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#ご本人様とは一切関係ありません
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あんにんどう腐(ゆ腐)
2,751
#ご本人様とは一切関係ありません
さくら(皇千ト君最推し)
2,469
ドアが閉まる音が、控室の中に長く残った。
ルイはしばらく、その場から動けなかった。
さっきまでタイキが立っていた場所。
壁際の白い光。
鏡の前に雑に置かれたヘアスプレー。
飲みかけの水。
仕事の途中のまま止まっている控室なのに、空気だけがまるで別の場所みたいに重い。
“優しくされないほうが良かった”
耳の奥で、まだその声が鳴っている。
ルイはゆっくり息を吸った。
吸ったつもりなのに、肺の奥までうまく入ってこない。
追いかけなかった。
追いかけられなかった。
いつもなら、イラついたままでも何か言えた。
引き止めるでも、皮肉を返すでも、もっとマシな言い方なんていくらでもあったはずなのに。
今は、何も出てこない。
ルイはようやく一歩動いて、壁にかけられた鏡の前まで行く。
照明に照らされた自分の顔を見る。
最悪だ、と思った。
整って見える。
仕事中の顔の名残が、まだ残っている。
さっきまで雑誌の撮影をしていた男の顔。
女のモデルの隣で、何食わぬ顔で笑っていた顔。
スタッフに気を遣って、空気を回して、完璧に現場をこなしていた顔。
その同じ顔で、タイキを壁に追い込んだ。
「……最低」
ぽつりと、声が落ちた。
でもその言葉は、自分を責めるには足りなかった。
最低なんて、今さらだ。
そんなのとっくに知ってる。
知ってるくせに、やめられなかった。
ルイは洗面台の端に手をついた。
指先に力が入る。
タイキが言ったことを、一つずつ思い出す。
二人で夢見てここまで来たのに。
ようやくデビューまでできたのに。
なんで、今なんだよ。
その一つひとつが、思っていたより深いところに刺さっていた。
なんで今なんだよ。
そんなの、こっちが聞きたい。
そう思って、すぐに自分で嫌になる。
違う。
聞きたいんじゃない。
わかってる。
今だからだ。
デビューして、現実になって、忙しくなって、逃げ場がなくなって。
夢だったものが仕事になって。
“二人で同じ方向を見てるだけでよかった頃”が、もう戻らない場所になったから。
その先で、ルイは気づいてしまった。
タイキがいないと落ち着かないことに。
タイキが他の誰かに向くと腹が立つことに。
タイキが笑ってるだけで、勝手に救われることに。
そんなの、高校の頃はまだ言葉にならなかった。
トレーニーの頃も、オーディションの頃も、ずっと近くにいたから。
近すぎて、なくす想像をしなかった。
でも、今は違う。
現場が増えた。
人が増えた。
ルイの隣に誰かが立つことも、タイキの隣に誰かが立つことも、当たり前になった。
今日の撮影だってそうだ。
モデルと距離を詰めたのは仕事だ。
わかってる。
タイキが同じことをしたのも仕事だ。
頭では、ちゃんとわかってる。
なのに、見ていられなかった。
女のモデルがタイキに顔を寄せるたび、笑いかけるたび、タイキがそれに仕事の顔で返すたび、胸の奥がざわついた。
イラついた。
あれが嫉妬じゃなくて何なんだよ、と今なら思う。
でも、タイキの前でそれを認めるのは、別のことだった。
認めた瞬間、全部が変わる気がした。
今まで曖昧にしてきたものが、全部名前を持ってしまう。
そうしたらもう、戻れない。
ルイはゆっくり目を閉じる。
戻りたいわけじゃない。
そんなの、自分でもわかってる。
本当はもっと前から、戻れないところまで来ていた。
最初のキスの時から。
いや、たぶんもっと前から。
タイキが自分の頬に触れた、あの一瞬から。
あれをずっと覚えてる。
ルイは唇を噛んだ。
自分だけが勝手に、あの一瞬を都合よく大事にしてるんだと思っていた。
タイキにとってはたぶん、あんなの反射でしかなくて、驚いて、困って、その場をやり過ごすための手だったのかもしれないって。
そうやって何度も自分に言い聞かせた。
言い聞かせながら、それでも手放せなかった。
タイキが今日、言った。
俺、好きであんなことされてたと思ってんの?
