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レッスン室での“必殺スマイル粉砕事件”から数時間後。
玲央はその日の作業をまとめ、PCを閉じた。
仕事の区切りとして深く息をつく。
「今日はありがとうございました、詩織さん。
また明日、打ち合わせを――」
「ねぇ、玲央くん」
「……え?」
呼び方が、変わっていた。
ついさっきまで「相川さん」だったはずの少女が、
いつの間にか自然に、甘い声で“下の名前+くん”を使っている。
玲央は戸惑いながら向き直る。
「急に名前で……?」
「いいじゃん。
呼びやすいし…可愛い呼び方でしょ?」
「特に可愛い必要はないと思いますけど……」
「あるの。わたしが気に入った男には、そう呼ぶの」
「……気に入った?」
詩織は胸を張り、つんと顎を上げた。
「そう。“お気に入り”に登録されたってこと。
光栄に思いなさい、玲央くん」
(……は?)
玲央はぽかんとしたが、詩織は完全に“その気”になっていた。
――そう。
彼女の中で“落としてみたい男”として玲央が選ばれてしまったのである。
◆
校舎を歩く2人の周囲は、相変わらずざわざわしていた。
「また歩いてる……!」
「今日もすごい絵面……」
「距離近くね???」
玲央は涼しい顔。
しかしその横で、詩織はわざと歩幅を合わせ、肩が触れそうな距離で歩く。
(ねぇ、気づけ。
この距離、普通じゃないのわかるでしょ?)
だが。
玲央「詩織さん、歩幅小さいですね。合わせましょうか」
詩織「だ、だいじょうぶ! 自分で合わせる!!」
(え……なんでこんな紳士ムーブしてくるの!?
逆にペース乱れるんだけど……!)
◆
学園の庭に着くと、詩織はふいに立ち止まった。
玲央「どうかしました?」
詩織はくるりと振り返り、玲央の胸の前に指を突きつける。
「ねぇ玲央くん。
今日さ、わたしの笑顔……全然効かなかったでしょ?」
「はい、そうですね」
「堂々と言うな!!」
「え、ダメなんですか?」
「ダメに決まってるでしょ!?
あれで落ちない男、初めてなんだけど!」
玲央は少し考えてから言った。
「でも……詩織さんの素の部分のほうが、僕は好きでしたよ」
す、と淡々と言う。
詩織「——っ!!?」
脳みそが一瞬真っ白。
(え? 今……“素が好き”って言った?
そんなストレートに言われたら……)
頬に一気に熱がのぼる。
玲央「……顔、赤いですけど、大丈夫ですか?」
詩織「なっ!? 赤くないし!!
これはその……日光のせい!!」
玲央「今、日陰ですけど……」
詩織「黙れ!!」
怒鳴ってから、
(あ、やばいまた素が……)
と思ったが時すでに遅し。
しかし玲央は怒るでもなく、ただ静かに微笑んだ。
「やっぱり、その自然体の方が魅力的ですよ。
詩織さん」
「~~~~っ!!」
詩織はその場で身悶えする。
(なんなのこの男!?
煽ってる? わたしをからかってる?
……違う、これは……)
胸がきゅうっと締まる。
(……今の、嬉しかった……)
◆
その日の帰り、詩織はひとりで歩きながらスマホを見つめた。
カメラに映る自分は、いつもの営業スマイルでも、強気な表情でもない。
「……はぁ……
玲央くんの前だと、調子狂う……」
ぽつりと零れる。
(でも……もっと話したい。
もっと驚かせたいし……もっと、笑わせたい)
その感情の名前は、まだ本人も分かっていない。
ただひとつだけはっきりしていた。
――相川玲央は“特別枠”に入った。
詩織は自分の胸に手を当て、小さく呟く。
「ふふっ……キミ、絶対落としてあげるから。
覚悟してよね……玲央くん」
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