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一瞬の気の誤り。それで済むはずだった。たまたま聞いてしまった会話だった。フィン達が話していて、レモンが
「皆さん好きな人居るんですか?」
と、そう、聞いただけのこと。
なんの変哲もない会話。学生なら、良くするんだろう。俺だって、仲睦まじいのはいい事だと通り過ぎるつもりだったんだ。
「僕は、居るよ」
フィンの、この言葉が聞こえなければ。
足がピタリと止まった。
フィンに好きな人が出来るのはごく自然なこと。フィンだって人間だ。誰かを好きに思うもの。それに、俺はずっとそれを望み、願ってきた。そういったものだと分かっていても、割り切れないようなぐちゃぐちゃとした醜い嫉妬が、羨望が身体の中をぐるぐると渦巻くばかりだった。
フィンは続ける。
「でも、好きになっちゃダメな人なんだ。それにきっとあの人はαだから同じ性別どうしは結婚できないし、性別以前の問題もあるしね。だからずっとこれは秘密のままなんだ」
自嘲気味なフィンの声がやたらと大きく聞こえた。
恋をしたフィンを苦しませる人間が許せなかった。
そんなことをするなら、俺にその気持ちを奪わせてほしかった。
フィンが誰かに悲しませられることのないように、大事に俺の鳥籠にしまってしまいたかった。
俺ならフィンをずっと大事にして守ってやり続けることができるのにって。
自分からフィンを遠ざけておきながらふざけている。今更フィンが誰かに取られるのが惜しく、自分の手元にい続けて欲しいなどわがままだとも。
Ωのせいだと強く言い聞かせる。Ωという本能がαのフィンを求めて離したくないと願うだけだと。Ωであるからこんなにも貪欲で醜いだけなんだと。
しかしそれとは裏腹にずっと欲しかったじゃないか、お前が見ないふりをしてきただけだ、ずっと手元に居てくれると驕っていたのはお前だろう?と煩く脳は語る。
握った拳からは僅かに切れた肌から血が流れ、じんわりと汗がにじんだ。
痛みは俺を冷静にさせてはくれず、フィンが誰かに取られることの焦りばかりが募っていった。
その焦りが、俺に気の迷いを起こさせた。
俺らしくない、馬鹿で、体裁も矜持も何もかもを捨て去ったような事をした。
気が付いてしまった。
そろそろ発情期が近いことに。
Ωは一度番えば解消しても誰とも番えないがαは何度も番え、解消出来ることに。
Ωにはαをラットにさせ、ラット中のαの記憶を飛ばす程の匂いを発せる人間がいることを。
そしてそれが俺であること。
αは番えても、解消してしまえば元々誰が番だったかなんて記憶で覚えてない限りは分からないことに。
俺は、ずっと、フィンの事が好きだった。
いつから思いが歪んだのかは知らなかった。
俺はその思いを嘘だということにしたかった。
でも、嘘ということに出来なかった。
だから、してしまった。
発情し、一番匂いが強い日に、マッシュをうまいこと別室に寝かせフィンに夜這いをかけた。
後ろの準備をして、下着なんてのはつけず制服を纏って、匂いがよく分かるようにわざとネクタイを緩め首元を無防備に晒した。
フィンは最初は混乱して何かを言おうとしていたがやがて目は虚ろになって俺の頭を掴むとベッドにうつ伏せに押し付けた。
それからは、獣のように貪られた。
破くようにシャツを脱がされて、
寝間着だったフィンのスウェットから引き摺り出された凶器でナカを抉られ、頭がぼやけてしまうほどの快楽に溺れさせられた。
乱雑に押さえつけられ腰を掴まれ絶え間なく突かれ続けた。
爪が立っているのではないかと錯覚するほどに強い力で掴まれた。痛みなんて、とっくに蚊帳の外だったのに、それだけはやたらめったらはっきりと感じ取り、俺の身体はフィンから与えられる痛みを快楽として受け取っていた。
汚い喘ぎ声を上げ卑しく腰を振り媚びるΩがフィンにどう映っていたのか何てものはどうでも良かった。フィンが俺を求めて喰っているという事実が何よりも嬉しかったから。