あの声が離れない。
怒っていた。
でもあれは怒りだけじゃなかった。
傷ついていた。
ちゃんと。
ルイはそこでやっと、自分がどれだけ卑怯だったかを思い知る。
来いと呼んで。
来ることに甘えて。
抵抗しないことに甘えて。
来たくて来てるんじゃない可能性に、どこかでずっと目を逸らしてきた。
目を逸らしてきたくせに、今日みたいにタイキが他の相手に仕事の顔で笑うと腹を立てる。
都合が良すぎる。
「……ふざけんな」
今度は自分に向けて吐いた。
低い声が、誰もいない控室に落ちる。
壁を殴りたいような気分だった。
でもそんなことをしても何も変わらない。
変わらないどころか、タイキが言ったことの正しさをなぞるだけだ。
優しくされないほうが良かった。
あの一言が、いちばんきつい。
怒鳴られるより。
突き放されるより。
嫌いだと言われるより。
あの言い方の方が、ずっと痛かった。
優しくした。
たしかにした。
少しだけ。
今までよりは。
でもそれが、遅かった。
遅すぎた。
今まで散々、好き勝手やってきたくせに。
タイキを追い詰めるようなやり方ばかりしてきたくせに。
今さら少し手加減したところで、それが救いになると思ったのか。
思ってたわけじゃない。
でも、どこかで期待してた。
少しでも違う触れ方をしたら。
少しでも選ばせる言い方をしたら。
少しでも優しくしたら。
タイキが、今までより少しだけ自分の方を向くんじゃないかって。
笑える。
ルイは片手で顔を覆った。
そんなの、ずるいに決まってる。
優しさみたいな顔をして、結局自分の欲しいものを取りに行ってるだけだ。
タイキが揺れたのを見て、嬉しかった。
今日の撮影で、タイキがあからさまに機嫌を悪くしたのを見て、どこかで嬉しかった。
自分でも吐き気がする。
嬉しいと思ったくせに、そのあと真正面から「俺、お前の何なの」って聞かれて答えられなかった。
あれが全部だ。
ルイは鏡の中の自分を見た。
答えられなかったのは、わからないからじゃない。
わかってるからだ。
言った瞬間に、責任が生まれる。
曖昧にしてきた時間全部に、名前をつけなきゃいけなくなる。
それが怖い。
でも、もっと怖いのは――
言わないまま、本当にタイキが来なくなることだった。
その想像が浮かんだ瞬間、ルイは目を閉じた。
もう来ない。
もう、お前んとこ行かない。
タイキははっきりそう言った。
今までの拒否とは違う。
あれはたぶん、本気だ。
本気で腹を立てて。
本気で苦しくて。
本気で、このままじゃだめだと思ったから言った。
ルイはそこで、ゆっくりと腰を落とした。
鏡の前の椅子に座る。
肘を膝につき、俯く。
静かだ。
さっきまで外では撮影が続いていたはずなのに、この部屋の中だけ音が遠い。
タイキの目元、少し赤かったな、と思う。
泣くつもりなんてなかった顔。
でももう限界だった顔。
あんな顔をさせたのは、自分だ。
その事実が、今になってじわじわ効いてくる。
追いかければよかったのかもしれない。
今すぐ廊下に出て、捕まえて、言えなかったことを言えばよかったのかもしれない。
でも、何を。
好きだと?
そんな綺麗な言葉だけで済む段階は、とっくに過ぎている。
ごめんと?
それも違う気がした。
謝れば許されることじゃないと、自分がいちばんわかっている。
じゃあ、何を言えばよかった。
ルイは唇を押し結ぶ。
答えは出ない。
出ないくせに、心臓の奥だけがずっと騒がしい。
「……タイキ」
名前を呼んでみる。
当然、返事はない。
それでも名前にした方が、さっきまで胸の中でうるさかったものが少しだけ形になる気がした。
好きだと思う。
今さら。
ほんとに今さら。
最低な形でしか触れてこなかったくせに。
最低な嫉妬ばっかりしてきたくせに。
それでも、たぶんそうだ。
だから厄介なんだろうな、とルイは思う。
好きだから、雑に扱いたくない。
でも好きだから、他に向くのも見ていられない。
ちゃんとしたいのに、ちゃんとするには遅すぎる気がして、結局いつものやり方に戻る。
その繰り返しで、ここまできた。
タイキの言った通りだ。
なんで、今なんだよ。
ルイは深く息を吐いた。
鏡の中の自分は、さっきより少しだけひどい顔をしている。
その顔に、少しだけ笑いそうになる。
「……面倒くせぇ」
掠れた声でそう言って、すぐに自分で否定する。
面倒くさいんじゃない。
怖いだけだ。
失うのが。
ちゃんと向き合って、それでも拒まれるのが。
今よりもっとはっきりと、タイキに「いらない」って言われるのが。
でもたぶん、もうそこは避けられない。
今日、タイキは逃げなかった。
最後まで目を逸らさなかった。
だから今度は、自分の番なんだろう。
ルイは椅子の背にゆっくりもたれた。
外では、次の撮影の準備をするスタッフの声が少しずつ戻ってきている。
仕事がある。
ライブもある。
止まっている暇なんて、本当はない。
それでも今だけは、動けなかった。
動いたらまた、何事もなかったみたいな顔をしなきゃいけない。
それが、今は少ししんどい。
ルイは天井を見た。
白い。
無機質で。
何も答えない。
それでも胸の中には、はっきり残っている。
優しくされないほうが良かった。
その一言と。
真っ直ぐな目で言われた、もう行かない、という決別。
「……やば」
小さく漏れた声は、自分でも驚くくらい弱かった。
タイキが本当に来なくなったら、たぶん困るどころじゃ済まない。
そう思った瞬間だけ、ルイの顔から全部の余裕が消えた。
控室でひとり。
ルイはようやく、自分が思っていたよりずっと深いところまで、タイキを好きになっていたことを知る。
でも、その自覚は少しも救いじゃなかった。
