あれは私のお母さんが高校時代に彼氏とやったものだ。
ジンクスなんて誰でもやってそうだが、お母さんいわく当時のおじいちゃん先生に教えてもらった、開校したばかりの頃に流行って廃れたジンクスらしい。
お母さんは彼氏に『皆やっている』と嘘を吐いて一緒にやってもらったと言っていた。
「斉木……」
該当する苗字の生徒が三年B組とD組にいる。
だけどB組のほうだと思った。
だってあまりにも総司君に似ているから。
ところどころ外に跳ねた髪質や犬っぽい目元がそっくりだ。
「斉木智正……まさか本当に総司君の父親は……」
動揺を抑えて冷静になるためにパラパラ素早くめくっていると、将来の夢のページが出てきた。
三年B組の斉木智正の欄には、『俺は将来絶対にビッグな役者になる!』と書かれている。
「ビッグな役……者……?」
昔お母さんが教えてくれた、私のお父さんについての情報を思い出した。
『ねえ、凛。あなたのお父さんは――』
「まさか、そんな」
私は動揺して、卒業アルバムを放り出して資料室から飛び出した。
嘘だ。そんなわけない。嘘だ嘘だ。
もしも斉木智正がそうだとしても、それなら総司君は?
総司君は私と同じクラス。同級生だ。
それってつまり、それぞれのお母さんは同時期に妊娠したということだ。
廊下を走っていると、角から出てきた誰かにぶつかって私の身体が弾き飛ばされた。
尻餅をついてびっくりしたおかげで、波立っていた心が落ち着いた。
「すまん! 大丈夫か?」
手を差し伸べてきた相手の顔を見上げると、総司君だった。
「……」
「凛? 痛かった? 怪我した? まさか骨折とか?」
「してない」
「それならいいんだけど、どうした?」
心配そうな顔で少し屈んでいる相手を、私は見つめ返した。
斉木総司。
今までは別に意識していなかったクラスメイトだ。
オタクで非社交的だけど、調子に乗ったり軽口を叩いたりなどのウザ絡みはしてこないから隣の席の男子としては超当たりだった。
それ以上でもそれ以下でもない男子生徒――
私はつい、総司君に抱き着いた。
今度は総司君がバランスを崩して尻餅をついて、困っている。
「凛……?」
「~~~っ」
「泣いてる!? やっぱめっちゃ痛かった!?」
「違うっ……」
「何かあった? 可愛すぎていじめられた?」
「世渡り上手だからそんなヘマは犯さない」
「あ、そう。じゃあ何で? 人生の先輩が聞いてやるから話してみろよ」
総司君に支えられて、私は立ち上がった。
私はプイッと背を向けて、窓の外を眺めた。背後の総司君がオロオロしている気配が伝わってくる。
「別に。お母さんのこと思い出しただけ」
「お母さん?」
「うん。私のお母さん――死んだから」
「え……」
いきなりヘビーなことを切り出されたら、皆こういう反応をする。
「ちょっと悲しくなっただけ」
「そっか。まだ若いのに大変なんだな。女子高生がお父さんと二人暮しだと相談しづらいこともあるだろ?」
同い年のくせに、上から目線の励ましをしてくる。
「お父さん、いないの。誰なのかも知らない」
「え……」
沈黙してしまった総司君を無視して、私は言葉を続けた。
「総司君のお父さんって、この高校の卒業生なんだっけ?」
「ああ、うん」
「総司君のお母さんも、妊娠したとき高校生だったの?」
「うん」
「同じ高校?」
「違う」
「そっか。お母さんって、どんな人」
「超派手な女」
予想していない答えが返ってきた。ギャルということだろうか?
「お母さんって何しているの? 専業主婦?」
「講師……みたいな?」
「ご両親は仲良い?」
「不仲ではないけど、離婚した。大人の男女関係は色々難しいんだ。俺は父さんと二人で暮らしてる」
「ふーん」
結婚してなければ離婚はできない。つまり、守れなかったとはいえその女と生涯添い遂げる約束を交わしたのか。
「あのね」
「うん?」
「私のお母さんも、この高校の卒業生なんだよ」
「へー。そうなんだ。俺……じゃなくて父さんの先輩かもな」
「ううん。同級生だよ」
「へ?」
私はくるりと振り返り、演技で偽りの笑顔を作った。
「もしかしたら、友達だったのかもしれないね」
そのとき、最終下校時間を伝える放送が流れた。
「総司君、また明日。バイバイ」
手を振ると、総司君は何も言わずに手を振り返してきた。
◆◆◆
俺は家に帰るなり、一目散に二階の自室に駆け上がった。
クローゼットの奥からダンボールを引っ張り出し、アルバムを取り出した。
「いやいやいやいや! まさかまさかまさか!」
心を落ち着けようと深呼吸したが、全然落ち着かない。
「だって凛の苗字って清見だろ? ちちちち違うじゃん。だから絶対、違うよな。ははは……?」
視線を落とすと、高校二年生の春に遠足で撮った写真から目が離せなくなった。
カラスの羽根のように艶やかなロングヘアで目鼻立ちが整ったとんでもない美少女が、俺と顔を寄せ合って写っている。
「う……」
目も鼻も唇も雰囲気も、どこからどう見ても――
「凛にそっくりじゃん……」
この写真の美少女は、高校二年生の五月から夏休みの終わり頃まで付き合っていた俺の元カノだ。
冬休みが明けて少ししてから突然退学して連絡がつかなくなり、普段思い出すこともない過去の存在になっていた。
彼女と最後に関係を持ったタイミングを思い出した。
「まさか……」
指が震えて、写真を落としてしまった。
拾おうとしてもプルプルしすぎて難しい。
「まさか凛は――」
やっと拾えて、もう一度見て、何度も見て、やっぱりそうとしか思えない。
「おおお俺の娘えええ!?」