後ろから聞こえてくる荒い呼吸音が首に近づいて、次に激しい痛み項から頭を痺れさせた時にはそれはもうみっともない声を上げてそれを享受した。
惨めで、歪に上がった口角が嗤いを零す。
嗤って、喘いで、啼いて、乞うて。
ナカに出してくれ、と腰に足を絡めて乞い願えば、ドロドロと情欲に蕩けきった瞳を一瞬揺らがせた後、何事も無かったかのように腰を掴んで最奥まで突いた。
どくどくと注がれたそれが腹を熱くさせて、視界を白黒に点滅させた。
温かさが嬉しかった。何度も何度もくれと、どうせ一度きりなんだからと、ナカをいっぱいにしてくれと願って。
何度も意識を飛ばしてはそうしてねだり続けた。
キスだけはしなかった。それだけは、フィンの好きな奴に残してやった。フィンの初めてをすべて奪ってしまいたかったけど、僅かな良心がそれを許してはくれなかった。
日が昇った頃に、フィンは体力が無くなり俺の上に倒れて眠っていた。雄のような顔からまだ未熟さの残るあどけない顔になり、無理強いをしたことに一瞬の後悔が過った。しかしもう過ぎたことだからと軋み痛む体を起こして「何事もなかったことにする」ために片すことにした。
フィンの体を拭き、自分の体液で汚したベッドをフィンがもともと寝ていたときの状態にまで綺麗にし、服を着せ寝かせる。
記憶の忘却を掛けることは、出来なかった。ラットで飛んでいるから、ということではなかった。少しでも残っていたその記憶が、どんなに脆くてもフィンを縛り付ける一つの鎖になって欲しかった。
俺は、何処までも貪欲だった。
俺はフィンの顔を見れず表面にだけ軽い浄化をかけそのまま部屋を後にした。
痛みは消さなかった。
思い出として残したかった。
そうして、元の日常に戻った。
フィンも記憶はないようで多少の身体の違和感は気の所為だと思っていたようだった。
番ったことによる身体の変化も大して感じ取れていないらしかった。
俺と話す時もいつも通りで、普通に話せた。
完璧だった。
完璧な、はずだった。
違和感を感じたのは2週間経った頃からだったか。
なんとなくで、腹が重く感じた。
ただそれだけの、ほんの少しの違和感。
でもそれが酷く恐ろしかった。
メリアドールさんのもとに行って妊娠検査薬をもらい検査をした。
目の前に浮かんだのはあってはしくなかった現実だった。
結果は陽性。
フィンとの子が出来ていた。
兄弟の間の子。
異形児かもしれない。
そもそもフィンにどうやって隠せばいい?
学生妊娠。
矜持。
立場。
責任。
誰にも言えない。
一人で何とかするしかない。
どうしようもない絶望。
中絶なんてできなかった。
思考の外だった。
必死に逃げて、逃げて、逃げなきゃと。
どこに逃げれるはずもなかったのに。
ならば、
ならば隠さなきゃと。
体調は薬で誤魔化した。
膨らむ腹には不可視と透過をかけて触れず、見えないようにした。
悪化していく体調。
日に日に膨れていく腹。
隠しづらくなっていった。
当然討伐任務になんてのは出られる訳もなく、あまり調子が良くないだの建前を言って避け続けた。
メリアドールさんだけは事情を知っていたから隠すのに協力してくれた。
怪しまれなかった訳じゃない。
ソフィナさんやカルドさんは鋭かったから、よく何があったか聞いてきた。
でも、俺が何もないと答えれば大人しく引き下がってくれた。
出産前の一ヶ月はメリアドールさんが無理に俺を休ませた。
そして、出産。
声にならない悲鳴を上げた。
踵は強く台を蹴り、汗が滲んだ。
戦闘の時とは理由の違う痛みに息を詰まらせた。
内臓が全て押し出されるような気持ち悪さに口をむすんで、早く出てきてくれと、終わってくれと願った。
「レイン、気張りなさい。あと少しです」
「ゔぁぁっ、く、ひぎっ…」
後少し、その言葉が嘘だと感じる程に長く、辛い時間。
内臓の内側が無理やりに引き伸ばされ張り裂けんとばかりに主張してくる痛み。