むしろ、ここからどうすればいいのかを、余計にわからなくするだけだった。
数日後。
スタジオは、何も変わっていない顔をしていた。
床に響くステップの音。
流しっぱなしのデモ音源。
スタッフの「もう一回いきます」の声。
大型ライブに向けた準備は容赦なく進んでいて、誰か一人の感情に足を止める暇なんて最初からないみたいだった。
それがありがたかった。
ありがたい、はずだった。
タイキは鏡の前でキャップの位置を少しだけ直してから、首筋の汗をタオルで拭った。
朝から通しの確認が続いている。
細かい修正、立ち位置の詰め、表情の確認。
一つ終わってもすぐ次が来る。
考える暇がない。
その忙しさに、ちゃんと乗っていればよかった。
でも実際には、暇がなくてもわかるものはわかった。
ルイとの距離が、少しだけおかしい。
ほんの少しだ。
誰が見てもあからさまに不自然ってほどじゃない。
仕事の現場で並ぶ時はちゃんと並ぶし、スタッフに言われれば同じ画の中にも入る。
会話もゼロじゃない。
必要なことは言う。
確認もする。
声をかけられれば返す。
ただ、そこにあるはずの“自然な近さ”だけが、きれいに削ぎ落ちていた。
「次、サビ終わりから!」
スタッフの声が飛ぶ。
五人が立ち位置につく。
鏡の中で並んだ姿は、誰が見てもちゃんとSTARGLOWだった。
バランスもいい。
熱もある。
ライブ前らしい緊張感もある。
ルイは、いつも通り完璧だった。
スタッフに向ける穏やかな返事。
振りの抜き差しのうまさ。
少し歌えばその場の空気をさらっていくみたいな存在感。
何もなかったみたいな顔で、ルイはいつものルイをやっている。
タイキはそれを視界の端で感じながら、前だけを見た。
曲が入る。
身体はちゃんと動く。
もう染みついた振り。
何度も繰り返してきた流れ。
頭で考えなくても身体が先に知っている。
なのに、立ち位置の移動でルイと交差する一瞬だけ、心臓が無駄にうるさくなる。
肩が触れそうで触れない距離。
視線が合いそうで合わない角度。
それを、二人とも寸分違わず避けている感じがした。
気のせいじゃない。
ルイもたぶん、同じようにやっている。
それが妙に腹立たしい。
「タイキ、そこ一拍早いかも」
スタッフに言われて、タイキはすぐに頷いた。
「はい、すみません」
声は普通だ。
ちゃんと笑える。
でもそのすぐ隣で、ルイがさっと動いて、自分の位置を少しだけ空けたのがわかった。
ぶつからないように。
邪魔にならないように。
ほんの少しだけ。
その“気遣い”がいちばんしんどかった。
前なら、もっと自然だった。
何も考えず近くに立てた。
軽口も、視線も、呼吸も、もっと雑で、もっと近かった。
今は全部、丁寧すぎる。
休憩に入る。
カノンが「つかれたー」と床に座り込み、ゴイチが水のボトルを投げてやる。
アダムはモニターの方を見ながらスタッフと短く何か話していた。
いつもの光景だ。
タイキも水を取りに行こうとして、ほぼ同じタイミングでルイがウォーターサーバーの前に立ったことに気づく。
一瞬、足が止まる。
ルイも同じだった。
ほんのコンマ何秒。
でも互いにその“止まり”を拾ってしまう。
先に動いたのはルイだった。
「先どうぞ」
穏やかな声。
感じがいい。
どこにも問題がない。
だから余計に苦しい。
タイキは少しだけ眉を寄せそうになるのを堪えて、「……ありがと」と短く返した。
紙コップに水を入れる。
その間もルイは少し後ろで待っている。
近い。
でも遠い。
その距離のせいで、ただ水を汲むだけの時間が妙に長く感じた。
「タイキ」
不意に、後ろから低い声が落ちる。
肩が揺れそうになるのを抑えて、タイキは少しだけ振り返った。
ルイは何でもない顔をしていた。
「次、Aメロの入りだけ先に合わせたい」
仕事の話だった。
「……うん」
タイキもそれだけ返す。
ルイは頷く。
それで会話は終わり。
終わるのに、胸の奥だけがやたらと残る。
カノンが少し離れたところから、ちら、とこっちを見た。
何かに気づいたのか、気づいていないのか、そのぎりぎりの視線。
でも何も言わない。
たぶんゴイチも、アダムも、薄くは感じている。
感じていても、誰も触れない。
ライブ前だ。
今は、それぞれが抱えてるものをそれぞれで飲み込んで立つ時期でもある。
曲がまた始まる。
ルイと並ぶ位置。
でも目は合わない。
声は必要な分だけ。
呼吸だけがやけに近い。
タイキは前を向いたまま思う。
こんな距離の取り方、知らない。
仲が悪いわけじゃない。
嫌いなわけでもない。
避けたいだけでも、もうない。
そのどれでもないから、いちばん厄介だった。
曲終わり、スタッフが「今の良かったです」と声を上げる。
ルイが「ありがとうございます」と穏やかに返す。
その横顔を、タイキはまた視界の端で見てしまう。
綺麗だと思う。
今さら、そんなこと思いたくないのに。
それだけで胸の奥が静かに痛んだ。
⸻
練習終わり。
機材を片づける音がして、メンバーがそれぞれ帰り支度を始める。
「明日朝早いっけ?」
「うん、衣装合わせ先だって」
「まじかー」
そんな普通の会話の中に、タイキもちゃんと入る。
笑う。
返す。
いつも通りをやる。
ルイもそこにいる。
同じように笑って、同じように会話に混ざる。
でも、タイキにだけは前みたいな軽さで触れてこない。
それが、逆に全部を際立たせていた。
「おつかれ」
帰り際、ルイが言う。
ただそれだけ。
誰に向けても同じ温度で言える、短い挨拶。
でもタイキには、それだけで十分だった。
「……おつかれ」
返して、先にスタジオを出る。
背中に視線を感じた気がした。
でも振り返らなかった。
⸻
俺は、あの日逃げた。
