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「……着いたぞ」
凛の声に我に返る。いつの間にか車は止まっていて雪之丞は既に車を降りた後だった。
「蓮君。ちょっと寒いけど、潮風が気持ちいいよ」
雪之丞が目を輝かせて見つめる先にあるのは夕闇に染まりかけた海だ。水平線の向こうには既に日が落ち始めていて空がオレンジ色に染め上げられている。
キラキラ光を反射する海面はとても美しく幻想的な雰囲気を醸し出している。だが、今の蓮に景色を楽しむ余裕なんて無い。
「……兄さん、どうして僕を此処に連れてきたんだ?」
硬い声で尋ねれば、凛は静かに口を開いた。
「……言ったはずだ。お前の今の現状を知る必要があると」
「それはわかってる! でも、何もここじゃなくったって……」
「此処じゃないと意味が無ないだろう。再びお前がアクションと向き合うには必要な事だ。――ここは、お前が大怪我をした場所なんだから」
「……っ」
凛の言葉を聞いて、思わず蓮は唇を噛みしめた。忘れるはずが無い。
2年前のあの日、確かに自分はこの少し先にある崖で撮影に挑んでいた。
危険なスタントは何度も経験して来たし、通常なら怪我をするはずのない場所だ。
誰もが、――自分自身でさえ、蓮は大丈夫だと思い込んでいた。
危険なアクションはそれだけで見応えがあるし視聴率にも直結してくる。
そこに慢心や油断があったのかもしれない。
結果、蓮は踏み切る際にスタッフの一人が片付け忘れた小道具を踏み、足を滑らせ崖下に転落してしまったのだ。
「……蓮君……」
「……ッ」
「出来ないというのなら無理にやらなくていい。インパクトに欠ける作品にはなるだろうが、監督に掛け合って今後危険なシーンは極力省いて貰うだけだ。だが、実際にお前が何処まで出来るのか、知っているのと知らないのとでは結果が大きく違ってくる」
「……」
兄の言う事は理解できる。稽古場でのアクションは問題なく出来ていた。しかし、本番となれば話は別だ。
実際にスーツを着て動くことで、身体の動きや体重のかけ方、足の踏み込みなど微妙な変化が必ず生じる。撮影が始まってからでは、やっぱり出来ませんなんていう訳にはいかない。
だから、凛はあえてあの時と同じ場所で同じ状況を作り出すために、海を選んだのだろう。そう考えると、相手役に雪之丞を選んだのも納得がいく。
彼なら気心も知れているし、自分が万が一崩れてしまっても他言はしない筈だ。
流石に東海や、他の後輩アクター達にみっともない姿を晒すわけにはいかない。
「……わかった。やってみるよ」
「本当に、大丈夫?」
心配そうな表情を浮かべて覗き込んでくる雪之丞に曖昧な笑みを返す。
正直言って自信はない。波の音を聞くだけでも足が震えるのにスーツを着てアクションが出来るのだろうか?
「……ッ」
「蓮君、もう少し左に寄って!」
「……ッ」
「……よし、そこでストップ! 次はそのままゆっくりしゃがみこんで……ッ」
「――……ッ」
「……蓮、そこの足場から飛び降りろ。早く」
凛の声でハッとし、乗っていた場所から飛び降りようとする。たった数センチ。かっこよく飛び降りなければいけないのに足が固まって動かなかった。
「……ッ」
「……」
沈黙が痛い。
「……おい、雪之丞」
「……ごめんなさい」
「……いや、別に責めているわけではないんだが……」
「……」
「……」
「……」
もう何度繰り返したかわからないやり取り。
最初のうちは、ぎこちなかったものの何とか動けていたのだ。けれど途中からはもう完全に駄目だった。
最初は大丈夫だと思っていても時間が経つにつれ、どうしてもあの時の事が頭を過ってしまう。
あの時感じた恐怖がフラッシュバックして身体が思うように動かなくなってしまうのだ。
凛は困ったように眉尻を下げると、そっと蓮の肩に手を置いた。
「……今日はここまでだ。これ以上続けても意味が無いからな。後は帰ってからまた話し合おう」
「……うん」
「雪之丞も悪かったな」
「……いえ、ボクは別に……それより、蓮君が……」
申し訳なさそうにする凛に対して雪之丞は首を横に振る。不甲斐ない。正直言って、もう少し出来ると思っていた。なのに、結局このザマだ。
「……蓮、着替えたら車に戻っていろ」
「はい」
項垂れながら返事をすると、蓮はトボトボと歩いてその場を後にした。後ろからついて来る雪之丞の視線を感じるものの、振り返る気にはならなかった。
きっと自分は今にも泣き出してしまいそうな情けない顔をしているに違いない。そんな顔を見せたくはなかったし見せたところで何の解決にもなりはしないと分かっているからだ。
(……情けねぇ)
こんな状態で主演のアクターが務まるのか? そう思うと蓮の心は更に沈んでいった。
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