それを乗り越えた先。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
軽くなった腹。
聞こえてきた泣き声。
小さかった。小さくて、柔くて、脆い赤ちゃんだった。
「レイン、あなたの子です」
二本線の女の子だった。
僅かに見える瞳は陽光のように輝いて俺を映す。
腹の上に乗せられた子を撫でてやると、暴れさせていた手がピタリと止まりきゃっきゃと楽しそうに動いた。
「フラヴィ、ア」
呼んでいた。
母親だとか、親戚だとか、誰かの名だったわけではない。ただ、なんとなく。
なんとなくこの子は、この名前が一番似合って、何にも縛られない気がした。
「…あなたらしい。レイン、寝ていて良いです。フラヴィアは少し湯に浸からせますから」
メリアドールさんの声と、フラヴィアが生まれたことの安堵からか、いつしか意識は落ちていた。
パチリと目を開けば僅かに聞こえる高くそして柔らかい声。声の聞こえる方向に首を向ければほっぺたのせいか、上手く目を開けずむすくれたような顔で
「あ〜」
とシーツを蹴り手足を動かすフラヴィアがいた。
俺が見ていることに気が付くとこちらを向いて喜んだように声色が変わって声を出す。
「あっあ!あうあ〜」
しかし俺がぼんやりとずっと見ていると不服だったのかどんどんと泣き声に変わっていった。
「ふぇ゙…わぁああん!うぇぇぇぇぇ!!」
大きくなる泣き声にどうすればいいかもわからずワタワタと痛む体を起こした。
昔の記憶を思い出して拙いながらも抱きかかえるが泣き止むことはなかった。
しかしそれ以外に何かできそうかと言われればそうではなく、おむつはない。ミルクなんかはこの身体から出るわけないが粉ミルクは部屋に置いてない。どうしようも出来ずただ抱きかかえてあやしているとメリアドールさんが少し焦った歩調で部屋に入ってきた。
「すみません、いろいろ準備忘れてて、たぶんミルクでしょう。飲ませてあげてください」
メリアドールさんは俺に哺乳瓶を渡す。しかし、フィンの小さいときの手伝いなんてあまりしたことはなかったし、ミルクなんて母親がやっていたかどうかさえあやふやで、出来るわけもない。
「あの、どうやってミルクあげれば…」
部屋から立ち去ろうとしていたメリアドールさんにおどおどとしながら聞けば驚いた顔を見せた後に納得のいったかのような声を出して再びこちらへ戻ってきた。
「…よくよく考えればレインはそういったことしてませんね。忘れてました」
メリアドールさんは俺の手元から慎重にフラヴィアを抱き上げると手慣れた手つきでミルクをあげ始めた。
最初は知らない人間に抱き上げられ不服そうに抵抗していたフラヴィアもメリアドールさんの動きに絆されたのか抵抗しなくなり、おとなしくミルクを飲み始めた。
どうやら本当におなかがすいていただけのようでミルクを飲み終わると満足そうにげっぷをして瞼を閉じすやすやと眠り始めた。
「たいへん、だ…」
小さくそうつぶやくとメリアドールさんは少し笑みをこぼした。
「それが命を育てるということです。レイン、産みたいと望んだのですから最後まで責任をもって育てなさい。」
説教臭いはずのそれは不思議と嫌に思わなかった。
腕の中で動き笑うフラヴィアが荒みきったこの体を、存在を愛してくれて。
それだけで胸がいっぱいになるくらい嬉しくて、フィンを公に愛せないからと捨てた思いをダメだとわかりながらもフラヴィアに異常なまでの愛を注いだ。
フィンを愛せないからとぽっかりと空いてしまった穴をむりやりに埋めようとしていた。
フラヴィアにどれだけの違和感という名のストレスをかけて、違和感を持たせるかなんて知っていたのに、見ないふりをして。
フラヴィアにもフィンにも俺は隠し事をして、事実をみられないようにと隠しきれない隠し事を守り続けた。
そうして育てて数年経った頃、フィンが成人した頃の事だった。