夜道を歩きながら、タイキはようやく息を吐いた。
数日前と同じ帰り道。
同じような街灯。
同じように流れていく車のライト。
でも、自分の中だけが少し前とはもう違っていた。
俺は、あの日逃げた。
もう気付いてしまったから。
その言葉が、頭の中に静かに浮かぶ。
あの夜。
ルイの部屋。
言い合って、怒って、ぶつかって。
そのくせ最後には、今までみたいに乱暴に終わらなかった。
優しかった。
それが駄目だった。
冷たくされるなら、まだよかった。
勝手で、自分本位で、最低だと思って帰れた。
そうやってルイを嫌なやつだと思えば、自分の気持ちもどこかで整理できた。
でもあの日は違った。
止まった。
聞いた。
選ばせた。
肩を抱いた。
何も言わないまま、あんなふうに近くにいた。
あんなの、知らない。
知らないルイだった。
知らない夜だった。
だから逃げた。
あのまま部屋にいたら、たぶんもう誤魔化せなかったから。
タイキはポケットに手を入れたまま、少しだけ俯く。
好きなんだと思う。
その結論に、今さら辿り着くのが遅すぎて、自分でも笑いたくなる。
好きなんだ。
たぶん、ずっと前から。
高校の頃から隣にいたルイ。
同じ教室で、同じ夢を見て、同じオーディションをくぐって、同じグループでここまで来たルイ。
近すぎて気づかなかっただけかもしれない。
当たり前すぎて、ちゃんと考えなかっただけかもしれない。
でも、今はもうわかる。
仕事中に別の誰かに笑うルイを見て、胸の奥がざらつく。
モデルと距離を詰めてるだけで、見ていられなくなる。
なのに少し優しくされたら、それだけで全部ぐらつく。
そんなの、好きじゃなきゃ説明つかない。
タイキは苦く笑いそうになって、やめる。
最悪だ、と思う。
ようやくデビューして。
ここからもっと上に行かなきゃいけなくて。
ライブだって控えていて。
二人で同じ夢を見て、ここまで来たのに。
その相手に、今さらこんなふうに揺さぶられてる自分が、どうしようもなく情けない。
しかも相手はルイだ。
ステージの上じゃ一番信用してる。
歌えば空気を変える。
横に立てば、嫌でも頼りになる。
同じ夢の真ん中にいる相手。
そのルイに、仕事以外のことでこんなに心を乱されるなんて、認めたくなかった。
だから俺は、あの日逃げた。
もう気付いてしまったから。
優しくされて、嬉しかったわけじゃない。
そんな単純な話じゃない。
むしろ怖かった。
あのまま優しくされたら、嫌えなくなると思った。
今までみたいに最低だって思って、自分を守れなくなると思った。
好きだって、認めるしかなくなると思った。
タイキは信号待ちで足を止める。
赤い光が、アスファルトの上にぼんやり滲んでいた。
ルイのことを考える。
今の微妙な距離。
スタジオでの丁寧すぎる会話。
触れそうで触れない空気。
あれはたぶん、ルイも何かをわかってるってことだ。
気づいてる。
でも、まだ言わない。
自分も同じだ。
気づいてる。
でも、言えない。
こんなの、しんどいに決まってる。
「……ほんと、最悪」
小さく呟く。
好きだって気づいたからって、何になるんだ。
今さら。
今の関係のままじゃ、苦しいだけだ。
でも一方で、もう前みたいにも戻れない。
“来い”の一言で呼ばれて、何も言わずに行って、何も言わずに帰るだけの夜。
あんなの、もう無理だ。
好きだと気づいたまま、あれを続けるのはもっと無理だ。
信号が青に変わる。
歩き出しながら、タイキは少しだけ顔を上げた。
ルイが何を考えてるのかは、まだちゃんとわからない。
独占欲なのか。
執着なのか。
それとも、自分と同じところまで来てるのか。
わからない。
でもひとつだけ、もう誤魔化せないことがある。
俺は、ルイを見て揺れる。
ルイに触れられて揺れる。
ルイが別の誰かに向くと、イラつく。
それは、もう気のせいじゃない。
タイキは小さく息を吐いた。
認めたくなかった。
本当に。
認めたら終わる気がしてた。
でもたぶん、終わるんじゃなくて、始まってしまうんだろう。
面倒で。
苦しくて。
でも、見なかったことにはもうできない何かが。
夜の風が少しだけ冷たい。
タイキはその冷たさに、ようやく少しだけ頭が冴えるのを感じた。
好きなんだと思う。
その結論は、まだ少しも綺麗じゃない。
むしろ痛い。
腹も立つ。
自分にも、ルイにも。
それでも、その痛みごと抱えたまま、明日もたぶん同じスタジオへ行く。
並んで踊って。
歌って。
何もなかったみたいな顔をして。
そのくせ心の中では、ずっとルイのことを考えるんだろう。
タイキはそれを思って、少しだけ目を細めた。
「……笑えねぇ」
でも、ほんの少しだけ。
逃げた理由が、ようやく自分でわかった気がしていた。
大型ライブの準備が本格的に始まってから、スタジオの空気はずっと張っていた。
音源が鳴ればすぐ切り替わる。
振りの確認、歌のバランス、煽りのタイミング、立ち位置の修正。
誰か一人の気分で止まっていられる現場じゃない。
だから最初、ルイは気のせいだと思った。
タイキが少し静かだとか。
視線が合いにくいとか。
必要以上に近づかなくなったとか。
ライブ前で、みんな余裕がない。
それだけだと。
でも、数日経ってもそれは変わらなかった。
変わらないどころか、少しずつ輪郭を持ちはじめる。
タイキはちゃんと笑う。
ちゃんと返す。
スタッフにも、メンバーにも、いつも通り明るい。
ただ。
ルイにだけ、距離がある。
露骨じゃない。
周りが気づいたら「気のせいかな」で流れるくらいの小ささ。
でも、ルイには十分すぎるほどわかった。
立ち位置を合わせる時、ほんの一歩ぶん遠い。
会話はするのに、必要以上は続かない。
