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一地方の豪族のもとに仕えていたミアは、頼るべき親すらいない、ただ惨めな奴隷小間使いのひとりだった――
主人である豪族の男は、豪族とは名ばかりの教養や品格のない凡庸な人物で、奴隷を躾けられるほどの才覚や度量など持ち合わせるはずもない。
気に入らなければ罵声を浴びせ、殴る蹴るを繰り返すだけ。環境も中央の王族や貴族と比べるなどおこがましいレベルで、吹けば飛ぶほどチンケなものだった。
しかしある時、島を押し流してしまうほどの天災が起こり、外遊中の上皇一行が豪族の管理する地域を訪れたことにより事態は動き始める。
豪族ともども、男が収める地区に住む者全ては、皆が皆ただただ謙り、身を屈め、一行をもてなした。
上皇は多くの執事やメイドを連れており、その誰もが貴族を支える由緒ある立場の者ばかりだった。
長らく下民扱いを受け生き延びてきたミアからすれば、上皇だけでなく、その下で働く者たちも皆、憧れの存在でしかなかった。
身なりや所作、品行方正で非の打ち所がない一行の所作に、ミアは自然と憧れを抱いた。
中でも上皇直属の侍女として従事していたメルローズは、一地方豪族の奴隷小間使いであるミアにすら分け隔てなく接し、同族感情を抜きにしても、憧れるなという方が難しいほどの才女だった。
しかしミアの小さな憧れは、すぐに問題となって表面化した。
ミア自身、上皇以下客人に粗相のないよう口酸っぱく命じられていたものの、憧れの存在を前にしたミアがドジを起こさないはずはない。さも当然のように、小さなミスを繰り返した。
『も、申し訳ありません! わ、私、ま、また上皇様のお召し物に粗相を!』
「また貴女ですか。何度同じ間違いを繰り返せば済むのです。これ以上の粗相は、上皇様への反逆とみなしますよ」
「そ、そんな。そんなつもりはないんです。ごめんなさい!」
ミアが頭を下げていると、見兼ねた豪族の男が飛んできて、ミアの頭を地面に擦り付けた。
額から血が滲むほど激しく頭を押さえつけられたミアは、ごめんなさいごめんなさいと繰り返すしかなく、それ以外の言葉は出てこなかった。
「上皇様がこのような田舎下りにおいでなさったことを有り難く思うどころか、恩を仇で返すような仕打ちとあらば、我々とて思うところがございます。なんならば、このような雑輩如き、排除することもできるのですよ」
「申し訳ございません。わたくしの方からよ~く言い伝えておきます故、どうかこの場は穏便に。おい、貴様も非礼を詫びないか!」
豪族の男に頭を叩きつけられ意識朦朧とするミアがスミマセンと謝罪した。
しかしその時、別の誰かがもめる三人に声を掛けた。
「まぁまぁ、マセリメイド長。そちらも反省なさっているようですし、もう良いではありませんか。誰にでもミスはあるものです」
ミアの背後から現れたのは、あまりにも優雅な佇まいをしたハーフエルフの侍女、メルローズだった。メイド長であるマセリにペコリと会釈したメルローズは、揃って土下座をするミアと男に対し、「頭をお上げください」と肩に触れた。
「メルローズさんですか。貴女はいつもそのような甘いことを言っているから、相手にズケズケとつけこまれるのです。我々は上皇様に仕える身、常に最善の選択をしなくてはなりません」
「ですが、だからといって一方的な非礼が許されるわけではありません。頭を垂れる者に罵声を浴びせるばかりが我々のすべきことではないはずです。ここまでにいたしましょう」
「まだ話は終わっておりません。この者は上皇様のお召し物に汚れを付け、剰え反省なく三度にも渡り……。これはもう反逆と捉えて間違いございません」
「ですがこうして何度も頭を下げ謝っているではありませんか。ほら貴女、顔をお上げなさい」
メルローズに促され頭を上げたミアは、鼻水と涙でボロボロな顔のまま、「ぼうじわげありまぜんでじだ」と詫びた。
あまりの無様さから口に手を当てたマセリは、汚物でも見るように憚りながら、これ以上見ていたくはないと手払いした。
「よいですね。次にまた同じようなことがあれば、今度こそアリストラ本国の牢獄に入れて差し上げます。よーく覚えておくことです」
鼻息荒く去っていったマセリに軽く会釈し、メルローズは彼女の背中が見えなくなるとすぐに、未だ土下座を続ける二人の肩に手を置いた。
「ほら、もう大丈夫ですよ。マセリさんは行ってしまいました」
朗らかに声を掛けたメルローズの言葉に、豪族の男は「ありがたやありがたや」と頭を下げたまま礼を言った。
「メルローズ様、御慈悲をいただき本当にありがとうございます。こ、この者には、わたくしめの方からきつく、きつく言っておきます。ですからどうかお許しを」
「大丈夫です。誰にでもミスはございます。何よりも、我々は皆様の御厚意によって、今もこうして不自由なく過ごせているのですから」
菩薩のように微笑んだメルローズに心を掴まれた豪族の男が、「ハハァ!」と頭を垂れて礼を言った。メルローズが去るまでずっと頭を下げ続けた二人は、女史の足音が離れて聞こえなくなるまでの間、身動き一つせず黙っていた。しかし――
「ミア、貴様また俺に恥をかかせやがって。40を過ぎてその程度の働きもできんとは、貴様のような屑を雇った自分が悲しくなる。貴様は裏の小屋にでもこもって金輪際出てくるな。いいな、俺が良いと言うまで、絶対に出てくるなよ」
豪族の激しい怒りを買ったミアは、客人との接触を一切禁じられ、誰も住む者のいない自宅裏の荒屋に放り込まれた。
どれだけ許しを請うても相手にされないミアは、それから一歩も外出することを許されず、荒屋に監禁状態となった。
「ご、御主人様、お願いです、なんでもします、ここから出してください!」
窓もなく土壁で塗り固められた荒屋は、壁のところどころがひび割れ、隙間風が絶えず吹き込んだ。
酷く冷える部屋の中は外と寒さが変わらず、日が差し込む昼間はどうにか耐えられたが、夜になると凍えて眠ることすらできなくなった。
「おでがいじまずッ。ごのばばでばじんでじばいばず。だんでぼ、だんでぼじばずがらぁぁぁ!」
三日、四日と過ぎた頃になると、叫ぶ力も尽き、声を出すことすらできなくなった。
しかし男が助けにくることはなく、ミアはただ震える夜を過ごすほかなかった。