フィンに急に呼び出され、出産してからというものよくフラヴィアの面倒を見てくれるメリアドールさんに預けフィンに会いに行った。
そこで言われたのは、もう応えるには遅すぎた言葉で。
「兄さま、好き。でも、兄弟だし、言いたかっただけ。ごめんね」
もっと早くお前の想いの先が俺だって気付けてたら、違ったのだろうか。
「それに、僕もう誰かと番っちゃったみたいなんだ。誰と番ったか分かんないから、その人を置いたまま兄さまと一緒になりたいなんて無責任なこと言えない」
俺だ。俺なんだ。お前が番った人間は俺なんだ。だから、置いていってなんかいないから一緒にいてくれ。
そう、言えたらどれだけ楽だったか。
「そうか」
そうとしか言えなかった。開いた口はまともなことも言えなかった。
「兄さま、一つだけ、思い出ちょうだい?」
「なに、するつもりだ」
俺はもうお前のほとんどを奪い去ったというのに。
もう、お前が奪えるものなんて数えられるほどしかないというのに。
「キス。口にしたい。いい?」
それは、俺が唯一フィンが望んだ相手のためにと残していたもの。
「いい。好きなだけしろ」
「うん、ありがとう」
フィンがさみしげに笑い俺の顔に手を添える。
いつしか俺の背を越したフィンは少し見下ろすようにして首を下ろし軽めのバードキスを俺に送った。
カサついた唇は、少しだけ熱を帯びていた。
「ごめんね、気持ち悪いかもしれないのに」
「それで、良いのか?」
きっとこれは、俺の想いだった。
フィンの想いを利用して俺の欲を叶えたかっただけ。
「どうせ一度きりなんだ。どれだけ求めたって俺は咎めない」
「ごめん、ごめん兄さま、好き。大好きなんだ」
フィンは俺の頬を掴むと深いキスを求め唇を舌で舐めた。
やがて舌を口の中にねじ込んで、ぐちぐちと弄ぶ。
性的に求めるには甘過ぎて、愛情表現と言うのはお遊びが過ぎるようなそれ。
全力で応えてやりたかった。でも、応えることが是とされていなかった。もう是とすることが出来なかった。
だから、最低限だけ応えて、後はフィンだけにうごかさせた。
薄く目を開きフィンを見れば、泣いていた。
泣かせたのは自分だ。今すぐにでも自分の事を殴り殺してやりたかった。でも、それはフラヴィアを置いていき、フィンを悲しませることにもなった。だから、フィンを抱きしめることも出来ない自分の拳を握り込むことしか出来なかった。
フィンは満足したのか口を離す。
二人を繋いだ銀の糸は、すぐに切れた。
「ごめんね兄さま、ありがとう、もう、兄さまには、近付かないから、」
俯いたフィンは、そう口走った。
「なん、で」
フィンからしたら、気遣いのつもりだったんだろう。兄を愛するような自分は、きっと兄には気持ち悪がられるだろうと。しかし、レインからすれば愛した弟に近づかないと言われるのは死刑宣告に等しい苦しさを生んだ。
フィンは何も言わずに立ち去ろうとする。レインも、引き留めることも出来ずに立ち尽くしてしまっていた。
手を伸ばしても届かない距離になったとき、本当にこれっきりになってしまうのか、なんて想像が脳裏を掠める。
そのときだった。どうやら神は、過ちを犯したレインをとことん嫌っていたらしい。
「おかあしゃん!!」
拙い言葉の声が“俺”を呼んだ。
「フラヴィア、?なんでここに、」
フラヴィアは俺の足に抱きついて「ねえねえ、おかあしゃん、」と続ける。
「このひとだあれ?なんかね、このおにーさん知らないのにおちつくの!!おとーしゃんなの?」
フラヴィアは立て続けに話していく。
フィンはこちらを向いて目を見開いていた。
「に、さま?」
はくはくと何度も口を開閉させては少しづつ言葉が溢れていく。見開かれた目は疑心と困惑で染まっていた。
「なんで、母さんって、その、女の子、…ねぇ、」
「おかあしゃん…?」
フィンの声を聞いたフラヴィアが、こちらを少し潤んだ目で見つめる。
「…あ、」
バレた。
バレたバレたバレたバレたバレたバレたバレたバレたバレたバレたバレたバレたバレたバレた!!