飲み物を取りに行くタイミングも、前みたいに重ならない。
避けてる。
そう言い切るには微妙で。
でも、そう思わずにいるには不自然だった。
ルイは鏡越しにタイキを見る。
汗を拭きながら、カノンと何か話して笑っている。
その横顔はちゃんといつものタイキだ。
なのに、自分が近づくと、空気の薄皮一枚ぶんだけ遠くなる。
(なんだこいつ)
心の中でそう思う。
思った瞬間、妙に苛立つ。
なんでそんな顔してんのか。
何が変わったのか。
何を考えてるのか。
聞けばいい。
そう思うのに、今のルイにはそれができなかった。
聞いて、またあの控室みたいな目で見られたら嫌だった。
そのくせ、放っておくには気になりすぎる。
ルイは小さく舌打ちしたくなった。
曲が止まる。
スタッフが修正点を話していて、その間メンバーはそれぞれ水を飲んだり、軽く身体をほぐしたりしていた。
床に座ったゴイチがタオルで首元を拭きながら、ふと呟く。
「なぁ、最近どうしたアイツら?」
その声に、カノンがペットボトルのキャップを閉めながら顔を上げる。
「ん?」
ゴイチは顎で軽く示した。
少し離れた場所。
タイキがスタッフと話していて、その後ろの方でルイが無言で立っている。
「喧嘩でもしたんじゃない?」
カノンは軽く言う。
冗談みたいなトーン。
でも、完全に冗談でもない。
「ルイ、最近わかりやすいし」
「何が」
「いや、機嫌っていうか。タイキ絡むとちょっと変」
ゴイチは少しだけ眉を寄せる。
「タイキも変だけどな」
その会話を聞きながら、アダムは黙っていた。
スタジオの壁にもたれたまま、視線だけがルイとタイキを遠くから拾っている。
静かで、何も言わない。
でもたぶん、一番よく見ている。
「アダムはどう思う?」
カノンが軽く振る。
アダムは一拍置いてから短く答えた。
「……何かあったんだろ」
それだけ。
でもその声には、軽さがなかった。
ゴイチとカノンも、それ以上は突っ込まなかった。
ライブ前に抱えるものなんて、たぶん誰にでもある。
ただ、その中でもこれは少しだけ空気が違う。
アダムはもう一度タイキを見る。
その横顔は、笑っているのに、どこか疲れて見えた。
その日の練習終わり。
機材の片づけが始まり、スタッフが明日のスケジュールを確認している横で、メンバーもそれぞれ帰り支度をしていた。
タイキはバッグのファスナーを閉めながら、少しだけ肩を回す。
ライブ前特有の疲れが、じわじわと身体に溜まっていた。
「タイキ……」
低い声がして、顔を上げる。
アダムだった。
いつも通り静かな顔。
でも、ただの呼びかけじゃないことはすぐにわかった。
「ルイと何かあった?」
タイキの手が、ぴたりと止まる。
ほんの一瞬。
それだけで十分だった。
アダムはそれを見逃さない。
「……いや」
否定しかけて、タイキは言葉を切る。
アダムの目は変わらない。
責めるでも、探るでもなく、ただ見ている。
それが逆に逃げにくかった。
「別に……」
そう言ってみる。
でも自分でも、全然別にじゃないことくらいわかっている。
アダムは小さく息を吐いた。
「話したくないなら、それでもいい」
淡々としている。
でも冷たくはない。
「ただ」
一拍。
「今日、飯でもいく?」
タイキは少し目を見開いた。
「え」
「腹減ってるだろ」
アダムはそう言って、先にバッグを肩にかける。
「話せることから話せばいい」
それだけ言って、あとは急かさない。
答えを迫らない。
タイキはしばらく黙っていた。
その間、少し離れたところでルイがスタッフと話している声が聞こえる。
振り返らなかった。
「……行く」
小さく返すと、アダムは短く頷いた。
「うん」
それだけで十分、みたいに。
入ったのは、スタジオから少し歩いた先にある昔ながらの定食屋だった。
明るすぎない照明。
木のテーブル。
少し擦れたメニュー表。
味噌汁の匂いと、焼き魚の匂いが店の中に静かに広がっている。
二人は窓際の席に座った。
タイキは生姜焼き定食。
アダムは焼き魚定食。
注文してから料理が来るまでの間、二人の間には少しだけ沈黙があった。
重くはない。
でも簡単に崩さない種類の静けさ。
アダムは先に水を一口飲んでから言う。
「話せることからでいい」
タイキは視線を落とした。
テーブルの木目を見ながら、小さく息を吐く。
何から話せばいいのかわからない。
どこから話しても、全部自分が情けなくなる気がした。
でも、アダムは急かさない。
ただ、待っている。
タイキはようやく口を開いた。
「……なんか」
少し掠れた声。
「ルイと、変なんだよな」
アダムは黙って聞いている。
「前から……いや、前からっていうか」
タイキは自分でもうまく整理できないまま、ぽつぽつと話しはじめる。
夜に呼ばれていたこと。
最初は何も考えずに行っていたこと。
気づいたら、ただの“いつもの流れ”じゃなくなっていたこと。
腹が立っていたこと。
でも完全には拒みきれなかったこと。
言葉を選びながら。
ところどころ飲み込みながら。
それでも止めずに話す。
アダムは途中で一度も口を挟まなかった。
料理が運ばれてきても、箸を割って、静かに「食えよ」と言うだけ。
それからまた、聞く方に戻る。
タイキは味噌汁を一口飲んでから、少しだけ顔をしかめる。
「……優しくされたんだよ」
その一言だけで、アダムの目がほんの少し動く。
「今さら」
タイキは苦く笑う。
「今まで散々だったくせに、急に止まったり、選ばせるみたいな言い方したり、なんか……」
箸でご飯をつつく。
「それで、余計わけわかんなくなって」
アダムはそこで初めて短く聞いた。
「好きなのか」
直球だった。
タイキの手が止まる。
息を吸って、吐いて。
