side…涼架
8月になるとより、先生と過ごしピアノを教えて貰っていた日々を思い出す。
先生と出会ったのは12歳の頃だったから、もう6年も前のこと。
小さい頃から母親に教えて貰ってピアノを弾いていたけど、そろそろ他のひとに指導してもらおう、となって来てくれたのが先生だった。
先生はピアノがすごく上手なのにまだまだだよ、といつも謙虚で自分には厳しいのに僕にはとっても優しかった。
上手く出来なくて泣いた時は涼架なら出来るよ、と頭を撫でてくれて何度も練習に付き合ってくれたし、たまに練習が嫌になってお休みする、なんてことを言ったときは、じゃあ今日はお話しようか、なんて何気ない話を聞いてくれる兄のような存在だった。
先生と生徒の関係を越えて食事をしたり、一緒にゲームをしたり、家に泊まっていってくれたこともあった。
近くでピアノを教わっているとドキドキして、いつしか自分よりずっと大人な先生に恋をしていた。
でも、別に何か特別な関係になりたかったわけじゃない。ずっと一緒にいてそばでピアノの教えてほしかっただけだったのに。
それすらも自分のせいで叶わない夢になってしまった。
8月の登校日、元貴が僕のピアノを聞いていたことを知って、更に好きだと言われて、僕から離れてほしくて事故の事を話してしまった。
あれは中学生最後の大きなコンクールで前から先生に絶対見に来てね、と約束していたのに大事な試験と重なったせいでどうしてもいけなくなった、と言われて僕は、随分とワガママを言って困らせ、 先生は最後には試験が終わったらなるべく急いで行くからね、となだめてくれてた。でもピアノを弾き終わってどこにも先生の姿がなかったことにがっかりしたのを覚えている。
でも先生は来なかったんじゃない。
来れなかったんだ。
コンクールが終わって親から先生が事故にあったのを聞いて病院に行ったけど会うことは出来なかった。
事故が起こった場所は大学からコンクール会場までの道の途中だった。
先生は、僕がワガママを言ったから、ピアノを聴こうと会場に向かっていたんだ。
親も先生のご両親も、不幸な事故だったと、運転手や車を責めはすれど、僕を責めたりしなかった。
だからお葬式で膝をついて謝った姿を見て誰もが驚いたと思う。
その日から僕はピアノを弾かなくなった。もう二度とピアノは弾かない、と言ったけど、母親はそんな僕を責めなかったし、練習しなさいとも一言も言わなかった。
ただ、いつでも弾きたくなったら弾いていいのよ、と優しく言っただけだった。
人を不幸にする僕のピアノなんて2度と弾くことはないと思ったけど、先生ないなくなって1年がたって、誰にも弾いてもらえないピアノが寂しそうで先生の好きな曲を先生に捧げる為に弾いてから、家で1人の時にだけひっそりと弾くようになった。
先生が好きな曲、先生から習った曲、それから先生が好きそうな曲から聴いてほしい曲も···。学校でピアノを借りられるようになってからは誰にも聴かれる心配がないから、こっそりと学校で弾いていた。
···元貴はもう諦めてくれただろうか、ピアノのことも僕のことも。
知り合って僕にあんなに懐いてくれて、元貴は本当に可愛らしい存在だった。彼の澄んだ声で呼ばれる名前は心地よくて彼のギターも歌も聴きたかったし、これからもっと仲良くなりたかった。
今までもたまに僕は告白をされることがあったが、全て断っていたし、あまり仲良くする相手も作って来なかった。
それをなんとも思わなかったけれど。
どうしてか元貴の誘いは断れなくて自分から約束をした。一緒にいるのが楽しくて毎週金曜日を楽しみにしている自分がいた。
でも元貴を不幸せにしたくない。
だから元貴から離れなければいけない、わかってる。
なのになんでかなぁ。
寂しくてたまらない。
部屋でひとり、久しぶりに先生以外の人のことを想って僕は泣いた。
コメント
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💛ちゃん、、、♥️くんが特別な存在になりつつも、過去が😭💦 いつも沢山更新して下さり、ありがとうございます🙏💕