きっとフィンは察してしまった。自分が番ったのはレインで、フラヴィアも、自分の子なんだって。
でも、せめて、せめて項だけでも隠しきらなくてはいけない。
項を見られてしまったらもう隠し切るなんて出来ない。噛み跡は、本人が見れば自分のものだと分かってしまうから。
「…っごめん」
フィンは俺の襟に手をかけると項にくっきりとついた印を見た。
あぁ、もう、これで終わりか。
「僕、僕の跡、」
「兄、さま、僕が記憶飛んでたときって、に、さまが」
フィンの声が困惑と恐ろしさで染まってく。
同時にその裏側に何か感情が芽生えてもいたが、気づく余裕なんてなかった。
フラヴィアも怖くなったのか、泣き出してしまった、
「おがぁしゃん、」
声が震えて、何も言えない。誤魔化さなきゃいけないのに、隠して、墓場まで持っていかなきゃいけないのに、焦燥に駆られたこの身体はまともな言葉も喋ってくれやしない。
フィンには失望された。フラヴィアだって、きっとこんな母親をいつまで愛してくれるかなんてわかりゃしない。
手が震える。目の前が暗くなる。見えてるはずなのに見えてないみたいで、気持ち悪くてたまらない。
逃げ出したい。フィンもフラヴィアも置いてこの場から逃げ出してしまいたい。到底兄であり母である自分の本音とは思いたくもない言葉。
止まらない汗がシャツを湿らせて、何もかもままならない。
「兄さまは、僕のこと、好きなの?」
「気持ち悪く、ないの?」
縋るような、そんな声。
たった一つ生まれてしまった希望を捨てきれない声。
あぁ、惨めだ。
俺も、お前も。
この一つ生まれてしまった希望を捨てたくないと、拒絶したくないと叫び、でも受け入れることが怖く、いっそ拒絶してくれと願う。
何処までも他人主義で、自らの選択を苦手とする。
愚かで、惨めで、憐れ。
でも、いっそその愚かであったほうが、楽なのかもしれない。
見栄を愚かさで壊せてしまえたならば、何も思い詰めなくて良いのかもしれない。
その思いが言葉を紡がせた。
「…あぁ、そうだよ。お前を襲ったのは俺だよ。お前は番を解消できるからって項を噛ませたのも」
喉が震える。
「いつから好きだったかなんてのは覚えちゃいねぇが、お前に好意を向けられて気持ち悪いわけが無いだろう?それに、お前との一度の交わりで孕んだ子を産んだ」
顔は、見れなかった。
「泣いちまったが、可愛いだろ?優しいんだ。」
フラヴィアのぽかんとした顔が、さらにレインを惨めにさせる。
「悪いな、こんな話しして。これっきりだな。じゃあな。フィン。」
ここまで来たなら、もう戻れない。
兄弟ではあれない。
番っていはしても、寄り添うなんて、許されない。
まともな自制も出来ず弟を襲う愚かな兄に、隣にいることが許されるわけがなかった。
ただ、フィンの心の中に永遠と己が蜷局を巻いて居続ければいいと、呪った。
お揃いだと示した金と黒は少し黄色を霞ませたレインの目を隠し、レインは上着のフードを深く被ってその金と黒さえ隠してしまった。
フラヴィアを胸元に抱えて陽光のような瞳とフィンとは対照の位置にある金に混じる夜のような黒さえ隠す。
レインの心の内となるもの全てをフィンから隠すように。
何一つとして悟られないように。
もう、学生の時のような過ちを二度と犯すことのないよう、線が交わらないように。
身長が伸びた背も、変わらない顔も、昔より肉付きが良くなり体つきも良くなった見た目も。
もう、見てはいけない。
少しで戻りたいなんて思ったらいけないから。
「ごめんなフラヴィア、帰ろう。母さん怖かったよな、ごめん…」
「おかーしゃん…お顔、こあいよ?」
顔が熱い。
手に力が入る。
レインにとって、フィンと会えないことは、何よりのストレスで、苦しいことだった。しかし、フラヴィアとの事がバレてしまった今、何よりも辛かったとしても、離れる選択肢しかなかった。