ようやく小さく頷く。
「……多分」
その声は、認めたくないのに認めるしかない人の声だった。
「気づいた」
アダムはそれに対して、すぐには何も言わなかった。
ただ一度だけ頷いて、焼き魚の身を綺麗にほぐした。
「そっか」
受け止める声だった。
それだけで、タイキの胸の奥が少しだけ緩む。
「でも、気づいたから余計きつくて」
タイキは続ける。
「仕事中に揺れるし、ルイが他のやつと近いだけでイラつくし、なのに優しくされたらされたで逃げるし」
自嘲みたいに笑う。
「最悪だろ」
アダムはご飯を一口食べてから、淡々と返す。
「別に」
タイキが顔を上げる。
「最悪ではない」
真面目な顔だった。
「しんどいだけだろ」
タイキはその言葉に、一瞬だけ詰まる。
否定もできない。
アダムはそのまま、静かな口調で続けた。
「ルイがどう考えてるかは、今の話だけじゃ全部は分からない」
「うん」
「でも少なくとも、お前がしんどいのは分かった」
タイキは黙ったまま頷く。
しんどい。
本当に、その通りだった。
少しの沈黙。
それからアダムは箸を持ったまま、ごく自然に言った。
「俺、タイキのこと好きだよ」
タイキの動きが止まる。
「……は?」
思わず素の声が出る。
アダムは表情を変えない。
焼き魚の骨を丁寧によけながら、淡々と続ける。
「前から」
タイキは完全に動揺していた。
「え、ちょ、待って」
アダムはようやくタイキを見る。
「別に、今ここでどうしたいとかじゃない」
「答えもいらない」
その言い方があまりにも静かで、余計に現実味があった。
「ただ」
少し間。
「タイキを支えたいと思ったのは、今に始まったことじゃない」
タイキは何も言えない。
胸の奥が別の意味でざわつく。
ルイのことだけでいっぱいいっぱいだったところに、まっすぐ別の感情を置かれて、頭が追いつかない。
「……いつから、そうだったの?」
ようやく出た声は、小さかった。
アダムは少しだけ考えるみたいに目を伏せた。
「はっきりは分からない」
正直な言い方だった。
「でも、お前見てるとほっとけなかった」
タイキは息を呑む。
「なんで俺なんか……」
自分でも情けない問いだと思う。
でも、そう聞かずにいられなかった。
アダムはそこでほんの少しだけ笑った。
「俺、ルイとは質が違う」
さらっと言う。
「タイキとどうこうなりたい、より」
箸を置く。
「守りたいだけ」
その言葉に、変な下心は感じなかった。
本当にそのままなのだとわかる声だった。
アダムは水を飲んでから、また淡々と続ける。
「夢を追いかけて頑張るタイキと、グループ、どっちも」
少しだけ口元を緩める。
「グループの夢は、俺の夢でもあるからな」
タイキは言葉を失ったまま、アダムを見ていた。
アダムはそれ以上、何かを求めない。
答えを急かさない。
“だから選んで”みたいな顔を、一切しない。
ただ、そこにいる。
その静かな強さが、妙に胸に残る。
タイキは少し視線を落として、小さく言った。
「……ずるい」
「何が」
「そういう言い方」
アダムは肩をすくめる。
「正直なだけ」
タイキは思わず少し笑ってしまう。
完全に楽にはなっていない。
何も解決していない。
でも、誰かにちゃんと受け止められたことで、胸の奥の息苦しさが少しだけ和らいでいた。
アダムはタイキのその薄い笑いを見て、何も言わずにまた箸を持つ。
その距離感が、今のタイキにはありがたかった。
「グループの夢は」
アダムは軽く肩をすくめる。
「俺の夢でもあるからな」
そう言って、ニコッと笑った。
その顔は、さっきまでと同じ余裕の顔だった。
静かで、落ち着いていて、でもどこか人を安心させる笑い方。
タイキはしばらく黙っていた。
箸は手の中にあるのに、うまく動かない。
目の前の味噌汁の湯気が、少しずつ薄くなっていくのをぼんやり見ていた。
それから、ぽつりと漏れる。
「……なんだよ」
少し笑う。
でも、困った笑いだった。
照れとも違う。
逃げたいわけでもない。
ただ、胸の奥をきれいに見抜かれたみたいで、落ち着かない。
「ずるいだろ」
アダムが首を傾ける。
「何が」
タイキは少し視線を落とす。
箸を手に取りながら言う。
「そういう言い方」
小さく息を吐く。
「俺」
少し苦く笑う。
「なんも言えなくなるじゃん」
アダムは少しだけ笑った。
でも、その目は優しかった。
「それでいい」
淡々とした声。
押しつける温度じゃない。
「俺に関しては何も言わなくて」
タイキは顔を上げる。
アダムは変わらない顔で、焼き魚の骨をきれいに避けていた。
告白した直後とは思えないくらい、落ち着いている。
「……普通、そこは何か言えとか言うだろ」
タイキが半分呆れたように言うと、アダムは肩をすくめた。
「言わない」
「なんで」
「今のお前に、増やしたくないから」
その返しがあまりにも自然で、タイキは言葉を失う。
アダムは箸を置いて、水を一口飲んだ。
「ルイのことで頭いっぱいなんだろ」
まっすぐ言われて、タイキは少しだけ眉を寄せる。
否定はできなかった。
アダムはそこで無理に追い詰めない。
ただ、事実を事実として置くだけだ。
「だから俺の話は、置いとけ」
「……置いとけって」
「うん」
アダムはあっさり頷いた。
「気持ちは言った。でも答えはいらない」
少し間を置いてから、静かに続ける。
「タイキがしんどい時に、余計な荷物になるつもりはない」
その言い方に、タイキの胸の奥が少しだけ詰まる。
優しい、というより。
ちゃんとしている、と思った。
相手の都合じゃなくて、こっちの今を見てくれる感じ。
それが、今のタイキには少し眩しかった。
「……ほんとずるい」
今度はもう少し小さな声で言う。