「にい、さまッッ…!!」
フィンがレインの腕を強く掴む。
「離せッッッッ!!テメェとはもう二度と会わねぇ!!俺みてぇなやつが、お前の隣に居て言い訳がねぇんだ!!」
言葉は切らなかった。切ってしまったら、その後を紡げなかったから。
タッ、という音ともにフィンの体が目の前に映り蜂蜜のような目がはっきりとこちらを見つめた。
「っ、僕の隣に居るかどうか決めるのは、僕の選択だろ!!」
多分、普通の大声。
響きすぎるわけでもなく、響かなすぎるわけでもない。
数人が振り返る程度の声。
それでも、レインには何の音よりも大きく、体を震わすほど大きな音に聞こえた。
「全部決めつけるなよ!!僕は、僕は兄さまがいたから幸せだったって、言っただろ!!」
夕日に照らされた目が光りレインを映す。
結局は離れられない。
結局は、フィンの方が、レインのことを分かっていて、人的に正しい選択を取れる。
論理的な正解を選ぶのは得意であれど、人的な正解を選ぶのは不得意なレイン。
論理的な正解を選ぶのは不得意であれど、人的な正解を選ぶのは得意なフィン。
人的な正解はときに論理的な不正解となる。それでも、人を救うのだ。人の、心を救う。
レインの育ちきれないままに放置されてしまった心を包み、支えてやれるのはフィンだった。
レインに論理的選択ばかりをしなくて良いと教えることが出来るのも、フィンだった。
「それ、でも」
それでも、俺は。
レインはまだ正しい選択を取りたいとごねる。今更、正しいも何もないというのに。
まだ、逃げたがる。
レインはフィンよりも心が成長出来てなくて、子供のまま。
だから、論理的な選択しか正しいと出来ず、人的な正解を不正解と取るのが恐ろしいと感じる。
誰より公平で、正しいとされる判断を下すのは、いや、下そうとするのはそういう過去があったからだった。
「僕は、どんな理由があれど兄さまから離れる気もないし、離れたいとも思えないんだ」
きっぱりと、レインが嘘でも聞き間違えるなんてないように真っ直ぐと貫くように揃いの目を見つめて言った。
「おかあしゃ、わたし、この人が、いい」
くしゃりと顔を歪めたフラヴィアがフィンを指差す。
「このおにーさ、ん、ヒック、おかあしゃんのこと、ちゃんと分かってるの、だから、この人が、いぃ」
途中からぼろぼろと泣きながらフラヴィアはレインの服を引っ張り嘆いた。
「フラヴィ、ア」
信じていいのか否か。
何もわからない。
愛する2人からは離れないでくれと言われる。
レインだって心の底から嫌ってるわけでもないのに、離れたいわけがなかった。
「なに、信じれば」
レインは探した。
赦される理由を。
論理的な、理由を。
「兄さま」
それもすぐフィンの声で思考の中から引きずり出されてしまった。
「兄さまが、どうしたいのか教えてよ」
「世間とか、僕の事とかじゃなくて、兄さまが、どうしたいのか」
そう言われてしまえばレインの回答などたった1つだった。
「お前と、フラヴィアといたい」
「離れたく、ねぇ…」
最後の方の声は小さく消え入ってしまうほどだったと思う。
それでも、確かな本心が吐き出された。
「それなら、逃げないでよ、居なく、ならないでよ」
学生の時より低くなった声が震え、懐かしさを帯びる。
ぐっと掴まれた腕が願いのままに、逃げないでくれと言うほどの力で掴まれているのか、酷く鈍い痛みをレインに伝えるのに、それが不快と感じれない。感じたくも、なかった。
「誰が、俺を許してくれる。誰が、認めてくれる」
本音がこぼれ落ちる。誰かに許されないなら、それに手を伸ばせなかった。マッシュはレインが手を伸ばしたから、レグロが手を伸ばしたから、マッシュを信じ託すことが出来た。しかし、今はどうだろうか。レインは他人に手を差し伸べられど、自分には手を差し伸べられない。