アダムが少し笑う。
「褒め言葉?」
「違う」
即答すると、アダムはその答えにまた少しだけ笑った。
店の奥ではテレビが小さく流れていて、カウンター席の方から食器の触れ合う音がする。
定食屋の静かな夜の中で、二人の席だけが少しだけ深いところに沈んでいた。
タイキはご飯を一口食べる。
ようやく味がした。
さっきまでずっと胸の奥に引っかかっていたものが、少しだけゆるんでいる。
全部が軽くなったわけじゃない。
ルイのことは何ひとつ解決していないし、むしろ話した分だけ、自分の中で輪郭がはっきりした気もする。
でも。
誰かに聞いてもらって。
ちゃんと受け止めてもらって。
その上で何も求められない、ということが、こんなに楽だとは思わなかった。
タイキは箸を置いて、少しだけ肩の力を抜く。
「……ありがと」
小さく言う。
アダムはその一言に大げさな反応をしなかった。
「ん」
ただ、それだけ返す。
それが逆にありがたかった。
しばらくして、アダムが何気ない顔で言う。
「でも」
タイキが顔を上げる。
「ルイとは、ちゃんとどっかで話せ」
タイキは目を伏せた。
その言葉が正しいことくらい、自分でもわかっている。
「逃げたままだと、もっとめんどくさくなる」
「……もう十分めんどくさいけど」
「今はまだ序盤だろ」
さらっと言われて、タイキは思わず吹き出しそうになる。
「何それ」
「事実」
アダムは平然としている。
「お前ら、ちゃんと拗らせると長そうだし」
「やめろ」
「否定しないんだな」
「うるさい」
そのやり取りで、ようやく少しだけいつものテンポが戻る。
タイキは小さく笑った。
本当に小さく。
でも、さっきまでよりは自然に。
アダムはその顔を見て、それ以上深追いしない。
ただ、自分のペースで食事を続ける。
その距離感が、今はちょうどよかった。
タイキは心の中で、もう一度だけ思う。
ずるい。
でもたぶん、こういう人が隣にいてくれることを、救いって言うんだろうな、とも思った。
定食屋を出る頃には、夜の空気が少しだけ冷えていた。
店の引き戸が閉まる音。
道路を走る車のライト。
暖簾の向こうから漏れる店内の明かりが、歩道にやわらかく落ちている。
タイキは肩にリュックを掛け直して、小さく息を吐いた。
店の中にいた時より、少しだけ頭が静かだった。
隣ではアダムがスマホで時間を確認している。
変わらず落ち着いた顔。
さっきあれだけ大事なことを言ったくせに、今はもう必要以上に空気を重くしない。
それが、やっぱり少しずるい。
「送る」
アダムがそう言った。
タイキはすぐに首を振る。
「いや、大丈夫」
「方向一緒だし」
「でも遠回りになるだろ」
「別に」
あっさり言われて、タイキは小さく笑う。
「なんか今日のお前、全部“別に”で押し通すな」
アダムは少しだけ口元を緩めた。
「タイキが全部ちゃんと断るからな」
「断ってねぇよ」
「今のも断ってる」
そう言われて、タイキは返す言葉を少し失う。
結局、二人で駅の方へ向かって歩き出した。
並ぶ距離は近すぎない。
でも、遠くもない。
無理に会話を繋がなくても気まずくならない程度の、静かな距離。
高校の帰り道みたいだ、とタイキはふと思う。
違うのは、隣がルイじゃないことくらいだ。
そこまで考えて、タイキは自分で嫌になる。
なんで今、そこで比べるんだよ。
「明日、朝きついかもな」
アダムが前を見たまま言う。
「うん。たぶん」
「帰ったらちゃんと寝ろよ」
「母親みたいなこと言うな」
「言われるうちはマシだろ」
「それもそうかも」
少しだけ笑う。
この会話の軽さに、タイキはまた助けられる。
アダムは必要以上に踏み込まない。
でも、本当に放っておくわけでもない。
それが今はありがたかった。
交差点の手前で信号が赤に変わる。
二人は自然に足を止めた。
白線の前。
夜の街の音が少しだけ広がる。
アダムがペットボトルの蓋を開けて水を飲む。
タイキはその横顔を見て、ぽつりと聞いた。
「……ほんとに、いいの」
アダムが視線だけを向ける。
「何が」
「さっきの話」
タイキは少しだけ目を伏せる。
「俺、今、何も返せないけど」
アダムは少しだけ首を傾けた。
「だから、いらないって言った」
「でも」
「でもも何もない」
そこでアダムは、少しだけ笑った。
やわらかいけど、ぶれない笑い方。
「タイキが今いっぱいいっぱいなの、見て分かる」
信号機の赤い光が、二人の足元を鈍く照らす。
「そういう時に、自分の気持ち返せって迫る方がダサいだろ」
タイキは思わず吹き出しそうになる。
「言い方」
「事実」
「お前ほんと、さらっと言うよな」
「言っといた方が楽だろ。変に期待されてるとか思われても面倒だし」
その“面倒”は、ルイが口にする時のそれとは違った。
逃げるための言葉じゃなくて、整えるための言葉だった。
タイキはその違いに、また少しだけ胸がざわつく。
青信号に変わる。
歩き出す。
店の明かりから少し離れたその時だった。
道路の向こう側。
コンビニのガラスに反射する街灯の光の中に、見覚えのある影が立っていた。
タイキは気づかない。
でもアダムは、一瞬だけ視線を止めた。
黒いキャップ。
ラフな上着。
腕を組んだまま、こちらを見ている男。
ルイだった。
数十メートル。
道路を挟んだだけの距離。
でも、そこに流れている空気は、さっきまでの定食屋の静けさとはまるで違った。
ルイは動かない。
ただ、見ている。
アダムと並んで歩くタイキを。
タイキがアダムに向かって、さっきより少しだけ力の抜けた顔で笑うところを。
ルイはその瞬間、自分の中の何かが静かに軋むのを感じた。
(……何それ)
思う。
何だ、その顔。
なんで俺の前じゃしない顔してんだよ。
タイキは少しだけ首を傾けて、アダムの言葉に何か返す。
アダムも短く答える。
二人とも大声じゃない。
でも、遠くから見てもわかる。
会話の呼吸が、自然だ。
ルイの眉が、ほんのわずかに寄る。
それだけじゃない。
アダムはタイキに触れない。
近づきすぎない。
でも、並ぶ立ち位置がきれいだった。
守るみたいな距離。
そのことが、妙に腹立たしい。
ルイはそこで初めて、自分が見たことのない景色を見ている気分になった。
タイキが、誰かに寄りかかっているわけじゃない。
助けられてるわけでも、甘えてるわけでもない。
でも、明らかに“ひとりじゃない”顔をしている。
その顔を、自分はここ数日引き出せていない。
スタジオでは距離を置かれて。
話しかけても必要最低限。
近づけば少しだけ空気が固くなる。
なのに今、アダムの隣で歩くタイキは、ちゃんと息ができているように見えた。
それが、ルイにはたまらなく気に食わなかった。
信号がもう一度変わる。
ルイのいる側の歩道へ、二人が来るわけじゃない。
アダムとタイキはそのまま、駅へ向かって歩いていく。
タイキが一度だけ立ち止まる。
アダムに何か言って、小さく頭を下げる。
アダムは「ん」とだけ返すみたいに軽く手を上げる。
その一連のやりとりが、あまりにも無理がなかった。
ルイは腕を組んだまま、動けなかった。
腹が立つ。
なんでアダムなんだよ、と思う。
でも同時に、すぐにその感情の質がわかる。
アダムだから、腹が立つ。
ゴイチでもカノンでも、こんなふうにはならない。
アダムは見ている。
静かに。
深く。
気づいているのに、騒がない。
しかも今日、タイキはその隣でちゃんと話した顔をしていた。
それが、何より嫌だった。
(……話したんだ)
自分には言わないくせに。
そう思った瞬間、胸の奥がひどく冷える。
タイキがアダムに何を話したのか、ルイにはわからない。
でも、何も話していない顔ではなかった。
きっと聞かれたんだろう。
きっとアダムは、変に追い詰めないまま聞いたんだろう。
それでタイキが話した。
その流れが想像できてしまうことが、余計に腹立たしい。
ルイはそこで、ようやく小さく息を吐いた。
「……は」
乾いた笑いが漏れる。
自分でも、ひどい顔をしているのがわかった。
タイキが距離を置く。
アダムが隣に立つ。
それを、道路の向こうからただ見ている自分。
ひどく滑稽だと思う。
でも、笑えない。
タイキはもう少し先で、アダムと別れるみたいだった。
立ち止まって、何か一言交わして、それからひとりで駅の方へ歩いていく。
その背中を、ルイはじっと見た。
追いかければいいのかもしれない。
今すぐ。
ここで。
でも、何て言う。
なんでアダムと飯行ってたんだ、と?
そんなこと言える立場じゃない。
何でもないんだろ、って。
自分で言わせたくせに。
ルイは舌打ちしたいのを堪える。
タイキの言葉が、遅れてまた刺さる。
俺、お前の何なの。
あの問いに答えなかったのは自分だ。
逃げたのも自分だ。
そのくせ今は、アダムの隣にいるタイキを見て苛立っている。
都合が良すぎる。
でも、感情は理屈で止まらない。
ルイはキャップのつばを少しだけ下げた。
夜風が思ったより冷たい。
アダムはもうこちらを見ていなかった。
でもたぶん、一度は気づいていた。
それでも何も言わずに、タイキと別れた。
その態度まで腹立たしい。
並ぶ気がないなら俺が並ぶ。
もしアダムがそんなふうに考えているなら、今の光景は確かにそう見える。
ルイはようやく壁から背を離した。
歩き出す。
でも足取りは軽くない。
タイキの後ろ姿は、もう見えなくなっていた。
アダムも別の方向へ消えている。
残ったのは、夜の街のざらついた音と、自分の中のひどく整理のつかない感情だけだった。
スタジオで避けられるのも嫌だった。
タイキが怒ってるのも嫌だった。
優しくしたら逃げられたのも、腹が立った。
でも今わかった。
いちばん嫌なのは、タイキが自分じゃない誰かの隣で少し楽そうにしてることだ。
ルイはそれを認めた瞬間、胸の奥がずしりと重くなるのを感じた。
「……やば」
小さく漏れる。
これはもう、執着とか独占欲とか、そんな軽い言葉じゃ済まない気がした。
でも、だからってどうする。
言葉にできない。
できる気がしない。
それでも、このまま何もしなければ、本当にアダムがタイキの隣に立ってしまう。
その想像だけで、ルイの表情がわずかに歪む。
夜の中で、ルイはひとり立ち止まった。
初めて、自分が“置いていかれる側”にいるのだと、はっきり思い知りながら。
コメント
3件
新作がたくさん投稿されているのに気づき、また心臓止まりました💘もう2回は死んでます(笑)アダムの立ち位置の解釈が(差し出がましいですが)同じで、そうそう!と思いながら読んでいましたー😌💕もし、投銭のシステムがあるなら、ジャンジャンしたいくらい大好きです🩷🩷🩷

たくさん投稿してくださってありがとうございます😭 大事に大事に全部読ませていただきました。こんなにもスクロールが終わらないでほしいと思ったのは初めてです。 どうかこれからもご無理せず投稿を続けていただけたら…あなたの作品を読むことがここ最近の生きがいです。 素敵な作品をありがとうございます。
あーもう、胸が痛い…!!! ルイの自覚と後悔の連鎖、めちゃくちゃリアルで刺さったわ。 「優しくされないほうが良かった」ってタイキの台詞、その通りすぎてルイに代わって謝りたくなったよ。 しかもアダムの告白も持ってくるし、夜道でのすれ違いも含めて、この三角関係の空気感が半端ない。 次、どうなるんだろう…二人がちゃんと向き合う時、来るのかな。