分からなかったのだ。
己を、許してくれる存在というものが。
「僕が、認める、許すから、お願い……」
「いっしょ、いたいよぉ」
縋り付くようなその声。
涙が落ちないようにと細められた目が父にそっくりだなんて、場違いな事が脳裏に過ぎり去る。
体は石のように重く、足は何処へも行こうとしない。
認めるという許し。
お願いという懇願。
わけがわからなくなる。
別にフィンはレインに特別難しいことを言ってるわけではなかった。ただ、離れないでくれというだけ。簡単な話。
その手を取るだけで全てが終わるのに、まだ躊躇った。まだ、恐れた。
関係性が変わって離れていく人を何人も、
何人も何人も何人も何人も何人も、
見てきたから。
離れたくなかったから、離れることを選びたかった。
本音という名の建前で逃げようとした。
「おれ、おれ…は、」
崩れた建前たちはもう使い物にならない。
もう、レインを逃がしてくれない。
「……逃げないって、誓ってくれ、離れ、ないって、」
精神的にも、身体的にも。
親が幼くして死んだことはレインにとっても静かなトラウマとして心を巣食っていたから出た言葉。
今日まで忘れようとしていたこと。
「…逃げないよ。逃げないし、離れない」
「ふらうぃあいるよ!!」
低い声と高い声があまりに優しく、溶かしそうな声でレインに縋る。
レインはその言葉にどれほどの重みがあるのか分かっているのか、と不安になる。
普段隠す不安が全て溢れ、全て受け止めてもらえなければ足りなかった。
「俺が生きてるうちに死なず、身一つ、心さえ誰かにやるなと言ってるんだ。お前に、お前に出来るのか」
俺より、弱いくせに。
それは言葉にはならず喉で突っかかった。
レインが少し目線を逸らそうとしたとき、フィンがレインの体を、フラヴィアごと抱き寄せた。
「保証できる、とは、断言できないよ。でも、この身一つ、心1つたりとも兄さま以外にやるなんてこと、しないよ」
「兄さまのこと、何年好きで、拗らせたと思ってるのさ」
怒りさえも灯るような声。
それを抑えようと力の入る腕と震える声。
それは、不思議とレインに大層な安心と光を与えた。
すとん、とレインの中で巣食っていたものが落ちて心を軽くさせる。
「ごめっ……おれ、俺」
レインは詰まる声を無理に吐き出そうとして、出来ず少し苦しそうに息をする。
それをどうしても勘付かれたくなくて抱きつくフィンの肩口に顔を埋めた。
「ずっと、お前から逃げてばっかで、自分守んのに必死で、お前のこと、見れてなくて、」
言いたいことはもっと違うはずなのにレインの言葉は纏まらずバラける。
それでも、言葉を紡いだ。紡ごうと、した。
「おかあしゃん」
凛として、高い声がはっきりとレインの名前を呼んだ。
「おにーさんと、なかなおり!!手、だして!!」
レインが何もわからないま手を出せば、フィンの手もフラヴィアは取り、指切りをさせた。
「ねっ、なかなおり!!」
きっとフラヴィアは指切りが仲直りの意を示さないことは分かっていない。指切りは、約束のためであり、仲直りのためではない。でも、レインとフィンはそれが一番この仲直りには、ぴったりに感じれた。
絡む指がまるで指輪のように強固なものにさえ感じる。すぐ解かれたのに、絡んだ感覚は抜ける気配がなかった。
「遠回り、しちまったけど」
レインはゆっくりと額をフィンに合わせ、触れ混ざる髪の毛が境目をあやふやにさせていった。
「俺と、生涯を遂げてくれませんか」
呪いと約束の入り混じった言葉は、フィンに断る理由がなかった。
「もちろん」
センター分けになった髪は上手にレイン達の表情を隠す。
暮れ始めた日はもうレインとフィンを照らしはせず、代わりに月の光がよく馴染む。
一つの影は物影にのまれるまで一度たりとも離れることはなかった。